ご先祖様を調べるにあたって、まずは戸籍謄本の取得から始めました。
お爺様の代で昭和28年に家族で島から北九州に移り住みましたので、本籍は北九州の方に移してあるだろうという前提でした。戸籍を調査するために、まず親の戸籍謄本を取りました。先祖を調べる場合、自分とその調査対象が血縁であることが証明されれば、さかのぼって戸籍の取得が可能です。しかも今回は郵送での依頼になりましたので、取得までの日数もかかりました。
戸籍の請求について補足しますと、請求ができるのは、①その戸籍に記載されている本人、②その配偶者、③直系の関係にある者、に限定されています。つまり自分と血がつながった直系の先祖の戸籍は全て取ることができても、自分の直系の先祖の兄弟姉妹(傍系先祖)の戸籍は取れないことになります。
※傍系の戸籍は取れないといっても、直系先祖の兄弟姉妹については直系先祖と同じ戸籍に入っていた期間があるため、名前と生年月日は最低限知ることができます。
戸籍謄本の取得
当家の調査対象は義母の家系になりますので、以下の手順で取得をしました。
①主人の戸籍謄本を取得
②主人の母の戸籍謄本を取得 (主人と義母は同じ市に住んでいるので①②はすぐ取得ができました)
③主人&義母の戸籍謄本をお爺様の本籍となっていた九州の管轄の役場に送り、お爺様の戸籍を取得。(主人&義母の戸籍謄本を同封することで、3人の血縁が証明されます)
④③で取得した戸籍謄本に、以前の戸籍は沖永良部にあったことが分かりましたので、主人・義母・北九州のお爺様の戸籍謄本を沖永良部に送り取得。
ここでどれくらいまで遡れるかが不明でした。戸籍謄本の役場での保管義務は平成22年5月31日までは80年。6月1日以降は150年に変更されていますので、沖永良部にあった戸籍記録は既に処分されている可能性がありました。しかし、役場の方から電話があり、明治時代に初めて戸籍謄本が作られた時からのものが残っているとのことでした。表記形式が途中で変わったようで、2種類の謄本が無事に手元に届きました。
その一番古い戸籍謄本がこちらになります。
天保10年(1839年)生まれのご先祖様まで遡ることができました。今から約182年前に生まれたご先祖様です。沖永良部島ではこれが一番古い戸籍謄本です。これ以前を遡りたい場合は、檀家であるお寺にある過去帳です。戸籍謄本が作られる前は、お寺で戸籍のようなものが管理されていたそうです。ですが沖永良部はお寺での過去帳は無いそうです。よって正式な書類での確認はここまでになりました。戸籍謄本では当時の家族の状況が詳しく分かりましたので、それは収穫でした。
当家の場合は、お墓の墓石に刻まれている先祖の名前、お仏壇にある先祖の霊位でも確認ができ、戸籍謄本よりもっと古い1675年生まれ(346年前)のご先祖様までは確認が出来ています。(当家屋号:上花城の直系のみ)本家筋の方はもう少し古い方まで分かっております。この先祖の詳細にはついては別記したいと思います。
現住所から土地調査を
戸籍謄本が手元に集まり、当時の現住所が分かりました。現代は戸籍謄本の住所と現住所が違うケースは多々ありますが、当時は「戸籍の住所=現住所」だったということを役場からの電話で確認できました。そこで、さっそく書かれていた土地の所有者を調べようと思い、土地の登記簿謄本を奄美大島の法務教へ依頼しました。土地の登記簿に何か先祖を知る情報があるかもしれないと思ったからです。
ところが、送られてきた土地の登記簿は畑になっており、該当地が先祖から伝えられていた場所と近所ではありますが違うところでした。???どうしたものか???と思っていたところ、重大なミスがあることが分かりました。
上記の戸籍に記載のある番地だと思っていた数字は番地ではなく番戸となっております。これはその地区に何番目に建った家なのかを記しているそうで、実際の土地の地番とは全く関係がないそうです。しかもこの番戸では、当時の家がどこのあったのかは今となっては分からないそうです。古い住宅地図のようなものが残っていたら良いのでしょうが、私が確認した限りでは沖永良部にはそのようなものは残っていませんでした。もしかしたらどこかに眠っているのかもしれませんが。。。
更に、住所として使っている番地と、土地の地番はイコールではないことが分かりました。(イコールの場合もあります)先祖の土地探しも煮詰まってきたところに新情報が。役場で地番が書かれた地図の入手ができるのです。当家の場合は調べたい範囲が分かっていましたので、そこを役場に伝えて、地番の地図上に地番が書かれた資料を頂くことができました。(電話で依頼して電子メールで送ってもらいました)
その地番表をもとに、奄美大島の法務局へ土地登記簿&土地台帳の依頼をし、無事にご先祖様が居住されていた場所は明確に判明した次第です。伝承の通り、親族も含めて全くその通りの場所に居住されていたようです。
*土地調査のことは「2021.2.14:世之主城と先祖の居住地」の記事に書いてあります。