一人息子へのお土産って、ちょっと特別な視点が必要なのかもしれない。
彼が北海道旅行に行く前に、息子にちょっとした話をする機会があった。
私が昔、父に贈ったものの話だ。覚えているものには、北海道土産のマリモと、ネクタイ。
ネクタイは、たしか東京のどこか駅の地下道などにその時だけ出店している催事的なお店から買った安いやつ。
そのえんじ色のネクタイは、父が普段着ている作業着の色によく似ていて、これは父そのものだ!と感じた故に購入したのだ。
2本千円とか、もっと安かったかもしれない。だが、その時の父の反応は嬉しそうであった。母に自慢げに見せていたこと(母は不満そう)や、いつぞやそのネクタイを締めた時に、私もすぐ気が付いたのだが、父がわざわざ「おめが買ってくれだやつだじゃ」と声を掛けてくれたところを見ると本当に気にいったんだなと思ったものだ。
他のモノは反応が薄く、父は「くだらないもの買って無駄遣いして」という反応だった。
お土産やプレゼントは、喜んで欲しくて一生懸命選ぶけれども、父があまり喜んでくれなくて寂しかったねぇ、と息子に話した。
2泊の旅行の後、息子は、北海道のお土産を買って帰宅した。
お土産は、乾物だった。
たぶん、5点で3000とかそういうものなのだろう、小樽の市場らしい包み紙が熨斗のように付けられてた。
聞いたことない海藻、削りたてらしくふわふわしたとろろ昆布、そして、貝ひも。これまでの彼の購入してくるお土産はご当地でしか売っていないというお菓子が多かったけれど、今回は乾物!
一目見ていいものだとわかる。
しかも、貝ひもは「酒のつまみ」である。
彼が成人後、たまに家族3人で呑むのだが、彼はハイボールが好き、私たちは日本酒かワイン。
いつもやるように3人でお酒を飲みながら、その貝ひもをつまみとしていただいたのだが、私たちが開封する前に息子が先に開封して食べているというオチがついてた。
独り暮らしを意識しだしたら、お土産=お菓子じゃなくて、海藻とか調理に使えるものや酒のつまみになったんだな、と思った。
昔の私のお土産「マリモ」の結末はまた次回。
彼が北海道旅行に行く前に、息子にちょっとした話をする機会があった。
私が昔、父に贈ったものの話だ。覚えているものには、北海道土産のマリモと、ネクタイ。
ネクタイは、たしか東京のどこか駅の地下道などにその時だけ出店している催事的なお店から買った安いやつ。
そのえんじ色のネクタイは、父が普段着ている作業着の色によく似ていて、これは父そのものだ!と感じた故に購入したのだ。
2本千円とか、もっと安かったかもしれない。だが、その時の父の反応は嬉しそうであった。母に自慢げに見せていたこと(母は不満そう)や、いつぞやそのネクタイを締めた時に、私もすぐ気が付いたのだが、父がわざわざ「おめが買ってくれだやつだじゃ」と声を掛けてくれたところを見ると本当に気にいったんだなと思ったものだ。
他のモノは反応が薄く、父は「くだらないもの買って無駄遣いして」という反応だった。
お土産やプレゼントは、喜んで欲しくて一生懸命選ぶけれども、父があまり喜んでくれなくて寂しかったねぇ、と息子に話した。
2泊の旅行の後、息子は、北海道のお土産を買って帰宅した。
お土産は、乾物だった。
たぶん、5点で3000とかそういうものなのだろう、小樽の市場らしい包み紙が熨斗のように付けられてた。
聞いたことない海藻、削りたてらしくふわふわしたとろろ昆布、そして、貝ひも。これまでの彼の購入してくるお土産はご当地でしか売っていないというお菓子が多かったけれど、今回は乾物!
一目見ていいものだとわかる。
しかも、貝ひもは「酒のつまみ」である。
彼が成人後、たまに家族3人で呑むのだが、彼はハイボールが好き、私たちは日本酒かワイン。
いつもやるように3人でお酒を飲みながら、その貝ひもをつまみとしていただいたのだが、私たちが開封する前に息子が先に開封して食べているというオチがついてた。
独り暮らしを意識しだしたら、お土産=お菓子じゃなくて、海藻とか調理に使えるものや酒のつまみになったんだな、と思った。
昔の私のお土産「マリモ」の結末はまた次回。
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