ご先祖様から代々大切に保管されてきた古文書や陶器類などの品々がいくつかあります。昭和の初め頃までは今よりはもう少し色々な物が残っていたようですが、行方不明な物、壊して破棄された物などがあったようです。
歴史にあまり興味がなければ、古文書は何が書いてあるかよく分からない小汚い紙切れ。陶器類などは使えない、もしくは使い方がよく分からない邪魔な存在。
段ボールに突っ込んで、そのうち破棄もしくはとりあえずずっと押し入れの奥に保管などという雑な扱いも出来ずに、保管方法や扱いなど気を使わなければならず、代々保管していくのは意外に大変なようです。
特に紙類の古文書は、虫食いや湿気に気を付ける必要もありますしね。
少しずつ紹介していこうと思いますが、歴史的価値があるとかそういうことではなく、災害や薩摩侵略時代、そして戦争時代を超えて数百年も保管され続けてきたことへの価値が高いと思っております。
博物館などの専門機関で保管されているわけではないので、劣化も激しくこの先の保管方法も考えていかなければならないところですね。
今回ご紹介するのは、過去の記事で何度か紹介してきた「玉帳陰符経」という古文書です。
まずは実物をご覧ください。
ぱっと見ていただいただけでも分かりますように、かなり劣化が進んでおります。本当は全体を公表したかったのですが、まだ撮影ができておりませんので、現在手元にある写真だけUPしております。
この古文書は、当家の平安統惟貞という人が、1744年頃に遠島罪で沖永良部島にやってきた東郷実勝に示現流を習っていた時に入手した物のようですが、実は詳細は不明なのです。
巻物の始めに以下のように書かれてあり、文字が欠落してもう読めない部分もありますが、承暦2年といえば1078年 従二位中納言兼太宰のあたりの文字から、平安後期の漢学者であり歌人の「大江匡房」の名前が読み取れます。そのころの源といえば、「源義家」ですので、彼の名前が書いてあったのでしょう。
この書自体は、何か戦の時のまじないのやり方が書かれているようですが、以前にも書きましたが恐らく原本では無いと思います。原本は大江家が保管しているでしょうから、複写だとは思いますが、いつの時代に誰による複写なのか?
そこも年代の鑑定を希望したいところですね。
平安統惟貞と東郷実勝が出会った頃に複写した物なのか?それ以前から複写されて存在していたのか?
1700年代以前に書かれたものであれば、当家の持つ古文書の中では1番古い物になります。
専門家による鑑定が必要な古文書です。
この陰符経についてはVol.60の記事にも書いておりますが、どなたか示現流やこの陰符経などについて詳しい方がいらしたら、ご連絡頂けると嬉しいです。