くりぃーむソ~ダ

気まぐれな日記だよ。

肉片(ミンチ)な彼女(72)

2016-12-10 11:32:34 | 「肉片(ミンチ)な彼...
「覚悟していろ」
 自分の意志ではなかった。叶方の体を借りて、別の誰かが口にした言葉だった。
「――ごめん京卦、大丈夫だ。絶対に助けるから」
 あわてて言い直した叶方だったが、言葉に出そうとした叶方の口は、しかし思ったとおりには動かなかった。抱きかかえられていた京卦の体が、不安にギュッと強ばるのがわかった。
 階段を下りると、叶方は京卦を硬いアスファルトの上に置き、ゆっくりと後ろに下がった。
 それまで現れなかった青い鎧が、みるみるうちに叶方の全身を覆っていった。

「なにする気だよ、ちょっと待てよ」

 叶方は青騎士を止めようと必死で抵抗したが、青騎士は剣を手に取り、京卦を一刀に切り伏せようと、大きく振りかぶった。

「死の砂漠に落ちるがいい」と、青騎士が言った。

 言葉にならない叫び声を上げた叶方は、見開いた目で小さな猫の姿を捉えた。青騎士が振りおろした剣は火花を散らせて弾かれ、京卦を切ることなく、宙を泳いで止まった。
 叶方の目の前に現れたのは、手足に靴下を履いたような灰色がかった猫だった。何度か見かけたことがある猫だったが、そのいずれとも違っていたのは、しっかりと二本足で立っていたことと、その手に長い鉄の棒を持っていたことだった。

「危なかった」

 と、猫がつぶやいたとたんだった。叶方がまばたきをするまもなく、素早く動いた猫が、青騎士の頭上に鉄の棒を振りおろした。
 叶方の意識が、プッツリと途切れた。
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肉片(ミンチ)な彼女(71)

2016-12-10 11:31:25 | 「肉片(ミンチ)な彼...
 カリンカは不安定に宙を漂いながら、京卦の髪をぐいっとつかみ上げた。床に描かれた幾何学模様の中心まで、痛がる京卦を無理に引きずり始めた。
 と、力なく手足をばたつかせて抵抗する京卦の背中に、カリンカが目を止めた。
「――おまえ、そこに書かれているのはなんだい」
 カリンカが京卦の後ろ髪を払い除けると、首の後ろに薄い墨で描かれたような、小さな丸い模様があった。
「やってくれるじゃないか」と、カリンカが腹立ちまぎれに言った。「首を繋げる前に気がつくべきだったよ。こいつのおかげで、私がおまえの体に入れなかったんだね。おそらく、あの大男の仕業だろうが、こんなもの、すぐに皮膚ごとはぎ取ってやるよ」
 カリンカは言うと、うつ伏せた京卦の背中に飛び降りた。
 と、京卦がゴロリと寝返りを打った。たった今まで、ぐったりとうつ伏せていたとは思えないほど、素早い動きだった。カリンカはあわてて宙に浮かびあがろうとしたが、京卦はカリンカを逃さず、その足に噛みついた。
「なにをするんだい、離せってば――」
 京卦は、カリンカの足に噛みついたまま、大きく首を振り、勢いをつけて床に放り出した。

 ――パリン。

 硬い床に投げ出されたカリンカは、弾むように部屋の奥へ転がっていった。わずかに遅れて、蓋の割れた小瓶が、カリンカの後を追いかけるように転がっていった。
 小瓶の中に入れられていた液体が、飛沫を上げてこぼれ落ちた。
「――京卦」と、体の自由を取り戻した叶方が、力なく横たわっている京卦に駆け寄った。「おまえ、京卦だろ。そうだよな」
 叶方の目をまっすぐに見つめ返した京卦は、弱々しいがはっきりとうなずいた。

「逃・げ・て…」

 叶方は、「えっ」と、聞き返した。
 京卦は、聞き取れないほどかすかな声で言った。「――逃げて」
 うなずいた叶方は、無我夢中だった。はだけた毛布ごと京卦を抱え上げ、玄関に向かって走り出した。
 後ろを気にしつつ、マンションの廊下に出ると、エレベーターのスイッチを押した。だがどうしたのか、1階に止まっているエレベーターは、動き出さなかった。
「どうなってるんだよ」叶方は地団駄を踏むように言うと、迷わず非常階段のドアに向かった。
 速く逃げないと、カリンカが追いかけてくる――と、息を切らせた叶方は、飛ぶように階段を下りて行った。
 息せき切って走っているからだろうか、叶方は、軽いめまいを感じていた。ぜえぜえと息をしながら、時折ふっと意識が途切れそうになった。京卦を支える腕の力も、階段を踏み捉える脚力も、しかしどんどんと力を増していくようだった。
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肉片(ミンチ)な彼女(70)

2016-12-10 11:30:22 | 「肉片(ミンチ)な彼...
 カリンカは言うと、どこからか光る液体の入った小瓶を取りだした。
「残り少なくなった魔力は使いたくはないが、この機会を逃すわけにはいかないんだよ」
 カリンカが小瓶の蓋をゆるめると、小瓶の中の液体がとたんに色を変え、幾筋もの違った色の線が浮かびあがり、渦を巻いてうごめき始めた。
「うっ」と、叶方が苦しそうな声を洩らした。
「な・に・を・したんだ……」
 急に体の自由がきかなくなった叶方が、絞り出すように言った。
「せっかくここまでやって来たのに、最後の最後で私に逆らうからだよ」と、カリンカが小瓶を振りながら言った。「役立たずは、そこでじっとしてな」
 京卦から手を離した叶方が、ぎくしゃくとした動きで床に手をつき、部屋の隅へ這うように下がっていった。
「やめろ、京卦に手を出すな」
 叶方は声を限りに叫んだつもりだったが、わずかな空気を吐き出しただけだった。
「フン。なにを言っているのかわからないけどね、今からこの子は本当に蘇るんだよ」
 支えていた叶方の手を失い、京卦は力なくその場に突っ伏していた。
「見ていてご覧。今度こそ本当に蘇るよ――」

 ――ズン。

 カリンカが小声でなにかを囁くと、目の奥が痛くなるほどの光が、一瞬だけ輝いた。
 叶方は、まぶしさに閉じかけた目を開けた。薄暗い光で照らされた部屋は、しんと静まりかえっていた。どこにも変わったところはないようだった。誰も、すぐには動かなかった。

「――くそう」

 ヒステリックな叫び声をあげたのは、カリンカだった。

「もう一度だ、もう一度やるんだ」

 体の自由がきかない叶方は、どうしてカリンカが何度も同じ事を繰り返そうとするのか、その理由がわからなかった。京卦は、蘇ったばかりで全身が麻痺しているのか、言葉も口にできなかったが、意志の力をしっかりと感じる目の光は、京卦自身が蘇っているに違いなかった。身動きができない叶方は、もどかしくもただひとつ自由に動かせる目で、じっと様子をうかがっていた。
「動くんじゃないよ。おまえのために整えた術式なんだ。逃げられちゃ力が発揮されないだろうが」
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肉片(ミンチ)な彼女(69)

2016-12-10 11:28:59 | 「肉片(ミンチ)な彼...
 京卦の頭が、叶方の肩にしなだれかかった。京卦の頭は、今まで離れていたとは思えないほど、しっかりと首につながっていた。抱き寄せた京卦の腕から、叶方の指先を通じて、トクントクンと力強く脈打つ心臓の鼓動が伝わってきた。ずしりと重い体が、命を取り戻した京卦の復活を、確かなものと実感させた。
「起きろよ京卦、起きろって――」
 手の中にかすかな動きを感じた叶方が、祈るように京卦の名前を呼んだ。
「……」
 しっかりと閉じられていたまぶたが、重そうに開いた。
「――おい、京卦。おい」
 何度も名前を呼びながら、叶方は急かすように京卦の体を揺すった。答えたのは、力を使い果たしてぐったりとしたカリンカだった。

「失敗だよ。もう一度やり直さなきゃ」

「えっ」と、京卦を腕に抱いたまま、叶方は宙に漂うカリンカを見上げた。
「その子は蘇っちゃいない。ただの抜け殻だよ。本当の京卦は、ここにいるんだから」
 叶方は、カリンカが何を言っているのかわからず、必死で京卦の名前を呼んだ。
「おい、京卦――起きろよ。嘘だろ、おい」
 京卦の瞳が、力なく叶方を見上げた。はっとした叶方が手を止めると、がばりと体を起こした京卦が、うつ伏せに手をつき、苦しそうにえづき始めた。
 叶方の手から離れた京卦は、すっかり空になった胃袋から、絞り出すように空気を吐き出していた。
「――大丈夫か」京卦の顔色をうかがいながら、叶方はそっと背中をさすった。
 涙を浮かべた京卦は、嗚咽をもらしながら、何度もうなずいた。
「やり直しだよ」と、カリンカが苦しそうに言った。「もう一度だ。その体を元どおりの場所に寝かせるんだ」
 叶方は、力なく宙を漂っているカリンカを見上げた。どうしていいかわからず、京卦の表情をうかがった。もう一度カリンカを見上げると、不意に体を起こした京卦が、背中をさすっていた叶方のジャージをギュッとつかんだ。唇を手の甲でぬぐっている京卦の目には、弱々しいがはっきりとした意志の力が見て取れた。
「――京卦」と、叶方はジャージをつかんだ京卦の手をそっと握った。「オレの知っている京卦は、ここにちゃんと戻ってきているよ」
「知ったような口をきくんじゃないよ」と、カリンカがぜえぜえと息をしながら、叶方の髪の毛に飛びつき、勢いをつけて引っ張り上げた。
「やめろ……」叶方は唇を噛みながら、カリンカを鷲づかみにして抵抗した。
「さっさと女を戻すんだ。早くしなけりゃ、あいつに体を乗っ取られちまうよ」
 叶方は、カリンカの言っている意味がわからず、唇を噛みながら首を振った。
「嫌だね。京卦はちゃんとここにいるじゃないか。蘇ったんだよ、わかるだろ」
 と、カリンカのマスコットの顔が、暗く陰ったように見えた。
「ここまでかね」
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肉片(ミンチ)な彼女(68)

2016-12-10 11:27:57 | 「肉片(ミンチ)な彼...
「こんなに暗いんじゃ、手元を見るのも危ういじゃないか」
「――でもこれじゃ、豆球程度だね」叶方が言うと、カリンカがちぇっと舌打ちをした。
「これからが本番だってのに、余計なことで力は使いたくないんだよ」
「電気屋なら、魔法を使わなくても修理できるけどね」
 ぷいと横を向いたカリンカは、それ以上なにも言わなかった。
 部屋には、毛布を掛けられた京卦が、じっと横たわっていた。叶方は申し訳なさそうに毛布をめくると、大事に抱えてきた包みを足元に置き、京卦の頭を静かに取りだした。
 かたく目を閉じた京卦は、顔色こそいいものの、その表情はどこか悲しげなものに映った。
「さっさと準備をするんだ。もたもたするんじゃないよ――」
 叶方は、カリンカの指示にうなずきながら、京卦の頭部を首のつけ根に合わせて据え置いた。不安定な頭は、手を離すとゴロリと横を向き、後ろに下がる叶方の姿を閉じた目で追いかけてきた。
「仕方がないね、首から離れないように気をつけるさ」と、何度も頭を置き直す叶方を見て、カリンカがあきらめたように言った。「さあ、あんたは下がってじっとしてな。ここからはあたしの出番だからね」
 言われるまま、叶方は和室の外に出ると、部屋の中をのぞきこむようにじっと息を殺して立っていた。
 カリンカが、落ちている木片の炭を手に取り、京卦の下に描かれていた幾何学模様を、素早い動きでところどころ修正していった。叶方には、相変わらずなにを書いているのかさっぱりわからなかったが、カリンカは、糸で吊り上げられているような奇妙な動きで、迷うことなく模様を描き直していった。
「――これで、よし」
 と、カリンカが満足そうにうなずいた、そのすぐ後だった。

 ――ズズン。

 扉のない部屋の中から、目が眩むほどの光が瞬いた。京卦の体をつなぎ合わせた時と同じか、それ以上のまぶしさだった。目を開けていられないほどの光が、爆発的にほとばしった。
 部屋の外に出ていた叶方は、とっさに腕で目を守ったが、まぶしい光に焼けてしまった目をしばたたかせつつ、光が弱々しく消えていく部屋の奥を、息を潜めてうかがった。
 カリンカが魔法で灯した薄明かりの下、京卦が横たわっている姿が見えた。その上を、うつ伏せに手をだらりとさせたカリンカのマスコットが、ふらふらと宙を漂っていた。
 恐る恐る、叶方は部屋の中に足を進めた。
 すっ飛んでくるかと思っていたカリンカは、しかし気を失っているのか、うつ伏せたまま体を起こさず、力なく宙を漂い続けていた。
「――おい、京卦。おい」
 叶方は、片膝を突いて京卦の肩を抱き起こした。
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肉片(ミンチ)な彼女(67)

2016-12-10 11:26:58 | 「肉片(ミンチ)な彼...
 叶方は、京卦の首が包まれた布をしっかりと脇に抱えていた。メッセンジャーバッグの中にいるカリンカは、いつになく上機嫌で、聞き覚えのない曲を鼻歌で口ずさんでいた。
 乗りこんだエレベーターの扉が、柔らかな音を立てて閉まった。行き先のボタンを押した叶方が、後ろに下がって扉の前に立った。
 階を上っていくエレベーターの扉に、叶方の姿が映っていた。いつもなら、気に留めることもなかったが、ついに京卦が蘇るという期待に心がはやっているせいか、ガラスに映る自分自身の姿がふと目に止まった。
 暗い明かりに頭上から照らされた自分の顔は、決してかっこいいとは言えなかった。着ているジャージも普段着で、おしゃれとはまるで縁がなかった。けれどその無造作な雰囲気が、むしろ京卦のために戦ってきたんだ、と胸を張って自慢ができる唯一のことかもしれなかった。ただ、口元に浮かんだ引きつったような笑顔は、意外だった。
 自分では、そんな表情を浮かべているつもりはなかった。むしろ疲れ切って、ため息をつきたいくらいだった。それにもかかわらず、扉に映った自分は、確かに笑みを浮かべ、明かりの下からのぞきこむ自分を、ギロリと上目遣いに見返していた。京卦には、とびっきりの笑顔を見せてやりたかった。
 こんな意地悪そうな顔は見せられないな――と、叶方は扉に映った自分を見ながら笑顔を浮かべた。緊張で頬が強ばっているのか、無理に指先で持ち上げなければ、笑顔を作ることができなかった。まるで、自分の顔じゃないみたいだった。
 叶方は、青騎士の鎧が体を覆う前後、口にするつもりのない言葉が、不意に自分の中から飛び出してきたことを思い出していた。
 これまで、京卦の体を狙う敵を、青騎士の持つ剣で次々に打ち破ってきた。しかし、自分の意志で剣を振るっていたのか、改めて考えてみても、モヤモヤと深い霧がかかったようで、はっきりと断言することができなかった。どちらかといえば、自分は逃げようとしていたはずだった。
 はじめに戦った釣り竿の男は、ムチのようにしなる糸を操り、叶方の手足を動けなくさせた。もう逃げられない。そんな思いを抱きつつ、覚悟を決めたとたんだった。どうしてか、反撃のチャンスができた。
 次に戦った女もそうだった。奇妙な魔法陣の罠に動きを止められ、逃げられないとあきらめたとたん、青騎士の鎧がさらに強く体を覆い、反撃して打ち破ることができた。
 どれも、青騎士の鎧が勝利の鍵だった。その鎧に守られていた自分は、はじめは逃げようとばかりしていたはずだった。戦いを重ねる度、だんだんと力を増していく自分を、疑いつつも感じていた。
 戦いに勝利を収めてきたのは自分の意志だったと、胸を張って言える自信がだんだんと揺らいできた。
 と、エレベーターが止まった。
「さあ、とうとう来たよ」
 カリンカがつぶやくように言うと、叶方は大きくうなづいて、エレベーターを降りた。
 扉のはずれた和室は、最後の戦いに出かけた時のままだった。
 カリンカが宙に手を伸ばすと、壊れていたはずの照明が弱い光を灯した。
「直したのかい」天井を見上げた叶方が聞くと、カリンカがつまらなさそうに言った。
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肉片(ミンチ)な彼女(66)

2016-12-10 11:26:01 | 「肉片(ミンチ)な彼...
 立ち上がった青騎士が、重々しい足音を立てながら、ポロスの前にやってきた。上背のあるポロスを見下ろすほど、青騎士はその大きさを増していた。
 青騎士が、どこからか剣を取りだした。ポロスは、唇をギュッと噛みながら、青騎士の顔を見上げていた。
「さっさと、剣を振るんだ」と、ガラスの中にはめこまれたカリンカが、急かすように言った。
 剣を正面に構えた青騎士は、なかなか振りおろそうとしなかった。表情のわからない面の奥で、叶方が苦しんでいるのかもしれなかった。
 はたと、ポロスが剣の切っ先をつかんだ。

「いいんだ――」と、ポロスが青騎士に言った。

「ありがとう」と、ポロスは青騎士が構えた剣の切っ先を、自分の首に当てた。「モリルを、頼む――」 
 青騎士の中にいる叶方が、息を飲んだ。首に当てた剣の刃を、ポロスが強くこすり払った。ざっくりと開いた切り口から吹き出したのは、これまでにないほど大量の光る粒子だった。金色にも、銀色にも煌めく細かな粒子が、銀鱗を輝かせながら、うねり泳ぐ魚影のような渦を巻いた。命を持ったように舞う粒子の群れは、ポロスが奪い取ったカリンカの小瓶の中に、するすると吸いこまれていった。
 叶方は剣を構えたまま、じっと宙を舞う粒子の後を目で追っていた。姿を変えたポロスが、その中にいるはずだった。気のせいかもしれなかったが、首に当てた刃を引き、自分の存在を消し去ったポロスが、最後にうっすらと笑みを浮かべていた顔が、頭から離れなかった。

「まだ終わりじゃない――」

“――まただ”と、叶方は思いもしない言葉を口にする自分自身にいら立ち、舌打ちをした。
「ああ、まだ終わっちゃいないさ」カリンカは言うと、捕らえられていたガラスを打ち破り、するると滑るように宙を飛んできた。
「おまえの言うとおり、敵がいなくなっただけで、まだ終わっちゃいない」と、床に降りたカリンカが、ポロスが落とした包みを開いた。
 はらりと布がまくられた中から、かたく目をつむった京卦の顔が現れた。ゴロリと横を向いて転がっている京卦の首は、蝋人形のように無表情だったが、淡く頬を染めた顔は、強く脈打つ命の強さを確かに感じさせた。
「さっさと行くよ、夜が明けちまう」
 ――――
 京卦のマンションにやってきたのは、ひんやりとした空気が、すっかり人影の無くなった街を漂う、深夜だった。
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肉片(ミンチ)な彼女(65)

2016-12-10 11:24:39 | 「肉片(ミンチ)な彼...
「やっぱりわかっちゃいないね」と、ポロスの背中を見ながら、カリンカが言った。
「そんなに心配しなくてもいいさ」と、ポロスは背中を向けたまま、後ろを振り向いて言った。「扉が見つかったら、みんなでゾオンに帰ろう。もし我々を捕まえたいなら、帰ってから捕まえればいい。ただ異世界に来てまで、同じ世界の人間が争うなんて、ばかげてるんだ」
「わからないのかい」
 と、外に出て行こうとするポロスに、カリンカが言った。

「わかっちゃいないんだね。あんたが持っているのは、あの子の頭なんだろ。だけどその頭に、あの子はいるのかい」

 カリンカに背を向けたまま、立ち止まったポロスが振り返った。まっすぐにマスコットを見る目は、しかしなにかを必死で考えていた。
「確かにバラバラになったまま、体は生きている――」と、ポロスは言葉を飲んだ。「だが、彼女の言葉を聞いたことがない」
「クククククッ…」と、カリンカは含み笑いを浮かべた。「ここに来る前、あの子の体に術をかけてきたよ。私以外の者が蘇りの魔法をかけようとすれば、今度こそ粉みじんに砕け散って、二度と復活できなくなるようにってね。それに――」

「おまえにだけ教えてあげようか。あの女はね――」

 カリンカは言うと、指のない腕で四角い自分の頭を指さした。
「ここだよ――」
「……」ポロスは無言だった。目を足元に落とした姿は、なにかを考えているように見えた。
 静まりかえった事務所の中に、カリンカの押し殺した笑い声と、落とし穴の底で青騎士に変身した叶方が、這い上がろうともがき続ける重々しい音だけが、繰り返し響いていた。
 誰も動こうとしなかった。ポロスも、まんじりともしない時間に耐え、じっとその場に立ち続けていた。

 ガッシン――

と、それまでには聞こえてこなかった音がひとつ聞こえた。落とし穴の底からだった。見れば、叶方の姿はなかった。頭からすっぽりと面を被った完全体の青騎士が、飽くことなく繋ぎ目のない壁に一撃を加えていた。青い鎧の上に、さらに鮮やかな青い色を重ね塗りしたような色をしていた。変わったのは、それだけではなかった。壁に突き出される腕が、一撃目は拳まで、二撃目は肘までめり込み、しだいに壊れ始めていた。青騎士は、自分が破った壁を足がかりにして、一歩一歩、上に登ってきていた。
 ポロスは、這い上がろうとしている青騎士を、ただじっと見守っていた。
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肉片(ミンチ)な彼女(64)

2016-12-10 11:23:41 | 「肉片(ミンチ)な彼...
 ガラスの中に捕らえられたカリンカは、ぐったりとうなだれたように頭を下げ、縫いつけられたボタンの目を、じっとポロスに向けていた。

「――ここから出せ」

 と、あきらめずに穴から出ようとする叶方の声が、聞こえていた。
「クククククッ…」と、カリンカは笑っていた。
 ポロスは、座ったまま足を組み、なにかを考えているようだった。
「そのガラスからは逃げだせないぞ」と、ポロスは太い声で言った。「そしてそのガラスは、おまえの魔力を奪い続ける。抵抗したって、無駄なだけだ。暴れれば、それだけ早く魔力を失う」
「クククククッ…」と、カリンカは声に出さない含み笑いを続けていた。
「……仲間を閉じこめていた小瓶は、私の手の中にある。おまえが仲間達から奪った魔力を取り返したら、その魔力で仲間達を元に戻すよ」
「早く逃げなきゃ、青騎士が穴から出てくるよ」と、カリンカが笑いながら言った。
「ようやく口を開く気になったかい」と、ポロスは言った。「名前はカリンカだったかな。どうしてこの世界に来てまで、ゾオンの人間を捕まえようとしたんだ」
「――あたりまえじゃないか。私はおまえ達を捕まえる命令を受けているんだ」と、カリンカは言いながら、手足をばたつかせた。「おまえ達こそ、どうして異世界に逃げ出したんだ。ゾオンを離れてまで、戦い続ける必要はないだろうに」
「フフ……」と、ポロスが笑った。「これで、きみと一緒に帰る自信が持てたよ――と、そう暴れなさんな。私がリーダーだ。もうほかには誰もいないよ。みんな君たちに捕らえられてしまったからね」
「青騎士を甘く見ない方がいい。ヤツは、倒されるたびにさらに強くなるんだ」と、カリンカが言った。
「言い伝えの化け物を操るなんて、考えもしなかったよ」と、ポロスが言った。「だから落とし穴の底で、おとなしくしていてもらうことにしたんだ」
「そんなことをしても無駄だよ。時間さえあれば、どんな障壁も乗り越えてしまうんだからね」カリンカが言うと、ポロスは立ち上がった。
「ああ、そのとおりだ。早くモリルの隠れ家に行って、蘇らせなければならない」
 ポロスがコートの内側を手探りすると、ズシンと重そうな包みを取りだした。
「クククッ――その強い魔力は、あの女の首のおかげだったんだね」
 ガラスの中に捕らえられているカリンカは、ポロスが手にしている包みにくぎ付けになっていた。やわらかそうな毛布にくるまれているのは、京卦の頭部に違いなかった。
「きみも同じ事を考えていたようだね」と、ポロスは出入口に向かいながら言った。「きみが持っていた小瓶と彼女の頭部があれば、十分に彼女を蘇らせることができるだろうよ。彼女が復活すれば、後は扉がどこに行ったのか教えてもらえばいい。退屈だろうが、きみはここで待っていてくれないか」
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肉片(ミンチ)な彼女(63)

2016-12-10 11:22:46 | 「肉片(ミンチ)な彼...
「私はポロス。もう、ここまでにしよう―― 」
 はっきりとした口調だった。温かな温度を感じる声だった。優しさをたたえた目は包みこまれるようで、とても敵には見えなかった。
「――誰だ」と、叶方は言ったつもりだった。

「京卦の体をどこに隠した」

 と、激しい勢いで、また叶方の思いもしない言葉が口をついた。
「悪く思わないでくれ」
 ポロスが、軽く足踏みをしたとたんだった。ドシン――と、重たい物の落ちる音が聞こえた。
 叶方の姿が、消えた。

「ここから出せ!」

 叶方の声だった。
 ポロスは無言で、叶方のいた場所に足を進めた。
 床が、大きな円を描いて崩れ落ちていた。叶方は、黒く口を開けた穴の底に立っていた。見れば、落とし穴の壁に手がかりになるような繋ぎ目はひとつもなく、登ってこようとしている叶方は、うらめしげな表情を浮かべながら、やみくもに壁をひっかき続けていた。
「仲間から連絡をもらったんだ」と、気の毒そうな顔をしながら、ポロスが落とし穴の底を見下ろした。
「早く、ここから出せよ」と、顔を上げた叶方は、呪いをかけるように叫んだ。
 ポロスは、申し訳なさそうに首を振った。
「それはできないな」と、落とし穴から離れて、ポロスが言った。「きみは青騎士の能力を使うんだろ。切られたくはないからね、だから仕事が終わるまで、当分そこにいてもらうよ」

「――きさま」

 叶方は、繋ぎ目のない黒い壁に爪を立てた。爪を立て、ひっかき、壁に飛びついた。なんとか登り上がろうと、倒れる度にまた繋ぎ目のない壁に挑んでいった。しかし、いくら爪を立てても、硬い壁には傷ひとつつけられなかった。
 ポロスは事務所の机に腰を下ろしながら、考えるように正面の窓ガラスに目を向けた。
 カリンカのマスコットが、外の夜を隔てている窓ガラスに張りつけられていた。カリンカの姿は、ガラスの正面にいるポロスにしか見ることができなかった。ガラスと一体化したマスコットは、見る角度がずれると、光の屈折によってその姿をまったく捉えることができなかった。
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