・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参拝客の少ないふだんの明治神宮です。原宿口の大鳥居から本殿までを順番に掲載します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
代々木公園。
代々木練兵場が開設された明治43年の翌年、徳川・日野両大尉により、
わが国で最初の飛行を記念した「日本航空発始の碑」。
ケツアルコアトル。
メキシコ民族の神話による「羽毛の生えた蛇神」の像。
メキシコ政府からサリナス大統領(当時)夫人来日に際して寄贈された。
しあわせの像。
東京オリンピックで選手村として使われたときの唯一残されたオランダ選手が利用した建物です。
いつもご覧頂き有難う御座います。
明日は年始の大混雑しか知らないお隣の明治神宮です。
代々木練兵場が開設された明治43年の翌年、徳川・日野両大尉により、
わが国で最初の飛行を記念した「日本航空発始の碑」。
ケツアルコアトル。
メキシコ民族の神話による「羽毛の生えた蛇神」の像。
メキシコ政府からサリナス大統領(当時)夫人来日に際して寄贈された。
しあわせの像。
東京オリンピックで選手村として使われたときの唯一残されたオランダ選手が利用した建物です。
明日は年始の大混雑しか知らないお隣の明治神宮です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
たらい。行水で使われたそうで、内側は黒の漆塗りだったそうです。
釘隠し。
たらい。行水で使われたそうで、内側は黒の漆塗りだったそうです。
釘隠し。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
JR中央線「日野駅」で近年の大きな駅ビルとは異なり落ち着いた駅舎です。駅より徒歩10分程度でした。
日野宿本陣正門。
甲州道中に現存する本陣建物は、日野宿本陣を含めて小原宿本陣(神奈川県相模湖町)と
下花咲宿本陣(山梨県大月市)の三箇所です。
とりわけ、日野宿には大きな本陣と脇本陣が長屋門を構えて並び立っており、
建物の規模や内容においてははるかにそれらを凌駕する威容を誇っていました。
時代の推移を経て、今ではこの本陣建物だけが残されています。
日野宿本陣は、嘉永2年(1849)正月十八日の大火によって古くからの主屋は消失してしまいました。
現存する建物は、佐藤彦五郎俊正が10年に及ぶ歳月を費やして準備を進め文久3年(1863)4月に上棟し、
翌元治元年(1864)12月から住み始めたものです。
日野宿本陣には、佐藤彦五郎が近藤周助に師事して開いた「佐藤道場」がありました。
ここでは、後の新選組局長となる近藤勇や副長の土方歳三、沖田総司、井上源三郎たちが
激しい稽古に励んだのです。長屋門は、大正15年の大火で類燃し、現在はありません。
また、明治26年に54軒を焼いた日野大火によって有山家(佐藤彦五郎の四男彦吉の養子先)
が消失したため、「上段の間」と続きの一間は有山家に移されています(有山家は非公開です)。
<日野市立新選組ふるさと歴史館HPより>
正面玄関。左手に沿って進むと入口。
見学者入り口。
トイレ。
JR中央線「日野駅」で近年の大きな駅ビルとは異なり落ち着いた駅舎です。駅より徒歩10分程度でした。
日野宿本陣正門。
甲州道中に現存する本陣建物は、日野宿本陣を含めて小原宿本陣(神奈川県相模湖町)と
下花咲宿本陣(山梨県大月市)の三箇所です。
とりわけ、日野宿には大きな本陣と脇本陣が長屋門を構えて並び立っており、
建物の規模や内容においてははるかにそれらを凌駕する威容を誇っていました。
時代の推移を経て、今ではこの本陣建物だけが残されています。
日野宿本陣は、嘉永2年(1849)正月十八日の大火によって古くからの主屋は消失してしまいました。
現存する建物は、佐藤彦五郎俊正が10年に及ぶ歳月を費やして準備を進め文久3年(1863)4月に上棟し、
翌元治元年(1864)12月から住み始めたものです。
日野宿本陣には、佐藤彦五郎が近藤周助に師事して開いた「佐藤道場」がありました。
ここでは、後の新選組局長となる近藤勇や副長の土方歳三、沖田総司、井上源三郎たちが
激しい稽古に励んだのです。長屋門は、大正15年の大火で類燃し、現在はありません。
また、明治26年に54軒を焼いた日野大火によって有山家(佐藤彦五郎の四男彦吉の養子先)
が消失したため、「上段の間」と続きの一間は有山家に移されています(有山家は非公開です)。
<日野市立新選組ふるさと歴史館HPより>
正面玄関。左手に沿って進むと入口。
見学者入り口。
トイレ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
建設工事が順調のようです。300メートルを超えた東京スカイツリーです。
昨年11月は約200メートルでした。
完成迄の写真を同じ位置からとらえられる撮影ポイントを変えました。
この地点も候補にと思いましたが近づき過ぎで、完成時に最上部がみにくくなるでしょう。
昨年11月は約200メートルでした。
完成迄の写真を同じ位置からとらえられる撮影ポイントを変えました。
この地点も候補にと思いましたが近づき過ぎで、完成時に最上部がみにくくなるでしょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今年も小金井公園の梅祭りです。好天のもと多数の方々が見えていました。
今年も小金井公園の梅祭りです。好天のもと多数の方々が見えていました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
春間近を告げる花々を。 福寿草。
沈丁花。
雲南桜草(うんなんさくらそう)。
シャルル・ド・ゴール という名を名乗るバラ。
沈丁花。
雲南桜草(うんなんさくらそう)。
シャルル・ド・ゴール という名を名乗るバラ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
南米チリの国花「ツバキカズラ」。
アルストロメリア。
屋外では、寒さにもめげず小さな新芽が芽吹いています。
アルストロメリア。
屋外では、寒さにもめげず小さな新芽が芽吹いています。