山口大学山岳会

山口大学体育会山岳部のOB、現役部員、及びOBの山岳関係者の情報交換、近況報告を目的にしたブログ

遭難碑再会その2

2015年10月30日 17時42分10秒 | ナンガパルバット
 遭難碑に関わって、情報を頂きましたので報告させていただきます。
 情報をいただきました河崎さん、林さん、山本さんに感謝いたします。
 
 設置したのは昭和54年10月26日~27日です。その当時現役の土肥、大山、倉重、山口、OBの山 本、光田氏達で苦労して設置されたようです。
 設置場所の選定は それ以前に現地におもむき決定されたようです。そのメンバーは河崎氏と何名かの OB(不明)です。
 レリーフの銅板は日立電線の高級品無酸素銅でOBの井上靖さんが提供されました。
 碑文については河崎さんが橋崎さんとの交流があることから次の事がわかりました。お母さんは現在も ご健在で、河崎氏より写真を送ると「何年経っても思い出して下さる方があることに感謝しておりま  す。とのことでした。又妹さんから、碑文の「恩愛はなはだ絶ち難し」は葬儀をして頂いたお寺の住職 さんがどうですかと教えていただきました。この言葉は浄土真宗の開祖親鸞聖人のもので、親子の縁は 永遠ですよというものでした。またレリーフの文字は父の直筆ですとのことでした。

 翌年の昭和55年8月2日~3日河崎氏が企画して追悼登山が行われました。両家のご両親も参加され 現役、OBも多数参加され、プレートの前でしめやかに追悼しました。その後も合宿や個人山行き慰霊が
 行われたと推察いたします。この度、その場に立つと追悼の跡がみられました。
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   淺田記

  写真は27年9月29日の鹿島槍ヶ岳

   

鹿島槍遭難碑レリーフとの再会

2015年10月08日 09時58分09秒 | ナンガパルバット
 広島3人(吉野、竹本、淺田)、9月29日に鹿島槍ヶ岳に登ってきました。5年前に鹿島槍に登りましたが、悪天候の為遭難碑レリーフを見つけられず心残がしていた。今年は天気の良い日を狙って行くことにしました。
 9月27日に車で出発、3人で交代し、12時間掛けて大町市に到着。
 9月28日(晴れ)扇沢の駐車場に車を止め柏原新道を8時15分出発する。紅葉もはじまっており、稜線が見え始まると素晴らしい眺めと成る。午後1時過ぎ、今夜の宿泊地種池小屋に到着する。ここにはジョッキの生ビールがある。さっそく乾杯うまい。
 9月29日 天気は良いが風が強く,寒い。6時出発、8時半には冷池小屋に到着。要らない荷物を置いて鹿島槍に向かう。富山側からの風は強くつめたい。天気は良好である。昼前には頂上に到着する。剣岳、立山方面、五竜方面、遠く槍ケ岳、南アルプス、富士山が見える。
 早速、3人で手分けして、遭難碑レリーフをさがす。この度は天気も良し余裕をもって捜す。35年前、追悼登山で見ているとはいえ、記憶が定かで無い悲しさ、なかなか見つける事が出来ない。「あったぞ」竹本さんの声 よかったと嬉しくなる。回りをぐるりとはえ松に囲まれた斜面のガレ場の中にしっかりとレリーフがボルトで止められている。ボルトはさすがに錆びているが板しっかりしている。この板を製作された方、下にコンクリを打ち、ボルトで止められる作業をされた方々に感謝する。
 早速、線香を焚きお参りし、橋崎、天野両君の冥福を祈る。回りにはかってお参りされた形跡がみられる。竹本さんの話によるとあと30年は大丈夫だろうとのこと。場所は頂上の標識から真東10m下の回りをはえ松にかこまれガレ場
 3時には冷池小屋にかえりビールで乾杯する。
 9月30日 相変わらず風が強く、水や木々が凍っている。6時下山開始、途中今年も雷鳥2羽にであう。種池小屋を過ぎ柏原新道に入ると風もやみ
楽になる。1時前には扇沢におりる。