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井上井月句碑 伊那市内(清水庵 吉祥寺 龍勝寺 金鳳寺 ほか)😐😐😐井月に縁故ある寺院に建立される句碑

2020-10-14 09:00:00 | 文学 美術 音楽
「井上井月(いのうえ せいげつ)」は、「柳の家井月」「北越漁人」などとも号し、近世の俳諧沈滞期「月並俳句の時代」にあって芭蕉の再評価を目指した俳人だ。
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1822(文政5)年に越後長岡藩で生まれ、1858(安政5)年忽然と「伊那谷」に姿を現して以来、同地で放浪の生活を続け、酒を好み漂泊を主題に俳句を詠んでいたが、その風体から女性や子どもたちには「乞食井月」と忌み嫌われていたという。一方、趣味人の男性たちの中には師事する者もいたといい、影響を受けた後の時代の文人に「芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ)」(1892/明治25年~1927/昭和2年)「種田山頭火(たねだ さんとうか)」(1882/明治15年~1940/昭和15年)「つげ義春(つげ よしはる)」(1937/昭和12年~ )などの名もあがる。
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1884(明治17)年、井月の健康不安を心配する「塩原折治(梅関)」の配慮により、「上伊那郡美篶村末広太田窪」(現在の「長野県伊那市」)の「塩原家」厄介人として付籍し、「塩原清助」を名乗った井月だが、1886(明治19)年12月に路傍で行き倒れているところを発見され、塩原家で看病を受けるも、1887(明治20)年2月16日に66歳で没したという。

 ❖ 「清水庵」句碑  「六道の堤」が近傍の「県道207号美篶箕輪線」信号交差点「笠原」から車約5分にある「清水庵」は、井月が1876(明治9)年3月に十余日滞在し、自ら句選清書した句額を本堂に残している曹洞宗の寺院だ。その最後に選者として詠んだ句「旅人の我も数なり花ざかり 井月」(たびびとのわれもかずなりはなざかり)の「心中を偲んで其事績を後世に伝えよう」と、1971(昭和46)年5月に句碑が建立されたという。
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里山中腹の鄙なる寺院「清水庵」は、はじめ現在地より約300メートル離れた「古清水」にあって「大幅山養泰寺」と称したが、1582(天正10)年に織田氏の兵火にあって焼失、1616(天和2)年現在地に堂を再建し「大洞山 清水庵(だいどうざん きよみずあん)」に改称したという。
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本尊は、60年に一度の開帳に限られる(前回1978年 次回2038年予定)秘仏「観世音菩薩」で、「京都清水寺」「播磨清水寺」の本尊と一木から彫刻された三尊像の一つとの言い伝えがあり、ほかに「十六羅漢」「地蔵菩薩」「毘沙門天」「三十三体観音」に加えて「隠れ切支丹石仏」があるが、かつて信濃飯田城主だった「京極高知(きょうごくたかとも)」(1572/元亀3年~1622/元和8年8月12日)自身も切支丹で、支配地にキリスト教布教を許可していたことがその由来だという。
 ❖ 「吉祥寺」句碑  「六道の堤」が近傍の「県道207号美篶箕輪線」信号交差点「笠原」から車約3分、「伊那市美篶笠原馬場」にある里山中腹の曹洞宗「吉祥寺(きちじょうじ)」に、句碑「照返すもみぢ気高き時雨かな 井月」(てりかえすもみぢけだかきしぐれかな)が、2010(平成22)年4月に建立されている。

 ❖ 「龍勝寺」句碑  国道153号 信号交差点「(伊那)市役所入口」から車約45分、JRバス関東の場合は高遠線「高遠駅」乗換、長谷循環線「西勝間バス停」で下車して徒歩約1時間半、市井と隔絶した森閑たる「雲居山 龍勝寺(うんござん りゅうしょうじ)」は、本尊「聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)」で、末寺が上伊那郡内に十六ヵ寺あるという曹洞宗の寺院だ。
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1887(明治20)年2月16日、66歳で没したと伝えられる井月について、ここ龍勝寺過去帳に「発句師塩翁斎柳家井月居士 二月十五日 井上勝蔵 六十五年」とあるという。1990(平成2)年9月に建立された句碑「何処やらに寉の声きく霞かな 井月」(どこやらにたずのこえきくかすみかな)の筆跡は、臨終にあたって六波羅霞松の求めに応じた絶筆とされるが、はじめ1940(昭和15)年3月に美篶小学校裏(美篶太田窪)の路辺に建立され、1967(昭和42)年「六道の堤」に移された井月はじめての本格的句碑といわれる句碑に重なる。
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なお、両大本山として「大本山 永平寺(えいへいじ)」(「福井県吉田郡永平寺町」)「大本山 總持寺(そうじじ)」(「神奈川県横浜市」)を仰ぐ「龍勝寺」の由緒は、1334(建武元)年「播磨守赤松則村入道圓心(はりまのかみ あかまつ のりむら にゅうどう えんしん)」が隠遁行脚のなかで現在地に草庵を結んだのがはじまりで、圓心子孫「東岩正丘和尚(とうがん しょうきゅう おしょう)」が「雪窓一純大和尚(せっそう いちじゅん だいおしょう)」を勧請し、開山したと伝えられている。
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その後火災や裏山崩落などが重なったが、1996(平成8)年「位牌堂」新築で、ほぼ現在の寺観になったという。なお「西勝間」からは、車1台がようやく通行できる道路を、慎重に約15分ほど進まねばならないので、林道の運転経験がなければ、他の手段を選ぶ方がよいかもしれない。

 ❖ 「金鳳寺」句碑  国道153号 信号交差点「(伊那)市役所入口」から車約15分、「伊那市富県北福地」にある里山中腹の曹洞宗「萬年山 金鳳寺(きんぽうじ)」への参道脇に、句碑「人の日や釜にこころの移る朝 井月」(ひとのひやかまにこころのうつるあさ)が、1994(平成6)年1月に建立されている。
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本尊「聖観世音菩薩」の「金鳳寺」は、「駿河の国」現在の「静岡県浜松市天竜区二俣町阿蔵」にある「阿蔵山 玖延寺(きゅうえんじ)」の「天宗元康大和尚」によって、1470(文明2)年に開山されたという。
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また、「県道18号伊那生田飯田線」からの参道の中間で石垣の上には石仏群があり、本堂への石段の最上段右には、夫を亡くして悲嘆に暮れた「上原於三」が、七昼夜その上に座って悟りを開いたと言い伝えられる「於三の坐禅石」がある。
 ❖ 「法正寺」句碑  「伊那西部広域農道」信号交差点「諏訪形」から車約2分の「神守山 法正寺(ほうしょうじ)」は、「阿弥陀如来(無量寿如来)」を本尊とし、「峰山寺」(伊那市高遠町)が本山の曹洞宗の寺院だ。1561(承応3)年開山の同寺参道の櫟は樹齢400年を超えていると言われ、積み重なった時間の重さを感じさせられる。
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酒と放浪の俳人「井上井月」が、かつて同寺に立ち寄って句を詠んだと伝えられており、境内には辞世「闇き夜も花の明りや西の旅」(くらきよもはなのあかりやにしのたび)の句碑が、1992(平成4)年4月に建立されている。

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