”留学・英語より大切なもの、国・人種を問わず家族の有り方・・・“
2017/10/20 記
2017/11/16 再編集
私は留学中、マンハッタンにある“メトロ・インターナショナル”という財団のプログラムでアメリカのお宅訪問(宿泊型を含め)を何度もしたことがあります。
財団の所長は女性でアンドレア、とにかく良い人で世話になりました。
(ゲストを招くとは?)
1989年10月末その訪問先の一つに行くために、グランド・セントラルから列車メトロ・ノースに乗り今回のアメリカ家庭訪問の留学生数十人が車内で“ワイワイ、ガヤガヤ”。 目的駅に着くとホスト・ファミリー達は既に駅で集合していて、メトロ・インターのアンドレアのリストに従い男女の留学生がカップルでホスト・ファミリーと引き合わされました。
他のホストはご夫婦の出向かいが多い中、私達はご主人一人での出向かい、彼の運転でお宅へ。 何故か静かなスタートでした。 彼の名は”ジェフ“。
程なく平屋造のお宅へ、そして玄関直ぐのダイニングに私達は腰を落ち着ける。 普通ホストは特に留学生などの来客には自宅の1階から2階へとくまなく巡り、ここにもバス・ルームがあるとかお宅を紹介、また大きくなって家を出た子供たちの大学卒業写真や正装した軍服姿の彼らを自慢するのが一般です。
しかし、このお宅では玄関近くのダイニングの椅子に私達二人の留学生は座るや否や、異様な空気を感じ身動きが取れない状態となりました。ダイニングの先の左袖にある部屋の奥から女性の声がご主人に声をかけているというより、呼び付けています。
その都度、ご主人ジェフは部屋入口にかけより、何か二人で“コソコソ・・・・・”。
奥さんが姿を現せないのは何か都合があるのか?(私の思い)
時折、障碍者用の車椅子にお乗りの方は、初対面をためらう方もいらっしゃいます。
仮にそのような状況であれば、その都度ご主人があたかも伝言係のように行ったり来たりするのかと理解しようと思いました。
(更に、それにとどまらず・・・)
アメリカに来て何度もお宅訪問をしているので、日本の家庭のように来客のために食べ物や飲み物を準備していなくても不思議と思いません。
ただアメリカ人は通常、文化の違う人間から少しでも興味のある事を掘り起こそうと会話に好奇心旺盛です。
かろうじてご主人が、少しでも会話しようとすると、何故か見えない部屋の袖から奥さんが気に入らないとばかり彼を呼び付けます。
そして彼が台湾の女性留学生フィアンとの会話が弾むと、嫉妬してか?けたたましく奥さんは彼に注文をつけます。
この寒々としたお宅訪問で私達の心は、座った椅子で金縛り状態、もう飲み食いも会話も要らない、何か理由が見つかればいつでも失礼したい、その一心。そんな中、何の巡り合わせか?体が不自由な人と思っていた奥さんが上半身を袖から私達の方に覗かせ立ちすくんでいる。
当日は10月にもかかわらず既に小雪も舞い散る初冬。
そして下着姿同然でテーブルに近づき、手作りの料理の“コウシャク”をしている。
私達はもちろん留学生ですが、その面前に“シミチョロ(戦後間もなく親の時代、女性が下着姿で家や近場をかっ歩する時代がありました)”で飛び出してくるとは。
(夢に描いたアメリカと人の幸せは一致せず)
来客をもてなす習慣が有る無しにかかわらず、万一客を呼ぶからには料理や飲み物の準備の有る無しはどうでも良いが、何か心に残る会話がしたいものです。
ましてや客人の前で夫婦・親子の“もめ事”やD・Vでその場の雰囲気を台無しにするのは”危険な兆候“です。
これは親子ないし夫婦の問題だから、他人はお構いなくの話ではすまされない。
人間は身内でも主従関係を徐々に構築すると、管理する側は一種の“快感”を得る。
そしてこれは言葉や肉体的暴力へ、さらに相手が抵抗すると“脅しやその道具”を使う傾向がある。
ご主人ジェフに対する奥さんの接し方は明らかに異常でD・V(深刻な家庭内暴力)。
これら身内のD・Vは経済的貧困より深刻。
決して被害を受けるほうが我慢して済む問題で無い。
時には、第三者の助けも必要。
(アメリカにもあった悲劇 - 今回の”ジェフ“のケース)
そういう私も過去D・Vの当事者でした。
この状態に陥ったら、お金も知識も身近な親戚すら助けに入ることが難しくなります。
前向きに生きようとする全てが“グチャグチャ”になり、何も身につきません。
私もその壁を乗り越えてきた(逃げてきたと言う方でも結構です)からこうして正面から留学生活を迎えられています。
経済的に成功しているから、社会的にそれなりの地位にいるから、夫婦間もしくは親子間で問題は有るが“今さら手遅れ”もしくは“我慢さえしていれば”は将来に向けての人生を台無しにし、有ることをキッカケに部分的に成功している部分も破壊しかねません。
最近の何気ないテレビに映し出される一般のカップルの会話の中に、経済的にはむしろ何の不自由も無いが、カップルのどちらかの言い回しに、”ムッ、少し危ない“と私の感情が騒ぐことが時折あります。 例え相手に怒鳴らず、優しい言い方をしても内容や状況によってD・Vで有る場合も。
万一自分もしくは家庭がD・Vのカオス(chaos)に巻き込まれそうになったら、何にもまして断固断ち切らなければなりません。
例え配偶者であれ他親族に不当に邪魔されない、人間は尊厳の中に生きる権利を有している。
お金より、キャリアを積むより何にもまして“家族関係が精神的に健康的である”こと。これは生きるための本質です。
私は帰路、彼”ジェフ“の事が頭から離れなかった・・・。
ニューヨーク・グランドセントラル駅に向かう電車の中、車窓は既に暗く私達留学生は終始無口でした。