夢幻に遊ぶYujin Koyamaの絵画と小説の世界を紹介します!

意外な人間の姿、風景に、きっと出会えるでしょう。フランスを中心に活躍する小山右人の世界を、とくとご堪能下さい!

2020/01/15

2020-01-15 23:44:00 | カルチャー
#読書#フランス#朗読#小説 #作家
【朗読部分を日本語で公開いたします】


【朗読部分を日本語で公開いたします】
 2020年1月18日(土)に、アンスティテュフランセで行われる第3回読書の夕べで朗読致します私の小説、「隠された絵」の序章について、当日まで公開することにしました。
 フランス語のみでは、多くの方にとって難解なこと、翻訳者のマリー氏が大変気に入り情熱を込めて受け入れてくれたテキストでもありましたので。
 当日、日本語とフランス語を併記したプリントをお配りいたしますが、それまでに、およその雰囲気をつかんで、さらにフランス語での味わいを深めていただければなお素晴らしいと思った次第です。

   隠された絵
 

                           小山右人




         序

 故郷の画室に、人目につくことを恐れ、かれこれ四十年余りも経ってしまったでしょうか、頑なに封印したままの絵があることが、常に頭の片隅に引っかかっていました。が近頃、記憶の暗幕に、恥じらいを含んだ眸を煌めかす乙女の、乳白色の横顔がしばしば甦るようになってから、もう何ヶ月経つでしょう? たしか、まもなく導かれる未知の体験に戸惑うように、唇に小指をそっと添え(あるいは、その端を、軽くくわえていたか?)、しかし高鳴る胸を押さえ切れない、とでもいうふうな表情を浮かべた横顔ではなかったか・・・。それだけ精緻に描き切れた手応えが、今でも残っていました。その中でも、上目遣いに向こうの峰を望む、深い潤いを帯びた眸はとくに印象的で、記憶の奥底から登ってくる度、かつて描いた時より、眸に宿る光の澄み具合いが増すと、感じられたほどでした。ひとたび封印したその絵に取り憑かれるや、居ても立ってもいられない気持ちになり、慌ただしい東京での仕事の合間、一点の絵のために帰郷の都合がついただけで、救われた気がしたほどでした。実家に帰り着くや、ふいの帰郷に驚く老父母に言い訳もそこそこに、描きかけの絵で散らかり放題の、そっくり画室として保たれた小部屋に踏み込むと、思わず深々と腰を落とし、帰郷の際は毎度のこととはいえ、懐かしさに浸らずにはいられませんでした。様々の思い出が渦巻きだしましたが、うず高く積まれ山なすキャンバスの一隅に、色濃く浮かび上がってきたのは、やはり件の乙女の横顔でした。緊張が高まり始めたせいでしょうか、その顔は、東京で想う以上に詳しく、不安に脅えているというよりむしろ、実は、辺りを包む大きな自然ごと全てを受け入れ、身を委ねようという気持ちを表す表情だったのではなかったか、という気がしてきたのです。記憶の断片が手をつなぎ、さらに明るむと、乙女の横顔に淡い夕陽が射し始め茜色に染まって息を吹き返す気配。と、その鮮やかさが俄かに稲妻の殺気を帯び、眼前に鋭い閃光がひらめくのを見ました。直ちに私の脳裡に、作品の存在を堅く信じ、四十年余り、一目それを見ようと待ち続けている人の険しい眼差しが過ったのです。その絵に含まれるごくわずかな謎解きの手掛かりにでもすがるように、なぜ美しい二人の道行きが、お互い地上の至福にまで上り詰めながら実らなかったか、切に真の理由を求める彼女の家族の思いも折り重なり、迫ってきたのでした。いよいよ高まる思いで堆積したキャンバスの奥に逞しい想像を馳せると、熱した目蓋の裏に情景の断片が交錯し、衝突の火花が閃くたび、息詰まるほど透明な絵の全体が明々と浮かんできました。思えば間もなく対面しようという絵は、若者の純粋な愛の深さを、図らずも表し得ていたと、その自信のほどが記憶にこびりつく大きな要因であったと、思わず自作であることも忘れ、内面に浮かんだ絵に目をみはりました。が一方、表面の薄氷を踏む脆さとガラスの透明感は、激しさを奥に秘めた愛の成就の難しさ、まして未来永劫の幸せなど望むべくもないと、はからずも吐露しているのが、今頃見えてきた気もしました。確かに稀な恋は、妬みに裏打ちされた悪魔の高笑いのごとき情の迸るまま、完膚なきまで弄ばれ、悲惨を越えた道にまで追い込まれてゆきます。私はひたすら虚しく救いを求め、ニーチェの「悲劇の誕生」にすがり、むさぼり読んでは吠え、息も絶えだえになりながら描いた情景まで思い出しました。その断末魔の情景を映す心の劇場では、デュオニュソスの歓喜と祝祭に湧く楽園から、最後の悪足掻きを試みるも虚しく追放され、もんどり打って暗黒の谷底へ突き落とされていく無様な自分の姿がありありと見えました。が、後年、冷静な視点を得てみると、私の生涯一の恥辱と感じられたその衝撃ですら、未だかすり傷程度の序の口に過ぎなかったのだと、思い知らされます。何よりも、誤解を植え付けられた彼女がたやすく私を裏切り、引き裂かれていくのが耐え難かった。私の脳裡を、寝ても覚めても、酷い悪夢が過り続けました。それは、かつて見たどんな血みどろの絵図にも勝るもので、最愛の恋人を凌辱される、これ以上の地獄絵図を想像することなどできたでしょうか? もし私がそれを絵に実現し得たならば、間違いなく耳目を驚かす稀な絵巻物となり得たことでしょう。しかし悪夢の話など平然と語っていられるのは今でこそ、当時私は、彼女との間柄を引き裂こうと、敵に変貌した魔女ともまごう人物から、次々繰り出される老獪な仕打ちに逆らえる手段一つなく、彼女の目から見ればなんと頼りない男と映ったことでしょう。案の定、事態は極まる一方で、彼女は私が裏切ったと疑わず、しかも悪意ある人の力こそ加勢を得る一方なのに、のぼせ上がった若いだけの私たち二人は孤立のみで、存外易々と窮地に陥れられてしまったのです。私の狂気は、ご想像に余りあるでしょう。酒を煽り、色を漁り、支離滅裂な言動を喚き散らして酔い潰れ、数ヶ月、自らも制御不能の危うさ。かろうじて他人を傷つけずに済んだのは、奇跡としか思えず、他ならぬ絵の世界があったお陰だったのかもしれません。しかし、その絵にも、私らしからぬ異変が描かれていたものだと、当時の心模様が読み取れてきたのも、長い時の内に成長した成果だったに違いありません。愛が想像を越えた破綻や苦境にまで追い込まれると、むしろ燃えたぎるかと錯覚される作品が生まれることがしばしばあります。愛に完膚なきまで裏切られた酔いどれ詩人が、孤独の淵からつぶやく毒舌が、世界中の人々の魂を揺さぶったり、刺々しい文明社会に愛想尽かした芸術家が原始社会に移り住み、素朴な愛に触れ生み出した作品が、逆に元の社会に温かく受け入れられたりと、人心の伸縮自在、気まぐれには呆れる他ありませんが、その伝から言えば、この乙女の作品も、例外ではなかったのかもしれません。私は自分の狂気を裏切るために、精一杯透き通って静まり返った絵を描いたのだと、今頃になって納得したような気にもなっています。ではなぜ私は、半世紀にも達しようという今頃、ようやくこの絵の封を解き、存在の証を示し、自分も向き合おうと一大決心をしたのか? 理由は、この絵画作品を巡る真実が伝えられないまま、近い将来世を去るのが不甲斐ない気がし出した、というのがまず一番の大きな動機でしょう。が、私の思いつきは報われるにしても、不用意な露顕によって、不快に傷付く人もいるはずです。剣幕を露わに、せっかく皆が忘れた「醜聞」を、自分で蒸し返す気か? と、迫る人の顔が浮かぶようです。しかし、未だ描かれた本人さえ、当時の唐突な断絶の背景に隠された真実を知らないままでは、魂も浮かばれないという歳頃に、関わった人々もすでに差し掛かる、いわば瀬戸際に晒され始めたのです。
当時、東京といえども、正視するのもまぶしく、人目を驚かせずにおかない彼女ほどの娘となると、まずそう易々お目にかかれることもなかったでしょう。もちろん女性の美貌が他の価値に勝るなどと主張する意図は毛頭ありません。が、彼女と言えばその突出した美貌であり、その周りで起こった事柄、事件も、ほとんどそれに因る特異なものだったことは間違いなく、この度その経過にのみ焦点を当て、書こうというだけのことです。さて、長年月、ぼんやり人混みを眺めるたび、街の灰色のうごめきの一点から、もしや華の明るみが射しはしないか、つい探らずにはいられませんでした。が、例えば何気なく振り返らせる程の美貌になら、稀ならずお目にかかることはありますが、いかに口うるさい人をも押し黙らせる、神秘と紙一重を競う彼女ほどとなりますと、生涯に渡ってもう二度とお目にかかれまい、ましてや自分の腕に抱き締めまじまじ愛でることなど、とうてい不可能、という思いに暗澹となり、逆に急速に募る思いも高まってきて、制御し難い気分に引きずり込まれていってしまうのです。あの出会いの奇跡が、より得難い価値を帯びれば、私に背を向けた敵方の、二人の間柄を壊しにかかった老いぼれの、邪悪極まりない妬みにしても、競って根深い陰を誇示して絡みつき、私の首を絞めたのです。うす闇に潜み絶えずつけ狙う黒い影の脅威、滅多に人は遭遇しないであろう恐怖が骨にまで食い込み、後々まで疼くことになろうとは、当時想像も及びませんでした。人格を超越した神秘に至る美を一人が独占してしまうと、まばゆい慶事に恵まれるのはごくわずかな祝福によってのみで、一方、他人には計り知れない嫉妬を引き起こし、その結果二人の大部分の逢瀬が腐敗した悪意ある仕打ちに穢され、いったんヒビが入ると、当事者双方の欲望の醜さまで露わになった気がして、いよいよ悲嘆に暮れる日々が始まろうという様相でした。まさにこの絵は、その頃の稀な恐怖から命懸けで逃れようという必死の思いが結晶した、皮肉にも真逆の静謐の境地を表していました。しかし自ずと、最初は作者の意識を反映してキャンバス上に凍え縮こまっていた魂も、四十年余り経ち状況がすっかり変わればじっとしてはおられず、破裂の勢いにまで達して私の心に迫る気配だったのです。・・・