昨晩は確かハンバーグだった。メモしていないと直ぐに
忘れちゃう今日この頃です。後サラダと味噌汁とご飯で
した。
食後は2Fで我がブログを数ページだけ読んでCDを聴き
ながら眠りに・・・
☆
真夜中に身体が熱すぎて目覚めちゃった、あれ? 熱が
ある? 額に汗が・・・
気になって、そのまま起きだして1Fへ・・・
トイレ、手洗い、歯磨き、洗面、イソジンでうがいも
再度額に手を当てたが平熱みたいで ホッ ちょっと
コロナを気にし過ぎかもね。
起床時間は真夜中の24時30分、2Fのベッドルームは18
度、1Fは17度、早速紅茶を飲みながら将棋の対戦を見て
お勉強ですわ。
3時頃にバスタブにお湯を入れながらネットニュースを
チェック、4時に計量、気になる体重は63.8Kとベスト
体重にホッ、体脂肪は31.7%でした。
☆
1902年(明治35年)1月23日に、青森の歩兵第5連隊が
仮想敵ロシアに対する戦争準備で雪山行軍へ出発。行先
は八甲田のふもとにある20K先の田代温泉まで・・・・
朝の7時半に連隊本部を出発、雪山なので先頭をかんじ
き隊40名が先頭に、そのあと本隊が114名、後方に食料
お酒、平釜、薪、木炭、スコップをそりに載せた輸送
隊が56名
総計210名が仮想敵国ロシアを念頭に冬山行軍を先頭の
歩兵中隊長の、神成大尉32歳が20K先の田代まで行く
過程で最初の目的地、、約10K先の小峠まで進軍した。
約4時間経過し、午前11時半にやっと小峠に到着したが
ちょうどこの時間頃から風速が10メートル、永井軍医が
天候が変わってこのまま進むのは危険が大きいので引き
返そうと進言。
若い指揮官達、数名がこのまま進軍すべしと意見が割れ
て大隊長の山口少佐が検討した結果このまま進軍と決定。
次の目標地は今回の行程中一番山頂にある馬立場まで
登る事だった。出発から9時間15分、午後の4時10分に
やっと17K地点の山頂の馬立場に到着した。 ふぅ
日没は4時40分であと30分しかない。ここでも野営して
一晩ここで過ごし翌朝出発すべしとの意見もあったが
田代温泉まであとわずかに3Kしかないからこのまま目
的地に進むべきと決定
馬立場を午後の5時半に田代に向かって出発、ここから
は下り坂だから直ぐにも田代温泉に到着し熱い温泉に
入れると思って出発したが・・・
下り坂、雪はパウダースノウで胸まで没し、そりも埋ま
って動けず、そりを放棄して、食料、燃料他を一人20K
の荷物を背負って下り坂をラッセルして進んだ。
出発して13時間、18.5K地点の平沢にやっとの思いで午
後の8時に到着。
八甲田山は1585mで18の山々から形成されていて雪山は
木が生えていない野っぱらで目標になる木々が少なかっ
た。
多少の月明りはあるものの持参した食料は凍っていて食
べられず兵達は13時間、飲まず食わず疲労困憊だった。
ここからあとわずかに目的地田代温泉まで1.5Kだったが
ここで断念してここ平沢で野営を決定。
スコップで雪洞を掘るも雪は地面まで約4mの深さで約
2m掘り下げて雪洞に逃げ込んだが上ががら空きだった
ので強風が兵隊の体温を奪い始めた。
火を起こそうにも地面じゃないので、すぐ消えて食事も
取れず足踏みを・・・
一人の兵隊が田代までの道を良く知っているのでこのま
ま吹きさらしの雪洞に居るよりは良いと進言、
またまた山口少佐は後わずかに1.5Kだから道を良く知っ
ていると言う兵隊を信じて平沢を出発。
外は風速29m、気温マイナス25度で雪が降り続いていて
視界が悪く田代温泉を目指して出発したが一部は鳴沢渓
谷に入り込んだり、賽の河原に迷い込んで迷走し始めた。
兵隊さんの綿の肌着は汗が凍って顔も手も凍傷に・・・
神成中隊長はもはやこれまでと死を覚悟、体力の無い兵
隊たちは奇声を発しつぎつぎと倒れ、体力がまだ有る者
は散尻に・・・
四日目の1月26日、第5連隊がまだ帰隊しないので遭難
したかもと思って救助捜索隊62名を編成し捜索開始に出
発。
1月27日午前11時に馬立場手前で立ったまま死んでいた
後藤伍長を発見、
死体は賽の河原、鳴沢渓谷、平沢一帯にバラバラに発見
運よく助かった兵隊は炭焼き小屋を発見し、そこに避難
した兵隊が鳴沢で3名、平沢で3名、田代で1名、山口少
佐を含むグループが10名は風が来ない崖の下で発見され
た。
運良く助かった兵隊さんも収容後に凍傷が酷く手足を切
断、6人が、その後死亡して総計119名が死亡。わずかに
11名が生還。
この遭難はまるで今のコロナに勝とうとしている政府や
都知事や各市長さんや要請を無視するパチンコ屋や湘南
の海で遊ぶ沢山のサーファーたちと構図は全く同じだね
ちなみに配役は大隊長の山口少佐は安倍首相、神成大尉
はパンダ都知事、永井軍医はいま頑張っている医療機関
の先生達や看護師さんたち、
軍医のアドバイスを笑う西村経済担当相、麻生財務相や
令和のおじさん官房長、要請を無視する一部のパチンコ
業界、パチンコ店にどうしても行こうとするおじさん達、
命知らずのサファー達、
4日後にやっと捜索に出かけた都道府県の知事さん、市長
さん、いまだにワザとPCR検査の仕事をしていない厚生
省と保健所の面々。
どうですか? 配役はみんなピッタリでしょう(大笑い)
☆
5時過ぎに朝食、果物+お薬も・・・
6時頃からブログの書き込みを延々と・・・ちょっとお腹
の具合がイマイチでトホホ
行きつけのお医者さんと小田原市の方から大腸がん検査に
異常が見つかったから至急お医者さんで検査して下さいと
言われたが、流石にいま病院に行く選択肢は僕には無いで
す。
最悪ガンで死んでもコロナで死ぬよりはよっぽど良いね。
コロナが終息したら胃がんの方も検査するよ。本来だっ
たら3月に予約を入れる予定だったがコロナの方が早かっ
たからね。
☆
緊急事態宣言を解除するには地域ごとにだって・・・さ
オイオイ今はそんな話をしている場合じゃないだろう。
いま感染者が毎日、毎日500名近く増えて行っているの
にもう解除の話なの? あり得ない。コロナを甘く見過
ぎ。
何日もかけて特措法を作ったが罰則無しの法律で全く効
力なしでトホホ、まさに絵に描いた餅だよ
マスクは不良品、国民に支給する対象、金額も二転三転
死んでから汚れたマスクが手に入っても・・・
未だに医療崩壊を防ぐためにとPCR検査はボイコットし
ホテルに隔離するはずの感染軽症者をいまだに隔離せず
に自宅療養させている感染者が1000人も・・・
今度は家庭内で感染者をただただ増やしているだけです。
どこまで感染者を増やしたら気が済むの? もうお馬鹿
の政府にはついて行けない。
オーストラリアは違反者に罰金、懲役も、おかげで感染
者が6661名で死亡者が75名と感染防止策がうまく機能し
ているよ。何故に成功した国を真似ようとしないのかね。
もうニューヨークでは3000名の抗体検査も実施して更に
検査数を増やすそうです。
☆★
あのホリエモンが,このコロナどさくさを利用してマスク
を11000円で販売だって・さ まさに悪徳な守銭奴だね、
あらゆる人たちに汚い言葉で難癖付けて最低な野郎だね。
昔は評価していたのに・・・すっかり人間が変わっちゃ
ったね。
忘れちゃう今日この頃です。後サラダと味噌汁とご飯で
した。
食後は2Fで我がブログを数ページだけ読んでCDを聴き
ながら眠りに・・・
☆
真夜中に身体が熱すぎて目覚めちゃった、あれ? 熱が
ある? 額に汗が・・・
気になって、そのまま起きだして1Fへ・・・
トイレ、手洗い、歯磨き、洗面、イソジンでうがいも
再度額に手を当てたが平熱みたいで ホッ ちょっと
コロナを気にし過ぎかもね。
起床時間は真夜中の24時30分、2Fのベッドルームは18
度、1Fは17度、早速紅茶を飲みながら将棋の対戦を見て
お勉強ですわ。
3時頃にバスタブにお湯を入れながらネットニュースを
チェック、4時に計量、気になる体重は63.8Kとベスト
体重にホッ、体脂肪は31.7%でした。
☆
1902年(明治35年)1月23日に、青森の歩兵第5連隊が
仮想敵ロシアに対する戦争準備で雪山行軍へ出発。行先
は八甲田のふもとにある20K先の田代温泉まで・・・・
朝の7時半に連隊本部を出発、雪山なので先頭をかんじ
き隊40名が先頭に、そのあと本隊が114名、後方に食料
お酒、平釜、薪、木炭、スコップをそりに載せた輸送
隊が56名
総計210名が仮想敵国ロシアを念頭に冬山行軍を先頭の
歩兵中隊長の、神成大尉32歳が20K先の田代まで行く
過程で最初の目的地、、約10K先の小峠まで進軍した。
約4時間経過し、午前11時半にやっと小峠に到着したが
ちょうどこの時間頃から風速が10メートル、永井軍医が
天候が変わってこのまま進むのは危険が大きいので引き
返そうと進言。
若い指揮官達、数名がこのまま進軍すべしと意見が割れ
て大隊長の山口少佐が検討した結果このまま進軍と決定。
次の目標地は今回の行程中一番山頂にある馬立場まで
登る事だった。出発から9時間15分、午後の4時10分に
やっと17K地点の山頂の馬立場に到着した。 ふぅ
日没は4時40分であと30分しかない。ここでも野営して
一晩ここで過ごし翌朝出発すべしとの意見もあったが
田代温泉まであとわずかに3Kしかないからこのまま目
的地に進むべきと決定
馬立場を午後の5時半に田代に向かって出発、ここから
は下り坂だから直ぐにも田代温泉に到着し熱い温泉に
入れると思って出発したが・・・
下り坂、雪はパウダースノウで胸まで没し、そりも埋ま
って動けず、そりを放棄して、食料、燃料他を一人20K
の荷物を背負って下り坂をラッセルして進んだ。
出発して13時間、18.5K地点の平沢にやっとの思いで午
後の8時に到着。
八甲田山は1585mで18の山々から形成されていて雪山は
木が生えていない野っぱらで目標になる木々が少なかっ
た。
多少の月明りはあるものの持参した食料は凍っていて食
べられず兵達は13時間、飲まず食わず疲労困憊だった。
ここからあとわずかに目的地田代温泉まで1.5Kだったが
ここで断念してここ平沢で野営を決定。
スコップで雪洞を掘るも雪は地面まで約4mの深さで約
2m掘り下げて雪洞に逃げ込んだが上ががら空きだった
ので強風が兵隊の体温を奪い始めた。
火を起こそうにも地面じゃないので、すぐ消えて食事も
取れず足踏みを・・・
一人の兵隊が田代までの道を良く知っているのでこのま
ま吹きさらしの雪洞に居るよりは良いと進言、
またまた山口少佐は後わずかに1.5Kだから道を良く知っ
ていると言う兵隊を信じて平沢を出発。
外は風速29m、気温マイナス25度で雪が降り続いていて
視界が悪く田代温泉を目指して出発したが一部は鳴沢渓
谷に入り込んだり、賽の河原に迷い込んで迷走し始めた。
兵隊さんの綿の肌着は汗が凍って顔も手も凍傷に・・・
神成中隊長はもはやこれまでと死を覚悟、体力の無い兵
隊たちは奇声を発しつぎつぎと倒れ、体力がまだ有る者
は散尻に・・・
四日目の1月26日、第5連隊がまだ帰隊しないので遭難
したかもと思って救助捜索隊62名を編成し捜索開始に出
発。
1月27日午前11時に馬立場手前で立ったまま死んでいた
後藤伍長を発見、
死体は賽の河原、鳴沢渓谷、平沢一帯にバラバラに発見
運よく助かった兵隊は炭焼き小屋を発見し、そこに避難
した兵隊が鳴沢で3名、平沢で3名、田代で1名、山口少
佐を含むグループが10名は風が来ない崖の下で発見され
た。
運良く助かった兵隊さんも収容後に凍傷が酷く手足を切
断、6人が、その後死亡して総計119名が死亡。わずかに
11名が生還。
この遭難はまるで今のコロナに勝とうとしている政府や
都知事や各市長さんや要請を無視するパチンコ屋や湘南
の海で遊ぶ沢山のサーファーたちと構図は全く同じだね
ちなみに配役は大隊長の山口少佐は安倍首相、神成大尉
はパンダ都知事、永井軍医はいま頑張っている医療機関
の先生達や看護師さんたち、
軍医のアドバイスを笑う西村経済担当相、麻生財務相や
令和のおじさん官房長、要請を無視する一部のパチンコ
業界、パチンコ店にどうしても行こうとするおじさん達、
命知らずのサファー達、
4日後にやっと捜索に出かけた都道府県の知事さん、市長
さん、いまだにワザとPCR検査の仕事をしていない厚生
省と保健所の面々。
どうですか? 配役はみんなピッタリでしょう(大笑い)
☆
5時過ぎに朝食、果物+お薬も・・・
6時頃からブログの書き込みを延々と・・・ちょっとお腹
の具合がイマイチでトホホ
行きつけのお医者さんと小田原市の方から大腸がん検査に
異常が見つかったから至急お医者さんで検査して下さいと
言われたが、流石にいま病院に行く選択肢は僕には無いで
す。
最悪ガンで死んでもコロナで死ぬよりはよっぽど良いね。
コロナが終息したら胃がんの方も検査するよ。本来だっ
たら3月に予約を入れる予定だったがコロナの方が早かっ
たからね。
☆
緊急事態宣言を解除するには地域ごとにだって・・・さ
オイオイ今はそんな話をしている場合じゃないだろう。
いま感染者が毎日、毎日500名近く増えて行っているの
にもう解除の話なの? あり得ない。コロナを甘く見過
ぎ。
何日もかけて特措法を作ったが罰則無しの法律で全く効
力なしでトホホ、まさに絵に描いた餅だよ
マスクは不良品、国民に支給する対象、金額も二転三転
死んでから汚れたマスクが手に入っても・・・
未だに医療崩壊を防ぐためにとPCR検査はボイコットし
ホテルに隔離するはずの感染軽症者をいまだに隔離せず
に自宅療養させている感染者が1000人も・・・
今度は家庭内で感染者をただただ増やしているだけです。
どこまで感染者を増やしたら気が済むの? もうお馬鹿
の政府にはついて行けない。
オーストラリアは違反者に罰金、懲役も、おかげで感染
者が6661名で死亡者が75名と感染防止策がうまく機能し
ているよ。何故に成功した国を真似ようとしないのかね。
もうニューヨークでは3000名の抗体検査も実施して更に
検査数を増やすそうです。
☆★
あのホリエモンが,このコロナどさくさを利用してマスク
を11000円で販売だって・さ まさに悪徳な守銭奴だね、
あらゆる人たちに汚い言葉で難癖付けて最低な野郎だね。
昔は評価していたのに・・・すっかり人間が変わっちゃ
ったね。