中年オヤジ留学
米国クリスマス、山のごちそうテーブル、時にはドラマの世界
アメリカ人の食に対する執着心の無さは、むしろ強さか?
2016/7/2投稿 2022/12/21編集
(これでもクリスマス・パーティー?私の偉大なる勘違い) ニューヨークに留学してほぼ一年も経つ年の暮れ、自分が住んでいるI-HOUSE(コロンビア大学近くの大きな学生専用の寮)の掲示板に、クリスマス・パーティーへの誘いの貼紙を見て、参加を決めました。
まだ留学一年ですから素人です。
あたかも暇を持て余した盆暮れに格安ツアーをゲットした感じです。
頭の中には手作りだろうが?何だろうが?ケーキがあって、チキンにかぶりつきコーラなんか飲む姿を想像していました。
甘かったです。
↑ コロンビア大学
ホスト・ファミリーの住む駅もブロンクスの#1地下鉄終点近くで、駅を降りた途端あのやかましい金太鼓がなっているようなヒスパニック系の人間が、うようよいる感じで、ちょつとヤバイ! テレビ“(世界の)こんなところに日本人の世界“
何時(いつ)ひったくりに遭っても、おかしくない空気。
行くとき少し良かったのは、寮の仲間と一緒だったので、助かりました。 また、この地域の”柄”の悪さを知っている仲間がいたので、少しは安心。
ホスト・ファミリーの家に着くと、アメリカ的挨拶で歓迎。 しかし、メンバーが全て揃っていないこともありましたが、例のパーティーらしきテーブルも、食べ物も見当たりません。 ”何だろ、何だろ準備してないの?”といった感じです。
他のゲストも何人かで五月雨的(さみだれてき)に来るので、なかなかパーティーが始まりません。 その間、参加者はフロアの上で直接腰を下ろし(椅子は圧倒的にたりませんから)、まるで学校遠足で先生の指示待ちのように床に“三角座り”。
(何が始まると思いきや?歌の練習)そして、やっと始まったのが、食事ではなく、歌の練習です。 渡された紙には、あのジングルベルの歌やら、ノエル、ホワイトクリスマスしめて7,8曲。 30~40分は練習させられました。 アメリカ人のクリスマスを見れるとばかり好奇心で参加したけど、内心お腹はすくし、えらい所に来てしまったと反省。
それから、”いざ出陣”。 ニューヨークの12月末、日没、表はとても寒いです。
にわか救世軍のごとくホストの言うままに街の辻辻(つじつじ)で歌のオンパレード。
もちろん、それを聞いた街の人たちは窓を開け、サンキューコール、一応場所はアメリカですから、それくらいの礼儀は。
冬の夜、寒空、街頭で合唱すること1時間半以上、 飢えと寒さ、堪(こた)えます。
仲間のアフリカ人の留学生も、私と同じ気持ちで、意を決して”敵前逃亡”ならぬ、”もう、ここで帰る”とホストへ直訴(じきそ)。
しかし何で、もう食事だからと言うことで却下。
部屋に戻り、いざパーティー。 出てきたのは、大きなヅンドー(レストランでみるステンレス製の縦長の鍋)。 トマト味の、ミネストローネに似た少し濃いめのスープのみ。
後でインターネットで調べたころ、この料理はアメリカ南部で定番の家庭料理”ガンボ“と分かりました。
それにライスを沈めて食べると言ったシンプルな食事、雑炊のような。
味は美味しかったです。
でも日本で馴染みのケーキもチキンもサイドメニューは全く出てきませんでした。
↑ ガンボの参考写真(料理レシピより)
(アメリカのパーティー事情)その後、約4年の留学生活から分かってきたのは、アメリカのパーティーでは一般に東洋系のホストの主催の場合、食べ物は豊富。
アメリカ系の人の場合、ボトルワイン(安物)にピーナッツかアーモンドのツマミだけの場合もあります。
食べるのではなく、”自分を語る”そして“相手の数奇な生き方、人生そのもの”がツマミとも言えそうです?
話題に、”イチロー“も”田中“も”トヨタ“も”天皇制“も必要ありません。
ですから日頃から、会話の中で相手に自分自身を興味深く印象つける“心の中の自分自身の履歴書”の準備が必要です。
アメリカでは新聞、テレビの情報を鵜のみにした事を、授業やパーティーで披露するのは歓迎されません。
(お腹の空く人は、お菓子持参を進めます)
ですから、アメリカ人の友達を普段、訪ねていっても日本人のように来客のためにケーキやお菓子を事前に買って待っているようなことは(ほとんど)ありません。
テーブル一杯の食事や飲み物でお迎えは映画やドラマの世界で、特別な季節行事でもない限り、アメリカ人は買い物や準備をして待っているようなことはありません。
ですから、日本人のように、何か食べて会話したい場合は持参が良いですね。 アメリカ人の場合、家に食べ物を用意していなかったからと言って、外にお茶を飲みに行くことはしません。
当時日本人の私でさえ日本では豆をひいたコーヒーを飲んでいましたが、アメリカのお宅の大部分は”インスタント“でもてなしをうけました。
これは少しビックリしました、コーヒーってアメリカが本場じゃないの?と。
私は3年目には、韓国人、アメリカ人の3人で一部屋のコンドをシェアしていましたが、時にはアメリカ人のルームメイトは夕飯にただの食パンにピーナツバターで過ごしていました。 日本人や中国人なら、当然買い物ですよね。
経済性も含めて、食に対して執着性が強いのは、やはり中国人かな? 何しろキッチンに立っているというか、独占していると言うか時間が長いのは彼らです。
また、昼は私はピザが好きだったんですが、当時(90年頃)1スライス(1/8切れ)1ドル25セント、そしてペプシコーラ75セント。
ピザ屋で見かけるほかの体のでかいアメリカ人、余り2スライス注文する人少ない感じです?
(まとめ)自分の印象では、アメリカ人は食に対する執着は薄い。 ただ食べさせたら半端ではない。 あたかもライオンが獲物が捕れないときは空腹を何日も我慢でき、いざ食べるときはガバットと牛一頭とか(冗談です)。
この切り替えは、日本人も見習うべきかも?
日本人や中国人が料理に恐ろしいほど、材料探しを含め時間、労力、お金をかけるのには他の文化の人からは、どう思われるのでしょうか?
だから勉強や仕事への集中力は日本人よりあるかもしれない。
また日本人が人をもてなすのに、物や食べ物が頭から離れないが、時には過度の接待は見直しても良いのでは?
また、続き書きます
米国クリスマス、山のごちそうテーブル、時にはドラマの世界
アメリカ人の食に対する執着心の無さは、むしろ強さか?
2016/7/2投稿 2022/12/21編集
(これでもクリスマス・パーティー?私の偉大なる勘違い) ニューヨークに留学してほぼ一年も経つ年の暮れ、自分が住んでいるI-HOUSE(コロンビア大学近くの大きな学生専用の寮)の掲示板に、クリスマス・パーティーへの誘いの貼紙を見て、参加を決めました。
まだ留学一年ですから素人です。
あたかも暇を持て余した盆暮れに格安ツアーをゲットした感じです。
頭の中には手作りだろうが?何だろうが?ケーキがあって、チキンにかぶりつきコーラなんか飲む姿を想像していました。
甘かったです。
↑ コロンビア大学
ホスト・ファミリーの住む駅もブロンクスの#1地下鉄終点近くで、駅を降りた途端あのやかましい金太鼓がなっているようなヒスパニック系の人間が、うようよいる感じで、ちょつとヤバイ! テレビ“(世界の)こんなところに日本人の世界“
何時(いつ)ひったくりに遭っても、おかしくない空気。
行くとき少し良かったのは、寮の仲間と一緒だったので、助かりました。 また、この地域の”柄”の悪さを知っている仲間がいたので、少しは安心。
ホスト・ファミリーの家に着くと、アメリカ的挨拶で歓迎。 しかし、メンバーが全て揃っていないこともありましたが、例のパーティーらしきテーブルも、食べ物も見当たりません。 ”何だろ、何だろ準備してないの?”といった感じです。
他のゲストも何人かで五月雨的(さみだれてき)に来るので、なかなかパーティーが始まりません。 その間、参加者はフロアの上で直接腰を下ろし(椅子は圧倒的にたりませんから)、まるで学校遠足で先生の指示待ちのように床に“三角座り”。
(何が始まると思いきや?歌の練習)そして、やっと始まったのが、食事ではなく、歌の練習です。 渡された紙には、あのジングルベルの歌やら、ノエル、ホワイトクリスマスしめて7,8曲。 30~40分は練習させられました。 アメリカ人のクリスマスを見れるとばかり好奇心で参加したけど、内心お腹はすくし、えらい所に来てしまったと反省。
それから、”いざ出陣”。 ニューヨークの12月末、日没、表はとても寒いです。
にわか救世軍のごとくホストの言うままに街の辻辻(つじつじ)で歌のオンパレード。
もちろん、それを聞いた街の人たちは窓を開け、サンキューコール、一応場所はアメリカですから、それくらいの礼儀は。
冬の夜、寒空、街頭で合唱すること1時間半以上、 飢えと寒さ、堪(こた)えます。
仲間のアフリカ人の留学生も、私と同じ気持ちで、意を決して”敵前逃亡”ならぬ、”もう、ここで帰る”とホストへ直訴(じきそ)。
しかし何で、もう食事だからと言うことで却下。
部屋に戻り、いざパーティー。 出てきたのは、大きなヅンドー(レストランでみるステンレス製の縦長の鍋)。 トマト味の、ミネストローネに似た少し濃いめのスープのみ。
後でインターネットで調べたころ、この料理はアメリカ南部で定番の家庭料理”ガンボ“と分かりました。
それにライスを沈めて食べると言ったシンプルな食事、雑炊のような。
味は美味しかったです。
でも日本で馴染みのケーキもチキンもサイドメニューは全く出てきませんでした。
↑ ガンボの参考写真(料理レシピより)
(アメリカのパーティー事情)その後、約4年の留学生活から分かってきたのは、アメリカのパーティーでは一般に東洋系のホストの主催の場合、食べ物は豊富。
アメリカ系の人の場合、ボトルワイン(安物)にピーナッツかアーモンドのツマミだけの場合もあります。
食べるのではなく、”自分を語る”そして“相手の数奇な生き方、人生そのもの”がツマミとも言えそうです?
話題に、”イチロー“も”田中“も”トヨタ“も”天皇制“も必要ありません。
ですから日頃から、会話の中で相手に自分自身を興味深く印象つける“心の中の自分自身の履歴書”の準備が必要です。
アメリカでは新聞、テレビの情報を鵜のみにした事を、授業やパーティーで披露するのは歓迎されません。
(お腹の空く人は、お菓子持参を進めます)
ですから、アメリカ人の友達を普段、訪ねていっても日本人のように来客のためにケーキやお菓子を事前に買って待っているようなことは(ほとんど)ありません。
テーブル一杯の食事や飲み物でお迎えは映画やドラマの世界で、特別な季節行事でもない限り、アメリカ人は買い物や準備をして待っているようなことはありません。
ですから、日本人のように、何か食べて会話したい場合は持参が良いですね。 アメリカ人の場合、家に食べ物を用意していなかったからと言って、外にお茶を飲みに行くことはしません。
当時日本人の私でさえ日本では豆をひいたコーヒーを飲んでいましたが、アメリカのお宅の大部分は”インスタント“でもてなしをうけました。
これは少しビックリしました、コーヒーってアメリカが本場じゃないの?と。
私は3年目には、韓国人、アメリカ人の3人で一部屋のコンドをシェアしていましたが、時にはアメリカ人のルームメイトは夕飯にただの食パンにピーナツバターで過ごしていました。 日本人や中国人なら、当然買い物ですよね。
経済性も含めて、食に対して執着性が強いのは、やはり中国人かな? 何しろキッチンに立っているというか、独占していると言うか時間が長いのは彼らです。
また、昼は私はピザが好きだったんですが、当時(90年頃)1スライス(1/8切れ)1ドル25セント、そしてペプシコーラ75セント。
ピザ屋で見かけるほかの体のでかいアメリカ人、余り2スライス注文する人少ない感じです?
(まとめ)自分の印象では、アメリカ人は食に対する執着は薄い。 ただ食べさせたら半端ではない。 あたかもライオンが獲物が捕れないときは空腹を何日も我慢でき、いざ食べるときはガバットと牛一頭とか(冗談です)。
この切り替えは、日本人も見習うべきかも?
日本人や中国人が料理に恐ろしいほど、材料探しを含め時間、労力、お金をかけるのには他の文化の人からは、どう思われるのでしょうか?
だから勉強や仕事への集中力は日本人よりあるかもしれない。
また日本人が人をもてなすのに、物や食べ物が頭から離れないが、時には過度の接待は見直しても良いのでは?
また、続き書きます
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