中年オヤジNY留学!

NYでの就職、永住権取得いずれも不成功、しかし、しかし意味ある自分探しに。

平成くたびれサラリーマン上海へ行く (最終回・あとがき)

2018-09-24 11:34:31 | 小説

今回でこのシリーズは最終回を迎えます。
全編を通して読んでいただける方に、一行でも、ワンフレーズでも心に残ることができたら光栄です。






その12 最終回)+(後書き)
( 又、いつしかの船出 

 裁判は、この事件の担当書記官の援護にも支えられ翌年の5月に結審し、一月後に次郎は勝訴を得た。
あとは、次郎に出来る事は、早くこの件を忘れる事しかなかった。
劉さんと不幸な出会いをした事、結婚に至る前に既に、何か彼女の不可思議な行動があったにも拘わらず、次郎が踏みとどまれなかったことにも非がある。
劉さんに騙されたにしろ、結局は全て自分が悪いのだと、理解している。

サラリーマン勤めは毎日がストレス・・・
この背景には、次郎の歪な(いびつな)誰にも有りがちなサラリーマン生活にあるのかもしれない。
自分の余りあまるエネルギーを押し殺し、あたかもハタラキ蜂のように自分の役割を限定し、埋没しなければ生きられない会社人生。
会社では目立たぬよう、自分の輝かしい過去は間違っても社内では言わぬよう。
去勢された牛のように体の中にみなぎる、時には“良い意味での闘争心”時には“正義感”をも全て封じ込めなければいけない、サラリーマン生活。

しかもこうした社内での抑圧で、自分が意思に反し、捻じ曲げられているにもかかわらず立場上は“平静”すら装う生き方。
例えて言うなら、次郎に落ち度が無いにもかかわらず、とりあえず上司としておこう、その彼に怒鳴られ、それに怒りも反抗もできず、むしろ笑って自分から取り繕うバカ人間を演じる奇妙な大人になっているのかもしれない。

これは次郎だけに限らず、多くのサラリーマンが日常経験していることである。
この欲求不満状態を解消するために、一部の人達は時には酒で紛らわし、そして賭け事に、日頃の抑圧のはけ口として、肉体と金銭と時間を昇華している多くの人達がいることは確か。

しかし自分ではどうにもならない会社はともかく、次郎個人としては、もっと自分の体の中にある人間のダイナミズム(人間本来ある内に秘めた力や才能)を揺り起こす生き方を願っている。
時に人は一瞬の出会いや経験で、人生は舵を大きく取る・・・

ふと面識の無い人と偶然に会ったり、経験したことのない事から得られる、“利智”。
もしかして、未知や異質なものを引きつけられるのは、本来は少数派だけでも生き延びるための、生命の防御本能だったかも知れないと次郎は時には思う。
本流から離脱するのは劣性な行動にも見えるが、意外と劣性は一種の防衛あるいは進化の一形態なのかもしれない。
なぜなら、本流に留まれば、万一全滅の際にはその種が全てが全滅する、そして何も残らない。
ある高校の国語の教科書に渡り鳥なのに、時折群れと行動をともにせず何故かその地に残る鳥もいると書かれていた。

もしも、神が次郎にその未知や異質なものとの遭遇の役割を課したのなら、そのために、自分の余りあまるエネルギーをミッション(使者)というには大げさかもしれないが、そのために使いたいと願う。
だから、劉さんの件は失敗である事は確かだが、しかし次郎はどこまでも人の意外な生き方を望んで止まない。




(とりあえず日常へ・・・)
裁判が決着して、この頃では、次郎の心にも静けさが戻った。
そして今朝も駅のホームの同じ場所で、同じ時刻の電車のドアの前で、決まったように電車を待つ出勤途上の次郎を見ることができる。
そして、ひとたび、いつもの時刻の電車に乗り込むと、やや混んだ電車の中で、見慣れた髪の毛の薄い紳士が彼の指定席ともいえるいつもの場所の座席を陣取りスヤスヤと眠り、また別の長髪の中年男性がこれまた、いつもと同じ姿勢で反対側のドアに寄りかかっている。

“皆、変わらないな!真面目だな!いつもの時刻の電車、同じ車両、そして毎日ほとんど定位置、何時ものスタイルで乗車”と次郎。
そう言う次郎自身も、そんな一人なのだが。

しかし、いつも通りの生活をしている平凡な誰もが、何かの折りに触れ、そのいつもの生活から外れ、突然に人生の大航海を始めることもあるのである。
(終り)





( あとがき - 時には異端児を貫く )

まずは、この作品のご拝読に、感謝したい。
この作品は、読者の皆さんはお気づきと思うが、国際結婚を否定するものでもなく、又そのトラブル解説書でもありません。
あくまで、そうしたテーマを引用しつつ、変わりつつある日本と益々身近になってきた異文化との出会いをこの作品の舞台としました。

又、この作品から離れて、私達の現実の生活に目を向けても、折からの日本を含めた世界経済の大変革、一般の市民が今まで以上に変わらざるを得なくなってきています。

コンピューター・携帯端末を中心とした飛躍的発展、英語を中心とした言語の世界標準化の大波、結果として中高年のみならず若年層を巻き込む労働市場にも変化の波が押し寄せて、今までに無かった状況に突入しています。

ただ、この作品のなかの主人公、松尾次郎のように、従来通りの社会が崩壊しつつあるといえども、多くの会社人間は以前と従来型の社会に属し、自己の個性を殺し、ある程度の服従を余儀なくされています。
そこへ、春先の湖上の氷のように、サラリーマン社会の足元もぐらつき始める。
次郎のようなサラリーマンにも、異文化や英語、コンピューターに代表される世界共通化文化への脅威へ、同時にそれらのトレンドに興味を注がれるのも当然の成り行きのように思えます。

たまたま、この作品の主人公、次郎は上海にて何らかの一歩を踏み出したが、運悪く頓挫してしまった。
しかし、次郎の行為を、単に愚かとか、軽率とか評価は出来ないでしょう。
次郎のような平凡なサラリーマン生活を送る人も、体の中に眠る冒険心を揺すり起こす機会が突然現れるかも知れません。
結果の成否よりも、今こそ、私達に問われているのは、太古の昔、私達の祖先が危険をおかし遠い海の彼方からやって来たかもしれないことを、そして彼らの勇気を思い起こす時ではないでしょうか。
2000年 9月(作者)


平成くたびれサラリーマン上海へ行く (その11)無秩序からの解放

2018-09-13 13:18:02 | 小説

(ここまで) その10から投稿に間がありました、すみません。
原稿を読み直し、書きたいことは沢山有るものの、過ぎると力み過ぎで有ったりと修正。
かと言って、自分からの心の叫びを記せずして、読んでいただく方に申し訳ないしと時間がかかりました。



その 11)
( 無秩序からの解放へ 

それからというもの、次郎の試行錯誤での訴状の作成が始まった。
新たに、六法全書を買い、訴状となる粗書きは、黄色や赤のマーカーや、重要な所を示すインデックスで、さながら大學の卒業論文作成にも似たものとなった。

そんな中、劉さんが次郎の家から姿を消してから初めて次郎に電話をかけてよこした。
意外だが、次郎にすればまた当然でもあった。
直感で次郎は、彼女の日本での逃避行は思うようにいっていないと想像。
大卒の日本人すら“就職氷河期”と呼ばれる2000年前後、まして彼女は日本語を全くしゃべれずサバイバルすることは困難だろう。
この世の何処に楽に暮らせる楽園がある?

(彼女は戻りたいと・・・)本人は上海からの国際電話だという。
彼女は、家を急に出たことに申し訳なかったと詫びたあと、実は彼女の例の副業でもある服が中国で任せてきた友人とトラブルが発生して、急きょ中国へ帰らなければならなかったという。
そして、今は一応解決したので、次郎さえ良かったら日本に帰ろうと思っているという。
最後に、次郎に今でも自分のことを好きか(戻ってきてほしいか)?と締めっくった。

全てが、次郎には遅く、心の整理は終わりかかっている。
次郎が一人で悩んでいる時は、彼女は無しのツブテ、次郎には今更という感がする。

それどころか何か恐ろしい事を企んでいる人は、もう必要ない、次郎の家に帰る必要もなかった。
今となっては、彼女が突然家を飛び出してくれ、彼女の目的をはっきり分るように次郎に示してくれて、むしろ良かったと受けとめている
家に彼女が居て、次郎の留守にコソコソやられた方が地獄かもしれない。
次郎は、彼女に帰ってくる必要はないし、もう電話をしないよう伝え電話を切った。

国際電話と彼女は言ったが、それは“ウソ”で、彼女が日本の何処かにいることは間違いなかった。
命からがら、大金を中国現地のマフィアに支払い(当時、偽装結婚の相場は日本円で200万円)日本に密航してくる人がたくさんいる。
劉さんにしても、やっと手に入れたビザで、わずか数日で日本を離れるわけはないと。
そして、今になって電話して来たのは、彼女は当初に自分が思った通りに稼げず、計画の愚かさを知り、やはり次郎のもとで雨風をしのいだ方が得策と判断したのだろう。
しかし、次郎はもう彼女にはゴメンである。
それにしても、今回の件に関し、次郎のツケだけが重く残ってしまった。




(未確認情報でも翻弄しあう中国人達)
彼女が服の副業に手を出し、失敗したので金をくれ、ダメなら貸して欲しい、その後そのトラブルで上海に戻り、そして解決したので戻りたい。
仮にもファッションに精通し売買を生業と志すなら、時代遅れの皺だらけのコートを誰がこの冬の準備に次郎の部屋に持ち込むか?
騙すにしても、何と幼稚な筋書き

思えば中国人は“ガセ”も含め、不確定情報でも“金づるにしようと”いとも簡単に飛びつく。 かつて次郎の連れの女性達とタクシーに乗り合わせた際も、初対面同志の運転手も彼女達もおとなしく乗車してない、どちらかとも無く話しかけ話が盛り上がり、最後には電話番号の交換をする。
日本人にしたら恐ろしい話である、まして女性でもいきなり見知らぬ運転手と電話交換

そして個人レベルでも必然的に“蜘蛛の巣”のように張り巡らされる人間のネットワーク

何せ中国に行くと、来客中でもお構えなしに男女を問わず知り合いの電話への着信の多い事、おかげで当事者の会話は度々中断する。 何と落ち着きの無い文化だ

中国13億人、男女、学生、正規非正規、公務員、未婚既婚を問わず会社等に所属の有無にかかわらず、一方で個人自営業を兼ね、他人の軒を借りつつ、次なる”ホット・スポット(熱烈市場)“にキョロキョロしていると言っても過言ではない。
次郎と劉さんの国際結婚もイタコ商会の山下を端に中国人ネットワークに繋がる産物であり、また次郎のように変に持て余したエネルギーの余っている中年の所業である。

(裁判所の扉開く)
そして、事件は未だに解決されていない。
訴状の下書きは、何度も何度も書き直された、少しでも裁判所での印象を良くしようと。
証拠の書類を訴状に添付し、正月を直に控えた十二月の暮に、次郎は東京地方裁判所に訴状を提出した。
次郎にとって、訴状が受けつけられるか否か?心は薄氷を踏むが如くハラハラしていた。
ズブの素人が書いた訴状を地方裁判所が受けつけるか?
もしも、拒否されたら、その先どうして良いか全くわからない。

しかし、意外にも裁判所の受付の担当官は次郎の訴状に最初から最後まで目を通し、割り印の足らない所だけを指摘し、その場で次郎に修正させ、訴状は受理された。
ついに素人の次郎の訴状が受理されたのである。
これにより、裁判が開始されるのだ。

次郎は人間には不思議な力が有るものだと思う。
今まで弁護士にしか裁判をすることは出来ないと信じ込んでいたが。
確かに劉さんとの婚姻解消のために数冊の裁判関係の専門書の購入、弁護士のカウンセリングを数度受けた。
しかし大事なことは“貫徹しようとする情熱と勢い”なのかもしれない。

きっと難関大学に合格したり、難しい国家試験に合格した人達は困難を>“情熱と勢い”で一日一日少しずつ制覇し続けた人達なのだろう

今回、何故かわからないが、次郎は何時か分らないが、この裁判に勝つ予感がする。
裁判所を出る次郎は久々に、心が晴れ晴れしていた
次郎は、冬の外気に触れ吐く息を白くさせ、思わず“勝つかもしれない”と叫んだ。


(つづく)

平成くたびれサラリーマン上海へ行く (その10)一条の光

2018-07-30 21:00:00 | 小説
(ここまで)主人公、松尾次郎は上海での嫁さん探しに失敗し、困りに困っています。

若い時は人間は年をとると馬鹿みたいな”ヘマ ”はやらないと思っていました。
先日、個人的に約30年振りに一時期、一緒に働いた仲間(従業員)と同期会を催しました。
嬉しいことに皆、経済的にも、家庭的にもマアマアらしく明るく酒を飲んでいました。

ただ皆、一様に酒の勢いも手伝って、”俺は幸せだった、家庭にも恵まれて”との自己紹介が大勢をしめていたので、私は辛めに”お前達、未だ50前後で、俺の人生は満更でもないと総括するのは、早すぎるぞ!と脅かしておきました。

皆さんはどう?お思いでしょうか






(その 10)
( 一条の光

松尾次郎の自分探しやら、幸せ探しが転じて、あたかも“アリ地獄”へ自ら落ち込んだ様相を呈してきました。

今や、次郎の当面の目標は彼の籍をきれいにする事になってしまった。
訳のわからぬ女性の、例え名義上であれ夫であるわけにはいかない。
このまま、ほってはおけない。
しかし、どのようにして、それを成就させたら好いか、次郎には全く見当もつかなかった。
そして、この闘いは何時になったら終るのか、1年後か、2年後か、民法上の通常失踪の効力が発する5年後か? 全く、当てがない。
次郎の身近に、騙されて国際結婚に失敗したキトクナ友達などいるわけもない。
どうして好いか、なんの手がかりもないのだ

あたかも山を登れど登れど、峰は現れず・・・ 
次郎は霞ヶ関の家庭裁判所の相談窓口を訪ねてみた。
中はグレーの色で落ち着いた、色調の空間である。
“ここが一般の人も、顔が売れた芸能人も、家族のもめ事を相談あるいは裁いてもらう場所なのか?”と次郎。

順番を待ち、静かに面接室へ入っていく女性を数人見る。
“あの人達も?・・・”と次郎は一種の仲間意識を感じる
それほど長く待たされることなく、次郎も個室の相談窓口に入るように呼ばれる。
白髪の担当官が中に座っており、相談の主旨を訪ねられた次郎は事の次第を話した、結論は籍をきれいにしたい気持ちを伝えた。

話を一通り聞いた担当官は、残念だがと言う顔で、“実は当事者(夫婦)で揃って協議に来なくては、家庭裁判所は審判も裁判もできないんですよ。”
担当官は続けて“その奥さんに当たる中国女性は何処にいるのかも、分らないわけですよネ? その方は当然、裁判所に出てくることはできないですよネ?”
次郎は“正直言って、東京の何処かにいるのは確かと思いますけど、何処にいるかも分りませんし、又彼女を見つけても裁判所なんか来ないでしょう”

担当官は言う“そうすると、離婚等を審理できるのは地方裁判所ということになります
次郎は、一瞬開いた口が塞がらなかった。
それまで、夫婦関係を裁くのは、全て家庭裁判所と思っていた。
いきなり地方裁判所と聞き、事件のハードルが高くなったことを知る。
“困った、振りだしだ…”と次郎。
仕方なく霞ヶ関界隈を歩く。

もう一人の自分との対話
疲れている。
背中を丸め霞ヶ関の官庁街をトボトボ歩く次郎の姿があった。

もし何処かに、椅子でもあるなら座ろうか?と次郎。
そういえば、上海でも同じように力なく、歩いた時があった
一人の次郎が気に入った中国女性をモノにすることは見込みなしと諦め、夕方人気のまばらになった上海の外灘(わいたん)から南京路の繁華街の人ごみに逃げ込むような形で歩いたのを憶えている。

その結果、その後に会った上海女性と結婚したものの、彼女が日本に来て数日で次郎の出勤中にキャリー・ケースごと姿を眩ました。
それが、次郎にとっての劉さんだった。
人生の多少なりとも山や谷を経験した次郎が、ましてや自ら中国へ出向き、いとも簡単に墓穴を掘るのであろうか?

・・・<椅子に座ったせいか、眠気も・・・なぜか走馬燈のように、次郎の脳裏は今回の件を回顧し始める。
次郎の体に宿るもう一人の自分(心の主)が問い詰め始める。
(心の主):“次郎、お前の結婚で彼女(劉さん)が、来てからは少しずつ日本の文化に慣れ、彼女が将来日本の生活も悪くは無かったと思ってもらえればと、控え目な事をぬかしていた。
心の主は更に畳みかける):“お前の結婚の思いは、そんなに薄っぺらいのか? 彼女が少しでも成長してくれたら嬉しい? ペット飼育のゲームソフトではあるまいし馬鹿じゃないのか?”・・・お前の結婚(人生)は他人(ひと)の子供や青少年を預かり躾や食事の世話し、彼らの旅立ちに涙を流すあたかも寮長役で終わって良いのか? お前も主人公でなくて良いのか?“
主は続く):“愛情(≒結婚)とはカップルの何気ない言葉や仕草の中に新鮮さ優しさ、そして好奇なメッセージを感じるものだ勿論性格の合わない同士では言葉は喧嘩の道具でしかないが。 それは愛し合うカップルに安堵感を与え、セックスすらいずれ滅びる者達に、短い夏に昇華する他の生きもの同様、激しく燃えそして素晴らしいと感じさせるものだ。”

主は次郎の昔の彼女の話題を持ち出す):ところで、そうそうお前が何年か前に付き合っていた彼女とは、どうして別れた?
器量はともかくとして、お前自身も彼女の前では自然体でいられ、そして彼女はそれとなく、お前と結婚したいという思いを投げかけていたのと違うか? ワシはお前には最高の人と思っていたが。“
(心の主):”次郎、すまん、もう終わったことだ。 ただ、お前が彼女と別れた事で、運をつかみ損なったのは確かだが・・・・。“
主は最後に):”お前は自分自身を中年のジジイと称していたが、実際、頭の中は30代の派手さも捨てきれず、また以前の彼女と一緒になるとしたら負担となるだろう彼女の娘を引き取ることにためらっていたのだ。だが待てよ、今回お前から姿をくらました劉さんも子供がいたのでは?
(次郎):“劉さんの子供については、お互いはっきり日本に直ちに連れて来る来ないは決めていなかったが、何れそう言う事になると覚悟はしていたが。”

(心の主):“人間とはもちろんお前の事だが、気の毒な生き方をしてしまうものだな!
僅か数年前は他人の子を引き取るのを負担に感じ、お前は最良の人を捨てた
今度は他人の子を引き取るまで妥協できるように成長だか?変に浪花節かぶれしたか?階段を一段降りたのに、それでも元もこうも無くなってしまった
良いか?これからは劉さんのことも、お前の嫁さんになるべきだった昔の彼女の事も忘れ、まるっきり違う生き方をしたら良いだろう・・・・・・・・。“






“はっ”と気が付くと次郎は、日比谷公園の片隅のベンチで暫くデイ・ドリーム(白昼夢)状態だったことに気が付く。
さも有りなん・・・”と、頭の整理ができたのか次郎は大きく深呼吸・・・。

“さて、どうする?これから・・・”
次郎“いや、せっかくの機会だ、日比谷図書館が近い、何か手がかりになる本があるかも”

しかし日比谷図書館と言えば、昔は受験生の勉強場所の聖地だったが、思ったより、幾分こじんまりしているかなと言うのが次郎の印象だった。
あちら、こちら捜しあぐね、やっと国際結婚に関する書架のコーナーを見つける。
だが残念な事に、日比谷図書館といえども次郎が必要としている、国際結婚に関するトラブル、離婚手続を懇切丁寧に解説している本などは、不思議なほどない。どちらかという、いかに文化の違いを乗り越え結婚生活を続けるかと言った、前向きな本が、それも数冊と淋しいものだった。

弁護士、あたかも手術の苦手な外科医の様相
あの劉さんが姿をくらました時期の半ばパニック状態から次郎の精神状態は次第に落ち着きを取り戻しつつあった。
しかし月日は流れて行くが、なんの手がかりもなくダラダラと過ぎる、次郎の気持ちは少しばかりの焦り。

どうにかして解決したいと。 そして、何か手がかり有ればと、ある朝、出勤前に霞ヶ関の弁護士会館常設の法律相談所へ行って見る。
もちろん有料である、三十分五千円。
朝、開設時間前と言うのに早くも、次郎の整理番号は20番以降、人は更に続々詰め寄せる。 詰め掛ける人々の悩みもそれぞれ、金銭の人、もちろん夫婦関係の人達。
はたして、次郎の問題は何に属するのか、夫婦関係か?国際結婚・・・関係か?
それは何処にも属しない、新種の問題か? それを病気に例えたら、奇病か?
法律相談所はあたかも、総合病院の受付風景にも似ている、個人カードを渡され患者がそれぞれの科目、内科、外科に散るように、相談者達もカードを持ち各専門の所へ別れる。
次郎は、渡されている個人カードを提出し待つこと更に30分で、弁護士の待つ個室へ通された。

そこで、ワラにもすがる思いで来た次郎はガッカリした。
弁護士の看板を揚げていて、こう言った総合病院にも似た法律相談所に座しても、なんと担当弁護士は、この手の国際結婚の法律相談には、全くの素人だった。
彼はただ、次郎の話をむしろ面白がるだけで、“それで、…・それで…・”話の先を聞いては喜ぶだけ。 三面記事に喜ぶ庶民と変わらぬ弁護士先生であった。
何の手がかりも得られないまま、時間切れとなった。
次郎のような事件が、まだ一般的にならないだけ日本はまだ平和なのかもしれない
またまた霞ヶ関の官庁街のビルの間を、重い足を引きずりながら歩く次郎。
“こまった、弁護士でもあの程度だからな”

(時巡り、木枯らし吹く・・・)
ふと街路樹に目をやると、もうすっかり落ち葉が散乱し、冬が近いことを告げていた
駄目押しに、次郎は東京地方裁判所へ向かった。
生まれてこの方、こんな所へ来る用事などなかった。
建物の内部は裁判所のイメージと言うより大きな会社のようでもあり。
中途ハンパな者には、無言のうち押し返すような迫力すらある。
次郎は、一瞬ためらったが、ドアを引き受付カウンターへ近づいていた。

カウンターの向かいにいる女性担当官に頼みかけるように次郎は実情を話した。
彼女はほんのわずか、考える仕草を示したかと思うと、“貴方の場合は、民法の婚姻の無効に該当し、本来は、一般の方にはお教えしないのですが、この様式で訴状を提出することができます”と次郎に、婚姻無効を例にとったヒナ型のコピーを手渡してくれた。

そのコピーを見た、次郎は何故か急に力が沸いたのを覚える。
警察よりも、弁護士よりも、入管よりも、何か力を覚えた。
易しくはないだろう、でも何か、次郎にも出来そうなそんな予感を覚えた。
多分、その裁判所の女性担当官は上司の目をはばかりながらコピーを次郎に手渡してくれたのだろう。
次郎は、深深と頭を下げ、礼をいい東京地裁を後にした。

そのコピーを手に、今まで、次郎は自分では出来ないかもしれない、難しいと思っていた裁判を、自分自身の手で、やろうという気持ちになっている。
この件は、例え裁判になっても、何時終るのか、いくら費用が掛かるのか分らない。
あの法律相談所の弁護士すらこの事件の勝手が分らなかった。
弁護士が分らないなら、次郎と同じスタート・ラインにいると考えても好いではないか?
この件に関し、訳のわからない弁護士に、自分の人生を託すことは出来ない。

何時終るか分らない戦いを、続けられるのは、自分しかいないと次郎は思った

(つづく)


平成サラリーマン上海へ行く (その8)激風と共に・・・

2018-06-06 14:14:05 | 小説

(ここまで)主人公、松尾次郎は前回、上海にて中国女性と結婚の手続きをすませました、今回はその後になります。

一般に、中国人は日本人と比べ人生の舵を切るのは、人並みではありません。
特にお金が絡むことには庶民から富裕層まで。

ただ日本人が注意をしなければいけないのは、彼らの台本”シナリオ”の中に知らず知らずの内に友人、知り合い、時には警察官もプロットの登場人物にさせられる事も
付き合いもそれ程でない日本人を呼び出し彼らの側に置き、異国の日本でも人脈が厚い演出をしたり。
事件性の場合には、自己の正当性を印象付けるため日本人を道具に使ったりと、概して登場人物に織り交ぜる事も時にはあります。

その台本や言い訳も松本清張のような”練りに練った”と言うよりは、わずか2~3ページの。
時間が経てば、”ア―、そう言うことだったのか!”というような。







(その 8)( 激風と共に・・・ )

(彼女がいよいよ日本に)
次郎は中国女性、劉さんとの結婚手続を上海で済ませ、日本の入国管理局で所定を終らせ、彼女のビザが3月後の9月には下りた。
いよいよ、彼女が来る事になったのだ。
次郎は成田に迎いに行き、そして上海発の中国東方航空で午後2時ごろ、第2ターミナルの送迎口に劉さんは、やや大き目の旅行ケースとともに顔をだした。
再会である。

別に長い交際の末の結婚ではないが、まさかと思っていた、次郎のやり直し人生。
彼女を日本の地で見て、改めて次郎は新しい生活がはじまる実感がする。
次郎は、これからが全てと想う。 別に彼女に、多くの注文もない、タダ次郎が一人でいるよりは楽しい人生をと願う。

次郎たち二人は成田空港から次郎の家へと。
彼女が日本に来るにあたって、畳は張り替えておいたが、そのほかとりわけ彼女を迎えるために、色々物を買ったりはしなかった。 必要な時に二人で買えば好いと、次郎は決めた。
背伸びしても、平凡なサラリーマン、そのあとが無いのだ。
あるがままの次郎を、劉さんに好きになってもらいたい。 例え、いまは分らなくても、十年後でもいい、少なくとも彼女に日本に来た事がマアマアだった、と思ってもらえれば良いというのが次郎の考え方だった。

(我が家に到着)
家に入った劉さんは、持ってきた旅行ケースをほどき始め、間もなくやって来る、冬に着るためのオーバーコートをシワにならないようにハンガーに吊るした。
何か、次郎の目がそのコートに止まった
それは、もう日本では着ている人は殆ど居ない、ウールでラクダ色のシワになりやすい、やや時代遅れの素材のシロモノだった。 次郎は、寒くなったら、新しいコートを買ってやろうと思った、日本では、何でも物は安いのだからと。

その日の晩は、次郎が食事をつくった。そして、食事後あれこれと、上海の事や、何かしらを話しているうちだった。



↑(写真は本文と関係ありません)



(突然の黒雲

次郎がビックリする事が、起りはじめた。
劉さんが、突然話があるという。 次郎は何かと思う。
彼女いわく、少しほど前であるが、副業を始めたと言う。 服の販売という。
次郎は、電話でも手紙でも、ただの一度もその話は聞いてない。
ふだん、それほどイラダツ事もない次郎も、急に腹立たしさを覚えた。 例え、国際結婚であるといっても、日本に来る事を考えたら、中国での生活を徐々に整理するのが常識なのに、日本にくる間際に、選りにもよって新たに商売を始めたと言う。
しかも、近い将来一緒になることがわかっているのに、次郎にも相談無しで。

彼女の話は更に続いた、“実は、商売が思うようにいってない、今は中国の友人に商売を引き継いでもらったが、結局中国元にして40万元の借金をつくってしまった。”
次郎はその金額の大きさにも驚いた、40万元といえば日本のお金にして600万円は超える。
(***2000年少し前の中国であれば、庶民の住む家であれば手に入る金額***)

一昔まえの中国ならいざ知らず、もう中国経済は車でいえばローからセコンドないしサードの段階に入っていて、素人が小金で商売できる時代はとうの昔に去っているのにと、次郎は呆れ返った
国営会社をクビになり、小さな食堂を開いたら大当たりして、街の有名人なったという話しは、もう中国ではおとぎ話になりつつある。
そして彼女は、ついに切り出してきた“全部と言わないが、少しでもいいから、お金の都合をつけてほしい”と。

劉さんの予想外の金策の申し出に、次郎はアメリカ留学経験で理にかなわない時の条件反射の如く、迷うことなく“NO!”と発していた
彼女は日本語も英語も理解できずとも、次郎の毅然とした態度で相手には十分であった。

その返事を聞き劉さんは即座にそれでは……、少しでいいから貸してはくれない”とたたみ掛ける
次郎はそれも考慮に値しないと“それも、断る”とはっきりとした口調で。
それを聞き“もう、この話は無しにしよう”と劉さんのほうで話を切り上げた。

次郎は、彼女が中国でいくらの借金をしようがしまいが、この件に関しては関係の無い事と、割り切るほかなく、突っぱねるしかない。
しかし、次郎は彼女が日本にきた早々から、彼女との生活には何か問題含みを予感した。
それにしても、夫となった次郎の、想像を超えた金銭感覚の持ち主だと言う事を、初めて実感して何か末恐ろしさを彼女に感じた。
これが、二十歳そこそこの次郎だったら、発狂ものだが、辛うじて長くいろいろ経験した次郎だから、そこに対峙する事ができた
それでも次郎は2,3日彼女のために会社から休暇をとり、東京見学をしたり、紹介者でもあるイタコ商会の山下の家を訪ね、二人そろってお礼もかね訪問したりした。
そして、休暇があけて次郎は平常通り出勤となる。

嵐去りぬ、そして・・・
その夜、会社を引けて、次郎が家にたどり着くと、何か異常を感じた。
家の中が暗い、人気を感じないのだ
次郎は一瞬、劉さんは買い物か、外出かとも思ったが、よく見ると彼女が上海から持ってきた旅行カバンがない、当然あの冬場に着るだろう例のラクダ色のオーバーコートもない、辺りには彼女が中国から持ってきただろう中国文字で書かれたビニール袋の手提げと、土産物の包装紙を除き何も残されていなかった。
次郎は、状況からして、彼女はどこかへ姿を隠した、つまり“逃げた”と確信した
そう逃げたのだ。

あたかも、ハリケーンのように彼女は次郎の家のなかを吹きぬけて行った。

(それは真にパニック)
次郎の頭の中はえぐり取られるように空白状態に陥った。
一種のパニック状態に陥った。

何か・・・何か・・・?
不思議と次郎は若い十代の時の自損の交通事故を思い出した。
そして、その時は次郎は瀕死の重傷を負った。 壁に激突してハンドルに顔を激突して失神状態。 しかし、大事故にも拘わらず、その直後、不思議な事に自分の怪我や痛みには注意が向けられない。
事故の大きさは?、どうして起った、大事な車はどうなった?事故を防げなかったか?の問いかけが休むことなく頭の中を駆け巡る。 あたかも、コンピューターが答えを求めようとするが、答えが捜せず、しかも前にも戻れず、先にも行けず、永久にそれを繰返すにも似ている
自分の怪我の重大性に気が着くのは、暫らくしてからであった。
痛みを感じるのは、それからである。
その時は、事の全貌が見えない、そして、どうして好いか分らない。

襲ってきた災難と、容易にその答えの出ない興奮状態がその夜、次郎を包みつづけた。
高熱が去るのをじっと床に伏せ待つ子供のように、次郎はその夜、耐えるしかなかった




(つづく)


平成くたびれサラリーマン上海へ行く (その7)そして河を渡る

2018-05-04 10:28:08 | 小説

(ここまで)
主人公(松尾次郎)はある縁での国際結婚に中国上海へ来ています。
知り合い短期間とは言え、状況が外国という事も有り、細かい自分の都合で”のらりくらり”は難しいところです。

あたかもテレビの動物ドキュメンタリーで、大河に肉食ハンターの”ワニ”が水中に潜んでいても、河を渡ろうとする、上気したヌーの一群にも似た。

主人公の次郎も、ここまで来ると、どういう事になるのでしょうか?・・・・





>(その 7)
( そして河を渡る
 
)
その後、次郎は再度、劉さんに会いに3ヶ月後に上海へ行っている。 その際に、劉さんの親にも兄弟にも会っている。
松尾の運命は、ほぼ決まったようなものだった。
肉体関係が有るや否やは、時には、男女にとって絶対的のものかもしれない。
なければ、その先は進まない。
そして上海に行くこと3度目にして、劉さんとの婚姻の届け出(中国では登記という)を出すことにしている。 人生の一大事に、こんな軽はずみ、つまり一度や二度有っただけで決めて良いか議論はともかく、多くの日本人が中国人との国際結婚の際にはこれと似た状況と相場が決まっている

別に劉さんが嫁さんとして、最高というわけでもない。
しかし次郎は時間をムダにしたくなかった。 
この状況を”ムダ“と呼ばしめるのは、常軌を逸しているが、人は時に普段やらない事を”流れに乗って“やらかしてしまう事も有る

例えるなら、仲間内で数台の車に分乗ドライブし、他の車が黄色信号で交差点に進入し、少し遅れた自分の車は完全に赤信号に変わっているのに、仲間の車に追い付きたいばかりに、交差点に突っ込んで行く。
結婚相手を良く知ることの方が本筋なのに、国際結婚の手続きを含めた煩わしさを早く解決(完結)したいばかりに事を焦っているのだろうか

次郎にとって、現状のままでサラリーマン生活をすることは、時間をその分だけムダにすることと位置づけているようだ。
そして、次郎がムダと感じ始め、もう久しい。
もう若くない次郎にとって、人生をやり直したくても、ゲームの“スゴロク”のようにスタートから、やり直す事はできない。
多分、職業も、結婚も何か中途ハンパな、継ぎ接ぎだらけなものしか、次郎はあてにできないと諦めていたのだろうか?

かといって、次郎は結婚至上主義でもない。
自分以外の人と何かの記憶を残しかった。
旅行へ二人で行くでも良い。
また、独り者というのは,拘束も無いかわり、結果的に生産的なことを何もしていないという、独り善がりに陥りやすい事も、彼は知っていた

春を迎え、次郎は劉さんとの、結婚届のために上海入りした。
法制上、まず中国で結婚届をしなければ、日本で配偶者のビザ(通称、呼び寄せビザ)の申請ができない。
日本人どうしが結婚の際に俗に言う、“紙一枚”にサインと違い、中国での国際結婚には色々の書類を要求される。 当然だろう、この婚姻届が根拠となり、一人の外国人が日本人として扱われる。
外国人が外国に住むにあたって、居住権の有る無しが法的に守られるということは、とても大事なことだ。
日本人には、ピンと来ないかもしれないが、外国に住む外国人に居住権がなければ、“虫けら”も同然だ。 正式な職業にも就けないし、政府等からの行政上の援助、付与を受けられない。
外国人同士の間でも、この居住権の無い場合は二流扱いされる。
つまり日本にいる外国人どうしでも、永住権を持つ者は、不法入国は論外にしても、学生ビザや就労ビザの者より上と言う事になる。
初対面の外国人どうしが、自己紹介の場で、自慢気に永住権のホルダー(所持者)と語るのは、それを手に入れるまでの、下積み時代、長い月日その他の苦労の代償として、誇らしげにするのは当然である。その苦労は、日本人には解らない世界である。





次郎と劉さんは連れ立って、朝、結婚登記のためにホテルを出た。
登記所は上海市街の南西に位置し、目立たぬ小さなビルの中にある。
ただの小さい雑居ビルとしか言いようがない。
こんな所が、日本との国際結婚の橋渡しとなる“ホット(重要な場所)”な場所とは外観から想像もつかない。
おまけにその雑居ビルの2階は中華レストラン、登記所に至る階段、踊り場、廊下には、タライ、水槽その他に食材となる、訳の分からぬ魚、蛙などの生け簀の置場と化している。
おまけに日本人には慣れない臭い香辛料がたちこめ、“清水の舞台から飛び降り”国際結婚しようとする者達にとっては、手荒い出迎いである。
階段を上がりきると、そこには廊下に溢れるほど、人が詰めていた。 直ぐに、男性が日本人と分るカップルもいる。 台湾籍の人と結婚する上海人、そして香港籍も。
普通、結婚届の場所といえば、誰もがウキウキするような和やかな場所と言えるが、この場所は何か、それとは別のモノに映る。この場所は、中国の人が外国へ飛び出すための通過点に過ぎない。
結婚届けの重みより、もっと大事なものが先にあると言っているかのようである。
例えば、外地へおもむくための査証とか。
この登記所の壁側にガラスの敷居を隔てて,所員が控え、部屋中央に申請者が書き込むための大きな茶色いテーブルがある。
そのテーブルの上で、次郎は結婚申請書に記入し始める。 氏名、生年月日の他に、二人が知合った経過も書くようになっている。
そして、部屋には録音テープが繰返し、“申請書の記入には万年筆(鋼筆―ガンビイ)を使ってください”一昔前に、日本では使われなくなった液体インクの万年筆。
現在、中国ではせめて結婚届にサインする自筆の重みを万年筆を使うことを要求しているのだろう。

次郎の目の前では、人の良さそうな20代後半の日本人男性が、自分の申請書に何を記入して良いか、オロオロしている。
彼の嫁さんになる彼女に目をやると、中国人にしては、やや派手目の服を着ている。
彼女は、男の目を引く顔立ち。
そして、その二人の背後から、嫁さんになる彼女の母親とも思える、そして親にしては、これ又、派手なスーツの襟のまわりをトリミングしてある姿の中年女性。
そして、その母親らしき人物がヘタな日本語で彼に、何を記入すべきか説明している。
嫁さんになる彼女は日本語がダメらしい。
日本の街場の中国パブのママである母親と客の日本人男性が、そのまま上海にタイム・スリップしたかのように。 そして上海に残してきた娘を呼び寄せるための政略結婚であるかのように。

この結婚登記所にある、全ての光景が、考えようでは、“虚”であり、“異様”である

結婚登記所と呼ぶには、カップルの”ウキウキ“、”チャラチャラ“と上気した興奮はどこにも見当たらない。 むしろ例えるなら不動産屋の事務所で、“背中を押されるように”契約書に署名し、“トドメ”に昨日まで自由でいた自分自身に決別を宣言するかのように、代わりに“責任”という書類に実印を押すにも似た。
何か物足り無い現状を変えるため(抜け出すため)、結婚と言う買い物(選択)は必要だったのか?・・・
人の行動は時に不可思議なもの


この結婚登記所では、全て申請、手続きが金取主義(かねとりしゅぎ―徴収、徴税)となっている。
中国という国で申請なのに何故か?アメリカ・ドル20ドル(ドル紙幣が)必要である。 次郎は、成田の東京三菱でこの米ドルを用意してきている。
申請書に記入し、お互いの写真を貼り窓口に、日本の独身証明書と数多くの書類を提出すると、登記所が指定する病院へ行くように、書類を渡される。
申請者達は、あたかも運動会の二人三脚のように急ぎ指定された病院へ、その登記所を飛び出す、早ければ早いほど、良い事があるような錯覚で、あるいは早く全ての手続を終らせたいのか。
次郎たちが向かう病院はかなり遠い、タクシーで彼の心は焦る、昼までに全てを終らせる事ができるかと? 三十分程して、ようやく指定された上海船員病院なるところへ着く。
受付にて、手続またしても、約200元と、更に300元別の名目でお金を取られる。 受付前のホールには、先に着いている先ほどの結婚登記所からのカップルが4,5組が点在して椅子に座り、順番を待っている。

次郎の名が呼ばれ、採血、尿、レントゲン、最後に問診。
次郎は聴診器で胸でも調べるのと思いきや、ドクターの居る部屋に入るなり、彼は日本語で“オチンチン、見せて”。
それは、明らかに日本語であった。
確かに、結婚前の男の健康チェックでは一番重要そして、分りやすい検診かもしれない、日本語を使う所を見ると、今まで、相当な数の日本男性が彼の目の前にオチンチンを見せて通り過ぎていった事になる
次郎は、自分の健康度は多分問題無いだろう感触で全ての検査が終了した。
この状況を知らぬ人は笑うだろう、今度は又、カップルは二人三脚の如く女性達のために、登記所が指定した別の女性専用病院へとタクシーを飛ばす。 少しでも、他のカップルより早く着くために。
そこでは、男性達はタダひたすらに待つのみとなる。
待合で、次郎はやはり自分のパートナーの診察の終了を待つ、アメリカ国籍のプエルトリコ人と親しくなり雑談に興じた。 彼は、後十日ほどこの手続のために、上海に滞在するという。

診察の終った、カップルは、今度は最終ゴールともいえ振り出しの、結婚登記所へまたタクシーを走らす。
男女双方の病院からの診断書をガラスの衝立を隔てた、係員に手渡し、全てが終った。
6月の上海は晴れると暑く、まさに夏日、長い1日だった。 もう時計は午後3時前後を指している。
昼食も摂らず、少しでも早く事を終らそうと、急ぎ、次郎は疲れた。

大変な事を終えたことによって、二人の関係は前とは別のものになった。 それは、ピンであるかキリであるかは、ともかく“夫婦”になったのだ。
思い起こせば、次郎もこのために、手間のかかる時間を使ったものだ。 このために日本で、書類集めに、区役所、法務局、外務省、中国領事館へ走りまわった。
今日、これで終ったのだ。

今まで、次郎は自由過ぎると思える自分の生活を変えたかった。
次郎は、何か自分の足に重し付きのクサリを着けるが如く、自分に何かを課したかった

次郎の余り余るエネルギーを昇華させたかった。
それが、万一、百パーセント次郎の願い通りの解決法でなくても、仕方なかったかもしれない。
次郎は二十歳そこいらの子供でもない、中年のオヤジなのだから、欲張ったことは言えなかった。

この世に生を受け、次郎はこの社会のおおかたのサラリーマンと同じく、会社の矛盾に反旗も掲げず、個性を捨て、その他大勢の一人として生きてきた。
女王バチのように、目立つわけでも無し、自分の代替えはいくらでも控えているハタラキ蜂のように。
人が本来持つ闘争本能、向上心、冒険心、怒りを、これと言って、どこにもぶっけられず今までやって来た。タダ自分自身を押さえつけるだけで好いのだろうか?と時には、考え込む。
かといって次郎には、酒も、ギャンブルも憂さ晴らしにはならなかった。

結婚は何歳、何度目にかかわらず、人生の中の大イベントである。
しかし、花に例えれば、盛りを過ぎた次郎と劉さんの結婚。
何も無く、華やかなパーティその他、友人などの祝福が無くてもかまわない二人ともいえる。
しかし、それでは余りと思う次郎は、少しばかりの友人、親戚を集め宴を、その夜もつことになった。
なぜなら、次郎は明朝、とんぼ返りで日本へ戻る。

それは、外灘に近い、和平飯店(中国では飯店はホテルの意味)で二人のため、というかどちらかといえば、劉さんのために次郎が宴を一席になる。
出席者は、外国という場所がら、次郎のほうは上海にいる数人の友人を除き、あとは全て劉さんの友人、職場関係とそして家族親戚であった。
ホテル事体は上海では有名だが、やや歴史のあるところ。
建物事体は旧い。宴会室に通じる階段は大理石でできていて、それなりの風格があった。 壁の白と部屋の造りのこげ茶の色のコントラストも十分に時代の流れに耐えられるものだった。
宴は格式無しで、始められ、次郎も初めて劉さんの多くの友人と会う機会となった。

次郎は以前、同じく中国で”やり直し同士の結婚披露宴”に参加したことが有る。
演出のある披露宴と違い、単なる大食事会と言って良い
恐ろしいほどの普段着で来る者あり、新郎新婦との関係が不明の者も。
そう言えば次郎は思い起こす、中国の建設現場で汚れた背広で平然として廃材や建築資材を担ぐ作業員
また衿のついた背広で農作業する農夫

その場の状況と、自分の”いでたち(服装)”のギャップに平然と耐えうる彼らの精神力は何処から来るのだろうかfont>

別に次郎にとって、この宴は特別の意味もなかった、ただこれで、劉さんに男として、お互い人生半ばからの、やり直し人生だが、何もなく二人の人生をスタートするわけもいかず義理を立てたことになる。
その夜11時ごろ、大半の劉さんの友人と二次会を経たあと、次郎と劉さんはホテルへ戻った。

ホテルの部屋で、次郎のベッドをコンソールボックスを隔てもう一つ別のベッドに横になる劉さん。
次郎が、今まで持て余し気味だった自由と引き換えた嫁さんである。
もう自分を追い詰めるために、上海をウロウロしなくてすむかもしれない。

しかし、どういう訳か次郎には、好く結婚したての男性が、ニヤケ他人からはスキだらけでしまりがない状態にはならなかった。
普通の男性なら、よくある自分の獲物(女性)をまんまと手に入れた満足感、あるいは自分より条件が上の女性を幸運にも仕留めたという、ある種のウキウキした興奮が次郎には起こらない。
どちらかと言うと、次郎は落ち過ぎている。
ベッドの上に横になっても、やけに寝にはいれない。
ブランケット(毛布)の代わりに平べったい石を体の上に置かれているように、何か重いものがのしかかっているように感じる。何か、拷問にも似た。
何か、とんでもない道に迷い込んだような
訳のわからない会社に、虎の子を投資してしまったような?
その夜、次郎はなかなか眠りにつくことができなかった、“自分はこれで好かったのか?”と自分自身に問いかけ続ける・・・・。

(つづく)


平成くたびれサラリーマン上海へ行く (その6)大海へ船出した人達

2018-04-11 14:26:29 | 小説
(ここまで)
主人公(松尾次郎)が中国、上海を旅しています。




その 6)
( 異国という大海へ船出した人達 


上海へ来て5日目の朝を、次郎は独り目を覚ました。
今日は一緒に目を覚ます相手がいなくて、淋しいというより、少しセイセイしている感じがする。
次郎は“今日は、仕事でもない、女でもないことに時間を使いたい”と。
次郎には上海に数人知り合いがいたが、時間的に全ての人に会えない、何故か今回はその中の一人沖縄県出身の喜屋武(きゃん)さんに無性に会ってみたかった。
彼の破天荒の生き方が気にいっていた。

彼は以前、いろいろな事に手を出していて、その一つに上海で日本の100円ショップまがいな事をやり、其の時輸出入の仕事上のつながりで次郎と知り合いになった。
喜屋武さんは日本人でありながら、数奇な生き方をしている。 その点で次郎が何となく話してみたい人の一人なのだ。
彼は名が示すように沖縄出身、小さい時に親と一緒にブラジル移民、多分30歳半ばまでブラジルに根を下ろしていたはず。 30歳後半に、たまたまブラジルに来た日本の実業家の人と知り合い、折からの日本のバブル期で、日本の労働者不足を知り、彼自身が日系人労働者の日本への仲介をしていた時期もある。
彼が、バブル期を境に再び日本に拠点を移して暫くして、又も、仕事が縁で約十数年前に上海へ乗り込んできたという変わり者。

外国では、一生のうち国を二ヶ所も三ヶ所も転々とするのは、よくある話しだが日本人では稀。
これは人ごとながら、大変な事だと次郎は思う。
世界を流浪する人達にとって、日本人が良く言う“畳の上で死にたい”なんて、お笑いモノの台詞(せりふ)だろう。
一時期、次郎はこうした一生の内に世界を転々とする人々を気の毒に思った時期も有った。 しかし、今では、本当に彼らは不幸せか?とも思う。
意外と、そうでは無いのでは。
次郎は、時々思う、小さな村に生まれ一歩も外へ出ず、本人も幸せと思うなら、これも幸せか。 また、いろいろな事情、自分の意思又は家族の繋がりで一生に世界を転々とする、そして、その土地土地に揉(も)まれ、苦労し生きぬいて行く力を着ける。
どちらが、幸せなのだろうか? 
日本にいると、目立たないが外国に出てみると、数奇な生き方をしている日本人を外国の地でたくさん見る。
次郎はホテルの受話器をとり、喜屋武さんの自宅へ電話をする、呼び出しのベルが鳴ること数回で直ぐ、彼の奥さんが電話をとった。 彼の奥さんは上海の人である。
“もしもし、松尾です”
“アラ、松尾さん、何処から電話しているの…・・”
“実は、上海に来ているんですよ”
“本当ですか?(ご主人である喜屋武さんと何やら話している様子)…・ちょっと、待ってください、(電話を)代わりますから”
そして、本人が電話口に出た“なんだ、今どこにいるんや!”と何時もの調子で元気が良い。
“実は、上海に来ているんですよ”と次郎は、とりわけ来る事を事前に連絡しなかった事を少し恥ずかしかった。
彼は“何時、来たんや”
“四日前くらいですよ”と次郎はバツが悪そうに。
“何で、もっと早く知らして来ないんだ、四日前に何時ごろ着いた?”
次郎は多少苦笑気味に“いや、夜ですよ、ユナイティドだから着くの夜なんですよ”
“何で、着いたら直ぐに家に電話よこせば良いのに”
“…… 遅いですよ、飛行機ついたの夜の8時半とか、そんなものですもの…・・”
“いいじゃないか、家(うち)なんか、知ってのとおり寝るの何時(いつ)も一時二時なんだから”
この事は、次郎もじゅうじゅう知っていた、彼は現在、空手道場を上海各所で主催していてどちらかと言うと、夜型の生活パターンで更に、おまけに夜遊びが好きと来ている。
上海人の奥さんを相手に、日本男子の亭主関白を彼のペースで、しかも敵地の国でやっているのだから、見上げたものだ。

“今、何処におるの、何処のホテル?”と喜屋武さん。
“千鶴ホテルですよ”
“千鶴ホテルて、何処やったっけ……アア、あそこか、何構うこっちゃねえ、直ぐ来いよ”
次郎は、“ええ…・・好いんですか?”と
“なに、遠慮する事無い、直ぐ来なよ、待ってるから”
“はい、解りました、じゃ、行っても良いですか”
“直ぐ,来いよ”
“はい”そして、次郎は受話器を置いた。

次郎は彼の所へ行くために身づくろいをし、日本から買ってきた土産袋を手にホテルのロビーへ降り、車寄せに立つと、ベルボーイは次郎が車が必要とわかると?と尋ね、彼がすぐさまサインをすると、客待ちのタクシーが次郎のもとへ来た。
住所が書かれた喜屋武さんの名刺を出すとベルボーイは次郎に代わり二言三言運転手に行き先を告げた。
今の所、次郎のようなよそ者にも稼ぎを水増しするために遠回りする運転手は上海には少ない、しかしこれが、何時まで続くか分らないが。
喜屋武さんの家は遠い、どちらかと言うと、上海の飛行場方向へ街の中心から戻る方向になる。
街中の混雑した所を抜けてもなかなか着かない、タクシーは街外れに出てスピードをあげる。 ようやく、喜屋武さんが住むマンションの近くに着たことを次郎は知る.
上海には、今、いろいろの住まいが有る、今でも政府配給の狭く旧い一部屋に数人がまとまって住んでいる人もいる。 もちろん、そう言った所は台所も共用だ。
日本人は、ビックリするかもしれないが、中国人は共用部分には金をかけない、つまり個人が管理する自分の部屋と共用部分の廊下、階段、台所は別世界なのだこれらの場所に明かりがない事もしばし。
中国人のきれいな家に住みたい願望は、多分、日本人以上だろう。



喜屋武さんのマンションは中流の部類かとも思われる。 日本ではニュータウンと呼ばれるように開発された住宅区域で、その街区の入り口にはガードマンが24時間警備し、外部からの車の侵入も一々チェックを受ける。 辻つじには、日本人の目には多すぎると思われるほどのガードマンが立っている。
多分このニュータウンでは、安全が売り物なのだろう。

やっとの事で、喜屋武さんの階へ通じる下の鉄製のフェンスの前に立ち、喜屋武さんの部屋番号を押すとインターホーンになっている。
次郎は笑ってしまった、喜屋武さんの5歳になる男の子がひょうきんな日本語で“誰ですか?”
その子には、次郎とは数回会っており、彼は子供特有のでしゃばりで、日本語でインターホーンに飛びついたらしい。
声は、直ぐ奥さんに代わり、鉄のフェンスは部屋からの操作で開放された。

喜屋武さん宅のドアをノックするや否や親子三人で次郎を迎えてくれた。 
彼のコンドミニアム(マンション)の廊下は比較的ゆったりとってあり高級感がある。 家の中もしかり、決して広くは無いがリビングはリビングらしいゆとりが感じられる.

挨拶を終え、次郎は席に通されると、喜屋武さんは開口一番“今回は、上海に何しに来た、仕事か、女か?
余りにもズボシなので、次郎は笑いながら“その、両方ですよ”
喜屋武さんは“中国には、女は腐るほど、いくらでもいるから、俺が捜してやるよ”と。
“アア、そうですか、じゃ、お願いします”と次郎は,言ったものの今回の上海入りで、二人の女性と会い、そのうち一人とは行くとこまでいったことなど、言い出せなかった。

そばでは、喜屋武さんそっくりの5才になるミニチュア版ともいえる彼の子が、日本の子供のようにおとなしくせず、ちょろちょろしたり、話しかけて来たり。
“仕事の方はどうですか?”と次郎は喜屋武さんにたずねた。
“イヤー、順調だよ、後で、事務所を見せてあげよう、そのあと昼飯を一緒に食おう、どうだ、松尾さんに女一人会わせてあげるよ”彼は、そばにいる、奥さんが二人の日本語を解るはずはないとばかり、お構いなし。
“これは、ちょっといい女だよ”彼は続く。
出された飲み物を口にし、しばらく世間話をしたかと思うと、二言三言彼は奥さんと会話したかと思うと、“じゃ、行こう”と次郎を外に連れ出した。

彼の車の駐車場まで、歩いて数十メートル。
彼が車を持っているか、いないか次郎は今まで気にした事は無かったが、彼の車の助手席に乗ってみると“なかなか”の車である。 上海で乗る定番のサンタナのタクシーとはわけが違う高級感がある、加速が違う、“良い車ですね”次郎は誉めた。
彼は“マァ、普通かな、中国じゃね車のナンバーを取るのが、厄介なんだよ”
“アァ、そんなのNHKのテレビで見たこと有りますよ、中国の市だか政府がボッタクリと思えるほどナンバープレートに税金をかけているの”
今は、車に乗っているけど、昔はバイク乗っていたのよ、その前は自転車、なにしろ中国は交通の便が悪くて、バスなんて待ってられないからね”
それを聞いて、“アァ、喜屋武さんにもそういう(下積み)時代があったんですね”と次郎は安心したとも言える返事をした。

年は次郎と喜屋武さんは似たりよったり。
しかし、二人の境遇はまるっきり違う。
日本人でありながら外国の地で、外国人としてのハンデを乗り越え、今や彼には家族があり、目に見える財産も。
いや、次郎にとって、モノはどうでも良い、羨ましいのは彼が外国で生きる糧と家族を勝ちとったことだ今、改めて次郎のことを紹介すると、喜屋武さんほど強烈な海外体験、ブラジル移住ほどではないが、次郎も30半ばでアメリカ留学したという特異な体験の持ち主であった。
ニューヨークでMBA(経営修士)を習得したが、その当時アメリカはおりからの景気後退期、銀行は多くの人をリストラし、あのシティ-・バンクでさえ倒産の噂がささやかれた90年初頭である。
また次郎自身も“運(ツキ)”が無かった。

その後の就職活動では、全てが、次郎にとって悪いほうへ。
MBAのデュロマも結果的に何も次郎にもたらさなかった、次郎が当初考えていた、MBAのデュプロマ片手にウォールストリートの日本企業に売り込む事も、バブル期に日本の地方に雨後の竹の子のように設立された三流大学の講師に滑り込む事も、既に遅しであった。
MBAのデュプロマも次郎にとって、今となってはただの“お守り”にしか過ぎない。
次郎にとって、別に有名な会社に勤めることだけが成功物語ではないが。
少なくとも自分の仕事、生活に満足し、輝いていたい。
この点、喜屋武さんは次郎からみて、彼自身十分に満足もしているだろうし、輝いても見えた。

そうこうするうち、車は喜屋武さんの事務所についた。 そこは、コンドを事務所代わりに使っている。 新しいコンドだが生活に使うわけでもないし、少しもったいなくも次郎には思える。
一部屋を彼と事務員の事務所に、一部屋を空手着の製造場所、もう一つまるっきり使っていない部屋を見せる際に彼は“松尾さん、この部屋は何も使ってないから、いつ来てもいいぞ、早く上海へ越して来い、ハハハ……・”
と。

事務所に戻ると、壁には上海と、中国国内の大きな地図が掲げられ、赤いシールが何ヶ所も貼られ、そこで彼は“松尾さん見てよ、この赤い所が現在、私の空手教室のあるところ、これからも、どんどん増えるからネ”と意気盛ん。“忙しいぞ。”と続く。
そこは、あたかも、次なる出店計画を幹部が作戦をねるスーパーマーケットの参謀室のようでもあった。
正直いって、次郎には喜屋武さんにずばぬけた経営の素質が有るようにも見えないが、ただ、彼には“追い風が吹いている”ことだけは確かだ。
良く、人は言う、“運も才能の内”。
してみると、運にも見放された次郎は、無能なのか?
次郎は“少しは自分の中に、人より才能があると思っていたが、ここまで運も、ツキも無いとなると、本当は無能だったのか?”と自分自身に問い掛ける。
次郎はさらに“無能なら、ダメオヤジのままでも恥じることもない。 人(他人)以上にガンバル必要もないのだが”と、ため息をついてみる。

彼の事務所を出た後、また車で二人は別の場所へ。
喜屋武さんは携帯でどこかに電話をしている。 そして、“松尾さん、メシ食いに行こう、いま女呼び出したから、一緒に食おう”
彼はつづけて、“俺いま、三人の女と付き合っているよ、いま飯に来るのは23(才)姉さんも来るから、松尾さん良く見て置けよ、紹介するぞ”
次郎は“ハァ…・、有難う、ごさいます”と会話をあわせ、そして“3人も付き合って奥さんに、バレませんか?”
“いや、わかんないよ”
“わかりますよ!”
“そうかもしれんが、うちの何も言わんぞ”
“それは、奥さんが偉いんですよ”
“(うちの女房)できているかもしれないな”
“そうですね、でも、喜屋武さん幸せですよ、羨ましいですよ、好きなように生きていて”
“そうかな……・確かに日本の友達たまに来るけど、やはり、羨ましいって俺のこと言ってるな、日本は何でも型にはめてしまうだろう、小さい事をコチョコ、コチョコ気にして、あれは(自分にとって)イカンナ”
次郎も“皆(日本人)もくだらない事に気にしすぎているの知っているんですよ、でも、それが世の中の”あたりまえ“になっているから、一人の力では崩せないんですよ”
喜屋武さんも“そうなんだよな”
さらに喜屋武は、“松尾さんもこっち(上海へ)来いよ!”
“フフフ…・・、イイですね”と次郎は話しは話として聞いた。

次郎は気持ちの中では、言葉でうまく表現できないが、日本では自分自身、何かに我慢させられているような……。
できるものなら、自分の生き方を変えてみたい。
しかし、中年の日本人がノコノコと中国にやって来て、オイソレとご飯を食べさせてもらえるわけもない。
サラリーマンとして本当の自分を隠して生きるのは辛いが、収入の保証がないのも又、別の辛さがある。
やがて喜屋武さんは車を中層の住宅群の中に車を回し、その団地の中とも言える道に停車させた。
“彼女達、ここに住んどるん、ここに暫く待っとって”と言い、携帯に電話し始めた。着いたことを彼女達に告げたのだろう。
暫くして、二人の女性が車の背後からやって来た。
“若いな”、次郎の彼女達にたいする第一印象はそれだった、そして二人とも細面の美人系。 喜屋武さんの彼女と思われる若い方の彼女の顔には、若い美しさの中に、若さゆえの生意気な表情を顔に映している。

思わず次郎は、喜屋武さんの子供でも良いような年の娘が、どんな魅力を中年の喜屋武さんに感じているのだろうか?と詮索した。
セックスはどのようにしているのだろうか?
若い彼女は、どう言うつもりで喜屋武さんに自分の若い肉体を提供しているのだろうか?
親子ほど離れた男に抱かれ、彼女は恥ではないのか?
喜屋武さんはその全ての矛盾を吹き飛ばすだけの、金を彼女に与えているのか?
次郎にとって、なぞの部分が多いが、少なくとも金の出所となっているのは喜屋武さんの仕事からである。
空手道場の経営がうまく行っていることは確かに見える。

姉の方は二十六、七か?もちろん若いが、妹の生意気盛りの顔に比べ、落ち着きを持っている。 この二人の家系は明らかに美人系だ。
しかも二人とも自分の美貌には自身を持っているのが次郎に伝わる。
次郎がどう考えても、喜屋武さんと不つり合いな、気の強そうな小娘。
そして美人の姉、しかし同じ美人でも、今回の上海入りで次郎が出会った劉さんの美しさとも違う。
劉さんよりも“智”の臭いがする。
そして、劉さんよりも自分を高く売ろうとしているのも次郎には読める。 喜屋武さんは、次郎に一つのチャンスを与えたつもりかもしれないが、次郎には、この姉とは何も始まらないのが分った。
“いや、もしかすると劉さんをとりあえず得たことで、これ以上の危険を避けようとしている、臆病になっている? あるいはハングリー精神を失っているのかも知れない”と次郎は別の見方を自分自身にしてみる。

車は、喜屋武さん行き付けのレストランに着いた。
食事中、次郎が思った通り若い彼女は、自分の親の年ほどの喜屋武さん仕切っていた。
喜屋武さんが次郎の目にはだらしなく映った。
しかし、この見方も次郎の価値観であって、意外と喜屋武さんは気にしてないかもしれない。
女の気が強いから、付き合わないは意外と、旧い日本的考え方かもしれない。
一方、やるだけやって、全てを一旦受け入れ、ダメならダメで不必要なものは吐き出し、積極的に忘れていく。
中国にはこうした生き方が往々にしてある。
彼等、中国人の生き方には付け足す事が、まだある、そして結果が何であれ、自分を責めない、倫理観だの何だのと、そして引きづらない
あたかも、魚の中に石ころから泥まで一旦、口に放り込んで、必要なものだけ漉し取り不必要なものを吐き出す種類があるように、過去のことに、悩んでグジグジしない。
喜屋武さんだって、家庭がある、まさかその小娘に本気ではないだろう、この若い彼女といつ分れても問題はないはず。

喜屋武さんも、中国に長く住む事により、へたな倫理観に縛られないように、より生命力を備えた人間に進化したのかもしれない。 又、確かに、年の男が若い女を抱くのは、それは最上級の果実を啄ばむごとく価値がある。
年の離れた男女の肉は、老いた者を“恋ボケ”ともいえる、麻痺状態にさせる。
そして老いた者は、彼らの経験から、いかに若い肉体が価値あるものか、いかに若さとは本当は短いと言う事を知っている。
反面、時として、若者は自分の若さの価値を自覚していない

この若い彼女にしても、エラから石ころを吐き出す例えの魚のように、喜屋武さんという石ころの中に何かしらの栄養ともいえる取り柄があるのだ。
しかし、“女の宝”とも言える体を差し出しても、自分が生きていく力とするたくましさ。

次郎が母から教わった、倫理観、多くの日本人が温めてきた武士道のようなものが、ここでは崩れている。
二十歳そこそこの中国小娘が、本来なら自分で苦労して時間を掛けて勝ち取るモノを、他人に取り付き欲しい物を手に入れ、機を見てさっさと人より先を急ごうとしている。
ここは上海だが、この悪い伝染病ともいえる風潮はやがて、海を渡るだろう。

次郎の本音としては、こうした淫らな女たちは抹殺したい。
死刑に値する。
しかし、時は変わり、人は自分と違う価値観、文化をもった人間と渡りあわなければならない日がやって来ている。次郎の先人である多くの人達が自らを規制し守ろうとした道徳、倫理観。
それらの人達が踏み固めてきた歩きやすい道、人の道とも呼ぼうか、これからは人々は石がごろごろした、不ぞろいの道を歩き慣れなれなければいけないようだ。
騙された、不誠実だと相手をののしるのは,敗者の泣き言かもしれない

これから、女の大事なものを失う事に平気な輩(やから)と渡り合うのには、それなりの力というか対処法が必要かもしれない。
“力”とは暴力とか、腕力の意味でない。
それは自分の道を失わない信念と目標である。
なぜなら自分を守れなければ、その先はないのだ。
持ち金のない、ギャンブラーにも等しい。

食事も終わり、彼女達と次郎と喜屋武さん二人は旧の組み合わせに分れ散会した。
また、次郎は喜屋武さんの車に乗り、彼の思うところへ次郎は連れて行かれた。 上海市中の上海放送局の付近の武道館である。
建物は旧いが、中に入るとこの建物が丁寧に使われているのが解る。 建物に入るまでは、人気を感じないのに、中に入るとジム(各種の運動施設)になっていて人の動きやスポーツのかけ声があちこちから聞こえる。 次郎は喜屋武さんに連れられ建物の奥へ。
そこには、既に空手着を着た男女含め若者が40人程度、等間隔にいる、何時でも練習ができる状態になっている。
喜屋武さんが次郎に案内した、“ここにいるのは、おもに上海復旦大學の学生でワシの生徒”
“じゃや、皆、頭良いんですネ”と次郎、上海復旦大學は上海でも一番の有名校である。
この道場に喜屋武さんと珍客の次郎が来たので、生徒の視線が集まり出した。

そうしたなか、一人の空手着姿の背の高い、自身に満ちた男性がつかつかと次郎の前に来、“いらっしゃいませ、今日はゆっくり僕達の練習風景を見ていってください”と流暢な日本語で挨拶してきた。
顔から判断すると、どう見ても日本人ではない、なのに日本語がうまい、“日本語上手ですね、彼”と喜屋武さんに質問をなげかけると。
“もともと、台湾出身なんだけど、暫く台湾で日本企業で働いていたけど、そこが閉鎖され上海へやって来たのよ、彼がここの空手道場のリーダーとしてやっているんだ”
日本企業で働いて、日本語がうまい、次郎にはそれはわかるが、彼はどう言ういきさつで上海まで来たのだろうか? それが次郎にはミステリーであった。
この異国の地で、奇妙な日本人の喜屋武さんと奇妙な台湾人の彼が出会う。
この上海で、日本にいると感じない、人の一生は形式なんてない、常識なんてない世界を見る

まもなくして、台湾出身の彼の号令で準備運動が開始された、笑える、号令は日本語で、また中国人の生徒もそれほどうまくない日本語で唱和する。
準備体操のあと、台湾の彼の号令のあと、中国人が日本語で“一つ、礼儀正しい……”と空手の心得を同じく唱和し続いている。
次郎は喜屋武さんと面識を持ってから初めて、彼の空手道場を見せてもらった。
“皆、聞いてくれ、今日は日本からお客さんが来ている、彼は私達の空手組織が世界の桧舞台に参加できるように、日本の空手協会に交渉してくれた立役者だ、じゃ、紹介しよう”突然、次郎はたくさんの生徒の前で一席述べる羽目になった。
もうすでに、生徒の視線は集まっている、逃げるわけにいかない。
次郎は中国語で、“皆さんコンニチハ、日本から来た松尾です、喜屋武さんとの付き合いも長くなりますが、今回、世界空手連合への加入おめでとうございます、どうか皆さんもこれからも、ますます練習に励んでください”と結ぶ。

ジムの壁際に置かれた椅子に次郎は座り、生徒の練習に見入る。
次郎には、喜屋武さんが少し羨ましかった。 彼の力で良くも、悪くもできる舞台がある、つまり喜屋武さんの空手人生。
次郎の場合、全て中途ハンパ。
かといって外国へ、例えば上海へ飛び出す、当ては次郎にはない。
その臆病の代償に、白旗を掲げ日本でサラリーマンを続ける

“自分はこれで、いいのか?”と次郎は自身にふと、問いかけてみる。
ジムの中は、練習する選手の熱気に溢れているが、次郎一人、心は冷めたままだった。

(つづく)

平成くたびれサラリーマン上海へ行く (その5)浮草にしがみつく

2018-03-29 09:34:14 | 小説
この小説の主人公、松尾次郎が90年代末に友人から紹介された女性に会いに、中国上海に来ています。 一見、ワザワザ会いに行く側にアドバンテイジが与えられている感がありますが、そこは男女の話、ましてや、舞台は中国となると日本での常識は通じません。

生を受けて、何もせずして朽ち果てるは愚
しかし一度、外界との扉を開けるにも覚悟が必要、生に始まり死で完結するように貫徹せざるを得ません。
結果が良くも悪くも受け入れるという

私が昔、高校一年生の時、学校を辞めて働くと決めて来た時、
母は察して”(一代決心するのは)怖いでしょう・・”と声をかけてくれたのを憶えています。




その 5)
( 浮き草にしがみつく )
 
男女の関係とは不思議なもの。
付き合う時間の長さは、ともかくとして、ヒトタビ一夜を二人で過ごすと、相手を見る目は変わる。
それは、あたかも今まで自分が自分自身の肉体の主人であったものが、それが自分の体から離れ、自分の力の及ばぬ、何か自分意外のものに運命に任せるような
何か宇宙の法則に身を任せるような。

ホテルのわずかに開いたカーテンから差し込み始めた光りで、次郎は旅の朝を知る。
上海へ来ての2日目の朝である。
そして、ベッドとコンソール・ボックス(電話台を兼ねた、ライトなどのスィッチボックス)をはさんで隣りのベッドには、上海女性、劉さんがまだ、目を覚ましていないのか?横になっている。

時に夜は、理性を封印させる。
男女に前に突き進むことをそそのかす、あたかも“そんなに真面目に考えなくて良いんだ、とりあえず男と女になっておけ”とばかりに。
それは悪魔が、生真面目に物事を考えず、後のことは気にせず早く、オスとメスになれと、そそのかしているようでもある。
そして、悪魔の洗礼をうけ“メス”と化した女性の寝姿を、朝日の差し込むなか次郎は自分の脇に見るのが好きだった。
一晩の男女の営みで、通りすがりの見知らぬ人から、仲間同士になったような。
不思議と昨夜の次郎と劉さんの行為によって、彼女を“認めよう”とする気持ちが次郎の中に生まれつつある。 

つまり、昨日の夜、次郎と彼女が男女の仲なる前に、次郎が、真面目腐って、前のご主人との別れた理由、また、それが本当か嘘かなど、どうでも良くなる。
神は、男女が一度でも肉体関係をもつと相手を疑ってかからないというように創りあげたのだろうか?

今回、上海で次郎は二人の対照的な女性に会っている、そして、もしも次郎の側から誰にするか選べるのなら、孫さんを選ぶだろう。
女性としては、背は高くないし、容姿で自分を売るタイプではない。
だが孫さんの頭の良さが心地良かった。 説明するのに、何度も同じことを言う必要もなかった。 

一方、劉さんは離婚経験が有るが、背は高く、20代の若さではないにしろ容姿は美しかった。
 しかし、話題に乏しく、比較的無表情な顔の裏に何を隠しているか
という次郎にとって未知数の部分があった。






しかし、次郎の頭の中は矛盾だらけだった。
朝の明かりを感じて、ベッドの上で、たびたび寝返りを繰り返す劉さんのブランケット(毛布)の動きを見ながら、男と女の関係になったのだからこの先、彼女を日本に連れて行くか、と次郎は考えても見る。
次郎は、当初から、仮に中国女性と結婚するにしても、大きな期待をしていなかった。
小さな幸せで十分だった。 毎日の生活が、ほどほどに楽しく、仮に中国女性が日本に来ても、少しずつ彼女が、日本に慣れ、何年かの後、その女性が日本にきて良かったと思ってくれたら、次郎にも十分幸せだった。
劉さんとなら、多少次郎と波長が合わない面もあるが、彼女は語学力や、中国での経験を日本で活かすタイプでない。
次郎から自立したいと言い出すタイプではない。
そして、人当りもそれほど良いわけで無く、彼女自身、仮にも本当の意味で水商売には適していないと多分、知っているだろう。
彼女は日本に来ても、限りがある、彼女自身、次郎の傍にいたほうが、マシと悟るだろう。
次郎は自分勝手な想像をする。
女の温かみは、それほどないが、器量とスタイルはなかなかなのだから、次郎は“手を打っても良いか?”と考え始めていた。

しかし、次郎にはイタコ商会の山下の声が聞こえるようでもある。“女なんて、適当に付き合えば好いんだよ、俺なんかうまいこと言って、中国人とは何人とも寝ている、結婚するのは、その先の話だよ。”
次郎には、山下が多少羨ましくもあるが、その辺が山下と違っていた。
たった、一回でその気になるなんて、また、自分の好きなタイプの孫さんには正直に自分を言いすぎて、自分から自滅して、自分から逃げようとしている。
孫さんと、劉さんの二人を二股にかけ適当に付き合い、自分の答えを自分本意、自分勝手に探すのが一番好いのだが、そういうノラリクラリは次郎の苦手でもあった。

二人で朝食をとった後、そうそうに上海市内にいても変わり映えしないということで、一泊で明日一緒に南京まで足を伸ばすことに。
とりあえず、切符を今日前もって手配しておこうということで、タクシーで二人は上海駅へ行く。

どうやら正面入り口の脇の方に、切符売り場が有るらしい。駅に着いてから、何やら次郎に声をかけてくる、見たところ“ダフ屋”やらしい。 ダフ屋家業が専門に見える男もいれば、傍らに子供を抱え生活苦の匂いをさせながら、たった一枚の切符を手にする女性もいる。 外見から一見してダフ屋とわかる者から、子持ち、若い小娘まで。 そこかしこで喧嘩か切符の売買か訳の分からない世界がが繰り広げられている。自分の親ほどの男に向かっても怯まない(ひるまない)中国の若い女の娘の売り手、この辺が日本人と違う。

まさに、ここ上海駅周辺は人の行き交う、人生の交差点でもあるらしい。
彼らは、一応に“トィピョ-(退票)” “トィピョ-(退票)”と駅に入ってくる人間に声をかける。 そんなダフ屋に、上海の人間の誰もが見向きもしないのかと思えば、それが、そうでもない。 人々は試しに、ダフ屋がどこ行きの切符を持っているのか? そしていくらで売るのか、聞くのだ。

次郎と劉さんは駅脇の切符売り場に入ると、窓口にはたくさんの人が列をつくっている、窓口には各方面の停車駅が書かれ、もちろん蘇州、南京方面もまた長蛇の列。 日本人の次郎にもこれは、いつになったら自分たちの番になるか想像つかない。
次郎と劉さんは顔を見合わせた、どうするとばかり。
劉さんは、ダフ屋から切符を買うのはどうかと、次郎に提案、正直言って、次郎はマイナーなルートから買うのは好きでなかったが、仕方なかった。
見知らずの男に声をかけることができる、これが中国の女性なのだ。
必要とあらば、年長の男と口喧嘩も。

劉さんは辺りのダフ屋数人と話しをしたかと思うと、南京行きの切符を手にしてきた。
値段を聞くと、正規の料金36元に手数料として、わずか数元しか載せていないのにも驚いた。
これで、ダフ屋と呼べるだろうか、これでは次郎には、単なる便利屋にしか見えない。

南京行きの切符を手にすると、以外にも劉さんはどうせ南京へ行くのなら、多少オシャレして行きたいから、流行の靴を履きたいという。
次郎にしたら、それもわかるし、せがまれて劉さんをつっぱったイメージから普通の女性に変わったように見え、可愛くも思える。
タクシーで徐家フィ(上海の繁華街の一つ)へ向かいデパート近辺で降りる。
2年前来たとき、中日辞典を買った事の有るこの大きな交差点に面した、旧い本屋のあたりに次郎は目をやると、跡形も無い。
次郎には、少し淋しい思いがする。
その本屋があったと思われる場所はセットバックされ、その後ろには何のビルとも知れぬ背の高い新しい建物が。
今、上海人は言う、“二,三ヶ月も(同じ場所へ)行かないでいると、(自分たち上海人でも)勝手が解らなくなる”と。
それだけ、上海の再開発が凄まじい

デパートに向かう二人に、何故か?次郎だけを目掛けて、小さな子供達が詰め寄る、金をくれといっているのだ。
子供でも相手はプロだ、次郎がよそ者とわかるのだろう。
日本の子供と違って、体格はガッシリしている、しかし服装は粗末な、そして顔はどれほど風呂にはいっていないかと思わせるほど、汚れ日焼けしている。 
子供達と思えない、底力と野生の動物にも似た迫力で次郎を、そのままタダでは、行かせまいとする。 彼らは体を寄せ、ものすごい力が次郎に伝わってくる。 
山道で突然、イノシシか何か襲われたにも似ている、自分の胸にも達しない子供に、次郎の体は無意識のうちに全力で抵抗していた。
思わず、次郎はズボンのポケットにある小銭に手をやりあげようとすると、劉さんは次郎のそれを静止した。
“もしも、一人でもあげれば、この辺りの物貰いの子供がすべて寄ってくる”と。

その子達の顔には、僅か十歳にも満たずして、世間から見捨てられた、社会から捨てられたと書いてあるようにも見える。
彼らはこの生き方では、既に筋金入りのプロなのだ
彼らに、親はいないのか?
多分、学校にも行ってないだろう。

デパートの靴売り場で、劉さんは好みを選び始めた、膝までくるブーツを履きたいと言う。
上海ではロング・ブーツが流行と言う。
南京では、そんなオシャレなブーツはまだ、流行っていないだろうから、自分が都会人であることを、見せびらかしたいらしい。
あたかも、日本の地方出身者が帰郷するとき、都会の流行を見に着けて、凱旋したいのと似ている。
しかし、驚くことに、彼女の試着するブーツの価格は800元,900元、日本円で一万五千円位になる。
劉さんの給料は月1000元と聞いている、つまり一足のブーツはそれと同等になる。
ただ、中国で、物価は給料に対して、安いの高いのと言う論議はムダである。
外国人からみると、中国の物価は経済学の世界のカヤの外に有る。
中国経済は、常識はずれの世界(この小説が書かれた、2000年以前から)。
次郎にしたら、一般庶民が、給料でどのように、生活しているか、奇跡としか言いようがなかった。

次郎は、何となく戦後の日本を思い出す。
次郎の家では、力道山の空手チョップが見たいばかりに、当時、年収の半分の白黒テレビを買った。 その反動とは、いわないが次郎の家はその後も借家住まいだった
国策とはいわないが、庶民の高値の花のテレビを買い、次郎の家はその後も貧乏だった。
それが、テレビなんて、今やクズ値の価値しかない。
当時、子供であった次郎でさえ、この世の中のカラクリは理不尽だと思う。
それに似たことが、日本で起こった何十年後の今、中国で繰り広げられているように見える

劉さんは、自分の気に入った、一組を選び、次郎に同意を取り付け、それを自分の物にすると、普通の女性のように嬉しそうだった。

翌朝、二人はホテルで朝食をすませると、多少の手荷物をもって、上海駅へ。
切符を手にし上海駅の正面から改札を抜けエスカレーターに乗り上層階へそして、コンコースを通り、広大な客待ちへ入る。

薄暗い広い待合は人で埋め尽くされ、木製のベンチシート式の椅子が、正面から入り口方向に何本も通されている。 人々は通路を挟んで向かい合わせで座っている。
そこは単に列車の待合室というより、とてつもない乗客の数で”引き揚げ船(戦後、日本人が外地から死に物狂いで乗船した船)”を待つ緊迫感すら漂っている。
正面壁には、はっきり各電車の向け地、出発時刻、快速であるか否かが、赤い文字で電光掲示されている。

座る場所もなく、二人はそこいらをブラブラすると程なく、改札となった。 人々は、いつもながらの、あわただしさで列を作り、待合正面の奥に有る別の出口からホームへ通じるコンコースへと吐き出されて行く。
列車ホームへ着くと、既に列車は入線しており、自分たちの車両めがけ、急ぐ。
各列車入り口には女性の乗務員が乗客の乗り込みを待つ。
深いグリーンそして、やや大きめの車両、次郎は“これは、中国らしいな”と、次郎は思う。
席につき、暫くして列車は走り出す。 市内の間はややスピードを控えめに、そして郊外へ抜けると加速した。
主要駅に停車する度に乗客は降り、蘇州、無錫をへて南京へ約3時間で着く。

中国の駅前は、たいてい片方だけ開けていて、広場、タクシー乗り場等になり大きな道路へと面している、南京駅もしかり。
南京は上海市より少し小さいが、十分に大きい。 そして、蘇州、錫州、広州の大きな町は全て上海に通じる。
現在は、鉄道も従来のもの、高速道路もこれからだろう、もしもこれらの町が、すべて新幹線、高速道路で結ばれたら、急速に経済効果が上がる。
今でも、これらの町は上海から遠くはないが、もし新幹線が開通したらこれら上海に近い大都市は東京―横浜の感覚になる。
諺に、“全てはローマに通じる”というフレイズがあるが、次郎には、このフレイズは現在の上海のために有るように感じる。次郎には、上海の潜在的な将来性を強く感じる。

町の随所に、ケンタッキーやマクドナルドの看板を見うける。
自由主義経済は、無差別的に中国の都市を塗りつくそうとしている。
南京に来て、次郎は劉さんとの愛を深めると言うより、上海近郊の大都市の変わりように目を見張った。
あたかも市場調査にでも来ているような感覚になっている。

劉さんが、次郎に買わせたブーツは確かに効き目が合った。 全てではないが、南京の何人もの女性が彼女のブーツに視線をやるのを次郎も気がついた。
それには、彼女も満足げだった。
そして、次郎が意外だった事は、僅か列車で3時間あまりの所で、彼女の上海語が通じない。
劉さんが北京語を南京では使う。

南京では、中山陵、日本軍による大虐殺の記念跡などを見学し、二人は翌日の午後の列車に乗りこむ。
再び、列車で上海へ戻る。
来るときと違い、次郎も見知らぬ中国人と席を同じくすることに慣れ、何かぼんやりと、列車の外を眺める事ができる。
その分、気持ちはまた、次郎の大命題というべき所へ戻ろうとしていた。

劉さんの横顔を見ながら、“自分は、何を,この劉さんに期待しているのだろうか?”
そして、“何となく次郎が劉さんとシックリしないのは何なのか?”

そして、自分はどこへ流されて行くのだろうか、本当はどこへ行きたいのだろうか?”
“自分はどこへ行こうとしているのだろうか?”
もしも、この世に神がいるなら、次郎に安住の地を与え、この地球上で何かを求めて、放浪する次郎を止めて欲しかった
優しい母のように、教会に掲げられるマリア像がもう、これ以上ムリをしなくていいと次郎に言って欲しかった。
“もう、ガンバラなくていい”と,言って欲しかった。


(つづく)

平成くたびれサラリーマン上海へ行く (その4)人の道かそれとも、汚れても生き抜く

2018-03-14 16:50:14 | 小説

次郎(主人公)の上海滞在も、飛行機に例えればやや乱気流にさしかかった感が。
この世は全て相手有っての自分。
いくつもの問題や状況が絡み合って、進むも退くも容易ならぬ時もあります。
多分こんな時、人は最大限の力を振り絞り、答えを捜します。

しかし、時には何も良い答えなど用意されていない事も。



その 4)
(人の道それとも、汚れても生き抜く

次郎の足は無意識に賑やかな方へと目指していた。
それは歩き、雑踏にまぎれることにより、一種の敗北感を時をかけて癒すがごとき。
次郎の日本にいる間の、サラリーマン生活。
自己を押さえつけて半ば“去勢”された中性状態を強いられているサラリーマン生活ともいえる。
その日々の犠牲の代償もしくは“果実”としての次郎の今回の上海滞在がある。
少しは夢をもって、昨夜上海入りして、次の日の今日、早くも予定していた上海女性二人のうち一人には、どうやら望みが絶たれたようだ。
それが最悪なことに、次郎の相手としては理想的なこと。 頭の良さも,身のこなし、話しかたも。
彼女は、頻繁に日本に密入国してくるような中国人と違い、余りにも“持てるもの”をもっている。大學を出て、仕事で油ののったエリート、キャリア・ウーマン。
人は一生のうち、一時期、飛ぶ鳥を落とす時期があるが、彼女はまさにそこにいる。

一方、次郎には三井や三菱の肩書きの無い三流会社づとめ、彼女に見せびらかす地位や財産もない。
常識からいっても、不釣合いなのだ、かといっても、彼女を紹介してくれているイタコ商会の山下を恨むわけにもいかない。 “結局,オレが好き好んで自分で(上海まで)来たのだから”と、次郎。

ほどなくして、次郎は南京路を目前にして、中途ハンパだが時間がソコソコにある。
そこで次郎は“外国に来て短い滞在期間の時間をムダにする手はない…・・”と。
急にというか、自然の成り行きというか、二人目の女性に会って見たくなった、もちろん、彼女の都合がつけばの話しだが。 彼女には明日電話することになってはいたが。
次郎の心には、上海到着から今まで、何をしていたか、怪しまれるのではという恐れもあったが、今の次郎には、時間をムダにしたくない方が優先していた。

街角に公衆電話を目にし、電話する、“果たして、(彼女は)居るか?居ないか?……”と、次郎。 
彼女は、紹介者の山下によれば、デパートの店員、名前を劉(りゅう)さん。 正直言って、孫さんよりは、次郎は情報を持っていない。 若干の家族関係と彼女の写真2枚といったところ。
そして日本から一度だけ、次郎は今回の上海行きについて国際電話をしている。
話しによれば、離婚歴がある。 年は三十六,七、ただ写真の彼女は美人だ。 それも優しい美しさというより、“刺さるようなキレイさ”。 その点に関して、次郎は彼女に直接会って、写真の“ツーン”とした次郎の彼女に持つ印象は正しくないことに期待したかった。
つまり、実際の彼女は次郎の妥協の範囲内であってほしいと。
電話のトーンは数回呼びつづけ、程なくしてつながった。
彼女だ。
次郎の聞き覚えの有る声が、受話器を向こう側でとった。






“あっ、居たんだ”と、次郎。
“仕事から帰ったばかりです、上海に居るのですか? いつ上海に来たの?”
“きのう、夜中だけど………・、(いま)電話してもいないと思ったよ”
“(今日は)早番だから”
“明日は、休めるの?会えるかな?”
“別に、問題無いけど”
“ほんと!、ありがとう”しかし内心、次郎にとって、明日のことはどうでも良かった。
“ところで………・今から出て来て、(オレと)会えないよネ?”と次郎の本音をようやく言い出した。
“(いま)どこにいるの?”
“南京路だけど……”
“(好了) いいわ”
“そう、それじゃ今5時だから、6時ごろ新世界というデパート知っているかな、その一階のドアの内側で、イイかな?”そこで次郎は約束を取り付け電話を切った。
さっきまで落ち込んでいた次郎の気持ちは急展開した。
別の女性に会えることで、にわかに次郎の心は引き締まった。

新世界という百貨店は、高級店ではないが、上海でも人でごった返すことで有名な南京路の入り口とも、言うべきところに位置している。
かつて上海と言えば第一百貨店が長く有名だった。
しかし、ここ最近新興の百貨店が続々誕生している。 新世界はその第一百貨店の目の前に4,5年前に誕生している。
次郎にとって、この百貨店は目新しくなかったが、劉さんとの待ち合わせの場所には都合がよかった。
百貨店の建物の中央に上り下りのエスカレーターを配し、その部分が吹きぬけ形式になっている。
その外から左側に面した入り口付近の宝石売り場をウロウロしていると、劉さんは約束の時間から7,8分遅れてやってきた。 お互い、これが初対面なので、当事者に違いないという確信がありながも、恐る恐る相手の名前を呼び合った。
“松尾さんですか?”
“劉さんですよネ? はじめまして”
そして、次郎は思わず、劉さんの服装に目が行ったが、黒い皮のジャケット、そして中国女性の間でここ何年か流行している黒のスパッツ状のパンツ、そしてセミブーツ。
彼女は、上海キャリア女性の孫さんとは対照的に中国人の間でここ数年来流行している、オシャレの基準の中にいた。
しかし、背は日本女性に比べ高く、顔立ちは美人系、いわゆる見栄えの有る顔をしている。
頭は、今さっき美容室でセットしたらしくカールが力強く表現され、顔に掛かる繊細な髪のラインはプロの手による軌跡を残していた。
彼女の服装も、髪型も、次郎好みかどうか?はともかくとして、次郎にはそれらから、彼女の女としてのプライドが感じられた。

いきなり、食事というもの面白くないので、次郎はお互いを紹介する意味でも、デパートの店内を巡り始めた。新世界百貨店の内部は宝石部門のつづきに履物売り場となっているので、次郎には、やや時代遅れに見える劉さんのセミ・ブーツの代わりに、ややカラフルなヒールでもどうかと思い、彼女に似合いそうなものを捜した。
淡いピンクで、細いつり紐二本がクロスして足をサポートするタイプのヒールを指して、次郎は“これ、どう”と。
劉さんは、首を振り“いらないわ、靴はもっているから”
次郎はガッカリした反面、安易に男に“たからない”劉さんに好感を持った。2階3階へ上がり婦人服のコーナーへ行ったが、やはり彼女は、欲しがらなかった。

これ以上、ここに居てもということで、二人は食事へ行くことに。
イタコ商会の山下が来たことがあるという、新世界百貨店を西に約2,30メートルのビルの4階に日本料理の店があるという。 別に、次郎にとってワザワザ上海まで来て日本料理ということも無かったが、山下が勧めるものだから、後で彼との話しのネタにと。

そこは、店内にコテコテと赤い提灯をぶら下げ、店の中国人の女の娘にムリヤリ薄っぺらい日本の浴衣のようなモノを着せているだけの、主張の無い店であった。
次郎は“良く、山下が行って見ろといったもんだと思った”とすこし、山下のセンス
を疑った。
料理の味はともかくとして、しかし、食事の間、劉さんとの会話、仕草から彼女が少し見えてきた。
彼女は今まで、この上海を中心にのみ生きてきた人であること。
どうして山下はこうも対照的な二人を紹介してきたのか?
そして、次郎が、劉さんの女としての値踏みをすると、美人は美人だが、彼女は普通の人であるということ。
偶然にも、対照的な二人、年はそれほど離れていないのに。
孫さんはキャリア・ウーマン、一方、上海のデパートの店員。
二人の社会的地位の隔たりは大きい。

どうして、この世の中、人として生れ落ちても、持てる者と、持たざるものにわかれてしまうのか

しかし、又、中国の故事に、またこの世の中、“万事翁王が馬”という例えもある。
考えようによっては、仮に持てる孫さんと、持たざる劉さんのどちらが好位置につけているか人生のシメックリ(最後)を見なければ、わからないこともある
なぜなら、孫さんも中国の基準で優遇されているかもしれないが、それは世界基準ではない。 もし、彼女が中国最大手の海運会社のエリートというバック・グランドで、アメリカや日本企業に勤めれば、収入は更に増え、待遇も優遇されるだろう。

彼女の今の幸せが、彼女の更なる向上心に水を差している

次郎は、常日頃から思っている、人はこの地球上どこの国だろうが、自分が求めらているならば、どこでも行くべきと、自分の置かれている小さな世界から、ムリヤリ答えを探す必要が無いと。
先ほどの孫さんだって、求められているなら、次郎の嫁さんになるならないは別として、アメリカでも何処でも行けば良いのだ。
でも彼女は会社に必要とされている。
一方で幸せな人、充足感を得ている人は保守的となる

次郎はこう読んだ、先ほどの孫さんは動かない。
利口な人ほど、持てる者ほど、時には臆病だ
一方、劉さんは、自分が外国に適している、否か?など自分に問うこともせず、デパートの店員の職業を捨てても、日本に来るだろう。

次郎の目には、上海には“お金というモンスター(怪獣)”が暴れまって居るように見える
上海のあちこちでは、庶民には高値の高層マンションが立ちつづけている、旧い家屋は取り壊され、あたかも、貧乏人は早く出で行けと言わんがよう
特に冬の上海はドンより曇っている。
それにも増して、休むことなく、場所を変え、そこいら各所で再開発のための建物の倒壊、それらから発生する粉塵、このチリが上海の冬空の一つの形になっている。
次郎の目には、おびただしい再開発、その後に立ち並ぶ高層ビルや高層マンションが、あたかもゴジラか何かの怪獣のように、庶民を怖がらせていると見える。

持たざるものは、すがれるものなら何かにスガリタイはず。
仮に、日本人との国際結婚、それも一つの解決法かもしれない。

次郎は食事を終え店の下で、タクシーを拾おうと手を挙げ、劉さんには、
“一緒に(ホテルへ)来る?”と尋ねると、
彼女は無言で、うなずいた。
タクシーの後ろ座席に乗った二人は、無口であった。
次郎は、確信した、今日、この女を抱けると、彼女が抵抗しない筋書きが描ける。
汚い言い方をすれば、次郎には、彼女はメスとして、観念しているのが読めた。
そして、この沈黙は何処から来るのだろうか?
男女が初めて交わる際の緊張感と、もしかして、これが縁でお互いが戻れなくなるかもといった恐怖感から来るのだろうか?

タクシーは昨夜、次郎が飛行場から来た方向と逆の方から、ホテルの車寄せへすべりこんだ。 ロビーや受付には何人もホテル関係者がいる。 次郎は、朝と別の女性を連れて戻ってきたことに多少やましさもを憶えながらも、平静を装いエレベーターの入り口に急いだ。
人目から逃れ“ヤレヤレ”と次郎が安心し、部屋のトビラを開けた瞬間に、一番奥に有るテーブルに目が吸いつけられた。
“シマッタ”と次郎は思った。
なんと、今日午前中、この部屋で孫さんと二人で飲んだ茶器がそのままになっている。
もしも、劉さんの“感が働いたら”、誰か先客がこの部屋に来たことがバレテしまう。 次郎は、隠すように二つの茶器をバスルームに運び、すかさず洗った。
案の定、茶器には、口紅が残っていた。
次郎はすぐさま、それを洗う。
次郎はホットした。
短く、そして長い一瞬であった。

テーブルを挟み、朝、別の女性が座った席に劉さんが座り、改めて次郎は話しをする必要を感じた。 なぜなら、ヘタに仲がよくなった後では、聞けないこともお互いに有る。
次郎は、彼女に離婚歴が有ると聞いたが、原因? 子供は誰が扶養しているか? 紹介者のイタコ紹介の山下とはどういう関係か? などなど・・・。

一方、次郎も過去の話し、現在の仕事、日頃の生活振りを話した。
正直言って、男女関係は一方の意見だけで納得するのは、危険だが、今は彼女の言うと通りを一応、信じるほかない。
彼女いわく、旧の旦那は遊び好きだったと言う。
ひと通り、聞きたいことを話し終えると、もう、次郎には退屈だった。
次郎が小さな声で次の行動をうながすと、彼女は軽くうなずいた。

これを中国語では“ツゥオ愛”と言う。
ツゥオとは日本語の“~する”、つまり愛をするとなる。 どこの世界でも、この手の状態をストレートには表現しないものだ。

次郎にしてみれば、何だろう……二人の行為は、愛の結果でもなく、彼女にしてみれば一つの取引 (中国語では交易)であったかもしれない?
行為の間、彼女の表情は乾いていた、ただ彼女の二つの瞳は次郎の瞳を注視していた。
二人のそれに愛があるかないか? を求めるのはムリな話し。

行為が終わり、彼女は暫くうずくまっていたかと思うと、急に我を思い出したかのように、バスルームへ急いだ。
彼女の全身の裸体を見た時、なんと綺麗なシルエットだろうと次郎は感心した。
高い身長、くびれたウエスト、それでいて女性らしいふくよかなヒップの持ち主である。
しかし、次の瞬間、バスルームのシャワーは全開され、水音は部屋中に響きわたった
仕方ないとは言え、初対面の男にヤスヤス体を許した汚れとも嫌悪感とも全てを抹殺(洗い流)している。
それがホテルの一室の壁一枚隔てたバスルームで、シャワーは夏の突然の雷雨のように“吠えている”。

しかし、それで男と女の関係が終わるのか?と言うと、そうで無いのも現実。
世の中、綺麗な筋書きの台本通り話ばかりでは無い生きていくとは時には人にも言えない話が隠れている
日本の例をあげれば、女性社員が定年まで雇用を法律で守られていると信じ切ってはいけない、時には会社上層部の“隠れ二号”を保身のため女性自ら手段とする場合もある。

一人ベットの上で次郎は考えた。
初対面の女性をお互い余り理解もしていないうちに“抱く”、これは一種の暴力かも知れない
一方、その仕返しとして、彼女は次郎の痕跡をかき消すようにシャワーを浴びる。
その音は相手(次郎)を鋭利な物で刺すがようでもある。

次郎は人生半ばを過ぎて、時々、今までの次郎が“良し”としてきたことは、間違いだったかと思うことがある。
それは、今まで、“人が歩むべき道があって、人は生きる”であった。
これは、次郎の母親から、暗に学びとったものであり、そして長い間、本人も人にとって大事なものとして来たものである
それが、最近、“目先の善悪はともかくとして、とりあえず生き残ることも大切”に変わって来たことだ。

すると、初対面の彼女を抱くことは、暴力でもなくなり、シャワーを全開にして彼女が次郎の体液を洗い流そうとすることも、この世の中で肯定されることになる。

(つづく)


平成くたびれサラリーマン上海へ行く (その3)一人のキャリア女性

2018-03-01 15:44:36 | 小説

いよいよ主人公、松尾次郎は上海の地を踏みます。
上海の有名スポット、外灘(ワイタン)も出てきます。
そこで賑わいを見せる名勝とは裏腹に、次郎は自分の置かれている現実を再認識。

子供時代に例えれば、学校が引けランドセルを背負い家の前に着く。
悪いことに母親が家の前を掃き掃除。
そして母親がやさしく声をかける”学校で何かあったの?”

そんな感じの、本篇(その3)です。




(その 3)
( ひとりのキャリア上海女性 )

上海空港(浦東新空港ができた現在、旧上海国際空港)で、飛行機を降りると乗客は直ちにタクシー乗り場へと殺到する。
イミグレーションで手続を済ませ、それぞれに旅行バッグを手にし、それからが戦争だ。
早く順番待ちへ付くか、否かでタクシーに乗れる時間がだいぶ違う。
次郎も早めにタクシー乗り場に急ぐ、途中で言い寄ってくる、客引きには耳もかさない。
タクシー待ちには、三列でタクシーが入ってくる、タクシー待ちの先頭で指図する係員の指示で客はそれぞれに乗車する。
次郎も係員の指示に従いタクシーをひろい、旅行カバンを運転手の補助で後トランクにいれ、乗り込む。
行き先を“チェンハー・ビングアン(千鶴ホテル)”と告げる。
駅前を緩やかにタクシーはカーブし直ぐに左折する、空港に隣接する道々は夜の9時過ぎゆえ静まりかえり人影は少なく、ネオンが飛行場周辺の街並みを浮かび上がらせている。
そして、車速は増し、高速道路の料金所へと。
“以前は、この高速道路も無かったんだからナ”と次郎は上海の変わりよう見入っていた。

上海のタクシーの運転手は客が誰にしろ飛ばす、彼らの思いはこの客を早く下ろし、次の客に早くありつくことにある。
追いぬきをするために進路変更し、その度に警笛をならし、とても客がドライブを楽しむどうのといった世界ではない。
タクシーの窓越しから次郎の目にも、上海が少しずつ、いや急速かも、変わっているのがわかる。
以前は空港からの道すがら、個人経営のカラオケスナックが、闇夜に豆電球の配列を滝のように屋根から何本も配した店を数多く見た。そのカラオケの豆電球の放つ明かりが、次郎が最初に上海へ来た時の、この街のイメージとして焼き付いている。昼間みると、何のへんてつもない旧い店も、その豆電球のおかげで夜は化けるというやつ
うす暗いスナックの灯りの下で、そこそこに見える彼女も、昼間“スッピン”で街中をあるけば、想像以上に年のいった“〇〇さん”にも似る。
しかし、すこしそうした店が減ったように見える。
理由はわからない、客が減ったか、カラオケのブームが下火になったか、あるいは客がもった高級なところへ行くようになったか。
“なんでも、変わるんだな…・”と次郎はタクシーの外に目をやる。





次郎のこれから行く千鶴ホテルは、それほど上海の中心ではなく、というかややはずれにあるが、日本に帰る時に飛行場に近く便利なのだ。
(千鶴ホテル - 現在、ホテルのオーナーが代わり、名前も変更されています)
三ツ星ホテルで高級でもいが、貧乏くさくも無いちょうど中間といえる、新しくはないが高層なので、マアマアといったところか。
貧乏くさくない、これが、中国人とあい対峙するとき重要なのだ、中国人は外見から人を判断する
次郎は昔、日本にいる中国人に忠告された事がある。
(2000年以前)日本人は良く海外旅行へ行く時、ジーンズで行くが、中国で (現地の)人と会う時は背広を着ろと。
初対面、公式ではいわば背広着用の国なのだ。
次郎は海の者とも、山の者ともわからないこれから会う二人に、とりわけ見栄を張りすぎる必要も無いかわり、自分自身を安っぽく見せてもいけなかった。
これは、別に次郎が発見した事でもない、人に拘わらず、昆虫のような小動物の世界でも異性を勝ち取るためには、これは世の“定石”ではないか。
千鶴ホテルの周りは、夜は暗くひっそりしている、以前上海の日本人の友達からこのホテルを日本人駐在員達はイヤな言い方だが“センズリ・ホテル(男性が独り自慰する行為から)”と呼ぶそうだ。
“そういえば、千のツル、それでセンズリか……”と次郎は苦笑。

タクシーは右手に一般の住宅街を見ながら左折し、ホテルの車寄せへと。
チェック・インを済ませる、一泊450中国元。
ホテルの玄関先で見たベル・ボーイが次郎の旅行カバンをヘルプし部屋まで上がってくる。
チップを10元やり、やっと一人になりホットする。
上着を脱ぎ、荷をほどき、一杯のお茶にありつきヤレヤレと。 飛行機の中では、死人状態で食欲のなにもなかった次郎だか、地上に下りて一気に生きかえった。
“そうだ、ノンビリもしていられない”と次郎。
飛行機嫌いの恐怖感が解除されると、我を取り戻したかのように、行動を起こし始めた。

*(次郎は大学時代第二外国語として、中国語を専攻したので日常会話にはとりあえず問題はない≪以下、会話が中国語いかんに拘わらず日本語にて表記≫)

次郎は受話器をとり“もしもし、松尾です。夜分すいません、たった今、着きました。 ホテルにいます。 千鶴ホテルです、宣上路の(中国では場所を説明する場合、アメリカ同様建物が面する道路名を告げる)。 千鶴ホテルです”。
電話の相手はイタコ紹介の山下から紹介された女性の一人である。
明日の都合はいかがですか? 午前中の9時半は、早いですか。(少し、彼女の返答を待つ、そして) 問題ないですか。 ルーム・ナンバーは1513です。 それでは、明日”と次郎が会うのならこの人が先と決めた女性に約束をとりつけた。
彼女とは、写真も経歴書もとりかわし、もちろん次郎は日本から国際電話で話しもしたことがある。
彼女の名は孫さんという。
彼女は大学を出ている、経歴書によると、中国の船会社に勤めている。
その履歴書だが、英語で書いてある、中国人この世に数多くいるが、30代で英語に精通しているのはかなりのインテリに違いない。
“またなんで、イタコ商会の山下が俺へ、そんな才媛を紹介してくれたのだろうか?”
“まァ、いいか“いろいろな人と、会うのは別に悪いことではない、決まったわけでもないのだから…・・”と、次郎はその先を考えないことにした。
しばらく又、ホテルの自分の部屋で落ち着き、上着を脱ぎ、外を見渡す。
既に暗いが、闇にくれた下界には細々と店を開いている商店がみえる。 客や通行人も既に少ない。
次郎は視線を自分の部屋に戻し、椅子に腰を下ろし、一人でお茶を飲んだ。
次郎は飛行機を降り無事ホテルに着いた安堵感と、始まったばかりの中国での次郎のこれからを思うと、多少の興奮が込みあがる。
そして、その夜は、次郎は風呂をつかい寝に入った。

翌朝、中国特有の街中を走る、自動車の警笛で次郎はおこされた。
どう言うわけか、(当時)中国の自動車の警笛はシングルなのだ、そして、走行中運転手はひんぱんに鳴らす。 その音が、日本人には奇異である。
朝のウトウトしている時に、耳に入る、その奇異な“ビービー”という警笛が、外国での朝を迎えた事を次郎に教える。“そうだ、そうだ、こうはしていられない、彼女が来る、その前に身なりを整えなければ”
うとうととしている次郎は、ムックリ起き上がった。
“9時半だから、少なくとも9時ごろまでには、準備しなければ、これはまがりなりにも、お見合いなんだから”と、次郎。

そして、次郎待つこと久しく、孫さんは9時40分ごろようやく、次郎の部屋をノックした。
“ご苦労さん、遠かったでしょう?”
“そうですネ、少し”と彼女。家は確か豫園(中国の旧い庭園 - 上海の観光スポット)の近く。
彼女を次郎は写真では見たことがあるが、実際には初めての対面である。次郎はなにげなく孫さんの服装に目がいった。
アカぬけているというのが、次郎の印象。 派手でなく、時代遅れでなく、日本人好みである。
彼女はワイン系のスーツに、ブラウンのコートのいでたち。
中国人としては、やや小柄か、そして決して美人系ではないが、頭のよさそうな顔。
“座ってください”と、次郎は彼女にうながした。
そして、次郎自身がホテル備え付けの茶器で自分と彼女にお茶を入れた。
少し話をしただけで彼女の明晰さが、次郎にはここち良かった
彼女に嘘も通用しない変わり、余計なことを説明する必要も無い 二人の会話はすべるように進んだ。
しかし、男と女の関係が縮まった意味でも無い。
その辺は、次郎も時間がかかることを知っている。 次郎も急がなかった.。
次郎は、彼女の気持ちを遠回りに聞くために、自分自身飾らず、ひたすら話しを続けた。
真ともな人間には、正攻法しかない。 誠実にあたるしかない。

そして二人で、ホテル内で昼食をすませる。
お互いに紹介も一通り終り、話もソロソロという感では有ったが、男女の突破口を切り開くには、今の二人はあまりにお互い理性的。
事を急いても仕方ないと次郎は読んだ。
これ以上はホテルの部屋で話しをするのも、たいくつとみた次郎は気分転換にと、どこか、どこかといっても上海はこれといって目新しい所は無いが。
結局、外灘(ワイタン -旧い街並みが川岸に残る)、上海といえば日本人がイメージするその地へ。
冬にもかかわらず、日があり暖かい、日曜日でもあり、たくさんの人が外灘に来ている。
つい最近の中国のどこかでおきた天災のためのカンパを求める若い人達、多分学生と思われる人たちが所々で次郎達にも声をかける。 
若い時と違い次郎はこの種のカンパに応じることにしている、人は自分の物をかたくなに全て握りつづけてはいけないと、解り始めてきている年代だ。
その学生たちは、カンパの人たちに、日本の赤い羽根募金と同じように、寄付した人々に印として赤い丸いシールを、次郎も服の胸のあたりに貼ってもらった。
その後は、次から次と現れるカンパの軍団を孫さんは、さりげなく“もう、おさめている”とかわした。
ヒステリックにカンパを求める学生たちを追い返すわけでもなく、かといって、次郎に更なるカンパの強要をするでもなく、次郎は孫さんの人間性の丁度良さというかを観察する結果となった。

外灘のほぼ中央に来た二人。
外灘の向かい側には今や上海を象徴するタワーがそびえている。 近い将来、この街は更に大きく変わるというエネルギーを次郎は感じる。
左右を見渡すと、あちこちに日本のメーカーの大きな看板が目に入る。
周囲に、NEC、AIWA、SANYO……・日本のメーカーの大きなサインが目に入る。
“こういった個人的な上海訪問でなく、企業の前線として来たいものだと…・・”と次郎は思う。
次郎もこの、中国近代化のレースに何らかの形で参加したいと思いつつも、次郎自身も、次郎の会社も微力過ぎるのを感じていた。
次郎が外灘の反対側の旧ビル群に目をやる、そこいらは旧租借時代の建物が並ぶ、まさに上海の顔といったところ。
孫さんは、次郎に声をかけ、“あそこが、税関で、ちょうどその隣りにあるビルを見てください、あすこの2階が私達のオフィスです。”と、指差した。
そのビルは、威風堂々とした、まさに外灘のほぼ中央に位置する立派なものだ。
そして、そこではたらく孫さんも、同じように立派なものだ。
前からキャリア・ウーマンとは思っていたが、外からとはいえ職場を見せられ、次郎は自分との釣り合いを考えた。
年齢的にもまだ30半ば、挫折を知らぬだろう彼女はこの街、上海では飛ぶ鳥を落とす勢いだろう。次郎は彼女とそのビルが一緒に収まるようにと、携えてきたカメラのシャッターを切った。
そして、周りにいる若い人に頼み次郎は彼女とツーショットの写真を数枚とる。
とりあえず彼女との写真を撮りたかった。
人間の記憶ほどいい加減なものはない。
記憶は時と共に不確かになり、その不確かさは判断を美化することもある。
次郎はその写真をみて彼女への愛情を深めるためというより、後になって彼女をもっと知る手がかりになるかもしれないと。
人は、顔の表情、しぐさに意外と自分の全てが出てしまうことが多い。
次郎の場合も、将来この写真を後で見て、“(彼女は)どうのこうの……・”と思いをめぐらせるかもしれない。

次郎も孫さんと初対面した今日の数時間で、やや次郎と彼女の状況が見え始めた感じがして来た。
今まで日本と中国で二人の手紙や電話のやり取りも含めて、どちらかというと、お互いに積極的で、孫さんが時にはこの話に乗り気にも思えた。
だから、今回、次郎が上海に来る決心がついたとも。
しかし、次郎はひょっとして、これは誤算だったかなと。
次郎は内心で、“これをゲームにたとえたら、俺の負けかも? いや、まだ勝負がついたわけでもないが、ただ、このままでは勝ち目がない。”
彼女はまだ30半ば、未婚、この上海でのキャリア・ウーマン。
挫折を知らぬ。
あたかも目の前で威風堂々としてドッシリとした彼女が働く立派な建物のように、ちょっとした事では彼女の心を動かす事はできないだろう。
次郎が彼女にオファー(差し出せるのも)できるものは、彼女にとって何の価値もないものだろ。

彼女と会える短い時間のなかで、次郎は何らかの手がかりをほしかった。
それがなければ、次へ進めなかった。
ダメなのか、待つ価値があるのか?

少しして、次郎は意を決した。
“コーヒーでも、近くで飲みましょうか? 少し疲れたことでもあるし”と孫さんをうながした。
二人は、外灘の遊歩道に面した大きな通りを渡り、角の比較的大きな独立系のファースト・フード店に入った。
店には活気がなく、パッとしないところだが、今の次郎には店の雰囲気の良し悪しはどうでもよった。
店の大きさの割には客は少なく、落ち着いた話をするのには、逆に空いている店の方がもってこいに思える。
むしろ、誰かに二人の会話に聞き耳を立てられるほうが、次郎はイヤだった。
テーブルにつき、しばらくして次郎は切り出した。
“正直いって、私は日本で、とりわけ金持ちでもないし……・ただ、仕事をとりわけ一生懸命するぐらいの人間だけど ……・・”
とりあえず、中国人が日本人に抱く、日本人の誰もが金持ちというイメージを払拭したかった。

一方で、孫さんの現在の輝くキャリアを口に出して誉めることも、敢えてしなかった。
西洋の諺に、自分が世間の常識や相場に照らして、得をしていることを自ら口外すべきでないという教えがある。
次郎は、その例えの裏返しに、自分が損することを自ら白状する必要はないと、年を重ねた今、ようやく分りはじめている。
次郎の本音としては、経済的な豊かさは保証できないが、自称真面目な人柄で自分を好きになってほしかった。
それは、無理な話なのだが。
次郎も、率直に、孫さんの気持ちを聞き出すのも怖かった。 例えば、このまま付き合ってくれるのか、もしくは、(結婚という形で)日本へ来てくれるのか?
ここで、孫さんには次郎がどうしてほしいか解っているはずである。
次郎には、冗談でも、孫さんの口から、“日本へ来たい”とも“男女の関係は、やはり人柄が一番”と言った言葉が出るのを期待していたのだ。

しかし、彼女は動かない。
次郎は、ついに今回、今ここで結論を求めるのは、性急過ぎる。 今回の上海入りで何らかのメドをつけることは難しい、時間をかけようと腹をきめた。
彼女から、逆にスパットきられるのも辛かった。中途ハンパな状態にしておく方が、次郎には多少なりの慰めにもなる。 これ以上、二人に時間は必要でなかった。

二人は通りに出て、各自別々の帰り路の方角を探った。
次郎が孫さんに、サヨナラを言うときがきた。
太陽も西にかたむきつつある、風もいっそう冷たく感じられる。
外灘の賑わいも峠を過ぎ、帰る人がたくさんバス停に人の列をつくっている。
そして、なぜか外ふく風もひとしお寒く感じ、行き交う人の動きも早く感じる。
次郎は、孫さんに“今日は忙しいところどうも有り難う、これからも手紙書いたり、電話したりしますよ”と誠意をつくす話し方をした。
次郎はすがすがしい表情を努め、多少なりの失意が顔に現れないよう。
そして、次郎は彼女に握手を求めた。
それはそれ程に親しくない男女の関係では、マックスの接触と言えるだろう。
次郎は暗黙に孫さんに求めているのは、何も今日いままで話して来た、仕事上の情報交換でもなく、合弁会社の立ち上げのようなビジネスがらみではない。
最初は、友達からでも将来はやはり、男と女ということになろう。
握手の後、孫さんはタクシーを拾い、次郎の視界から消えた。

どちらかというと、次郎のシナリオの第一幕は彼にとって、ガッカリした形となった。
独り外灘に面したビル街の横を歩く、先ほどらいの人気も目っきり減り、次郎は更に落ち込む。
直ぐにタクシーに乗ってホテルに帰る気にもならず、彼自身の落胆を忘れようとするかのように、人込みを求め南京路へ(上海の繁華街)トボトボと、歩き出した。


(つづく)


くたびれサラリーマン上海へ行く その(2)上海への機上にて

2018-02-16 10:19:06 | 小説
現在2000年頃に小説形式で書かれたものを、連載しています。
今回で2回目ですので、話の内容が大きく動くのは先ですが、何の小説でも後半に”ドドット”展開します。 どうかシビレを切らさずお付き合いください。





その 2)
( 上海への機上にて
 )

いよいよ、ボーディング(搭乗)である。 失礼だが、中国人が搭乗する際の状況はけたたましい、というのが次郎(松尾)の印象だ。
彼は何年か前、中国の地方空港で搭乗の際、先を争う中国人の乗客が、タラップに殺到し、そして中程でダンゴ状になり、落ちそうになったのを目撃している。
不思議だった、もう登場する前に自分の座席は決まっているのに、なんで多くの人がタラップめがけて、そして座席に急ぐのかと。
ともあれ、この上海行きは、無事に収まった。

いつも、次郎にとって中国への飛行機で、多少気になるのは、隣の席は誰が来るか?
日本人の癖のあるオヤジか、はたまた無骨な中国男子か、あるいは美しい中国女性(小姐)か?
次郎にとって、できることなら、上海までの2,3時間、となりの席はきれいな女性にこしたことは無い。
しかし、今回、次郎のとなりは日本人の母娘づれ、しかも娘のほうは社会人らしい。
次郎にはなんでこういった組み合わせの二人が、わざわざ中国へ旅行に行くのか不思議だった。
(2000年前後、中国への飛行機に乗るの常連は、経済の夜明けを狙って一発当てようとする中小企業のオヤジ連中、はたまた主人公の次郎を含む日本女性に相手にされない“婚活やりなおし組”が相場だった)
以前、後ろの席の日本人の会社出張グループの会話に耳を立てれば、”何か後から来た劉さんの行動、何かおかしいよな?”。
ようするに中国でのビジネス構築過程で、何か府に落ちない点があっても、引くに引けない、もう中国を外すことは出来ない時代へ入っている。
ただ中国へ踏み入れるということは、トランプの”ババ抜きの婆”をつかまされる事もあるということだ。 

上海行の飛行機はあたかも”アトランティック・シティー(米国の有名なギャンブル都市)行きのバスと同じなのだ。次郎にしてみたら、それらと無縁な無垢な感じの女性旅行者二人、選りにもよって何で中国への感がある。
幸か不幸か、お互いに話し掛ける必要はなさそうだ。
(そして、飛行機は離陸)




次郎は、今回のこの上海行きを決めたことを座席に着いて、再び後悔しはじめた。
正直いって、次郎は余り飛行機が好きでなかった.
飛行機は天候の具合で揺れる、時には激しく、あの揺れはどうにも好かなかった、どう見ても次郎にとって、飛行機が墜落する前兆にしか思えない。
出来るものなら、飛行機に乗りたくない、でも乗らなければ、世界のどこへも行けない。
行かなければ、飛行機に乗らなければ、何も新しい世界を見ることができない、すなわち自分を変えることが出来ないかもしれない。
ここが、次郎のジレンマ。
次郎は皮肉にも外国論者。
賭けごとの好きな人だったら、いつか大きく勝負し、大金を得て、一気に人生を変える。
そういう人達にとって、いつか大きく勝負に勝つことが夢かも。

その点、次郎の場合は異国を訪ねる事であった。
時には、外国を見て、日本の良さを知る場合もある。
日本だけ、見ていてはダメ、新しい発見があれば、どこでも行くべきと、彼のこじつけだが、中国の嫁さん捜しも、その延長かとも思われる。
“怖い飛行機に乗らなきゃ、中国の嫁サンは手に入らないか…・”とただ、飛行機が今回は、揺れないで飛んでくれと祈る次郎。
さらに、“とんでもない(中国女性)のを、今回紹介されたとしたら、オレの今回の上海行きはムダになるが、…・・しかし逆に良い人だとしても、問題だな、”と。
なぜなら、イタコ商会の山下の言うことには、中国人と結婚するには例え、相手を気に入っても少なくとも手続に3,4回行ったり来たりしなければとのこと。
“それも、参るな、(会社の)自分の廻りの人間が休ませてくれるか…・(ハーと、そこでため息)…・・また、怖い飛行機に何回も、この件で乗る羽目にもなる。”
 
窓越しから外に、目をやると空は完全に夕闇。
“出来ることなら、飛行機は明るいうちの昼便に乗りたい。 明るいうちなら、落ちても乗客の中いくらか助かるかもしれないが、暗くちゃ全員ダメだもんな。”と次郎の飛行機嫌いが、また始まった.
同じ夜間飛行でも、天候の違いで飛行はまるっきり違う。
まるっきり揺れないでおとなしく目的地へ着いてくれるときもあれば、そうそう、一度、出張で北京へ行ったときは、最高に揺れた、機体がグシャグシャと揺れた。思い出しても怖い。

しかし今日は、幸運か今のところ揺れも無い、おまけに下の街の明かりが、高度一万メートル前後から見ているとは思えないくらい手に取るようにわかる。
ふと次郎は、昔、第二次世界大戦中に日本に空襲にきたアメリカのパイロットには、投下管制下で電気を全て消し真っ暗な中でも高度から日本人の吸う煙草のわずかな火も見逃さなかったとかいう。 これは次郎の父親の時代の人間の作り話だか、ほんとだかの話しを思い出した。
闇の夜だが未だ日本上空のせいか、明るく光る街や道路が見える.
日本には、山や川もあるはずなのに、なんでこうも夜なのに明るいところばかりなのか、次郎には不思議だった、というか、これでいいのかという感じが強い。
ちょっと文明が発展し過ぎるのではないだろうか。

7年前、中国の紅西省に行ったとき(今では変わったと思うが)夜、空港から市街地へ出る道中、街路灯は殆どなかった。
タクシーが旧い車はともかく、道に頼りになる街路灯はほとんど無い、タクシーは自分の前哨灯だけがたより。
闇夜に次郎の乗ったタクシーのライト前方に突然と映し出される自転車の二人乗り、日本と違って自転車の後輪に反射鏡がない、更に前照灯らしきライトもない。
しかも、自転車に乗る人間のほとんどが、闇に消えるグレーか,地味な作業着だか人民服だかで、闇と人間の区別が出来ないあたかも、闇夜で視界に急に現れる人の乗る自転車には、突然コウモリに鼻をかすめられるように、ビックリさせられる。
それも、突然、出没する自転車数え切れない。

工場か何かの退社時であったかもしれない。
次郎は、“オレが車を運転したら、必ず人をひき殺してる”と。
さらに、“自転車のライトは高価としても、なんで、それほどすると思えない反射鏡を中国の自転車は付けないのか、”と頭をかしげた。

日本上空を飛行する一時間余、下界に光りの絶えない日本がある。
美しくもある。
衛星から観測すると、この地球上で一際一番、明るく、あたかも指輪の宝石のように輝く島、それが日本だそうだ。
機内食を出されて、気分転換をしても、時間的にまだまだ怖い飛行機から降りれないのが、海外旅行だ、まだまだ着かないのだ。
“さて、今度は、雑誌を読むか、ヘッドホーンをして自分を紛らわすか”と次郎。
しばらくして、機内灯は消されて、必然的にそこかしこ静寂の時を迎えた。
上海は近いといっても、やはり外国である。 飛行機の座席にすわり“タイクツ”な時間を過ごさないと着かない。
次郎は飛行機で寝れる人は、羨ましいと思う。 寝れれば遠い外国も、アッという間だろうにと。
日本の領域からはなれた飛行機は完全に闇夜になった空を、今回の飛行はベタ凪を航行する船のように静かにすべるように飛ぶ。

30分も、寝ただろうか。
次郎はそのまま目を閉じてはいるが、機内灯が引き続き消されているにもかかわらず、人の動きがあわただしくなってきた。
上海が、それほど遠くないことを、誰もが感じ始めた。
承知の通り、飛行機は着陸の約30分前から、高度を下げ始める。
不思議と、次郎は飛行機が嫌いなくせに、下降体制に入ると、恐怖心がいっ気に無くなる。
実際は、パイロットにとって、着陸が一番難しく、危険だということだが、次郎の飛行機に対する恐怖心は逆なのだ。

そこで、“来て良かった”、“無理してよかった”と、
次郎の心の中で、あたかも、眠っていた闘争心が爆発したかのように、すこし前までの、飛行機への恐怖心はかけらもなかった。
“やっぱり、何かしなければ始まらないのだ”
“もちろん、これから会う二人の女性はとんでもない悪(ワル)の可能性もある、しかし、今の自分の生活に長く満足していなかったのも事実”
“ただ女がほしいのとも違う”
“仮に、今回お互いに気に入って、一緒になって、その中国の女性に、家の事や、オレの面倒を全て見てほしいのとも違う”
“オレは、長く独りもんをやってきて、料理も出来るし、洗濯も苦にならない”
“そんな、セコイことを望んでいるのでもない”
最初は当然、日本語もろくに話せない中国の女性が、次郎の都合の好いように家のことが出来る訳がない。
むしろ、最初はゼロどころか、マイナスから、つまりスタート・ラインの手前から始まるに決まっている.
仮に、結婚することがあっても、あたかも一から育てる覚悟でなければ。

そこで次郎は自分自身に問う、“何なんだ、オレは何がほしいのだ…・・何を望んでいるんだ……”しかし、この答えは、容易に出るべくも無い。
心のモヤモヤが、次郎には何であるか、なかなか絞りきれない
しかし、このとき、次郎には答えが思いつかなかったが“(次郎が)何かを捜している”状態にいることだけは、わかった。
飛行機は、徐々に高度を下げる。
街の灯り、車のライトに照らされている市街地の、人々の生活が感じられるような、ところまで降りていく。
上海へ来るたびに、灯りが増え街全体が明るくなって来ているように見える、すこし前まで、ハイウエイもなかった、そして上海が以前にも増して国際都市としてのプライドを持ち始めつつあるように見える
そうこうしているうち、機体の油圧系統が作動して、車輪が出始める、その振動が乗客にも伝わる、飛行はランディングのための最終局面へ。
飛行機は、幹線道路をまたぎ、上海の市街地をなめるように高度を下げる。
ついに、飛行場の施設と見られる建物を、窓の外にみる。
そして、乗客の地上を見る目線が水平になったところで、車輪がかすかに大地と接触し、しずかに滑走路へ滑り込み、そして、その直後に急激なブレーキの負荷がかかった。
機体は急激に減速。
笑うかもしれないが、次郎はこれ以上、墜落が起り得ないことに安心し、飛行機の外を大きく見入る。
前方斜めターミナルの上に、赤く大きい漢字二文字のネオン
“上海”と夜空に浮かびあがっている。

次郎には来たぞという感じである。
“この上海にいる、数日間が俺にとって、会社で遠慮しながらも、皆に調子を合わせてうまくやっていることに対する、ご褒美なんだ、怖い飛行機にも乗ってきたことだし”
“別に、必ず紹介されている、女性をものにするという意味ではない”
“とりわけ、今、大事なのはどうのこうのと自分が、ここしばらく考えていた、自分のシナリオがこの上海で、その通りになるかどうかが問題なんだ。”
“そして、いかに上海にいる短い時間を有効に使えるかが問題だ”
“なぜなら、日本に帰れば、また、自己の感情を押し殺したサラリーマンに戻らなければならない
“上海で時間を有効に使ったか、否かが、日本に帰った後の、しばらくの間の自分に影響してくる”

そうもこうもするうち、乗客は各自の手荷物をもち、ターミナルのなかへと先を急いだ。 夜も9時前後とおそく、出発便を待つ客もなく、旧い閑散としたターミナルの中の廊下を、イミグレーションへと誰もが急ぐ。
イミグレーションのカウンターの窓口の先にある前方の窓ガラスには、出迎えの人々がたくさん、自分の待ち人はどこといわんばかり、へばりついている。
今日の次郎には、誰も迎えが無い。
もちろん次郎には、上海の土地感があり、ホテル捜しにウロウロすることはないが、それは、寂しくもある。
もちろん、男性にとって、外国からわざわざ飛行機に乗りよその国におもむき、飛行場で女性が待っているなんて、こんなにロマンティクなことはない。
しかし、今回は紹介された二人の女性ともに、これでよしと思えるまで、次郎は距離を置きたかった。
なぜなら、男女の関係は動き出すと、時として容易にとめることが難しい場合がある。
これから会う二人に、なぜ飛行場に迎えに来させないか不信がられても、最初のうちは公平に二人を見たかった。
あるいは次郎が自分自身に性急に答えを出させないためにも。
ラゲッジ・クレームで自分の旅行カバンを手にいれ、次郎一人、約二十メートル離れたガラス張りの出口へと向かう。
先ほどらいの、出迎えの人が鈴なりになり、次郎が来る方向を注視している。
出迎えのいない次郎でさえも、一種の興奮状態に。

“サア、これからだな”と次郎はつぶやいた。

(続く)

平成くたびれサラリーマン上海へ行く (その1 成田空港へ)

2018-02-07 22:15:28 | 小説
しばらく、あるサラリーマン(主人公 : 松尾次郎)をモデルに中国上海へ出向く旅を何回かに分けて投稿したいと思います。
2000年に書かれたものですが、読んで楽しんでいただけたら光栄です。


平成くたびれサラリーマン上海へ行く



その 1)
( 成田空港へ 

人は時として、未知の自分が知らない、そしてないものに憧れる(あこがれる)。 自分の可能性を少しでも、花開かせたいともがき、そして終には散って行く

この“あごがれ”を、ほんの少しでもかなえた人は、ある面で幸せ、そして又ある面で以前にもまして、不幸かもしれない。
なぜなら、青い鳥ならぬ“あこがれ”捜し求めることをその人の魂は、彼の肉体に以前にもまして強要しつづけることもあるでしょう。
それまでは平凡でも、それなりに幸せだったかもしれないのに。
人が本来持つ、冒険心というか、魂の中に眠る何かを眠りから起こしてしまった事になるのかもしれない。

それは例えてみれば、魂のジプシー(放浪)の始まりと言うべきか。
人(家族や友人を含め)には理解されることは難しいかもしれません。
あたかも、モノノケにとりつかれたかのように。
奥の細道を書いた、かの松尾芭蕉も、東北へ旅立つ前の形相(ぎょうそう)は普通ではなかったと言われています。

主人公の姓を芭蕉からお借りし松尾、次男ゆえ次郎、職業サラリーマン。
松尾次郎の上海への旅が始まります。




見たところ、何の変わりばえのしない、普通の中年のサラリーマン。
三流というか、四流の小さな商社勤め。
彼は、今日、少し古めの旅行ケースを携え、京成日暮里駅のホームに立っている。
彼は成田空港行きの特急を待つ。 しかし、スカイライナーではない。
とりわけ普段と変わらぬ、日常的な光景の、この日暮里駅から海外へ行く。
“金を使わないで成田に行く、これも俺の形なのだ”と次郎はつぶやいた。
“どこかの商社の人達とは、俺にとって縁遠い世界なんだ”とさらに一言。

実を言うと、次郎の今回の上海行きは,一、二ヶ所現地の得意先を訪問するものの、これは形式で主な目的は上海で,女性に会うことである
しかし,その女性に未だに会ったことがない。
更に一人でなく,二人の別の女性と。
その女性達は、彼が自分以外の女性と会う予定も知らない。
次郎の会社に出入りする,イタコ商会の山下という男の紹介というかお節介に乗り、次郎に誰か縁があればということだった。
話はさらに、この際、国際結婚で中国の嫁さんも悪くないのではないかというのが、これまでの経緯だ

そして,その話に乗るほど,次郎の今の生活は,単調そのものだったかのかもしれない。

そして、一番のハラハラものは、二人の女性に悟られないように,うまく次郎が自分の頭で巡らしたスケジュール通りに、今回の短い日程の中うまく、別々に会えるかということ。
イタコ商会の山下いわく、“松尾さんはマジメ過ぎるから、ダメなんだ”が彼の次郎への評価。
そして山下が付け加えることには、“人間、多少ずるくならなくちゃ”である。
と言う事で、別に次郎が複数の女性に会って、一番良い人を選ぶのは、山下にしたら当たり前と、いう事になる。

電車が入線して来て、乗客の誰もが座席に有りつこうと車内は、しばしの混乱。
京成沿線というのは、途中の道中も大変に庶民的な電車で、通学の学生有り、スーパーのショッピング・バッグの主婦有りで、この線が世界の玄関成田へ通じているとは、多少苦笑ものである。

次郎以外にも、成田空港行きの旅行者らしき人達が見うけられるが、完全に京成電車が走る東京下町の光景の下に隠れてしまっている。
そして次郎自身も海外へ行く多少の緊張感を持っていたものの、乗車時間の長さに、二度三度ウトウト寝に入る。

そして目を覚ますと、もう車窓の外は下町の込み入った風景から、田や畑の見える田園へと抜けていた。
成田駅を過ぎると、ホテルなども見え隠れし、電車は一気に飛行場に近いことを感じさせる。
車速も増しあの東京の下町をすり抜けてきた下駄履き電車の感はない。 むしろ遊園地の別世界に入りこむ乗り物にも似た。
それは、見知らぬ世界へ入り込むプローローグ(序曲)のよう。
一般の電車にもかかわらずここまで来ると、車内は非日常バリアーでろ過されたように、旅行者のみを残している。

電車が飛行場近くのトンネルに入ると、もう海外旅行の始まりである。
空港駅を降り、エスカレーターに乗って、第一ターミナルの出発フロア-に上がると、あの成田空港の混雑した天井の高いチェックイン・カウンター。
なぜか、訳のわからない興奮感が次郎の体を包む。
あたかも、幼魚場の小さく、平和な生け簀(いけす)にやさしく育てられていた稚魚が、大海に放流されるような興奮。

次郎はつぶやく、“馬鹿だな、俺は、ノコノコこんな所へ出て来て。家に居れば明日は、いつもの土曜日、その次もいつもの日曜日、何にも無い変わり、逆に何も、イヤなこともない、平和な過ごしかたが出来たのに。”
既に、今回の上海行きについて“後悔”の二の字が早くも見え隠れしている。

次郎はイミグレーションを通り、あの第一ターミナルの円筒形の建物のなか、濃い紅い椅子の有る待合でボーディング(搭乗)時間を待つ。
中国へ行く事が初めてという訳でもなく、今夜泊まるホテルへの道すがらも別に問題ない。やや、搭乗までの待ち時間が長く感じられる。
次郎は独り思いを巡らせる。
これからの中国での道中はどんなものか?
例え、女性に会っても良い事ばかりではないだろう。
時には、リスクも。
時には一人相撲で終ってしまうかもしない。
まるっきり意味の無い、今回の上海行きに成るかもしれない。

そうこうする中にも次郎の座る席の傍の通路を、時折、人が行き交う。
西洋人と東洋人の夫婦の子連れに、ふと次郎の視線が止まる。
自然と次郎の耳は彼らの会話にはり付いている、“どこの言葉(何語)で会話するのだろうか”、“どんな事を、話しているのだろう”かと。

突然、生理的にどこからとも無く、次郎の体は彼らに嫉妬しているのを覚えた
多分、次郎自身、そうした国際カップルに対する憧れが人より、強いのかもしれない。
一度、高まった嫉妬はただちに、次郎の体の中から静まらなかった。

人は、自分に無いモノを、見せ付けられると、慌てると言おうか、心理状態は冷静さを失うのだろうか

(つづく)