やさしい風

ただ今ブログを更新するので精一杯の毎日です。当分の間コメント欄を閉じさせて頂きますのでご理解下さい。

回想 PRAY FOR JAPAN(日本への祈り) ②

2024年10月11日 | 日記

「PRAY FOR JAPAN」は

この日

記念すべき「100回目の上映会」だったそうです。

 

 

 

「100回」達成まで13年

商業映画ではないドキュメンタリー記録映画が

県内のみならず

東京、三重、島根、沖縄など国内をかけめぐり

 

日本を飛び出し

全米・アジア・中東・欧州などでも

上映されました。

 

 

映画を上映する事に尽力された方の1人に

門間さんがおられます。

 

 

門間さんは

映画の中にも登場されていて

コメントを幾つか残していました。

 

 

石巻市の復興に

一生懸命向き合ったおひとりだったのだと思います。

 

私がこの映画を観るために

予約の電話をして

お話させて頂いたのも門間さんでした。

 

 

まだ高校生だった健人君も

何度か登場しています。

 

 

私は

東松島市の職員になった大人の健人君しか知らなかったので

当時流行していた

前髪がとっても長い華奢な健人君の姿が

少し新鮮に思えました。

 

 

東日本大震災で

おじいちゃん おばあちゃん おかあさん 弟の律君の

4人を津波にのまれてしまった健人君は

倒壊した自宅の前で

カメラに向かって一生懸命説明をしていました。

 

 

律君の小さな青い鯉のぼりも

泥だらけのままで映っていました。

 

 

 

行き場のない喪失感の中

バンドマンでもあり太鼓打ちでもあった健人君が

 

「一緒に太鼓を打ちたい」

という手紙を書いた事をきっかけに出会った

KYO君 こうき君 ようちゃんたちも

 

若い頃の姿のままで

フィルムの中に存在していました。

 

 

幾つもの奇跡的な出会いが重なって

映画「PRAY FOR JAPAN」はできあがったのだなぁ

と改めて感じさせられた

「PRAY FOR JAPAN」の上映会でした。

 

 

 

 

 

 

(続く)

 

****************************

 

「52ヘルツの鯨の呟き」

 

私が

1月1日の能登半島地震で北陸の皆さんの事を心配し

少しでも役に立ちたいと情報収集し

このブログが今のような形に至っているのは

 

この方たちとの出会いや

イベントに参加させて頂いている事に

端を発しているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

「本気で能登を助けようとしていますか?」と

ずっと心の声を上げながら

ニュースやネットの記事をを見続けている毎日です。

 


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