とこのへや

とこの雑貨と、とこのお洒落着。とこは樺太に住んでいたことがあります。とこの嫁の体験談、日記、備忘など。

よもやま話

2017-07-22 15:43:16 | 日記

こんにちは。

「待つ」というのは私はもともと少々苦手だし、不安な中では辛いもの。

暑い中、再び上京した叔母と待ち合わせて病院へ行った。
すでに入院した従妹を見送って、緊張している私たちは病院内の「デイルーム」で手術が無事終わったという望むべき知らせを待った。

以前、私の父が入院した時も似たような状況だった。母と姉と私とで田舎の総合病院のこんな待合室で半日過ごしたのだ。

ここもそうだが、最近の病院はとても清潔な感じだし、動線が整備されていて、手術するオペ室は特定の階に集約されているし、見舞いにきた外部者とスタッフの使用するエレベータは分離されている。
1階の受付も機能的だ。1階奥にタリーズとコンビニがあり、患者や見舞客には利便性が高いと思われるけれど、混とんとしていない。

手術の予定の時間までは従妹と叔母、私との3人で、ぽつりぽつりと話す。
お肉食べたい、とか、最近弟に会ったかとか。亡くなった祖母と同じに耳の聞こえが悪くなってきた、とか、胸焼けしやすいのは私も叔母も、私の父も同じだとか。
予定は大幅に遅れ、13時半をまわってやっと呼ばれた。
精いっぱいの笑顔で扉の向こうへと向かう従妹、それを見送る私たち。

入院棟の「デイルーム」では自前のコップを持参すればお茶が飲める。
手術室への入り口まで見送ったのちは、そこの無料のお茶とコンビニで買った惣菜などでお昼を済ませ、重苦しい気持ちで待つ。

たぶん、大丈夫だ。担当医はよくある術式で通常2時間程度のオペだと、こともなく言ったのだから。私は今年の初め、乳がんの疑いを持って検査を重ねたので、その言葉は身に染みる。

ともかく、母としては心配だろう。待っている間というのは、想いが膨らみやすいものだ。私も一人の息子をもつ身としては叔母の気持ちは当然のように思う。従妹として、少し距離があるからやや頭が冷えているといったところだ。
叔母は母として、あの子にはまだあれがない、これもないと不憫がる。

いやいや、なかなかに、あの子はしっかりしているし、それなりに幸せを手にしているものと思う。でも、不安な中、待つ身になにを言っても、言葉が素通りするだけだ。

言葉が途切れ、二人して目を閉じて、ふと、時計を見る。

2時間半ほど経過してスタッフに呼ばれて行った手術室への入り口、オペ室の階のホールで、叔母は出てきた担当医の言葉にホッとした。麻酔が切れて、本人が元気に会話しているとのことだった。

手術前にはたくさんの水分をとるように指示があり、術後は酸素を3時間吸入するとのこと。夕食は出してもらえるので、ひとまずは休むことだから、本人の勧めもあり病院からは退出することにする。

手術が無事済んだことをあちこちへ連絡し、近くのショッピングモールのカフェに入った。これからは、もう少し長いスパンで、待つ、こととなるのだ。

でもまずはひと段落。

互いにホッとして、いろいろな話題についてとりとめもなく話した。私の家の様子、叔母と同様田舎で暮らす私の父や母のこと、昔話。叔母にとっては、私たち姉妹と叔母たちとは似ている、とよく祖母や父からも言われたものだし、おそらく多少なりとも同情してくれていたということなのだろう。

この何年か、実家に帰れば年金のことや、熟年夫婦の「いろいろ」があって、既婚のわが身としても、他人事とは思えない話も聞く。
私の父は叔母にとっては若いときから知ってる「うちのあんちゃん」なので、そんないろいろを、どう思うのか、聞いてみたいというのもある。私からみた父と叔母のみた兄としての父とはどのくらい差があるものなのだろうか。細かいところがあるのに、時々かなりおおざっぱなところがある、というと、叔母も同意してくれた。

叔母のいうことは、周囲の大人の意見として、まさにそうだな、とも思えるし、逆に、これを試してみても、こう考えてみてもいいのじゃないか、とも思える。

いつも、親以上に親らしいのである。


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