ただごと

たいくつこそがすばらしい!日常のただごとをただごとでない風に綴るのらくら日記

ひとり読書週間

2010年06月08日 | 日記
最近の図書館はこんな風に、借りた本のレシートが出てくるんですね。
と数年前、久~しぶりに図書館に行って、その進化ぶりにちょっと驚きました。

このレシートの良いところは、返却期限も印刷されているので
冷蔵庫横のカレンダーに「ぴっ」と貼り付けておくことができ、延滞防止に一役買ってくれる所です!
(前はカレンダーにいちいちメモしてたのに)

そういう具合に、忘れっぽい七咲はこれを重宝しておりますが、
忘れっぽくないしっかりした人たちが多いのか、このレシートは栞として重宝されているようです。
借りる本借りる本、8割の確率でこれが挟まってます。

となると、俄然、興味が出てくるのが、

「この本を借りた人はどういう人なのか」

という事。

個人情報が口うるさく言われる昨今、こんな形でどこの誰とも知れない個人情報が明るみに!
…明るみにはなってないか。
ひそかに明るみに。つつましく明るみに。なんかそういう雰囲気。

七咲と同じ本を借りた人は、他に何を借りているのか、そのタイトルから人となりを想像してみる。
これは小学生だな、とか、お母さんと子供が一緒に来たんだな、とか、仕事と趣味の本だわ、とか
人の履歴が、ものすごく面白いです。

あとは、七咲と同じ本を借りた人が呼んでいる本、も解ったりするので、そっちの本にも興味が出て
新しい分野の発掘にも大貢献!

なんだか、小学校の図書室で本を借りまくっていた時を思い出します。

七咲の小学生時、
図書室の本は表紙の裏に借りた人の名前と貸出期間がいちいち記入されていたので
自分が読む本読む本、一足先に同じ名前が並んでいたりして
学年もクラスも知らない誰かを、友達みたいに思っていた頃もありました。
(読む本の趣味がばっちり一緒)

レシート一枚で、こんなノスタルジーも味わえるという、ハイテクとアナログの共演ですよ。
(レシートはハイテクか?!)




  

余談ですが。
七咲が小学生でハマっていたのはSF。ひたすら宇宙小説とか科学小説を読み漁る。
今でもあのシリーズは読み返したい、と思うくらいで、中でも鮮明に覚えているのが
「光る雪の恐怖」…だったかな。(全然、鮮明じゃないじゃない)
そのあと、中学でファンタジーの無法地帯にハマる。これは作者も題名もほとんど覚えてない(何故?)。
高校生くらいまでは読むより書く方が面白くなって、大学ノートにがつがつ書きまくる。
(100冊を優に超える。腱鞘炎になった程)
社会人になってコバルト文庫にはまる。社会人なのに。
結婚してからは小説から遠ざかる。
何故なら、小説は読みだすと一時中止が出来ない性質なので、家事に差しさわりが出まくり。
(「模倣犯」を読んでた時は夜寝る間も惜しく、二日貫徹で読み切った。当然、仕事に支障出まくり)

そういう流れで、軽~く小説を読むくらいの本好きですが。
最近、また図書館に行ってみるか~、と思い借りてきた本。

るるぶ「横浜・鎌倉2008」/旅行雑誌
フェルトでつくる花/手芸本
まほろ駅前便利多田軒/三浦しをん
仏果を得ず/三浦しをん
ブレイブ・ストーリー上下/宮部みゆき

です。

るるぶは、今月旅行するので、一応土地の雰囲気を感じたくて。
都会!横浜って、都会!!(雰囲気を感じてみた)
さすが、「二人の~世界、いつまでも~♪」だ。
そう言いたくなる気持ちもわからんでもないかもしれない。
(…七咲が云いたくなるかどうかはともかく)

フェルトは何か作りたくて。
でも読んだだけで作った気分を味わえたので、作ってはいない。
(ある意味お得?)

まほろ駅前~、は直木賞受賞作。
この人はエッセイでは初期からのファンだったものの(エッセイは迷わず本屋買いに走る)
小説はちょっと付き合いにくい、と感じて控えていたのだが
(何しろ読んだ端から小説の枠を飛び越えて自分の人生観まで見直してしまう始末で)
あれから年月も経ったし、自分も変わったし、久しぶりに読んでみたい、と思い、まずはこれを。
やっぱり人生観を見なおしたものの、
昔のように、自身を見直してもへこんで立ち直れない、というような事はなかった。
やっと大人になったな、自分。(どういう感想?)

本との出会いは、その時の自分がどのような状況下にあるかで、
相思相愛になれたりなれなかったりする。
だから昔読んで「受け入れられない」と思った本も、年月を置いて読むと、異常に感動したりする。
そうでなくても七咲は気に行った本は何十回と読み返すので、同じ本を読むのは苦にならない。
(もうぼろぼろになってる本もある)←ページを紛失してもう一冊買ったりする

仏果~、は、まほろ~の隣にあったものをチョイス。
挿絵が明るかったので、まほろが駄目でもこっちはいけるかも(久しぶりの再会の導入として)
という単純さ。
文楽のお話で非常に文楽に興味が持てた!!
…が、これを読まなければ、
日本人なのに文楽に触れる機会もないまま人生を終えていたんだな、
という気分になる。
(文楽が一体何をしているものか、という事さえも興味がなかった)
読み終えたら文楽へ!という帯の文にも納得できる。伝統芸能の継承の一端だ。

ブレイブ~。
これは友人に連れられて、映画を見に行ったことがある。
その映画の結末が、どうしても!納得できなかったので、これは原作を読まなくては!と
かなり前から思っていたのを、今回やっと実現。
(その前に、ゲド戦記の映画を見て、全体的!に、どうしてもどうしてもどうしても納得できなかったので、
これは原作を読まなくては!と思って先にゲドの方を読んでいたりした。
なるほどゲドの原作は納得の出来だった)

今、上巻を読んでいるが、わりと序盤から納得。

原作つきの映画は、原作を読まないと気が済まない。
(逆に原作を読んでいれば、わざわざ映画を見ようとは思わない)
しかし、原作を読んでも
映画監督が何を意図してその場面を省いたのか、道筋を変えたのか、結末を台無しにするのか

サッパリわからんことが多い。

その中でのブレイブ~。
七咲は「映画のED完全否定派」ではあるものの
あのEDがあるからこそ小説のEDの痛みに向き合えるというか…
たとえるなら、ご都合主義を否定するからこそ救いのない痛みを受け入れられるというか、
うまく言えませんが、なんかこう、そういう自分の弱さを知った次第ですよ。
(そう、思わず小説は最終話から読んだ)
読み終わったらビデオ借りてもう一回見てみたいかもしれない、という貴重な体験をする予感。
映画と原作の奇妙な関係。




以上、ちょっと文章の腕慣らしの為に書いてみた、読書週間記録。でした。
感想文は苦手なので、まあ、事実のみをさくさくと。

(わずかでもいい、毎日のように怒涛の文書を繰りだしていた頃の破壊力にあやかりたい)