ニッコウの旅のブログ
旅行の写真集
散歩の写真集

               
                    




「日吉大社の山王祭」
桜の咲く、4月12日~15日頃に行われ、7基の神輿が繰り広げる壮大な
歴史絵巻です。延歴10年(791)桓武天皇が日吉社に2基の神輿をご寄進
されて以来1200年以上の歴史を有する山王祭は西本宮大己貴神・東本宮
大山咋神のご鎮座の由来をたどりながら、天下泰平・五穀豊穣をお祈りした
お祭りです。祭礼中、山王七社の7基神輿(1基1500kg)前で天台宗総本山
比叡山延暦寺より天台座主が参拝され、ご神前に五色の奉幣般若心経の読経
を奉納されます。7基の神輿は神社を出て、舟で琵琶湖上へ進み「神輿渡御」
の神事がなされ琵琶湖を渡る様子は、歴史絵巻を観るかの様な華やかさです。
また、山王祭の神事中、甲冑を着たかわいらしい姿の5歳位の子供達が満開
の桜並木の中「花渡り式」の優雅で最も華やかな神事が行われます。




























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「日吉大社」
比叡山の麓に鎮座する大社はおよそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された、
全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮です。平安京遷都の際には、
この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る
社として、また伝教大師が比叡山に延暦寺を開かれてよりは天台宗の護法神
として現在に至っています。
日吉大社には約40のお社があり全ての神様を総称して、日吉大神と呼びます。
また、多くのお社の中心となるのが、東,西本宮をはじめとする山王七社です。
西本宮:大己貴神(おおなむちのかみ)、
東本宮:大山咋神(おおやまくいのかみ)、
宇佐宮:田心姫神(たごりひめのかみ)、
牛尾宮:大山咋神荒魂(おおやまくいのかみのあらみたま)、
白山宮:菊理姫神(くくりひめのかみ)、
樹下宮:鴨玉依姫神(かもたまよりひめのかみ)、
三宮宮:鴨玉依姫神荒魂(かもたまよりひめのかみのあらみたま)。

















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「足立美術館」
島根県安来市にある足立美術館は、昭和45年秋に開館しました。創設者
「足立全康」が自ら収集した、130点におよぶ横山大観をはじめとする
近代日本画、河井寛次郎らの陶芸、童画などの収蔵品陶芸、彫刻、蒔絵、
童画などの魅力的なコレクションの数々が展示されています。  また、
創設者、足立全康は91歳で亡くなるまで全国から植栽の松や石を集め、
枯山水庭を始め5,000坪に及ぶ6つの庭園(苔庭、枯山水庭、寿立庵の庭、
池庭、白砂青松庭、亀鶴の滝)は、四季折々に様々な美しい表情を見せます。
フランスの「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」では山陰エリアの
「日本庭園」では、最高評価の「三つ星」、米国の日本庭園専門誌「ジャーナル
・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」の日本庭園ランキングでは、京都の
桂離宮を抑えて、9年連続第1位を獲得しています。

























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「氷見・寒ブリ」
冬の寒い日に「寒ブリ」を食べに氷見へ行って来ましたが道中大変でした。
京都で「トワイライトエクスプレス」寝台特急札幌行きの列車を見送り、
我々は、サンダーバードで先ず高岡を目指しました。高岡から氷見線で
氷見へ行く予定が、豪雪の為ラッセルが間に合わず氷見線は運休となり、
切符を払い戻しして、急遽バスで氷見駅迄行きタクシーで宿に向かいました。
寒ブリを食しながらも、翌日の列車運行が気になりましたが、何とか氷見駅
を発車し高岡を経由して金沢に着き一安心しました。雪国での人々の生活は
大変だなぁと思いました。
天気の良い日には、能登半島国立公園の「雨晴海岸」から標高3,000m級の
立山連峰を海上からの眺望は見事です。「雨晴」の名は、1187年(文治3)、
源義経が兄頼朝から追われて北陸から奥州へ向かう途中、にわか雨が晴れる
のを待った事に起因すると言われています。




























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「彦根城」
江戸時代に滋賀県彦根市金亀町にある彦根山に、井伊氏の拠点として置かれた
平山城で、多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城であった。
明治初期の廃城令に伴う破却を免れ国宝の天守、附櫓および多聞櫓のほか、
安土桃山時代から江戸時代の櫓・門など5棟が現存し、国の重要文化財に指定
されている。中でも馬屋は重要文化財指定物件として全国的に稀少である。
天守が国宝指定された四城の一つに数えられる。1992年(平成4年)に日本の
世界遺産暫定リストにも記載されているが、世界遺産登録は厳しい状況にある。
城の北側に「玄宮園・楽々園」大名庭園が配されておりこれらは「玄宮楽々園」
として国の名勝に指定されています。
近江彦根藩の第15代藩主「井伊直弼」は、幕末における幕府の大老を務め、
強権をもって国内の反対勢力を粛清し(安政の大獄)、日米修好通商条約に
調印し、日本の開国近代化を断行したが、それらの反動を受けて桜田門外の変
で暗殺された。

(最初の写真をクリックし、startボタンを押してご覧下さい)



















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「浄瑠璃寺」
浄瑠璃寺は京都府の「山城」ある真言律宗のお寺で、山号を小田原山と称し、
寺号は、三重塔の内陣に安置されている薬師如来の浄土「瑠璃光浄土」から
きています。池を中心にして東に薬師仏、西に阿弥陀仏を配した庭園は極楽
世界をこの世に表わしたもので本堂は横に長く九体の阿弥陀如来を安置してる。
平安時代には京都を中心にこのような寺も 30 以上あったと云われていますが
応仁の乱を始め内乱が続きすべて失われ、当時のまま現存するのはここ浄瑠璃寺
だけです。浄瑠璃寺は幸いなことに平安京の都からはるか彼方に位置したので、
戦乱の災難に巻き込まれること無く貴重な文化財が残りました。



















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「渉成園(しょうせいえん) (別名:枳殻邸/きこくてい)」
京都市下京区正面通間之町東玉水町、真宗大谷派 東本願寺の飛地境内
にある、国の名勝・渉成園(別名:枳殻邸)は、京都駅に近く、庭園は東山を
借景として造られ、東側に「印月池(いんげつち)」、西側に建物を配した池泉
回遊式で、庭園内の見所を「渉成園十三景」として紹介している。渉成園は、
江戸時代の前期、承応2年(1653)本願寺十三代宣如上人が徳川三代将軍家光から
寄進されたこの地に隠居所を造営したことに始まる。邸宅周辺が枳殻(からたち)
の生垣であったことから枳殻邸(きこくてい)とも称されたという。この地は、
「源氏物語」の主人公とも言われている平安時代前期の左大臣・源融が営んだ
六条河原院の跡地で、園内にはゆかりの塩釜や供養塔などが見られます。
(最初と、次の画面をクリックし、画面上の「開始」ボタンを押してご覧下さい)





















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「宇治上神社・宇治神社」
平等院から喜撰橋を渡って中州を通り、朝霧橋で対岸の「宇治神社・
宇治上神社」を参拝し、さわらびの道を通り「源氏物語ミュージアム」
で、源氏物語のビデオを観賞しました。朝霧橋の東詰に宇治神社の鳥居
があり、明治維新までは宇治神社とその東奥に位置する宇治上神社は
一対の関係でした。  宇治神社と宇治上神社が鎮座するこの一帯は
応神天皇の皇子で、宇治十帖の八宮(はちのみや)のモデルと言われて
いる「莵道稚郎子」の邸宅跡と考えられていて、皇子の亡くなった後、
邸宅跡に霊を祀ったのが両神社の起こりで、祭神は「莵道稚郎子命」
「応神天皇」「仁徳天皇」をお祀りし世界遺産にも登録され、本殿、
拝殿等は国宝に指定され、重要文化財も多数あります。近くに平等院
が出来るとその鎮守社とされ、1052年創建の平等院との深い関連性が
考えられています。
(右下のボタンを押してFull Screenでご覧下さい)






















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「宇治神社」
宇治神社は、日本書紀に「応神天皇の皇子で、兄である仁徳天皇との
皇位を巡る葛藤から宇治で自殺した」 と記されている悲運の皇太子
菟道稚郎子の等身大の坐像を祀っており、 付近は菟道稚郎子が造営
した桐原日桁宮跡と伝えられています。  また、明治維新までは、
宇治上神社と二社一体で、それぞれ、離宮上社、離宮下社と名付け
られていた。現在の本殿及び外陣の狛犬は鎌倉時代につくられたもので、
狛犬は開口する獅子(阿形)と一角を持つ狛犬(吽形)で一対とされ、
格調高い作品として極めて貴重なものです。





















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「平等院鳳凰堂」
平等院鳳凰堂は、京都府宇治市にあり宗派は天台宗と浄土宗を兼ね
現在は特定の宗派に属さない仏教寺院です。 本尊は阿弥陀如来で
鳳凰堂が10円硬貨の絵柄となっています。宇治の地は「源氏物語」
「宇治十帖」の舞台であり、多くの貴族の別荘の地でした。
平等院は藤原氏ゆかりの寺院で、平安時代後期の11世紀の建築、
庭園、仏像、絵画、等を今日に伝え世界遺産にも登録されています。
時の権力者、関白藤原道長が左大臣源重信の婦人から譲り受けた別業
をその子、頼通が永承7年(1052)に仏寺に改め平等院としました。
天喜元年(1053)には平等院の阿弥陀堂(鳳凰堂)が落慶し堂内には
丈六の阿弥陀如来坐像が安置され、華やかさを極めたとされています。
約1,000年前に建立された建造物や仏像が今に伝えられ、世界遺産
にも登録されています。
(最初の地図をクリックし、上のstartボタンを押してご覧下さい)





















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