直城の丘に存在していたという宗家の屋敷の話と一緒に、とても興味深い話を古老から聞くことができました。
それは宗家の屋敷があったという畑(古老が若いころはもう直城の丘は全て段々畑でした)の上の段の畑での話です。その畑は丘の一番頂上に位置した場所にあり、石垣があったそうです。
ある朝、付近に住む家の娘さんがその畑に草刈りに行ったところ、畑の隅に珍しい石を発見したといいます。その石は土に埋まって上部が少し出た状態で、日に照らされてキラキラと光る石だったそうです。
娘さんは慌てて父親のところに行ってその話をし、父親を連れて畑に戻りその石を掘りだしたのだそうです。
その石は太陽の光を浴びると、燃えた火のようにも見え、黄金のように光り輝く石だったそうです。
石は掘り出した方の家の倉庫に保管されていたそうで、古老が昔に仕事でこの方の家に行った時に、一度だけ倉庫で石を見せてもらったことがあったそうです。
倉庫の中は暗がりだったので、石は光ることもなく、表面はザラザラとした黒っぽい石だったそうです。大きさは直径20セントほど。大きさのわりにはずっしりと重たい石であったそうです。
この石が掘り出されたのは、明治頃のようです。明治期に宗家のファーマ(長女という意味)が、この石を捜し歩いていたという話があるそうです。
しかしファーマは石を見つけることが出来なかったようで、掘り出した人は石の存在を隠していたのかは分かりませんが、この石は戦後あたりまでこの倉庫に保管されていたようです。
そしてこの石ですが、保管していたお宅の「〇〇のおばさん」と言われる方が、本土に持ち出して売り払ってしまったらしいのです。
その売ったお金で、本土のある場所に土地と屋敷を買ってそこに住んだのだそうです。
この話は知る人ぞ知る話だったそうで、実話のようです。
【この話のポイント】
1.直城の頂上の石垣がある畑に黄金の石があった。宗家のファーマがその石を探していた。
これはけっこう重要なポイントのような気がします。直城の丘は世之主の二男が徳之島から帰島後に住んだ場所であり、その子孫が代々住んだと言われている場所です。恐らくですが、この頂上の地に居住していたのではないかと思うのです。畑には石垣が残っていたそうですから、間違いなく以前は屋敷があったのでしょう。
お爺様の記録によれば、次男が住んでいた場所は後には火神殿内として屋敷跡に火の神を祀っていたといいますから、ここがこの場所だった。そしてそのご神体が黄金に輝く石だったのかもしれません。
更に宗家のファーマが探していたということですから宗家に関係した石だったはずです。
火神は基本は女子がノロとして祀って関わっていますので、ファーマがノロだったのかは分かりませんが、この火神を祀っていた可能性があります。それで黄金の石が無くなって焦って探し廻ったことが考えられます。(宗家にはノロがご先祖にいたという伝承はないので、ご先祖崇拝の1つとして本家の女性が火の神を祀る役割をしていただけだとは思います)
2.なぜ畑の隅にあったのか?
ここは謎です。次男の屋敷跡を火神殿内としていたのなら、建物の中にあったはずです。しかし明治期であれば建物は既に500年くらい経過しており、例の明治31年の大型台風の件もあります。もしかしたら石が見つかったのは、その直後あたりで、建物も倒壊していたのかもしれません。
3.石を売って土地と屋敷を買った
いったいどれほどの値打ちのある石だったのでしょうか。
石を売ったお金だけで土地と家を購入できたとしたら、相当な値打ちです。
たった20センチ四方の石が、、、
4.太陽にあたると黄金のように光る石
太陽にあたると火が燃えたように黄金のように光るとは、いったい何の石だったのか?知りたいですね。
ずっしりと重かったともいいますので、黒水晶などの水晶とか宝石の原石だった可能性があります。
今でもこの石が残っていれば、歴史を紐解く材料の1つになっていたかもしれないと思うと残念で仕方ありません。しかし今となってはもう忘れ去られている話をこうして古老から聞くことができて、大変に有難くもあり、そして貴重な情報でもあります。
1つ付け加えると、この黄金の石は以前に書いたヘンダマチガマのカマド石ではありません。存在した場所が少し違います。
宗家の屋敷があった場所、ヘンダマチガマ、黄金の石があった場所などは別記したいと思います。