中年オヤジNY留学!

NYでの就職、永住権取得いずれも不成功、しかし、しかし意味ある自分探しに。

平成くたびれサラリーマン上海へ行く (その5)浮草にしがみつく

2018-03-29 09:34:14 | 小説
この小説の主人公、松尾次郎が90年代末に友人から紹介された女性に会いに、中国上海に来ています。 一見、ワザワザ会いに行く側にアドバンテイジが与えられている感がありますが、そこは男女の話、ましてや、舞台は中国となると日本での常識は通じません。

生を受けて、何もせずして朽ち果てるは愚
しかし一度、外界との扉を開けるにも覚悟が必要、生に始まり死で完結するように貫徹せざるを得ません。
結果が良くも悪くも受け入れるという

私が昔、高校一年生の時、学校を辞めて働くと決めて来た時、
母は察して”(一代決心するのは)怖いでしょう・・”と声をかけてくれたのを憶えています。




その 5)
( 浮き草にしがみつく )
 
男女の関係とは不思議なもの。
付き合う時間の長さは、ともかくとして、ヒトタビ一夜を二人で過ごすと、相手を見る目は変わる。
それは、あたかも今まで自分が自分自身の肉体の主人であったものが、それが自分の体から離れ、自分の力の及ばぬ、何か自分意外のものに運命に任せるような
何か宇宙の法則に身を任せるような。

ホテルのわずかに開いたカーテンから差し込み始めた光りで、次郎は旅の朝を知る。
上海へ来ての2日目の朝である。
そして、ベッドとコンソール・ボックス(電話台を兼ねた、ライトなどのスィッチボックス)をはさんで隣りのベッドには、上海女性、劉さんがまだ、目を覚ましていないのか?横になっている。

時に夜は、理性を封印させる。
男女に前に突き進むことをそそのかす、あたかも“そんなに真面目に考えなくて良いんだ、とりあえず男と女になっておけ”とばかりに。
それは悪魔が、生真面目に物事を考えず、後のことは気にせず早く、オスとメスになれと、そそのかしているようでもある。
そして、悪魔の洗礼をうけ“メス”と化した女性の寝姿を、朝日の差し込むなか次郎は自分の脇に見るのが好きだった。
一晩の男女の営みで、通りすがりの見知らぬ人から、仲間同士になったような。
不思議と昨夜の次郎と劉さんの行為によって、彼女を“認めよう”とする気持ちが次郎の中に生まれつつある。 

つまり、昨日の夜、次郎と彼女が男女の仲なる前に、次郎が、真面目腐って、前のご主人との別れた理由、また、それが本当か嘘かなど、どうでも良くなる。
神は、男女が一度でも肉体関係をもつと相手を疑ってかからないというように創りあげたのだろうか?

今回、上海で次郎は二人の対照的な女性に会っている、そして、もしも次郎の側から誰にするか選べるのなら、孫さんを選ぶだろう。
女性としては、背は高くないし、容姿で自分を売るタイプではない。
だが孫さんの頭の良さが心地良かった。 説明するのに、何度も同じことを言う必要もなかった。 

一方、劉さんは離婚経験が有るが、背は高く、20代の若さではないにしろ容姿は美しかった。
 しかし、話題に乏しく、比較的無表情な顔の裏に何を隠しているか
という次郎にとって未知数の部分があった。






しかし、次郎の頭の中は矛盾だらけだった。
朝の明かりを感じて、ベッドの上で、たびたび寝返りを繰り返す劉さんのブランケット(毛布)の動きを見ながら、男と女の関係になったのだからこの先、彼女を日本に連れて行くか、と次郎は考えても見る。
次郎は、当初から、仮に中国女性と結婚するにしても、大きな期待をしていなかった。
小さな幸せで十分だった。 毎日の生活が、ほどほどに楽しく、仮に中国女性が日本に来ても、少しずつ彼女が、日本に慣れ、何年かの後、その女性が日本にきて良かったと思ってくれたら、次郎にも十分幸せだった。
劉さんとなら、多少次郎と波長が合わない面もあるが、彼女は語学力や、中国での経験を日本で活かすタイプでない。
次郎から自立したいと言い出すタイプではない。
そして、人当りもそれほど良いわけで無く、彼女自身、仮にも本当の意味で水商売には適していないと多分、知っているだろう。
彼女は日本に来ても、限りがある、彼女自身、次郎の傍にいたほうが、マシと悟るだろう。
次郎は自分勝手な想像をする。
女の温かみは、それほどないが、器量とスタイルはなかなかなのだから、次郎は“手を打っても良いか?”と考え始めていた。

しかし、次郎にはイタコ商会の山下の声が聞こえるようでもある。“女なんて、適当に付き合えば好いんだよ、俺なんかうまいこと言って、中国人とは何人とも寝ている、結婚するのは、その先の話だよ。”
次郎には、山下が多少羨ましくもあるが、その辺が山下と違っていた。
たった、一回でその気になるなんて、また、自分の好きなタイプの孫さんには正直に自分を言いすぎて、自分から自滅して、自分から逃げようとしている。
孫さんと、劉さんの二人を二股にかけ適当に付き合い、自分の答えを自分本意、自分勝手に探すのが一番好いのだが、そういうノラリクラリは次郎の苦手でもあった。

二人で朝食をとった後、そうそうに上海市内にいても変わり映えしないということで、一泊で明日一緒に南京まで足を伸ばすことに。
とりあえず、切符を今日前もって手配しておこうということで、タクシーで二人は上海駅へ行く。

どうやら正面入り口の脇の方に、切符売り場が有るらしい。駅に着いてから、何やら次郎に声をかけてくる、見たところ“ダフ屋”やらしい。 ダフ屋家業が専門に見える男もいれば、傍らに子供を抱え生活苦の匂いをさせながら、たった一枚の切符を手にする女性もいる。 外見から一見してダフ屋とわかる者から、子持ち、若い小娘まで。 そこかしこで喧嘩か切符の売買か訳の分からない世界がが繰り広げられている。自分の親ほどの男に向かっても怯まない(ひるまない)中国の若い女の娘の売り手、この辺が日本人と違う。

まさに、ここ上海駅周辺は人の行き交う、人生の交差点でもあるらしい。
彼らは、一応に“トィピョ-(退票)” “トィピョ-(退票)”と駅に入ってくる人間に声をかける。 そんなダフ屋に、上海の人間の誰もが見向きもしないのかと思えば、それが、そうでもない。 人々は試しに、ダフ屋がどこ行きの切符を持っているのか? そしていくらで売るのか、聞くのだ。

次郎と劉さんは駅脇の切符売り場に入ると、窓口にはたくさんの人が列をつくっている、窓口には各方面の停車駅が書かれ、もちろん蘇州、南京方面もまた長蛇の列。 日本人の次郎にもこれは、いつになったら自分たちの番になるか想像つかない。
次郎と劉さんは顔を見合わせた、どうするとばかり。
劉さんは、ダフ屋から切符を買うのはどうかと、次郎に提案、正直言って、次郎はマイナーなルートから買うのは好きでなかったが、仕方なかった。
見知らずの男に声をかけることができる、これが中国の女性なのだ。
必要とあらば、年長の男と口喧嘩も。

劉さんは辺りのダフ屋数人と話しをしたかと思うと、南京行きの切符を手にしてきた。
値段を聞くと、正規の料金36元に手数料として、わずか数元しか載せていないのにも驚いた。
これで、ダフ屋と呼べるだろうか、これでは次郎には、単なる便利屋にしか見えない。

南京行きの切符を手にすると、以外にも劉さんはどうせ南京へ行くのなら、多少オシャレして行きたいから、流行の靴を履きたいという。
次郎にしたら、それもわかるし、せがまれて劉さんをつっぱったイメージから普通の女性に変わったように見え、可愛くも思える。
タクシーで徐家フィ(上海の繁華街の一つ)へ向かいデパート近辺で降りる。
2年前来たとき、中日辞典を買った事の有るこの大きな交差点に面した、旧い本屋のあたりに次郎は目をやると、跡形も無い。
次郎には、少し淋しい思いがする。
その本屋があったと思われる場所はセットバックされ、その後ろには何のビルとも知れぬ背の高い新しい建物が。
今、上海人は言う、“二,三ヶ月も(同じ場所へ)行かないでいると、(自分たち上海人でも)勝手が解らなくなる”と。
それだけ、上海の再開発が凄まじい

デパートに向かう二人に、何故か?次郎だけを目掛けて、小さな子供達が詰め寄る、金をくれといっているのだ。
子供でも相手はプロだ、次郎がよそ者とわかるのだろう。
日本の子供と違って、体格はガッシリしている、しかし服装は粗末な、そして顔はどれほど風呂にはいっていないかと思わせるほど、汚れ日焼けしている。 
子供達と思えない、底力と野生の動物にも似た迫力で次郎を、そのままタダでは、行かせまいとする。 彼らは体を寄せ、ものすごい力が次郎に伝わってくる。 
山道で突然、イノシシか何か襲われたにも似ている、自分の胸にも達しない子供に、次郎の体は無意識のうちに全力で抵抗していた。
思わず、次郎はズボンのポケットにある小銭に手をやりあげようとすると、劉さんは次郎のそれを静止した。
“もしも、一人でもあげれば、この辺りの物貰いの子供がすべて寄ってくる”と。

その子達の顔には、僅か十歳にも満たずして、世間から見捨てられた、社会から捨てられたと書いてあるようにも見える。
彼らはこの生き方では、既に筋金入りのプロなのだ
彼らに、親はいないのか?
多分、学校にも行ってないだろう。

デパートの靴売り場で、劉さんは好みを選び始めた、膝までくるブーツを履きたいと言う。
上海ではロング・ブーツが流行と言う。
南京では、そんなオシャレなブーツはまだ、流行っていないだろうから、自分が都会人であることを、見せびらかしたいらしい。
あたかも、日本の地方出身者が帰郷するとき、都会の流行を見に着けて、凱旋したいのと似ている。
しかし、驚くことに、彼女の試着するブーツの価格は800元,900元、日本円で一万五千円位になる。
劉さんの給料は月1000元と聞いている、つまり一足のブーツはそれと同等になる。
ただ、中国で、物価は給料に対して、安いの高いのと言う論議はムダである。
外国人からみると、中国の物価は経済学の世界のカヤの外に有る。
中国経済は、常識はずれの世界(この小説が書かれた、2000年以前から)。
次郎にしたら、一般庶民が、給料でどのように、生活しているか、奇跡としか言いようがなかった。

次郎は、何となく戦後の日本を思い出す。
次郎の家では、力道山の空手チョップが見たいばかりに、当時、年収の半分の白黒テレビを買った。 その反動とは、いわないが次郎の家はその後も借家住まいだった
国策とはいわないが、庶民の高値の花のテレビを買い、次郎の家はその後も貧乏だった。
それが、テレビなんて、今やクズ値の価値しかない。
当時、子供であった次郎でさえ、この世の中のカラクリは理不尽だと思う。
それに似たことが、日本で起こった何十年後の今、中国で繰り広げられているように見える

劉さんは、自分の気に入った、一組を選び、次郎に同意を取り付け、それを自分の物にすると、普通の女性のように嬉しそうだった。

翌朝、二人はホテルで朝食をすませると、多少の手荷物をもって、上海駅へ。
切符を手にし上海駅の正面から改札を抜けエスカレーターに乗り上層階へそして、コンコースを通り、広大な客待ちへ入る。

薄暗い広い待合は人で埋め尽くされ、木製のベンチシート式の椅子が、正面から入り口方向に何本も通されている。 人々は通路を挟んで向かい合わせで座っている。
そこは単に列車の待合室というより、とてつもない乗客の数で”引き揚げ船(戦後、日本人が外地から死に物狂いで乗船した船)”を待つ緊迫感すら漂っている。
正面壁には、はっきり各電車の向け地、出発時刻、快速であるか否かが、赤い文字で電光掲示されている。

座る場所もなく、二人はそこいらをブラブラすると程なく、改札となった。 人々は、いつもながらの、あわただしさで列を作り、待合正面の奥に有る別の出口からホームへ通じるコンコースへと吐き出されて行く。
列車ホームへ着くと、既に列車は入線しており、自分たちの車両めがけ、急ぐ。
各列車入り口には女性の乗務員が乗客の乗り込みを待つ。
深いグリーンそして、やや大きめの車両、次郎は“これは、中国らしいな”と、次郎は思う。
席につき、暫くして列車は走り出す。 市内の間はややスピードを控えめに、そして郊外へ抜けると加速した。
主要駅に停車する度に乗客は降り、蘇州、無錫をへて南京へ約3時間で着く。

中国の駅前は、たいてい片方だけ開けていて、広場、タクシー乗り場等になり大きな道路へと面している、南京駅もしかり。
南京は上海市より少し小さいが、十分に大きい。 そして、蘇州、錫州、広州の大きな町は全て上海に通じる。
現在は、鉄道も従来のもの、高速道路もこれからだろう、もしもこれらの町が、すべて新幹線、高速道路で結ばれたら、急速に経済効果が上がる。
今でも、これらの町は上海から遠くはないが、もし新幹線が開通したらこれら上海に近い大都市は東京―横浜の感覚になる。
諺に、“全てはローマに通じる”というフレイズがあるが、次郎には、このフレイズは現在の上海のために有るように感じる。次郎には、上海の潜在的な将来性を強く感じる。

町の随所に、ケンタッキーやマクドナルドの看板を見うける。
自由主義経済は、無差別的に中国の都市を塗りつくそうとしている。
南京に来て、次郎は劉さんとの愛を深めると言うより、上海近郊の大都市の変わりように目を見張った。
あたかも市場調査にでも来ているような感覚になっている。

劉さんが、次郎に買わせたブーツは確かに効き目が合った。 全てではないが、南京の何人もの女性が彼女のブーツに視線をやるのを次郎も気がついた。
それには、彼女も満足げだった。
そして、次郎が意外だった事は、僅か列車で3時間あまりの所で、彼女の上海語が通じない。
劉さんが北京語を南京では使う。

南京では、中山陵、日本軍による大虐殺の記念跡などを見学し、二人は翌日の午後の列車に乗りこむ。
再び、列車で上海へ戻る。
来るときと違い、次郎も見知らぬ中国人と席を同じくすることに慣れ、何かぼんやりと、列車の外を眺める事ができる。
その分、気持ちはまた、次郎の大命題というべき所へ戻ろうとしていた。

劉さんの横顔を見ながら、“自分は、何を,この劉さんに期待しているのだろうか?”
そして、“何となく次郎が劉さんとシックリしないのは何なのか?”

そして、自分はどこへ流されて行くのだろうか、本当はどこへ行きたいのだろうか?”
“自分はどこへ行こうとしているのだろうか?”
もしも、この世に神がいるなら、次郎に安住の地を与え、この地球上で何かを求めて、放浪する次郎を止めて欲しかった
優しい母のように、教会に掲げられるマリア像がもう、これ以上ムリをしなくていいと次郎に言って欲しかった。
“もう、ガンバラなくていい”と,言って欲しかった。


(つづく)

平成くたびれサラリーマン上海へ行く (その4)人の道かそれとも、汚れても生き抜く

2018-03-14 16:50:14 | 小説

次郎(主人公)の上海滞在も、飛行機に例えればやや乱気流にさしかかった感が。
この世は全て相手有っての自分。
いくつもの問題や状況が絡み合って、進むも退くも容易ならぬ時もあります。
多分こんな時、人は最大限の力を振り絞り、答えを捜します。

しかし、時には何も良い答えなど用意されていない事も。



その 4)
(人の道それとも、汚れても生き抜く

次郎の足は無意識に賑やかな方へと目指していた。
それは歩き、雑踏にまぎれることにより、一種の敗北感を時をかけて癒すがごとき。
次郎の日本にいる間の、サラリーマン生活。
自己を押さえつけて半ば“去勢”された中性状態を強いられているサラリーマン生活ともいえる。
その日々の犠牲の代償もしくは“果実”としての次郎の今回の上海滞在がある。
少しは夢をもって、昨夜上海入りして、次の日の今日、早くも予定していた上海女性二人のうち一人には、どうやら望みが絶たれたようだ。
それが最悪なことに、次郎の相手としては理想的なこと。 頭の良さも,身のこなし、話しかたも。
彼女は、頻繁に日本に密入国してくるような中国人と違い、余りにも“持てるもの”をもっている。大學を出て、仕事で油ののったエリート、キャリア・ウーマン。
人は一生のうち、一時期、飛ぶ鳥を落とす時期があるが、彼女はまさにそこにいる。

一方、次郎には三井や三菱の肩書きの無い三流会社づとめ、彼女に見せびらかす地位や財産もない。
常識からいっても、不釣合いなのだ、かといっても、彼女を紹介してくれているイタコ商会の山下を恨むわけにもいかない。 “結局,オレが好き好んで自分で(上海まで)来たのだから”と、次郎。

ほどなくして、次郎は南京路を目前にして、中途ハンパだが時間がソコソコにある。
そこで次郎は“外国に来て短い滞在期間の時間をムダにする手はない…・・”と。
急にというか、自然の成り行きというか、二人目の女性に会って見たくなった、もちろん、彼女の都合がつけばの話しだが。 彼女には明日電話することになってはいたが。
次郎の心には、上海到着から今まで、何をしていたか、怪しまれるのではという恐れもあったが、今の次郎には、時間をムダにしたくない方が優先していた。

街角に公衆電話を目にし、電話する、“果たして、(彼女は)居るか?居ないか?……”と、次郎。 
彼女は、紹介者の山下によれば、デパートの店員、名前を劉(りゅう)さん。 正直言って、孫さんよりは、次郎は情報を持っていない。 若干の家族関係と彼女の写真2枚といったところ。
そして日本から一度だけ、次郎は今回の上海行きについて国際電話をしている。
話しによれば、離婚歴がある。 年は三十六,七、ただ写真の彼女は美人だ。 それも優しい美しさというより、“刺さるようなキレイさ”。 その点に関して、次郎は彼女に直接会って、写真の“ツーン”とした次郎の彼女に持つ印象は正しくないことに期待したかった。
つまり、実際の彼女は次郎の妥協の範囲内であってほしいと。
電話のトーンは数回呼びつづけ、程なくしてつながった。
彼女だ。
次郎の聞き覚えの有る声が、受話器を向こう側でとった。






“あっ、居たんだ”と、次郎。
“仕事から帰ったばかりです、上海に居るのですか? いつ上海に来たの?”
“きのう、夜中だけど………・、(いま)電話してもいないと思ったよ”
“(今日は)早番だから”
“明日は、休めるの?会えるかな?”
“別に、問題無いけど”
“ほんと!、ありがとう”しかし内心、次郎にとって、明日のことはどうでも良かった。
“ところで………・今から出て来て、(オレと)会えないよネ?”と次郎の本音をようやく言い出した。
“(いま)どこにいるの?”
“南京路だけど……”
“(好了) いいわ”
“そう、それじゃ今5時だから、6時ごろ新世界というデパート知っているかな、その一階のドアの内側で、イイかな?”そこで次郎は約束を取り付け電話を切った。
さっきまで落ち込んでいた次郎の気持ちは急展開した。
別の女性に会えることで、にわかに次郎の心は引き締まった。

新世界という百貨店は、高級店ではないが、上海でも人でごった返すことで有名な南京路の入り口とも、言うべきところに位置している。
かつて上海と言えば第一百貨店が長く有名だった。
しかし、ここ最近新興の百貨店が続々誕生している。 新世界はその第一百貨店の目の前に4,5年前に誕生している。
次郎にとって、この百貨店は目新しくなかったが、劉さんとの待ち合わせの場所には都合がよかった。
百貨店の建物の中央に上り下りのエスカレーターを配し、その部分が吹きぬけ形式になっている。
その外から左側に面した入り口付近の宝石売り場をウロウロしていると、劉さんは約束の時間から7,8分遅れてやってきた。 お互い、これが初対面なので、当事者に違いないという確信がありながも、恐る恐る相手の名前を呼び合った。
“松尾さんですか?”
“劉さんですよネ? はじめまして”
そして、次郎は思わず、劉さんの服装に目が行ったが、黒い皮のジャケット、そして中国女性の間でここ何年か流行している黒のスパッツ状のパンツ、そしてセミブーツ。
彼女は、上海キャリア女性の孫さんとは対照的に中国人の間でここ数年来流行している、オシャレの基準の中にいた。
しかし、背は日本女性に比べ高く、顔立ちは美人系、いわゆる見栄えの有る顔をしている。
頭は、今さっき美容室でセットしたらしくカールが力強く表現され、顔に掛かる繊細な髪のラインはプロの手による軌跡を残していた。
彼女の服装も、髪型も、次郎好みかどうか?はともかくとして、次郎にはそれらから、彼女の女としてのプライドが感じられた。

いきなり、食事というもの面白くないので、次郎はお互いを紹介する意味でも、デパートの店内を巡り始めた。新世界百貨店の内部は宝石部門のつづきに履物売り場となっているので、次郎には、やや時代遅れに見える劉さんのセミ・ブーツの代わりに、ややカラフルなヒールでもどうかと思い、彼女に似合いそうなものを捜した。
淡いピンクで、細いつり紐二本がクロスして足をサポートするタイプのヒールを指して、次郎は“これ、どう”と。
劉さんは、首を振り“いらないわ、靴はもっているから”
次郎はガッカリした反面、安易に男に“たからない”劉さんに好感を持った。2階3階へ上がり婦人服のコーナーへ行ったが、やはり彼女は、欲しがらなかった。

これ以上、ここに居てもということで、二人は食事へ行くことに。
イタコ商会の山下が来たことがあるという、新世界百貨店を西に約2,30メートルのビルの4階に日本料理の店があるという。 別に、次郎にとってワザワザ上海まで来て日本料理ということも無かったが、山下が勧めるものだから、後で彼との話しのネタにと。

そこは、店内にコテコテと赤い提灯をぶら下げ、店の中国人の女の娘にムリヤリ薄っぺらい日本の浴衣のようなモノを着せているだけの、主張の無い店であった。
次郎は“良く、山下が行って見ろといったもんだと思った”とすこし、山下のセンス
を疑った。
料理の味はともかくとして、しかし、食事の間、劉さんとの会話、仕草から彼女が少し見えてきた。
彼女は今まで、この上海を中心にのみ生きてきた人であること。
どうして山下はこうも対照的な二人を紹介してきたのか?
そして、次郎が、劉さんの女としての値踏みをすると、美人は美人だが、彼女は普通の人であるということ。
偶然にも、対照的な二人、年はそれほど離れていないのに。
孫さんはキャリア・ウーマン、一方、上海のデパートの店員。
二人の社会的地位の隔たりは大きい。

どうして、この世の中、人として生れ落ちても、持てる者と、持たざるものにわかれてしまうのか

しかし、又、中国の故事に、またこの世の中、“万事翁王が馬”という例えもある。
考えようによっては、仮に持てる孫さんと、持たざる劉さんのどちらが好位置につけているか人生のシメックリ(最後)を見なければ、わからないこともある
なぜなら、孫さんも中国の基準で優遇されているかもしれないが、それは世界基準ではない。 もし、彼女が中国最大手の海運会社のエリートというバック・グランドで、アメリカや日本企業に勤めれば、収入は更に増え、待遇も優遇されるだろう。

彼女の今の幸せが、彼女の更なる向上心に水を差している

次郎は、常日頃から思っている、人はこの地球上どこの国だろうが、自分が求めらているならば、どこでも行くべきと、自分の置かれている小さな世界から、ムリヤリ答えを探す必要が無いと。
先ほどの孫さんだって、求められているなら、次郎の嫁さんになるならないは別として、アメリカでも何処でも行けば良いのだ。
でも彼女は会社に必要とされている。
一方で幸せな人、充足感を得ている人は保守的となる

次郎はこう読んだ、先ほどの孫さんは動かない。
利口な人ほど、持てる者ほど、時には臆病だ
一方、劉さんは、自分が外国に適している、否か?など自分に問うこともせず、デパートの店員の職業を捨てても、日本に来るだろう。

次郎の目には、上海には“お金というモンスター(怪獣)”が暴れまって居るように見える
上海のあちこちでは、庶民には高値の高層マンションが立ちつづけている、旧い家屋は取り壊され、あたかも、貧乏人は早く出で行けと言わんがよう
特に冬の上海はドンより曇っている。
それにも増して、休むことなく、場所を変え、そこいら各所で再開発のための建物の倒壊、それらから発生する粉塵、このチリが上海の冬空の一つの形になっている。
次郎の目には、おびただしい再開発、その後に立ち並ぶ高層ビルや高層マンションが、あたかもゴジラか何かの怪獣のように、庶民を怖がらせていると見える。

持たざるものは、すがれるものなら何かにスガリタイはず。
仮に、日本人との国際結婚、それも一つの解決法かもしれない。

次郎は食事を終え店の下で、タクシーを拾おうと手を挙げ、劉さんには、
“一緒に(ホテルへ)来る?”と尋ねると、
彼女は無言で、うなずいた。
タクシーの後ろ座席に乗った二人は、無口であった。
次郎は、確信した、今日、この女を抱けると、彼女が抵抗しない筋書きが描ける。
汚い言い方をすれば、次郎には、彼女はメスとして、観念しているのが読めた。
そして、この沈黙は何処から来るのだろうか?
男女が初めて交わる際の緊張感と、もしかして、これが縁でお互いが戻れなくなるかもといった恐怖感から来るのだろうか?

タクシーは昨夜、次郎が飛行場から来た方向と逆の方から、ホテルの車寄せへすべりこんだ。 ロビーや受付には何人もホテル関係者がいる。 次郎は、朝と別の女性を連れて戻ってきたことに多少やましさもを憶えながらも、平静を装いエレベーターの入り口に急いだ。
人目から逃れ“ヤレヤレ”と次郎が安心し、部屋のトビラを開けた瞬間に、一番奥に有るテーブルに目が吸いつけられた。
“シマッタ”と次郎は思った。
なんと、今日午前中、この部屋で孫さんと二人で飲んだ茶器がそのままになっている。
もしも、劉さんの“感が働いたら”、誰か先客がこの部屋に来たことがバレテしまう。 次郎は、隠すように二つの茶器をバスルームに運び、すかさず洗った。
案の定、茶器には、口紅が残っていた。
次郎はすぐさま、それを洗う。
次郎はホットした。
短く、そして長い一瞬であった。

テーブルを挟み、朝、別の女性が座った席に劉さんが座り、改めて次郎は話しをする必要を感じた。 なぜなら、ヘタに仲がよくなった後では、聞けないこともお互いに有る。
次郎は、彼女に離婚歴が有ると聞いたが、原因? 子供は誰が扶養しているか? 紹介者のイタコ紹介の山下とはどういう関係か? などなど・・・。

一方、次郎も過去の話し、現在の仕事、日頃の生活振りを話した。
正直言って、男女関係は一方の意見だけで納得するのは、危険だが、今は彼女の言うと通りを一応、信じるほかない。
彼女いわく、旧の旦那は遊び好きだったと言う。
ひと通り、聞きたいことを話し終えると、もう、次郎には退屈だった。
次郎が小さな声で次の行動をうながすと、彼女は軽くうなずいた。

これを中国語では“ツゥオ愛”と言う。
ツゥオとは日本語の“~する”、つまり愛をするとなる。 どこの世界でも、この手の状態をストレートには表現しないものだ。

次郎にしてみれば、何だろう……二人の行為は、愛の結果でもなく、彼女にしてみれば一つの取引 (中国語では交易)であったかもしれない?
行為の間、彼女の表情は乾いていた、ただ彼女の二つの瞳は次郎の瞳を注視していた。
二人のそれに愛があるかないか? を求めるのはムリな話し。

行為が終わり、彼女は暫くうずくまっていたかと思うと、急に我を思い出したかのように、バスルームへ急いだ。
彼女の全身の裸体を見た時、なんと綺麗なシルエットだろうと次郎は感心した。
高い身長、くびれたウエスト、それでいて女性らしいふくよかなヒップの持ち主である。
しかし、次の瞬間、バスルームのシャワーは全開され、水音は部屋中に響きわたった
仕方ないとは言え、初対面の男にヤスヤス体を許した汚れとも嫌悪感とも全てを抹殺(洗い流)している。
それがホテルの一室の壁一枚隔てたバスルームで、シャワーは夏の突然の雷雨のように“吠えている”。

しかし、それで男と女の関係が終わるのか?と言うと、そうで無いのも現実。
世の中、綺麗な筋書きの台本通り話ばかりでは無い生きていくとは時には人にも言えない話が隠れている
日本の例をあげれば、女性社員が定年まで雇用を法律で守られていると信じ切ってはいけない、時には会社上層部の“隠れ二号”を保身のため女性自ら手段とする場合もある。

一人ベットの上で次郎は考えた。
初対面の女性をお互い余り理解もしていないうちに“抱く”、これは一種の暴力かも知れない
一方、その仕返しとして、彼女は次郎の痕跡をかき消すようにシャワーを浴びる。
その音は相手(次郎)を鋭利な物で刺すがようでもある。

次郎は人生半ばを過ぎて、時々、今までの次郎が“良し”としてきたことは、間違いだったかと思うことがある。
それは、今まで、“人が歩むべき道があって、人は生きる”であった。
これは、次郎の母親から、暗に学びとったものであり、そして長い間、本人も人にとって大事なものとして来たものである
それが、最近、“目先の善悪はともかくとして、とりあえず生き残ることも大切”に変わって来たことだ。

すると、初対面の彼女を抱くことは、暴力でもなくなり、シャワーを全開にして彼女が次郎の体液を洗い流そうとすることも、この世の中で肯定されることになる。

(つづく)


平成くたびれサラリーマン上海へ行く (その3)一人のキャリア女性

2018-03-01 15:44:36 | 小説

いよいよ主人公、松尾次郎は上海の地を踏みます。
上海の有名スポット、外灘(ワイタン)も出てきます。
そこで賑わいを見せる名勝とは裏腹に、次郎は自分の置かれている現実を再認識。

子供時代に例えれば、学校が引けランドセルを背負い家の前に着く。
悪いことに母親が家の前を掃き掃除。
そして母親がやさしく声をかける”学校で何かあったの?”

そんな感じの、本篇(その3)です。




(その 3)
( ひとりのキャリア上海女性 )

上海空港(浦東新空港ができた現在、旧上海国際空港)で、飛行機を降りると乗客は直ちにタクシー乗り場へと殺到する。
イミグレーションで手続を済ませ、それぞれに旅行バッグを手にし、それからが戦争だ。
早く順番待ちへ付くか、否かでタクシーに乗れる時間がだいぶ違う。
次郎も早めにタクシー乗り場に急ぐ、途中で言い寄ってくる、客引きには耳もかさない。
タクシー待ちには、三列でタクシーが入ってくる、タクシー待ちの先頭で指図する係員の指示で客はそれぞれに乗車する。
次郎も係員の指示に従いタクシーをひろい、旅行カバンを運転手の補助で後トランクにいれ、乗り込む。
行き先を“チェンハー・ビングアン(千鶴ホテル)”と告げる。
駅前を緩やかにタクシーはカーブし直ぐに左折する、空港に隣接する道々は夜の9時過ぎゆえ静まりかえり人影は少なく、ネオンが飛行場周辺の街並みを浮かび上がらせている。
そして、車速は増し、高速道路の料金所へと。
“以前は、この高速道路も無かったんだからナ”と次郎は上海の変わりよう見入っていた。

上海のタクシーの運転手は客が誰にしろ飛ばす、彼らの思いはこの客を早く下ろし、次の客に早くありつくことにある。
追いぬきをするために進路変更し、その度に警笛をならし、とても客がドライブを楽しむどうのといった世界ではない。
タクシーの窓越しから次郎の目にも、上海が少しずつ、いや急速かも、変わっているのがわかる。
以前は空港からの道すがら、個人経営のカラオケスナックが、闇夜に豆電球の配列を滝のように屋根から何本も配した店を数多く見た。そのカラオケの豆電球の放つ明かりが、次郎が最初に上海へ来た時の、この街のイメージとして焼き付いている。昼間みると、何のへんてつもない旧い店も、その豆電球のおかげで夜は化けるというやつ
うす暗いスナックの灯りの下で、そこそこに見える彼女も、昼間“スッピン”で街中をあるけば、想像以上に年のいった“〇〇さん”にも似る。
しかし、すこしそうした店が減ったように見える。
理由はわからない、客が減ったか、カラオケのブームが下火になったか、あるいは客がもった高級なところへ行くようになったか。
“なんでも、変わるんだな…・”と次郎はタクシーの外に目をやる。





次郎のこれから行く千鶴ホテルは、それほど上海の中心ではなく、というかややはずれにあるが、日本に帰る時に飛行場に近く便利なのだ。
(千鶴ホテル - 現在、ホテルのオーナーが代わり、名前も変更されています)
三ツ星ホテルで高級でもいが、貧乏くさくも無いちょうど中間といえる、新しくはないが高層なので、マアマアといったところか。
貧乏くさくない、これが、中国人とあい対峙するとき重要なのだ、中国人は外見から人を判断する
次郎は昔、日本にいる中国人に忠告された事がある。
(2000年以前)日本人は良く海外旅行へ行く時、ジーンズで行くが、中国で (現地の)人と会う時は背広を着ろと。
初対面、公式ではいわば背広着用の国なのだ。
次郎は海の者とも、山の者ともわからないこれから会う二人に、とりわけ見栄を張りすぎる必要も無いかわり、自分自身を安っぽく見せてもいけなかった。
これは、別に次郎が発見した事でもない、人に拘わらず、昆虫のような小動物の世界でも異性を勝ち取るためには、これは世の“定石”ではないか。
千鶴ホテルの周りは、夜は暗くひっそりしている、以前上海の日本人の友達からこのホテルを日本人駐在員達はイヤな言い方だが“センズリ・ホテル(男性が独り自慰する行為から)”と呼ぶそうだ。
“そういえば、千のツル、それでセンズリか……”と次郎は苦笑。

タクシーは右手に一般の住宅街を見ながら左折し、ホテルの車寄せへと。
チェック・インを済ませる、一泊450中国元。
ホテルの玄関先で見たベル・ボーイが次郎の旅行カバンをヘルプし部屋まで上がってくる。
チップを10元やり、やっと一人になりホットする。
上着を脱ぎ、荷をほどき、一杯のお茶にありつきヤレヤレと。 飛行機の中では、死人状態で食欲のなにもなかった次郎だか、地上に下りて一気に生きかえった。
“そうだ、ノンビリもしていられない”と次郎。
飛行機嫌いの恐怖感が解除されると、我を取り戻したかのように、行動を起こし始めた。

*(次郎は大学時代第二外国語として、中国語を専攻したので日常会話にはとりあえず問題はない≪以下、会話が中国語いかんに拘わらず日本語にて表記≫)

次郎は受話器をとり“もしもし、松尾です。夜分すいません、たった今、着きました。 ホテルにいます。 千鶴ホテルです、宣上路の(中国では場所を説明する場合、アメリカ同様建物が面する道路名を告げる)。 千鶴ホテルです”。
電話の相手はイタコ紹介の山下から紹介された女性の一人である。
明日の都合はいかがですか? 午前中の9時半は、早いですか。(少し、彼女の返答を待つ、そして) 問題ないですか。 ルーム・ナンバーは1513です。 それでは、明日”と次郎が会うのならこの人が先と決めた女性に約束をとりつけた。
彼女とは、写真も経歴書もとりかわし、もちろん次郎は日本から国際電話で話しもしたことがある。
彼女の名は孫さんという。
彼女は大学を出ている、経歴書によると、中国の船会社に勤めている。
その履歴書だが、英語で書いてある、中国人この世に数多くいるが、30代で英語に精通しているのはかなりのインテリに違いない。
“またなんで、イタコ商会の山下が俺へ、そんな才媛を紹介してくれたのだろうか?”
“まァ、いいか“いろいろな人と、会うのは別に悪いことではない、決まったわけでもないのだから…・・”と、次郎はその先を考えないことにした。
しばらく又、ホテルの自分の部屋で落ち着き、上着を脱ぎ、外を見渡す。
既に暗いが、闇にくれた下界には細々と店を開いている商店がみえる。 客や通行人も既に少ない。
次郎は視線を自分の部屋に戻し、椅子に腰を下ろし、一人でお茶を飲んだ。
次郎は飛行機を降り無事ホテルに着いた安堵感と、始まったばかりの中国での次郎のこれからを思うと、多少の興奮が込みあがる。
そして、その夜は、次郎は風呂をつかい寝に入った。

翌朝、中国特有の街中を走る、自動車の警笛で次郎はおこされた。
どう言うわけか、(当時)中国の自動車の警笛はシングルなのだ、そして、走行中運転手はひんぱんに鳴らす。 その音が、日本人には奇異である。
朝のウトウトしている時に、耳に入る、その奇異な“ビービー”という警笛が、外国での朝を迎えた事を次郎に教える。“そうだ、そうだ、こうはしていられない、彼女が来る、その前に身なりを整えなければ”
うとうととしている次郎は、ムックリ起き上がった。
“9時半だから、少なくとも9時ごろまでには、準備しなければ、これはまがりなりにも、お見合いなんだから”と、次郎。

そして、次郎待つこと久しく、孫さんは9時40分ごろようやく、次郎の部屋をノックした。
“ご苦労さん、遠かったでしょう?”
“そうですネ、少し”と彼女。家は確か豫園(中国の旧い庭園 - 上海の観光スポット)の近く。
彼女を次郎は写真では見たことがあるが、実際には初めての対面である。次郎はなにげなく孫さんの服装に目がいった。
アカぬけているというのが、次郎の印象。 派手でなく、時代遅れでなく、日本人好みである。
彼女はワイン系のスーツに、ブラウンのコートのいでたち。
中国人としては、やや小柄か、そして決して美人系ではないが、頭のよさそうな顔。
“座ってください”と、次郎は彼女にうながした。
そして、次郎自身がホテル備え付けの茶器で自分と彼女にお茶を入れた。
少し話をしただけで彼女の明晰さが、次郎にはここち良かった
彼女に嘘も通用しない変わり、余計なことを説明する必要も無い 二人の会話はすべるように進んだ。
しかし、男と女の関係が縮まった意味でも無い。
その辺は、次郎も時間がかかることを知っている。 次郎も急がなかった.。
次郎は、彼女の気持ちを遠回りに聞くために、自分自身飾らず、ひたすら話しを続けた。
真ともな人間には、正攻法しかない。 誠実にあたるしかない。

そして二人で、ホテル内で昼食をすませる。
お互いに紹介も一通り終り、話もソロソロという感では有ったが、男女の突破口を切り開くには、今の二人はあまりにお互い理性的。
事を急いても仕方ないと次郎は読んだ。
これ以上はホテルの部屋で話しをするのも、たいくつとみた次郎は気分転換にと、どこか、どこかといっても上海はこれといって目新しい所は無いが。
結局、外灘(ワイタン -旧い街並みが川岸に残る)、上海といえば日本人がイメージするその地へ。
冬にもかかわらず、日があり暖かい、日曜日でもあり、たくさんの人が外灘に来ている。
つい最近の中国のどこかでおきた天災のためのカンパを求める若い人達、多分学生と思われる人たちが所々で次郎達にも声をかける。 
若い時と違い次郎はこの種のカンパに応じることにしている、人は自分の物をかたくなに全て握りつづけてはいけないと、解り始めてきている年代だ。
その学生たちは、カンパの人たちに、日本の赤い羽根募金と同じように、寄付した人々に印として赤い丸いシールを、次郎も服の胸のあたりに貼ってもらった。
その後は、次から次と現れるカンパの軍団を孫さんは、さりげなく“もう、おさめている”とかわした。
ヒステリックにカンパを求める学生たちを追い返すわけでもなく、かといって、次郎に更なるカンパの強要をするでもなく、次郎は孫さんの人間性の丁度良さというかを観察する結果となった。

外灘のほぼ中央に来た二人。
外灘の向かい側には今や上海を象徴するタワーがそびえている。 近い将来、この街は更に大きく変わるというエネルギーを次郎は感じる。
左右を見渡すと、あちこちに日本のメーカーの大きな看板が目に入る。
周囲に、NEC、AIWA、SANYO……・日本のメーカーの大きなサインが目に入る。
“こういった個人的な上海訪問でなく、企業の前線として来たいものだと…・・”と次郎は思う。
次郎もこの、中国近代化のレースに何らかの形で参加したいと思いつつも、次郎自身も、次郎の会社も微力過ぎるのを感じていた。
次郎が外灘の反対側の旧ビル群に目をやる、そこいらは旧租借時代の建物が並ぶ、まさに上海の顔といったところ。
孫さんは、次郎に声をかけ、“あそこが、税関で、ちょうどその隣りにあるビルを見てください、あすこの2階が私達のオフィスです。”と、指差した。
そのビルは、威風堂々とした、まさに外灘のほぼ中央に位置する立派なものだ。
そして、そこではたらく孫さんも、同じように立派なものだ。
前からキャリア・ウーマンとは思っていたが、外からとはいえ職場を見せられ、次郎は自分との釣り合いを考えた。
年齢的にもまだ30半ば、挫折を知らぬだろう彼女はこの街、上海では飛ぶ鳥を落とす勢いだろう。次郎は彼女とそのビルが一緒に収まるようにと、携えてきたカメラのシャッターを切った。
そして、周りにいる若い人に頼み次郎は彼女とツーショットの写真を数枚とる。
とりあえず彼女との写真を撮りたかった。
人間の記憶ほどいい加減なものはない。
記憶は時と共に不確かになり、その不確かさは判断を美化することもある。
次郎はその写真をみて彼女への愛情を深めるためというより、後になって彼女をもっと知る手がかりになるかもしれないと。
人は、顔の表情、しぐさに意外と自分の全てが出てしまうことが多い。
次郎の場合も、将来この写真を後で見て、“(彼女は)どうのこうの……・”と思いをめぐらせるかもしれない。

次郎も孫さんと初対面した今日の数時間で、やや次郎と彼女の状況が見え始めた感じがして来た。
今まで日本と中国で二人の手紙や電話のやり取りも含めて、どちらかというと、お互いに積極的で、孫さんが時にはこの話に乗り気にも思えた。
だから、今回、次郎が上海に来る決心がついたとも。
しかし、次郎はひょっとして、これは誤算だったかなと。
次郎は内心で、“これをゲームにたとえたら、俺の負けかも? いや、まだ勝負がついたわけでもないが、ただ、このままでは勝ち目がない。”
彼女はまだ30半ば、未婚、この上海でのキャリア・ウーマン。
挫折を知らぬ。
あたかも目の前で威風堂々としてドッシリとした彼女が働く立派な建物のように、ちょっとした事では彼女の心を動かす事はできないだろう。
次郎が彼女にオファー(差し出せるのも)できるものは、彼女にとって何の価値もないものだろ。

彼女と会える短い時間のなかで、次郎は何らかの手がかりをほしかった。
それがなければ、次へ進めなかった。
ダメなのか、待つ価値があるのか?

少しして、次郎は意を決した。
“コーヒーでも、近くで飲みましょうか? 少し疲れたことでもあるし”と孫さんをうながした。
二人は、外灘の遊歩道に面した大きな通りを渡り、角の比較的大きな独立系のファースト・フード店に入った。
店には活気がなく、パッとしないところだが、今の次郎には店の雰囲気の良し悪しはどうでもよった。
店の大きさの割には客は少なく、落ち着いた話をするのには、逆に空いている店の方がもってこいに思える。
むしろ、誰かに二人の会話に聞き耳を立てられるほうが、次郎はイヤだった。
テーブルにつき、しばらくして次郎は切り出した。
“正直いって、私は日本で、とりわけ金持ちでもないし……・ただ、仕事をとりわけ一生懸命するぐらいの人間だけど ……・・”
とりあえず、中国人が日本人に抱く、日本人の誰もが金持ちというイメージを払拭したかった。

一方で、孫さんの現在の輝くキャリアを口に出して誉めることも、敢えてしなかった。
西洋の諺に、自分が世間の常識や相場に照らして、得をしていることを自ら口外すべきでないという教えがある。
次郎は、その例えの裏返しに、自分が損することを自ら白状する必要はないと、年を重ねた今、ようやく分りはじめている。
次郎の本音としては、経済的な豊かさは保証できないが、自称真面目な人柄で自分を好きになってほしかった。
それは、無理な話なのだが。
次郎も、率直に、孫さんの気持ちを聞き出すのも怖かった。 例えば、このまま付き合ってくれるのか、もしくは、(結婚という形で)日本へ来てくれるのか?
ここで、孫さんには次郎がどうしてほしいか解っているはずである。
次郎には、冗談でも、孫さんの口から、“日本へ来たい”とも“男女の関係は、やはり人柄が一番”と言った言葉が出るのを期待していたのだ。

しかし、彼女は動かない。
次郎は、ついに今回、今ここで結論を求めるのは、性急過ぎる。 今回の上海入りで何らかのメドをつけることは難しい、時間をかけようと腹をきめた。
彼女から、逆にスパットきられるのも辛かった。中途ハンパな状態にしておく方が、次郎には多少なりの慰めにもなる。 これ以上、二人に時間は必要でなかった。

二人は通りに出て、各自別々の帰り路の方角を探った。
次郎が孫さんに、サヨナラを言うときがきた。
太陽も西にかたむきつつある、風もいっそう冷たく感じられる。
外灘の賑わいも峠を過ぎ、帰る人がたくさんバス停に人の列をつくっている。
そして、なぜか外ふく風もひとしお寒く感じ、行き交う人の動きも早く感じる。
次郎は、孫さんに“今日は忙しいところどうも有り難う、これからも手紙書いたり、電話したりしますよ”と誠意をつくす話し方をした。
次郎はすがすがしい表情を努め、多少なりの失意が顔に現れないよう。
そして、次郎は彼女に握手を求めた。
それはそれ程に親しくない男女の関係では、マックスの接触と言えるだろう。
次郎は暗黙に孫さんに求めているのは、何も今日いままで話して来た、仕事上の情報交換でもなく、合弁会社の立ち上げのようなビジネスがらみではない。
最初は、友達からでも将来はやはり、男と女ということになろう。
握手の後、孫さんはタクシーを拾い、次郎の視界から消えた。

どちらかというと、次郎のシナリオの第一幕は彼にとって、ガッカリした形となった。
独り外灘に面したビル街の横を歩く、先ほどらいの人気も目っきり減り、次郎は更に落ち込む。
直ぐにタクシーに乗ってホテルに帰る気にもならず、彼自身の落胆を忘れようとするかのように、人込みを求め南京路へ(上海の繁華街)トボトボと、歩き出した。


(つづく)