オヤジNY留学
“消滅しつつあるNYのスモール・ビジネスと“寂しさ”
2016/7/19 記
私、22年ぶりに訪れてみました。 NYは自分を再度人生の焼き入れ(刀に例え)してくれた場所です。
感謝です !
4年と少し居たうち2年半はコロンビア大学の近くのグラント将軍のお墓のそばの寮にいました。 人の好みもあると思いますが、留学生には最高の環境だと思います。
その近くで、ブロードウェイの通りの角近くにピザ屋さんがありました。 美味しかったです。
また、どちらかというと、少しだけ柄の悪い子供たちがギャーギャーやっている辺りと、比較的品の良いコロンビアの学生とか、ご近所の方の店への出入りで、街の雰囲気を引き締めている感じの緩衝(かんしょう)地帯です。
ニューヨーク特有の壁に寄りかかり、街ゆく人達を眺め、新参者に時には冷やかす“SPEAK ENGLISH(喋れるものなら、英語話してみろ!)”。歩道には悪ガキが両足で空き瓶の頭を挟み、空中に高く上げ、道路に激突させ粉々に割る遊びをゲーム感覚でやります、割れれば路上にはガラスの破片が散乱。
歩きづらい“やってくれたな!”です。
(あのピザ屋さんは?) NYとの再会として以前の宿舎を訪ねた足の帰り、そのピザ屋さんのそばのバス停で、メトロポリタン美術館行きのバスを待っていると、バスはなかなか来ません。
ついバス停のベンチに座っているご婦人に、”角にあるピザ屋さんは、もうお店はやっていないのですか?”と聞くと、4,5年前に閉めたそうです。 彼女も美味しい良いレストランだったと寂しがっていました。
そういえば、その先にあったチャイニーズ・レストランも重いシャッターを下ろしっぱなしになっていました。 そこも留学中は、金のない私はお世話になりました。 学校の帰り夜中10時頃、スープ(酸辛湯)とご飯だけを注文すると、それだけか?オカズは要らないのか?しつこく聞くので、少し嫌でしたが。
そして、実は私、ニューヨークで学生の傍ら少し期間、美容室でアルバイトをしていたのですが、その場所も訪れてみました。 行く前に想像はしていましたが、既に店はなく、
ほかの業種の倉庫同然の感じです。
当時の日本人のお客さんは、この店を中継地点にして用事もないのに、よく立ち寄りました。
もしも私がオーナーだったら嬉しい事です。
この遠く離れた異国の地で、“渡り鳥”のように、この美容室で髪を切らずとも立ち寄り、小話をしていく、分かりますその気持ち。
特に、和食の板前の桜井さん、よく差し入れをしてくれました。 遠くの日本のパン屋さんまで人を喜ばせようと買い出しに行って持参するカレーパン。
ニューヨークで食べる、日本のカレーパン、ケーキにも勝る、涙ものです。
(カルソン・マックレヤーのNYカフェ)
話は、少しそれますけど、私はカルソン・マックレヤーの” THE HEART IS A LONELY HUNTER(日本名?)"という小説が大好きです。
アメリカ南部の田舎町で”NYカフェ”24時間営業のレストランを舞台に多種多様な人間が出入り。
小説の後半、オーナーは言う”別に金の為に、四六時中店を開けている訳ではない、そりゃ深夜に“まぐれ”で客が入ることもあるが、ほとんど深夜から朝にかけては、たかが知れている。
でも、この町にわずかにあるほかの店が灯りを消したあと、せめてここだけでも灯りをともし続け、ここを拠り所する人達の"ほっとする場所”として残しておきたい。
私は、この下りでまたまた、泣けました。
(こんな店を持つ、これは私の夢でしたが・・・)
ですから、正直言って、長い間、いつかこんな店をやりたかったのですが、つい安定した職を捨てることできず、夢と終わりました。
意気地なしの自分、中途半端に終わり、神様に謝りたい(あやまりたい)です。
こんな感じのお店を出すのは、今の世の中ムリなんですかね?
小さくても街の拠り所になっているような。
こんなお店、あってもむしろ、減っていますよね。
酒に酔わされない本当の大人が集って話せる場所、何にもまして必要ですよね!
ところでアメリカ人て、結構寂しがりやなんです!もちろん日本人もでしょうけど、日本人は”寂しさ“を素直に表現しません!
それに日本人は、まだまだ家族、親戚でまとまれるチャンスは有り、泣きつくところが比較的健在。
アメリカは例え夫婦でも、各自のバックグランドがバラバラ、人種、宗教、文化、etc。
ましてや離婚、未婚が多く、シングル(独身)で生きていく、結果として友人は“疑似家族、疑似親戚“です。
アメリカでは普通、日本に帰ると言うと友達は必ず、いつ戻ると聞かれます、もしくは直ぐ戻るでしょとかえされます。
私もアメリカを去るとき、悩みに悩みましたが、全ての友達に、日本で腰を落ち着けるために帰るとは言えませんでした・・・・。
また、続きます
“消滅しつつあるNYのスモール・ビジネスと“寂しさ”
2016/7/19 記
私、22年ぶりに訪れてみました。 NYは自分を再度人生の焼き入れ(刀に例え)してくれた場所です。
感謝です !
4年と少し居たうち2年半はコロンビア大学の近くのグラント将軍のお墓のそばの寮にいました。 人の好みもあると思いますが、留学生には最高の環境だと思います。
その近くで、ブロードウェイの通りの角近くにピザ屋さんがありました。 美味しかったです。
また、どちらかというと、少しだけ柄の悪い子供たちがギャーギャーやっている辺りと、比較的品の良いコロンビアの学生とか、ご近所の方の店への出入りで、街の雰囲気を引き締めている感じの緩衝(かんしょう)地帯です。
ニューヨーク特有の壁に寄りかかり、街ゆく人達を眺め、新参者に時には冷やかす“SPEAK ENGLISH(喋れるものなら、英語話してみろ!)”。歩道には悪ガキが両足で空き瓶の頭を挟み、空中に高く上げ、道路に激突させ粉々に割る遊びをゲーム感覚でやります、割れれば路上にはガラスの破片が散乱。
歩きづらい“やってくれたな!”です。
(あのピザ屋さんは?) NYとの再会として以前の宿舎を訪ねた足の帰り、そのピザ屋さんのそばのバス停で、メトロポリタン美術館行きのバスを待っていると、バスはなかなか来ません。
ついバス停のベンチに座っているご婦人に、”角にあるピザ屋さんは、もうお店はやっていないのですか?”と聞くと、4,5年前に閉めたそうです。 彼女も美味しい良いレストランだったと寂しがっていました。
そういえば、その先にあったチャイニーズ・レストランも重いシャッターを下ろしっぱなしになっていました。 そこも留学中は、金のない私はお世話になりました。 学校の帰り夜中10時頃、スープ(酸辛湯)とご飯だけを注文すると、それだけか?オカズは要らないのか?しつこく聞くので、少し嫌でしたが。
そして、実は私、ニューヨークで学生の傍ら少し期間、美容室でアルバイトをしていたのですが、その場所も訪れてみました。 行く前に想像はしていましたが、既に店はなく、
ほかの業種の倉庫同然の感じです。
当時の日本人のお客さんは、この店を中継地点にして用事もないのに、よく立ち寄りました。
もしも私がオーナーだったら嬉しい事です。
この遠く離れた異国の地で、“渡り鳥”のように、この美容室で髪を切らずとも立ち寄り、小話をしていく、分かりますその気持ち。
特に、和食の板前の桜井さん、よく差し入れをしてくれました。 遠くの日本のパン屋さんまで人を喜ばせようと買い出しに行って持参するカレーパン。
ニューヨークで食べる、日本のカレーパン、ケーキにも勝る、涙ものです。
(カルソン・マックレヤーのNYカフェ)
話は、少しそれますけど、私はカルソン・マックレヤーの” THE HEART IS A LONELY HUNTER(日本名?)"という小説が大好きです。
アメリカ南部の田舎町で”NYカフェ”24時間営業のレストランを舞台に多種多様な人間が出入り。
小説の後半、オーナーは言う”別に金の為に、四六時中店を開けている訳ではない、そりゃ深夜に“まぐれ”で客が入ることもあるが、ほとんど深夜から朝にかけては、たかが知れている。
でも、この町にわずかにあるほかの店が灯りを消したあと、せめてここだけでも灯りをともし続け、ここを拠り所する人達の"ほっとする場所”として残しておきたい。
私は、この下りでまたまた、泣けました。
(こんな店を持つ、これは私の夢でしたが・・・)
ですから、正直言って、長い間、いつかこんな店をやりたかったのですが、つい安定した職を捨てることできず、夢と終わりました。
意気地なしの自分、中途半端に終わり、神様に謝りたい(あやまりたい)です。
こんな感じのお店を出すのは、今の世の中ムリなんですかね?
小さくても街の拠り所になっているような。
こんなお店、あってもむしろ、減っていますよね。
酒に酔わされない本当の大人が集って話せる場所、何にもまして必要ですよね!
ところでアメリカ人て、結構寂しがりやなんです!もちろん日本人もでしょうけど、日本人は”寂しさ“を素直に表現しません!
それに日本人は、まだまだ家族、親戚でまとまれるチャンスは有り、泣きつくところが比較的健在。
アメリカは例え夫婦でも、各自のバックグランドがバラバラ、人種、宗教、文化、etc。
ましてや離婚、未婚が多く、シングル(独身)で生きていく、結果として友人は“疑似家族、疑似親戚“です。
アメリカでは普通、日本に帰ると言うと友達は必ず、いつ戻ると聞かれます、もしくは直ぐ戻るでしょとかえされます。
私もアメリカを去るとき、悩みに悩みましたが、全ての友達に、日本で腰を落ち着けるために帰るとは言えませんでした・・・・。
また、続きます