写真日誌

気ままなフォトスケッチです。

  小石川後楽園 1

2012年09月02日 | 庭園
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あいにくかなりな規模の工事中で、人影まばらでした。
約半分ほどは回れませんでした。

























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  六義園 4.

2012年06月12日 | 庭園
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巨大な石を渡る渡月橋。



 


 


 




名前は白鳥。
 











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  六義園 3.

2012年06月11日 | 庭園
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ベニヤマアジサイ。





六義園の春の銘木、枝垂桜。










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  六義園 2.

2012年06月10日 | 庭園
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シチダンカ(あいさい名)。
 


 


 








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  六義園 1.

2012年06月09日 | 庭園
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六義園。
五代将軍徳川綱吉の時、幕府家老職の柳沢吉保によって造園。
小石川後楽園と共に江戸の二大庭園と呼ばれていました。

 


 


 


 

分類は和風あじさい、ミヤマヤエムラサキ。
 










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  旧安田庭園(2)

2011年07月21日 | 庭園
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公園の規模は大きくはありませんが、日本庭園は見事です。
池に鯉は珍しくないですが亀の多さに驚きました。そして泳ぐのが速い。
  



 



  










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  旧安田庭園(1)

2011年07月20日 | 庭園
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旧安田庭園は下野足利藩の本庄氏の屋敷のあった場所で、
安政年間(1854〜1860)に隅田川の干満を利用した庭園として整備されたもの。
その後墨田区移管された。現在では人工的に干満の状態を作り、当時の状態を再現している。

  


左は両国公会堂。
 



  









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  国立博物館庭園 -6-

2010年07月23日 | 庭園
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・春草廬(しゅんそうろ)

江戸時代、河村瑞賢(かわむらずいけん1618~1699)が摂津淀川改修工事の際に建てた休憩所で、
その後大阪へ、さらに横浜の三渓園に移され、
昭和12年(1937)に埼玉県所沢市にある松永安左エ門(耳庵・1875~1971)の柳瀬荘内に移築されました。
昭和23年に柳瀬荘が当館に寄贈され、昭和34年に春草廬は現在の位置に移されました。
入母屋(いりもや)の妻に掲げられた「春草廬」の扁額は、
能書家として知られる曼殊院良尚法親王(1622~1693)の筆で、
三渓が耳庵に贈ったものです。
木造平屋建て、入母屋造り茅葺、座敷は五畳と三畳からなります。
                                   <国立博物館HPより>

    


    



・五重塔

高さ570センチメートルの銅製の塔。最上部の相輪には龍が絡み付き、
垂木(たるき)、斗拱(ときょう)の組み物の細部まで入念に作られています。
基壇に第五代将軍徳川綱吉(1646~1709)が法隆寺に奉納した旨の銘文
「大和国法隆寺元禄元年十二月日常憲院徳川綱吉」が線刻されています。



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  国立博物館庭園 -5-

2010年07月22日 | 庭園
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・転合庵(てんごうあん)

小堀遠州(こぼりえんしゅう 1579~1647)が桂宮から茶入「於大名(おだいみょう)」を賜った折、
その披露のために京都伏見の六地蔵に建てた茶室です。その後大原寂光寺に移築され、
昭和38年(1963)、当館に茶入とともに当館に寄贈されて現在の位置に移されました。
                               <国立博物館HPより>

    

屋根材に注目、薄い板を何枚も重ね合わせています。
  



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  国立博物館庭園 -4-

2010年07月21日 | 庭園
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・六窓庵(ろくそうあん)

慶安年間(17世紀中頃)に奈良の興福寺慈眼院(じげんいん)に建てられたもので、
現在奈良国立博物館に移された八窓庵、東大寺塔頭四聖房の隠岐録(おきろく)とともに
大和の三茶室といわれました。明治8年(1875)に博物館が購入、
解体輸送中に伊豆で船が難破しましたが、
幸い材は流失をまぬがれて明治10年に当館に移築されました。
その後、第二次大戦中再び解体され疎開しましたが、昭和22年(1947)9月、
数寄屋の名工木村清兵衛により現在の位置に再建されたものです。
水屋、寄付、腰掛などは明治14年に古筆了仲(こひつりょうちゅう)
によって設計、増築されたものです。
にじり口にある手水鉢(ちょうずばち)は四方仏水盤といわれる形式のもので、
延長3年(925)関白藤原忠平が建立した山城国法性寺の石塔のひとつでした。
その後、銀閣寺を経て所有者がいく人か変わり、明治18年に博物館の所有になりました。
                                     <国立博物館HPより>

    


  



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