今日の新聞の端っこで こんな小さな記事を見つけました。
歌人の嵯峨美果子の句です。
「どれもみな 終わりつつある 蜜柑かな」
すべての存在は終末へ向かって進む
蜜柑にはいろんな種類があって
スーパーで買った温州ミカンも ポンカンなどのような
皮の分厚いミカンも どれもが大好きでよく頂きます。
私ら夫婦は食べるために 菜園の隅っこに 小蜜柑の木を植えました。
5・60センチの木を植えて 数個なって感動し
寒肥を上げて 伸びた枝を間引いてと大事にしてきて
今はいっぱいなってくれます。
落ちて腐っても 鳥が突いて餌にしても
そして 私らが農作業中に喉のうるおいに食しても
家に持ち帰ってジュースにしても
すべて蜜柑の形は最後は影も形も無くなるんです。
蜜柑の終末なんですね。
野菜も何もかもの食品がそうなんですが
形が無くなって そのものの終末でも 色々な形に変化して
また 自然に戻り 何かの役に立つ。
深く考えても”終末”は難しい事柄です。
これって哲学的だねって こういう考え方があるんだと
驚きました。
普通に美味しいね、甘いねって食べてるだけですから。
終わりがあると感じると、今の命や始末の仕方が
より大切に思えるのでしょうね。(^^)