やよいの頭の中

沖縄のフツーの主婦やよいが思ったこと   (最近は息子の英語教育も。もちろん、従来からの愚痴記事も健在でしゅ!)

アメジョへの褒め言葉

2012年05月01日 | 勝手に言わせて

やよいの勝手に言わせてシリーズ。

今日も勝手に言います。

 

その前に、”アメジョ”って言葉に過剰反応した方は、私の”アメジョ”って単語に対する

概念をご一読することをおすすめします。(こちらの記事

上記の記事の理由から、私のブログですし、”アメジョ”って言葉を使わせてもらいます。

 

 

語学を勉強していて、その国の人と実際に会話したことがある人はお分かりだろう。

自分が頑張って勉強した外国語が、その国の人に伝わった時、褒められた時のアノ達成感を。

 

私も、英語や中国語を学習したことがある身として、アノ達成感は今でも忘れられない。

英語だと、ネイティブのスピードについて行けたときとか、

長文が案外スラスラ読めたとか、お勉強という要素が強かったかな。

でも、中国語の場合は、違うかたちだったな。

基本、中国人と日本人は同じ黄色人種だから、

現地で現地の中国人らしい格好をした上、ある程度の中国語が話せれば、

中国人に間違われるのだ。

だから、中国人にも、「アンタ、日本人だったのかい。中国人かと思っていいたよ」

なんて、言われたら、もぉ~~天にも昇る勢いで、嬉しくなる。

中国語学習者に対して、「中国人みたい」って言葉は褒め殺しに近いものがある。

(最近は、その世辞にはのらないように、現状に満足することはせず、精進するよう

自分に言い聞かせているが。)

 

 

さて、アメジョに対する褒め言葉は何か。

最近、知人のアメジョが、米国から帰国してきた。

結婚されているから、西洋人らしく、家族の写真を大事に持っていた。

その写真の映り方も、日本人のスナップ写真と違って、ピースなど野暮なポーズはしない。

夫婦が寄り添って、もういいだろっ!てくらいに密着して、

写真越しにもその愛が伝わってきそうであった。

その様子が欧米化されているから、私は素直に自分の気持ちを知人に伝えた。

「アナタも、まるでアメリカ人のようになっているね」と。

すると、私の知人はまんざらでも様子ではにかんだ。

もしや、、、アメジョへの褒め言葉って

「アナタも、まるでアメリカ人のようだ」なのかも。。。

 

(以下、私の頭の中の妄想ではあるが、)

アメリカに嫁ぎ、しゃべる言葉に文化、食べるもの飲むもの、着るものだって米国式。

そりゃ~、アメリカ人っぽくもなるよな。

米国にはまだアジア人に対する差別は残っているとか。

そこはニンゲンですからね、そう簡単には消えません。

その子供じみた差別意識に耐える、もしくは開き直っている方々には脱帽します。

知人の彼女は、沖縄にいる頃から、アメリカ的なものに魅了され、

好んで着る服はすべてそれらしいものであった。

語学の習得だって頑張っていた。

念願のアメリカ人の奥さんになった今、居住国の米国で、

アメリカ人と同等なものが手に入る環境にありつけた。

なんと、思い通りの人生だろう。

 

私の妄想はここまでとして、

いずれにせよ、語学学習者への最大のご褒美はこれだと思う。

「アナタ、まるで○○人のようだよ」

 

すべての人に当てはまらないとしても、

上記の言葉で、アメリカ的なものを好んできた私の知人が、米国での努力が少しでも報われ、

家族に反対されながらも遠いアメリカへ行ったていう人生の選択に自信をもてたと

するならば、私にとってもそれは幸いなことである。

 

 


差別用語

2012年05月01日 | 勝手に言わせて

やよいの「勝手に言わせて」

今日も、勝手に言います。

 

沖縄でいうアメジョって、差別用語という捉え方もあるが、

私はあまりそうは思っていない。「アメリカーと付き合っている」というセンテンスより、

アメジョっていうワードのほうが、短くてかつ聞き手にすぐ伝わる。

単に便利という理由だけで、もともと差別的要素が強い言葉を使うことは許されないかもしれないが、

言葉は生き物。

時代と共に変わるもの。

よく沖縄の人がいう「ナイチャー」という言葉も、

「内地」という日本本土の呼び方から派生しているのは周知の通り。

今ではその言葉の市民権は確固たるものとなり、

『「内地」という言葉は、沖縄自身を「外地」であることを認めた上で使っているんですよ。

沖縄の人は、自分たちを自ら差別しているんですよ~』なんて、言ったところで、

沖縄の人々が、『はい、では、明日から「ないちゃー」という言葉は禁止しましょーねー』とは

ならないと私は思う。

前置きが長くなったが、若者同士の話中での”アメジョ”って言葉にも、

以前ほどの差別的要素は薄らいでる気がする。

もちろん、主婦の感覚であり、統計などとっている訳ではないから不確かなのは確か。

だから、”アメジョ”って言葉に強い反発をするお方の前や、公の場では使用しないくらいの

配慮はしているつもり。

でも、私、個人的には思うの。

もし、アメリカの方とお付き合いもしくはご結婚された方で、”アメジョ”って言葉に過敏になっている

方がいるとするならば、自分で愛して付き合っている、もしくは結婚を選択したのなら、

”アメジョ”って言葉にそう過敏にならずに、堂々と”私アメジョだけど、何か?”ってくらいの

気概でいてほしいなって。

もしも、”アメジョ”って言葉を気にしすぎていたら、自分の目の前にいるパートナーと

一緒にいること自体を、自身が誇りに思えていない、もしくは後ろめたい何かある、

ホンモノの愛ではない、ひいては自身の選択を否定しているってことに繋がると思うんだ。

 

私は、自分ができなかった分だけ尊敬に近いものを感じるのよ、”アメジョ”に。

語学習得の為に外国人と付き合う、アメリカに住むために外国人と結婚する、

いやいやその両方でもなく、愛した方が外国人だったって類な話。

遠距離、差別、離婚、そんな難しい話抜きにして純粋に考えると、

情熱が故よねぇ~、その愛の原動力になっているのは。

 

前置きのつもりが、長くなったので、本当に書きたかったことは次回とする。

 


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