ニッコウの旅のブログ
旅行の写真集
散歩の写真集

               
                    




「トルコの旅・NO4」
コンヤでは、イスラム神秘主義・メヴラーナ教団博物館で、教団の発展に関係した修行場、
名僧たちの棺が置かれた霊廟、旋回舞踊で使った衣装、コーランなどが収められている。
教団の総本山だったところで13世紀末に造られましたが、アタチュルクの宗教分離政策に
より教団は解散、旋回舞踏は禁じられ、1927年に霊廟は宗教色を薄める形で博物館として
オープンした。 霊廟には創始者創始者ジェラルディン・ルーミーの棺には、眩いばかりの
装飾が施された中に安置されている。棺の上に置かれた帽子で、イスラムの僧侶としての
階位の高さが表されているのだという。また、霊廟の隣の資料室にはマホメット(ムハン
マド)のあごひげを納めた小箱も展示されており、信者の皆さんが熱心にお祈り・見学を
されていた。その後、神学校等を観光した後、シルクロードをドライブし途中、キャラバン
サライ(隊商宿)の中で最大規模のスルタンハヌに立ち寄り「カッパドキア」へ。





























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「トルコの旅・NO3」
アンタルヤからベルゲへ移動し、ベルゲのローマ遺跡・野外劇場、浴場の壁、ローマ風呂、
サウナ風呂等の遺跡を観光した後、アスベンドスヘ、アジア最大級の古代劇場・2万人
収容の野外劇場(現在でもこの劇場で演奏会など開催されています)を観光した後、
海抜1,800mの峠を越えしてコンヤへ向かいました。


























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「打ち出の木槌」



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「トルコの旅、NO2」
イズミールからエフェスへ移動し「聖母マリヤの家」や、遺跡の最大の見所「エフェスの
ローマ遺跡」では、ハドリアヌス神殿、トライヤヌスの泉、ヘラクレスの門、大劇場、ヴ
ァリウスの浴場、勝利の女神(ギリシャ神話・天使の翼)、大劇場、モザイクのクレディア
通り、公衆トイレ、図書館、等見学した後、パムッカレの石灰棚・(石灰成分を含む湯が結
晶して出来た大地)や、ベルガモン王エウメネス2世によって造られたBC2世紀の都市・
ヒエラポリス遺跡を観光しました。



























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「冬のツバキ」



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「トルコの旅・NO1」
関西空港からトルコ航空にて、トルコのイスタンブール空港へ。
ヨーロッパサイドから船で海峡を渡り、アジアサイトはトロイの遺跡やベルガモン遺跡、
アクロポリス遺跡等を観光しました。
ペルガモンのアクロポリス遺跡は標高335メートルの丘の上にあり、一群の建造物で構成
されていて、上市と呼ばれ、その下方には、中市と下市が広がっている。上市には、宮殿、
トラヤヌス神殿(ローマ時代のもの)、アテーナー神殿、劇場、ゼウスの大祭壇、アゴラ、
図書館、武器庫の遺跡があります。





















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「ホテル椿山荘東京」
江戸時代、ホテル椿山荘東京の周辺(東京都西北部目白台)は、南北朝のころから
椿が自生する景勝の地で「つばきやま」と呼ばれていました。
明治に入り、軍人・政治家であった山縣有朋が、明治11年(1878年)に、私財を
投じて「つばきやま」を購入し庭園、邸宅をつくり、「椿山荘」と命名しました。
大正7年には、当時関西財界で主導的地位を占めていた「藤田平太郎男爵」が、
名園をありのまま残したいと言う山縣有朋の意志を受け継ぎましたが、昭和20年
の空襲で、山縣の記念館や一千坪の大邸宅、樹木の大半が殆ど灰燼に帰してしまい、
昭和23年(1948年)、椿山荘は藤田興業の創業者となった小川栄一は、一万有余の
樹木を移植し、名園椿山荘の復興に着手し、昭和27年11月11日ガーデンレストラン
として「椿山荘」オープンしました。
平成 4年(1992年)には、 椿山荘敷地内に「フォーシーズンズホテル椿山荘 東京」
オープンし、平成 25年(2013年)「ホテル椿山荘東京」となり現在に至っています。



























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「中欧の旅」
中欧ヨーロッパ「世界遺産とクラッシックコンサートを巡る旅」に行ってきました。
関西空港を出発し、最初の訪問国「ハンガリー」はブタペストへ。「ブダペスト」の名称は
ドナウ川を挟んだ「ブダ」と「ペシュト」二つの町の名称を組み合わせたもので、1873年
11月に町が合併され一つになって以来使われています。ドナウ川河畔に位置しハンガリー
の政治、文化、商業、産業、交通の一大中心都市でブダペストの人口は174万人ほどです
が、消費税がなんと27%です。でも物価は安く過ごし良い都市の様です。
漁夫の砦、マーチャーシュ教会、王宮、聖イシュトバーン大聖堂、英雄広場、世界遺産の
パンノンハルマ修道院を観光しました。



















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「日光東照宮観光」
日光東照宮は、栃木県日光市に所在する神社で、江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化し
た東照大権現を祀る神社です。正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」であるが、他の
東照宮との区別のために、「日光東照宮」と呼ばれることが多い。元和2年4月17日(1616
年6月1日)、家康は駿府(現在の静岡)で死去しました。遺命によって遺骸はただちに駿
河国の久能山に葬られたが、翌・元和3年(1617年)下野国日光に改葬された。家康が日
光に祀られることになったのは、 家康本人の遺言からで、家康は遺言中に「遺体は久能山
に納め、一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ること、
そして「八州の鎮守となろう」と述べている。 家康が目指した「八州の鎮守」とは、日本
全土の平和の守り神でもある。 明治元年(1869年)の神仏分離により日光は神社の東照宮・
二荒山神社、寺院の輪王寺の二社一寺の形式に分立しました。

































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「ホテルから華厳の滝へ」
「中禅寺金谷ホテル」からの帰り道、中禅寺湖や華厳の滝を観光しました。華厳の滝は、
中禅寺湖からの地表を流れる唯一の流出口大谷川にある滝で、落差97mの滝を一気に流れ
落ちる様は壮観で、日本三名瀑の一つにも数えられています。
「いろは坂」の名称は、第一いろは坂と第二いろは坂の二 つの坂に存在する48のカーブ
を、いろは48音に例えたのが由来です。馬返から中禅寺湖への登り方向を第二いろは坂と
言い「い」から「ね」までの20のカーブがあり、中禅寺湖から馬返への下り方向を第一い
ろは坂と言い「な」から「ん」までの28のカーブがあります。第二いろは坂は馬返から明
智平までが上り方向に、第一いろは坂は全線が下り方向に、それぞれ一方通行になってい
ますので車で行かれる方はご注意下さい。



















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