山口大学山岳会

山口大学体育会山岳部のOB、現役部員、及びOBの山岳関係者の情報交換、近況報告を目的にしたブログ

大山登山のみなさん天候に恵まれ良かったですね」

2011年04月16日 23時09分02秒 | Weblog
41年卒真鍋です。
広島組さんの大山登・蒜山登山報告レポート、懐かしい皆さんとの思いでとともに楽しく閲覧しました。コメントが長くなるので、別途投稿にしました。
今年の大山は雪が多く、中の原スキー場は営4月3日まで営業していたそうですね。昨年は雪不足で3月初めに閉業でした。
今回の七人のサムライの内5人の方々とは、学生時代には共に北アの雪山に挑み、猛吹雪、寒波、ラッセルに苦労したこと、頂上に立ち、快晴の雪山に感動を共有し合えた懐かしいメンバーです、皆さん、日焼けか、バックの青空のせいか、皺も見えず、ご元気そうで、若き日の姿に見えます。
私は、2000年から毎年大山に所属するスキークラブの合宿ツアーで行っています。福岡からバスで7~8時間を要します。雪凍結状況により、山陽道、中国道を通ります。蒜山PAでのヨーグルトを土産買うことがあり、時には宮島SAで紅葉饅頭を買っています。
今では、雪山に登るのはリフト、ゴンドラ、ロープウエイで、上空から雪の景色を眺め、下りはスキーで、冬の大自然の中で思い切り体を動かすことを楽しみにしています。雪深き山の斜面を上から眺めていると、昔皆さんと北アの豪
雪に挑んだこと思い出されます
今年は最後の機会と、裁かれるのは嫌な年齢ですが、スキークラブの3Gこと(真鍋68歳、K氏70歳、T氏73歳)、でSAJ(全日本スキー連盟)の認定指導員(インストラクター)検定を受験し合格しました。修学旅行の学生にインストラクターとしてバイトができますが、高校の教師をしている息子曰く「教える方は良いかも知れないが、爺さんに教えられるのは堪らない」でした。特に女子高校生にとっては、爺さんイントラクターでは、スキーの興味は失せ、講習を放棄し、雪合戦で「キャー、キャー」はしゃぎ講習は無理かも?
私の少年時代の徳佐は豪雪で家の裏山の孟宗竹を割って釜戸で温め曲げた竹スキーの先端を荒縄で結び、それを手で持ち、長靴で乗って自然に覚えスキーのバランス感覚、これが私の悪癖としてスキー講習で指摘し続けられましたが、その悪癖が、今日では理にあった滑りと認識されたように思います。SAJの新教程「自然で楽なスキーの進め」の基本的概念は、何も教えない子供達がやるターンの技法に大きなヒントをつかみ、重力を活用し、筋力を出来るだけ使わずない、力まず、楽で、シンプルな技術を基盤としており、70歳、80歳いくつになってもスキーが続けられ進化成長するこことにより人生の喜び、楽しみを享受することだそうです。つまりキーは外向外傾姿勢で、格好良い姿で滑るこが求められてきましたが、今日では逆で内向内傾、内倒気味、かかし滑りが楽で、長時間滑っても疲れが少ない合理的な滑りと認識されて推奨されている。私子供の時覚えたオリジナルな滑りに近い技術の妥当性が認定さていると思われます。
私は福岡市と山口徳佐を行き来しています。冬の徳佐は寒く雪に覆われるため、冬の2~3ケ月は徳佐を脱出しています。広島組さんにとって、芸北スキー場は近く、浅田さんは地元に居られ、YUACスキー合宿しませんか。高齢でスキーを始める人が多い今日です。
2月27日に徳佐にきましたが、寒雨、霜、降雪で、外での作業ができず悶々としていましたが、3月11日は広島県の191八幡スキー場に行き、15時前に車で帰途についた途端にラジオで地震・津波情報が発せられました。今だ余震は納まらず、関東のOBの皆さんにとっては、落ち着かないことでしょう、御見舞申し上げます。日本列島が沈没してしまうのではないかと憂っています。一旦福岡に帰り、何かをせねばと献血に行っても、駐車場は一杯、長い時間待ち、僅かですか募金してきました。献血はあらためて行くことにしました。
徳佐は、別荘とは言い難いですか、トイレの水汚化、風呂、台所の改良は専門業者に委託、天井、内壁外壁は自ら、DIYで改修しています。概ね改修はできました。特別良い環境とは言い難いですが、願成就温泉には車で3分位、津和野には15分位です田舎の風情を求める方、機会があったらお越しください。歓迎いたします。
1月12日~2月8日まで、北海道富良野スキーに行きました。最低気温―24℃、暖かい日でー5℃でしたが、富良野は天気が荒れる日が少なく、内陸にあるため、パウダースノウ、宿は安い民宿風旅館でスキー場、歩いて約5分、リフトシーズン券を買い、飛行機はクレジットのマイルを貯め、滞在中はリュックを背負って、バスでスパーへ、酒類、つまみ、昼食にインスタント物買い出し、時に隣のホテルでビフテキ食べ放題の昼食、富良野の市街のジンギスカン、居酒屋へ、
知り合いに、富良野出身で、夏は福岡の奥さん実家で植木職人、冬は富良野スキー学校の指導員(SAJの公認指導員)をしている、同じキークラブのNさんに、最新のスキーの講習うけ、Nさんの案内で十勝岳山麓の白銀温泉に、露天風呂では、髪の毛が凍ってします。
富良野に長期滞在していると、同じスキークラブの人や、福岡からの来る人達と交流ができ、仲間となり、一緒に滑ったり、夜は宴会になったりします。
その人達と撮った写真を添付します、背景の山は、富良野岳、十勝岳、トムラシ山、美瑛岳、左端遠方に旭岳が眺められ、快晴の時は素晴らしい光景です。

伯耆大山・蒜山山行報告

2011年04月09日 14時29分23秒 | Weblog
 4月3日 
  竹本、吉野、河崎、淺田で米子自動車道を軽快に走る。天気が良いので会話もはずむ。蒜山サ ービスエリアに来ると雪をかぶった蒜山と伯耆大山が目に飛び込んでくる。蒜山にこの時期雪が あるのは三年目で初めてである。
  溝口ICを降り大山寺に向かう。道だけはきれいに除雪してあるが両脇は雪の壁である。桝水 原から大山をみるとびっしりと雪が付いており心が引き締まる。3時半参道の上の方にある山楽 荘の駐車場に到着する。このあたりで残雪1.5mはあるだろうか昨年と偉い違いである。
  1分~2分違いで松隈さん奥本さんが到着再会を喜ぶ。風呂に入り、早速酒盛りとなる話は尽き ない4時半地木さんが到着する。これで七人のサムライが揃う。地木さんの釣ったヤマメ・アマ ゴの甘露煮が出されますます宴が盛り上がる。
  6時より精進料理による夕食と宴会が始まる。話の中で、チーフリダー松隈さん、サブリーダ ー地木さん、トップを河崎さんとする。文章で登山届けを出すことになる。山岳会の奥本会長に は中・四国 支部が真面目に活動している事をじっくり視察してもらう。
 後は、地震のこと,原発のこと,今後の経済のことなど熱弁がなされる。テレビでのそれぞれの話 よりも分かりやすく納得する。部屋に帰ってからも酒と話は続く。明日の天気の心配はないので 心も弾む。
 4月4日(晴れ)
  6時起床、7時朝をとる。8時5分出発する。外は氷点下で雪も凍っている。天気は良いが頂 上付近では風が吹いているように見える。7人とも二日酔いはいないし、顔つきは引き締まって いる。夏山の登山口から雪は1.5mはある。足跡はあり登りやすい。樹林帯の中を50分歩き休 みをとる。ここでアイゼンをつけるよう指示が出る。4本爪、6本爪、8本爪、12本爪とバラ エテーにとんでいる。奥さんのを借りてきた御仁もいらっしゃる。アイゼンが快く効いてどんど んと高度を稼ぐ。樹林帯を抜け稜線に出ると風が強くなり突風が出てくる。時々姿勢を低くし風 が収まるのを待つ。6合目の避難小屋毎年休むので探すが見あたらない。どうも積雪が多く雪の 下のようだ。急な稜線を注意しながら8合目あたりまで登りつめる。ここらあたりから風も弱ま り斜面も緩やかになる。例年木道が出ているのだが雪に覆われ、部分的に出ているだけである。
  11時8分、全員元気に到着する。記念写真を撮り、風が強いので屋根だけ出た頂上小屋に潜り 込む。昼食を取り12時50分下山開始する。相変わらず稜線は風が強い注意を払いながら降り る。途中から元谷への道を探りながら降りる。視界は良いのでおおよそのルートで降りる。元谷 小屋のある堰堤よりだいぶ先の堰堤に降りる。トラバースすると大山神社の参道に降り付く。
  午後2時40分頃山楽荘の駐車場に無事到着する。無事な事を喜ぶ。
  4時過ぎ皆生温泉近くのうなばら荘に入る。シニア料金が設定された我々に適した宿である。  いつものごとく温泉に入り、その後は飲むことと、だべることしかない。もっぱら天気の良か った大山登山の話が中心である。前日と同じく食事の時も酒、部屋に帰ってからも酒三昧でし  た。
 4月5日 快晴
  8時に蒜山に向けて出発する。天気は雲一つ無い快晴である。昨日とは変わって,風もない。
 晴れ男の地木さんに感謝するのみ。
  上蒜山スキー場の駐車上を9時5分に出発する。登山口から雪があり夏道を探しながらすすむ
 なかなかルートが探せないので直登するも、途中から日当たりの良いとこがあり、雪が無くブ  シュの中に入り藪こぎを強いられる。ワンピッチでようやく夏道に出る。5合目あたりからは
  1メートル位の雪道が延々と続く。大山の方が楽だわいのつぶやきも出る。八号目あたりから 大山の眺めがすばらしいい。12時50分くらいに最高地点(1202)に到着する。
  3時15分に駐車場に到着。奥本会長の視察の講評を受けた後現地解散となる。
 天候と良き岳友に恵まれ楽しい山行きでした。
 画像フォルダに写真を入れますので見てください。
  淺田記