走るジジイの独り言

本音と妄想入り乱れて、独自の世界観で書き残す

80/50問題ではないけど。

2019-06-02 08:15:02 | 日記
最近川崎の児童殺傷事件で注目されている、80・50問題。

親が80代、子供が50代で、子供が引きこもりと言う問題だが。

これとは少し違うが、やがて大きく取り上げられる事になる問題がある。

私も10年ほど前に、この問題にボランティアとして、係わっておられる、Aさんに出会うまで、その存在に気付かずにいた。

彼らは、文部科学省の規定では、引きこもりに範囲に入らないそうだが、生活のベースを親に頼り、自活していない。

彼らは社会とも接触し、多くの子供は外見から見ると、街を闊歩する若者と変わらないそうだ。
中には一人暮らしをしている子供も多くいるそうだが、勿論、家賃・水道光熱費・携帯電話等の基本生活は親だよりであり、自活していない。

一人暮らしは一見、自立していてよく見えるが、この場合は最悪なのだそうだ。
生活を共にすれば、何らかの監視もできるが、一人暮らしをすれば、必要な時(金銭の授受)の場合のみ親に会えば、後は自由気ままで行ける。

しかも、反面社会と接触して、多くの情報を得ているので、ずる賢いそうだ。

親からの収入がなくなれば、心療内科に通い、ちゃっかり生活保護を貰っている者もいるそうだが、多くは親の財産目当てで後半生を生きようとしているそうだ。
この世代の親はの多くは、勤勉に働き、多くは持ち家等の財産がおある場合が多い。
最後はこの財産を処分すれば、生きて生けるんじゃないかと、考えてる。

このグループは、決まった形というものがなく、短期バイト等で、自分の目的の物を手に入れる為の収入を得たりしている者もいる。
生活形態も色々で、常時連絡もなく、放浪して、他の地に住みながら、時折親に生活費をねだるものもいるそうだ。

我々の若いころの、三無い君と呼ばれた集団がいたが、その続きを永遠に続けているのだろうか。(三無い君とは、やる気ない・気力ない・する気ない、何を考えているか分からないような人間を指していたと思う)
多くの人は青春の途中に、目的を見失い三無い君になる事もあるが、そこから生きる意味や、目的を持ち、進んで行くのだが、そこで止まっているのだろうか。

Aさんとは、一度お会いしたきりだが、お話の内容に魅かれて、話し込んだ事を覚えている。

Aさが携わった、具体的な活動の話も、いずれブログに書き込むつもりですので、よろしければ参考にして下さい。
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