『牧野記念庭園(1)』
その由来は、世界的植物学者、故牧野富太郎博士が大正15年、
野趣豊かな大泉の地に居を定め、植物の研究に没頭され数々の高説を発表。
また「我が植物園」としてこよなく愛したゆかりの地です。
昭和32年1月天寿を全うされましたが、博士の偉業を永く後世に
伝えるため「牧野記念庭園」として昭和33年より開園されたものです。 (同園パンフより)
(1)庭園入り口。
(2)庭園入り口。
(3)博士の胸像。
(4)庭園の記念館へ通じるところ。
(5)記念館入り口の碑。石碑を取り囲むように植えられているのが「スエコザサ」。
博士が仙台で発見し、亡き寿衛子夫人を偲ばれて命名された。
碑には博士の筆で「花あればこそ吾もあり」とある。