ニッコウの旅のブログ
旅行の写真集
散歩の写真集

               
                    




「ニッコウのホームページ」

色々な作品を掲載いたしましたので、写真をクリックしてご覧下さい。
また「新穂高」等はSlide画面の、右側「Full Screen」をクリックし、
大画面でご覧下さい。







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「びわ湖バレー」
滋賀県大津市木戸に有るスキー場で、琵琶湖西岸にそびえる
比良山系に有り京都市内から車で30分程の距離に有ります。
オフシーズンは高原公園として営業し、ロープウエイは
比良山系の登山者の利用も多い。
















びわ湖バレーの標高は、1,174mで頂上では肌寒いくらいで、
今日お昼の気温も20度程です。
下山して、「びわ湖花街道」に宿泊。




















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「曲水宴」
上賀茂神社・渉渓園で催される曲水宴
奈良・平安時代に宮廷や貴族の邸宅で、3月3日に行われた遊宴の
一つで、宮廷の遊びとして脈々と受け継がれ、現在も各地で
催されています。京都では、上賀茂神社と城南宮で観覧する
事が出来ます。












水の流れる庭園で、その流れのふちに出席者が座り、流れてくる
盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み、出来なければ罰として
盃の酒を飲むという「曲水宴」が、ここ渉渓園で催されます。
上賀茂神社では、曲水の宴が催される4月の第2日曜日は、境内の
「斎王桜」がちょうど見頃を迎える時期で、前年に斎王代を務めた
女性は、この日で最後の役目を終えることになります。












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「上賀茂神社・立砂」
上賀茂神社の二の鳥居を入ると最初に目に入るのが円錐形に整えられた
「立砂(たてずな)」です。立砂は細殿前に作られ、神様が最初に降臨された
上賀茂神社の北2kmにある神山を模して作られたと言います。
現在でも鬼門や裏鬼門に砂をまき清めるのはこの「立砂」が起源とされて
います。  毎年9月9日に行われる烏相撲(からすずもう)は、立砂の前に
土俵を造り児童などが相撲を奉納します。


















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「上賀茂神社」
夏越祓式(なごしはらえしき)は、正月から半年間の罪穢れを祓う
夏越しの大祓え(6月と12月) 執り行われ、茅草で作られた大きな
輪をくぐると疫病や罪が祓われるとされています。
神職が立砂前に設けた茅輪(ちのわ)のくぐり初めをして、橋殿の
上にてお祓いの行事を致します。茅輪は神職がくぐった後、皆がくぐり
ますが、当神社では、「みな月の なごしの祓へするひとは 
ちとせのいのち のぶといふなり」と心の中で唱えながら、この輪を
左回り、右回り、左回りの順で「∞」の字を描くように3回くぐり
抜けて参拝する習わしになっています。


















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「加茂別雷神社」
先日、京都の「加茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」へ
行って来ました。加茂別雷神社は、京都市北区にある神社で、
通称・上賀茂神社で広く知られています。また、上賀茂神社は
京都で最も古い神社で、あらゆる災難を除き給う厄除明神で、
落雷除け・電気産業の守護神として広く信仰されています。
五月十五日の 賀茂祭(葵祭)他、年間七十数度に及ぶ神事が
現在まで連綿と継承され、平成六年十二月には こうした先人
達の弛みない努力の結晶として、境内全域二十三万坪が世界文化
遺産に登録されました。











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「萩・観光」
萩の街は「街じゅうが博物館」で、山口県立萩高校もこの街に
溶け込んだ建築です。



また、萩の夏みかんは、小幡高政によって生活のすべを失った士族たちを
救うため、全国ではじめて萩においてひろく栽培されるようになった。 
その栽培地は、おもに空き地となった武家屋敷で、防風から実を守るのに
武家屋敷の土塀や基礎石の石垣が役立ちました。
その結果、武家屋敷の敷地割りがほぼ江戸時代のまま保たれて「土塀と夏みかん」
は萩の風景を象徴とする代名詞になって、その夏みかんを使って、ほろ苦い
皮の風味を大切に残し夏みかん菓子を作り続ける夏蜜柑菓子のお店が多く有り、
「夏蜜柑丸漬」が有名です。




















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「萩の街」
萩市は、山口県北部の日本海に面し、東部は=益田市、津和野市(島根県)、
南東部は=山口市、西は=長門市に接し、萩の市街地は、松本川と橋本川に
囲まれた三角州の中心に造られています。
関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元が、慶長9年(1604)に萩の地に築城・開府し、
36万石の城下町として栄えました。江戸時代には毛利氏が治める長州藩の
本拠地で、明治維新をなしとげる活躍をした、吉田松陰をはじめ木戸孝允、
高杉晋作、伊藤博文、山形有朋、など多くの逸材を輩出し、近年まで4人の
総理大臣をはじめ著名な政治家が生まれ、日本を動かした人々の出身地と
しても知られています。















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「萩の旅」
山口県・萩での宿は、堀内地区に有る「北門屋敷」に宿泊しました。
三角州内地域は環境保全の為か、二階建て以下で高い建物は無く、
塀も石垣も統一されていて、昔の面影を色濃く残しています。
「北門屋敷」の旅館も、外観は武家屋敷その物ですが、中庭には
バラやヤマボウシの花が咲き乱れ緑の多い綺麗な和風庭園や、
洋風ガーデンが有り、客室は二階建ての落着いた純和風でした。
(最初の画像の右下をクリックして、Full Screenでご覧下さい)




























「北門屋敷」旅館の裏門です。




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「津和野の町並」
















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