アメリカは偉大なり・・・せめてもの自由が育む場所:アメリカ
― そして自由な表現より、INCENTIVEに群がるどこかの国 ―
2023/2/3 投稿
アメリカ留学時、ビジネス系の大学院を目指すにはGMATテストのスコアーが必要で、受験した時の試験問題に感じた「アメリカの印象」です。 GMAT試験はアメリカのビジネス系大学院入学の書類選考にも採用され、内容は長文読解やロジック(数学的論理解析)などです。
(試験問題で公然と過去の英雄にネガティブな記述、まさに驚き!)
その受験時に長文読解で”CIVIL WAR(南北戦争)“勃発時のリンカーン(後の大統領)の評価が出題されていました、長々とリンカーンの功罪が書かれています。
歴代の大統領の中でも誰もが一目置くにも関わらず、試験本文は彼の功績を褒めたたえるというより 1)彼は新聞などの報道機関をあらゆる手法、時にはずる賢く道具として使い、人民を引き寄せ、指導者としての地位を築き 2)彼を一躍ヒーローとして有名な奴隷解放宣言に至る奴隷の扱いも、当初は”あいまいな対応“だったとか。
私は試験問題に一心不乱に向かわなければいけないのに、頭の中は「何という国かアメリカは? こんな事も試験問題に書けてしまうのか?」という驚きが占領していました。
リンカーンと言えば、日本の近世史での名を馳せた伊藤博文や坂本龍馬と列せられる著名人を、公然とGMATほどの試験問題の”まな板“に乗せて彼らの功罪を論じるに等しい。 (私の頭の中では)日本ではありえない、アメリカは何という国なんだ! 驚きであった。
日本では、こういった政治ネタを人前で話す、ましてや試験問題とするなど“ハバカレル(抑える)ところだが”。
(この先、日本に住む若い人に願う、自分の思う事をもう少しでもアメリカのように広く発言できるような国造りを願うが・・・)
振り返ってみると、たぶん日本は幕藩体制崩壊後と第二次大戦敗戦の次の社会への転換が中途半端だったのかもしれない。 今さらIF(もしもあの時~だったら)という設定は余り意味がないだろが。 日本はこの先、50年、100年先には外国人(もしくは彼らの子や孫そして累累)が増え新しい文化を形成していくだろう。 日本が将来、多くの外国のルーツをもつ人々の割合が増えれば、表現も自由に新しい国になるの可能性も・・・。
また隣の国の韓国に目を向ければ、私達が若い年代の時の、韓国を思い浮かべると先代の朴大統領の強権政治で、さぞかし韓国民の精神的自由は奪われているのだろうな?と同情していました。 ところが意外にも数十年も経ってみると、歴代の退任大統領を過去の犯罪をとりあげ「死刑」判決にしたり、在任中の政権運営が悪いと簡単に、大統領の椅子から引きずり降ろされたりする。 この自由度、流動性は日本にも少しあっても良いのでは。
韓国に対して常に「兄貴気取り」をしてきたが、北欧に戦車・戦闘機輸出のニュースは驚きだった、韓国の政治・経済の流動性は日本を既に凌駕しているかもしれない。
(そして日本は今、自由な表現ができるより、お金に換算できるものなら、それを取り込もうとする傾向に世の中は傾き、それに従いつつある・・・)
コロナが隆盛であれば政府等から休業補償、子供を産めば・育てれば補助。
以前より、政府の資料を見て医療介護事業・保育所等幼児関係への財政援助が見られたが、サービス飲食は無縁だったが、今回のコロナで殆ど多くの業態が政府などの保護下に入った。 日本は資本主義国家というより、自力本願の国だと思ったが、“泣く子は・・・・”ではないが、声が大きければ、国民はそれなりに効き目があることが分かってきた。
例えば政府の利権や縁故関係の一部に”不公平“と叫ぶより、多くの人達は自分に少しでも”INCENTIVE(奨励金)ついて回わる事により関心を持ち始めた、だがそれで良いのだろうか? もっと大事なものが、この世にはあるような気がするが。
政府は少し「おまけ政治:補助金乱発」に調子に乗り、国民はまた受け取ることに麻痺しすぎてはいないだろうか?
嘗て(かつて:ひと昔前)「武士は食わねど高楊枝 ;落ちぶれて食うに困っていても、自分の尊厳を守るために、敢て他人の恩情を固辞すること」が美徳という時代もあった。 そう言えば、私の祖父も兄も、久々の再会の寒空の別れ際に、車で送ろうとしても聞き入れず(他人の助けを借りず)、夜道に徒歩で溶け込んで行ったのを覚えている。
「人の話を聞きすぎて」の”INCENTIVE乱舞で、国の借金が溜まりに溜またり積み木崩しのように、何時か崩れる責任は誰が取るのだろうか?
それでは、また別の投稿で・・・。
― そして自由な表現より、INCENTIVEに群がるどこかの国 ―
2023/2/3 投稿
アメリカ留学時、ビジネス系の大学院を目指すにはGMATテストのスコアーが必要で、受験した時の試験問題に感じた「アメリカの印象」です。 GMAT試験はアメリカのビジネス系大学院入学の書類選考にも採用され、内容は長文読解やロジック(数学的論理解析)などです。
(試験問題で公然と過去の英雄にネガティブな記述、まさに驚き!)
その受験時に長文読解で”CIVIL WAR(南北戦争)“勃発時のリンカーン(後の大統領)の評価が出題されていました、長々とリンカーンの功罪が書かれています。
歴代の大統領の中でも誰もが一目置くにも関わらず、試験本文は彼の功績を褒めたたえるというより 1)彼は新聞などの報道機関をあらゆる手法、時にはずる賢く道具として使い、人民を引き寄せ、指導者としての地位を築き 2)彼を一躍ヒーローとして有名な奴隷解放宣言に至る奴隷の扱いも、当初は”あいまいな対応“だったとか。
私は試験問題に一心不乱に向かわなければいけないのに、頭の中は「何という国かアメリカは? こんな事も試験問題に書けてしまうのか?」という驚きが占領していました。
リンカーンと言えば、日本の近世史での名を馳せた伊藤博文や坂本龍馬と列せられる著名人を、公然とGMATほどの試験問題の”まな板“に乗せて彼らの功罪を論じるに等しい。 (私の頭の中では)日本ではありえない、アメリカは何という国なんだ! 驚きであった。
日本では、こういった政治ネタを人前で話す、ましてや試験問題とするなど“ハバカレル(抑える)ところだが”。
(この先、日本に住む若い人に願う、自分の思う事をもう少しでもアメリカのように広く発言できるような国造りを願うが・・・)
振り返ってみると、たぶん日本は幕藩体制崩壊後と第二次大戦敗戦の次の社会への転換が中途半端だったのかもしれない。 今さらIF(もしもあの時~だったら)という設定は余り意味がないだろが。 日本はこの先、50年、100年先には外国人(もしくは彼らの子や孫そして累累)が増え新しい文化を形成していくだろう。 日本が将来、多くの外国のルーツをもつ人々の割合が増えれば、表現も自由に新しい国になるの可能性も・・・。
また隣の国の韓国に目を向ければ、私達が若い年代の時の、韓国を思い浮かべると先代の朴大統領の強権政治で、さぞかし韓国民の精神的自由は奪われているのだろうな?と同情していました。 ところが意外にも数十年も経ってみると、歴代の退任大統領を過去の犯罪をとりあげ「死刑」判決にしたり、在任中の政権運営が悪いと簡単に、大統領の椅子から引きずり降ろされたりする。 この自由度、流動性は日本にも少しあっても良いのでは。
韓国に対して常に「兄貴気取り」をしてきたが、北欧に戦車・戦闘機輸出のニュースは驚きだった、韓国の政治・経済の流動性は日本を既に凌駕しているかもしれない。
(そして日本は今、自由な表現ができるより、お金に換算できるものなら、それを取り込もうとする傾向に世の中は傾き、それに従いつつある・・・)
コロナが隆盛であれば政府等から休業補償、子供を産めば・育てれば補助。
以前より、政府の資料を見て医療介護事業・保育所等幼児関係への財政援助が見られたが、サービス飲食は無縁だったが、今回のコロナで殆ど多くの業態が政府などの保護下に入った。 日本は資本主義国家というより、自力本願の国だと思ったが、“泣く子は・・・・”ではないが、声が大きければ、国民はそれなりに効き目があることが分かってきた。
例えば政府の利権や縁故関係の一部に”不公平“と叫ぶより、多くの人達は自分に少しでも”INCENTIVE(奨励金)ついて回わる事により関心を持ち始めた、だがそれで良いのだろうか? もっと大事なものが、この世にはあるような気がするが。
政府は少し「おまけ政治:補助金乱発」に調子に乗り、国民はまた受け取ることに麻痺しすぎてはいないだろうか?
嘗て(かつて:ひと昔前)「武士は食わねど高楊枝 ;落ちぶれて食うに困っていても、自分の尊厳を守るために、敢て他人の恩情を固辞すること」が美徳という時代もあった。 そう言えば、私の祖父も兄も、久々の再会の寒空の別れ際に、車で送ろうとしても聞き入れず(他人の助けを借りず)、夜道に徒歩で溶け込んで行ったのを覚えている。
「人の話を聞きすぎて」の”INCENTIVE乱舞で、国の借金が溜まりに溜またり積み木崩しのように、何時か崩れる責任は誰が取るのだろうか?
それでは、また別の投稿で・・・。