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90年代初め、私は盛岡での勤務から二戸市を中心とした県北での勤務に代わった、そのこともあって盛岡の自宅に妻と子どもたちが、私は大野の実家から二戸に通い、週1位盛岡の自宅に戻る生活をしていた(10年余り)。
その後は、子どもたちを交えた山行きを年1回程度、妻と山行きを2~3回すると同時に、単独行が増えていった。
本当のことを言うと、私は単独行が一番好きなのである。単独行では人がたくさんいる山は安心なのだが、だれもいない山道を黙々と歩くことは、孤独感とともに解放感がたまらないのだ。単独での山歩きで、県内の里山の類を訪ねあるいた。「山と渓谷社」が出している「分県ガイド」の岩手版には60座の山が紹介されているが、2000年代の初め、再び盛岡勤務となり一時単身赴任となった時代を含めてついに、すべての頂に立った。
雫石にある男助山(おすけやま)に入った時のこと、たまたま「クマよけ鈴」を持たず、携帯ラジオも持たずで、なんだか不安を感じながら歩いていくと、30㍍ほど前に真っ黒な奴が顔を見せた。「やばい」と思ったが、あわてずに大声を上げると、相手が藪に逃げ込んでいったのでほっとした。ツキノワグマの若い個体だったようだ。子ども連れの母熊ならこうはいかなかったろう。
50代初めにはそれまでの無理がたたって、糖尿病は「境界型」から「立派な糖尿病」に昇格し、投薬と検査が必要になった。それで、ますます山歩きを愛好してきたが、60代を迎えて「単独行」を自ら禁ずることにした。山中で何か事故が起こってもいけないからである。治療しているとはいえ、糖尿病というものはいったん発症すると完治はしないものであり、血糖管理がうまくいかないと血管障害などのリスクが高まるからである。2010年に退職して、年金と農業の生活に入って、生活が安定したこともあり、血糖管理はまずうまくいっている。とはいえ山の中で一人で死んでいるのでは話にならないので、山へ行くときは妻といっしょの原則を作った。町会議員という公職にある妻にも同じ基準で単独行はやめてもらった。おかげで、「どこへ行くにもいっしょ」という老夫婦が出来上がった。結構結構!
その後は、子どもたちを交えた山行きを年1回程度、妻と山行きを2~3回すると同時に、単独行が増えていった。
本当のことを言うと、私は単独行が一番好きなのである。単独行では人がたくさんいる山は安心なのだが、だれもいない山道を黙々と歩くことは、孤独感とともに解放感がたまらないのだ。単独での山歩きで、県内の里山の類を訪ねあるいた。「山と渓谷社」が出している「分県ガイド」の岩手版には60座の山が紹介されているが、2000年代の初め、再び盛岡勤務となり一時単身赴任となった時代を含めてついに、すべての頂に立った。
雫石にある男助山(おすけやま)に入った時のこと、たまたま「クマよけ鈴」を持たず、携帯ラジオも持たずで、なんだか不安を感じながら歩いていくと、30㍍ほど前に真っ黒な奴が顔を見せた。「やばい」と思ったが、あわてずに大声を上げると、相手が藪に逃げ込んでいったのでほっとした。ツキノワグマの若い個体だったようだ。子ども連れの母熊ならこうはいかなかったろう。
50代初めにはそれまでの無理がたたって、糖尿病は「境界型」から「立派な糖尿病」に昇格し、投薬と検査が必要になった。それで、ますます山歩きを愛好してきたが、60代を迎えて「単独行」を自ら禁ずることにした。山中で何か事故が起こってもいけないからである。治療しているとはいえ、糖尿病というものはいったん発症すると完治はしないものであり、血糖管理がうまくいかないと血管障害などのリスクが高まるからである。2010年に退職して、年金と農業の生活に入って、生活が安定したこともあり、血糖管理はまずうまくいっている。とはいえ山の中で一人で死んでいるのでは話にならないので、山へ行くときは妻といっしょの原則を作った。町会議員という公職にある妻にも同じ基準で単独行はやめてもらった。おかげで、「どこへ行くにもいっしょ」という老夫婦が出来上がった。結構結構!
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