Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

切り株の若芽

2019年11月18日 | 日記
 私の住む街には運動公園があり、その敷地内は沢山の木々があって、その遊歩道を歩くたびに四季折々の風景を楽しむことができました。ところが、この一年で、道路沿いの大きな木が次々と切り倒されてしまい、切り株だけが残っています。おそらく、駐車場か何かの用地を広げる為なのでしょう。それらの切り株を見る度に、人間の都合による自然破壊を悲しく思います。一方、切り株というのは、その根が生きていれば根からまた新しい芽が生えて来るものもあります。それらは再び大きな木には成長しないかもしれませんが、木の命は小さい枝ながらも脈々と引き継がれています。自然の生命力の力強さに感動します。

 聖書に、切り株をたとえた話が出てきます。預言者イザヤは、切り倒された木の切り株から若枝がでると語り、その若枝はメシヤ(救い主)を指し示すと言われます。つまり一度は切り倒された木のように、全てが失われてしまったような状態、この預言者の時代ではユダヤの国が他国に滅ぼされてしまうという絶望状態でも、切り株は残されていると*1。そしてそこから、将来、平和の王(メシア)が出現するという、神様から与えられた預言です。その平和の王は、この地上での政治的な王ではなく、主(神)の霊がその上にとどまり「目に見えるところによって裁きを行わず 耳にするところによって弁護することはない。弱い人のために正当な裁きを行い この地の貧しい人を公平に弁護する。」*2とあり、そのように世界を治める王だと記されています。この預言はまさに、約700年後に地上に来られたイエス・キリストによって成就されますが、キリスト(メシヤ:救い主)は実際は2回地上に来られるとされ、最初は人として生まれ、十字架にかかり3日後に復活され、信じる者に救いをもたらすために、2回目(再臨)は王として世界を裁き、完全な平和をもたらすために来られると預言されています。つまり、一度目はすでに2千年前に成就していて、再臨はこれから先、未来に起こることです。

 人々は平和を求めますが、人の心に罪があり、キリストの救いを受け取らない限り、平和を達成することはできません。なぜなら、個人差はあっても人はお互いの利害が対立し、ねたみや差別、いじめなどを誰も教えなくてもしてしまう者だからです。また、自分を犠牲にして相手を愛したり、赦すということに弱い者です。その弱さを認め、神様の前にごめんなさいと悔い改め、イエス・キリストがその罪を全て赦すために十字架上で代わりに罰せられたことを信じた時、キリストに在る平和を求める心に新しく変えられていきます。新しく生まれるには、古い自分は死なななければならないと聖書に書かれています*3。 これは肉体の死の話ではなく、霊的な話であり、外側は信じても何も変わらないように見えますが、キリストを信じると内側の、心の中が新しくされています。この内側の新生を信仰で受け止めると、神様に感謝し、喜んで神様に仕えたいという思いが沸き起こり、キリストにあって将来の希望が与えられ、キリストの再臨を待ち望めるのです。

 毎日のニュースを見ていると希望を見出すのが難しい世の中です。国のリーダー達は自らの利権の為に動き、裏で不正やわいろがはびこり、民主主義は表面的にすぎないと知ると、人々は何も信じられなくなり、絶望、虚無感ついには無関心となってしまいます。しかし、聖書の預言を信じれば、いつかキリストが再び王として来られ、悪を裁かれ、平和がもたらされるという希望が与えられます。暗い世の中にあっても、キリストにあって光の中
に歩めます。また暗い心を照らす光としての預言の言葉*4、慰め、励ましを記す聖書の言葉に励まされて、日々歩んでいきたいと思わされました。

 「エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び、その上に主の霊がとどまる。これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。」  イザヤ書11章1-2節

*1 イザヤ書章6節11-13節
*2 イザヤ書章11節3-4節
*3「それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。」ローマ人への手紙6章3-4節
*4 「こうして、預言の言葉は、わたしたちにいっそう確実なものになった。あなたがたも、夜が明け、明星がのぼって、あなたがたの心の中を照すまで、この預言の言葉を暗やみに輝くともしびとして、それに目をとめているがよい。」 第2ペテロ手紙1章19節
(聖書引用、口語訳聖書)