琉球文化を色濃く残す沖永良部島には、「お墓正月」というものがあります。
今日1月16日がその日です。
Vol.12でもお墓のことについては書きましたが、故人の埋葬方法やお墓の作り、そして法要の仕方など、本土とは違った文化があります。
お墓正月とは
新年を迎える前の年末30日か31日にお墓に行ってご先祖様にお参りし、お正月を家庭で過ごしてもらうためにお迎えをするのです。
そしてお正月をゆっくり家族と共に過ごしたご先祖様を1月16日にまたお墓に送っていき、お墓の前でご先祖様とともに正月を祝うために一族がお墓の前に集って宴会をするという、島の伝統行事なのです。
沖縄本島のジュルクンチに相当する風習であるようです。
沖縄本島のジュルクンチに相当する風習であるようです。
ご先祖様を年末にご自宅にお迎えする風習はまだ残っている家が多いようですが、1月16日に実施される墓正月の風習の方は、現在では新生活運動などに伴って簡略化された字(地区)がほとんどのようです。しかし沖永良部島の3つの字(知名町田皆・瀬利覚,和泊町国頭)には‘座る’(=宴会を開く)慣例が今でも残っているそうです。
島の親族や叔母などに話を聞くと、昔は当家の場合はお墓を使っている門中でお墓正月を敷地の中にある中庭でしていたそうです。
御馳走や焼酎を持ってお墓に集まり、一族で宴会をしていたそうで、子供達にとっては、御馳走が食べれてとっても楽しいイベントだったとか。
写真のような感じですね。
和泊町歴史民俗資料館の掲示物
当家のご先祖様が眠るチュラドゥールでは、こちらの広い方の中庭で行われていたそうです。
琉球と薩摩というそれぞれによる支配を経験し,地理的には沖縄に近い沖永良部には,沖縄系を基調に両方の文化が根付いています。このお墓はまさしくその文化を表しています。入口には大和式の墓石、中庭を持った納骨堂のあるお墓、大和と琉球の融合された文化の象徴ですね。
写真は島に住む親族が年末に撮影してくれました。感謝感謝。
葬制については、明治時代に入ってから出された禁止令まで風葬をしており、その後は土葬に変わっても洗骨する改葬が昭和の初期ごろまでは続いていました。こうしたお骨を拝む先祖崇拝が島の心なのだと思います。
今回は少し珍しい沖永良部のお墓正月の紹介でした。