中年オヤジ留学
“時の流れの諸行無常・・・ブラックカー・ビジネスとNYのある韓国社会”2016/9/19 再編集
時は1991年頃、アルバイトが見つからず困っているところ、元ハンターカレッジの英語学校で知り合ったクラスメイトの紹介でクイーンズの地下鉄エルムハースト駅近くの、日本で言えば車の”ハイヤー業“に近い韓国人オーナーの会社で働きました。
ただ日本のような豪華でシックな黒でワックスの効いている“レクサス”のような車を想像しないでください。 ただ車は当時、年落ちの”リンカーン“や”キャデラック“などで、見かたによれば最近の車は小振りになって、私的には当時の車の方が雰囲気があるように思いますが。
(当時のNY遠回りタクシー事情)
このバイトを始める前は、一般には人は多くタクシーを利用していると思いました。
でもタクシーに乗ると、英語も土地勘も“そこそこ”だと意図的な遠回りを3台に1台くらいの割合で運転手に“良いように”やられます。
私もJFKから市内に来るとき、えらい遠回りされました、道が怪しいと思ってドライバーに呼びかけても“分かってる、大丈夫、まかしとけ”、口だけで結局は不当な料金を取られます。
でもでも、学校級友のヒスパニックの彼女のご主人はタクシー・ドライバーをやっていて夜間は自身が“怖い”と話しているそうです。 そう言えば、映画“タクシー・ドライバー”の中で採用担当者がロバート・デニーロに”お前は、このNYの夜間の危険な場所でも運転は平気か?“の問いに答える“ANYTIME, ANYWHERE”つまり怖い所は無い、例えブロンクスのゲトー(売春婦、ドラック・ディラーの徘徊するNYの治安の悪い地域)でも問題なしと。
今、思えばドライバーが“カモれる客”から取れる時は取るは、命がけの大変な仕事をしている見返りとしての彼らへの”報酬“だったかもしれません。
(車持ち込みの寄せ集め、来る者があり、そして去る者が)
さてアメリカとは生きるのが大変な社会です。
ここのハイヤーもどきの会社(通称、ブラックカー・ビジネス)で働くドライバーは全員、車の持ち込みです、歩合制ですから仕事をしなければ一銭も入って来ません。 そして会社が少しでも固定給を払うリスクを取らない代わり、ドライバー達は身軽に同業他社へ移ります。 ドライバーは仲の良い、繋がりの強い者どうし、2,3,4人位にグループに分かれています、猿山の“サル”に似ています。 グループ同志で気に入らない、稼ぎに不満、こうなったら先ず先発の一人が辞め、時間を置いて他の仲間も当然移ります。
(バスに乗り遅れるなと、果ては日本の地方の小銀行まで大挙NYへ、そして夜はドンチャン騒ぎ)時は真に日本のバブル期、客の80%は日本の法人客です。
だから外線からの電話には日本語で“太平洋自動車です(仮称)”と出ます。
上記のようにタクシーは遠回りして料金の上乗せと言う問題がありますが、この業界ではVOUCHER(伝票)にサインで乗車、しかもFLAT-RATE(設定料金)で支持を受けていました。
日中はともかく夜の8時頃から電話はなり叫びます、日本で馴染み知った会社がほとんどKビール、F銀行、D銀行、C信用銀行・・・等々の顧客から彼らの事務所はもちろん、レストラン、寿司屋、天ぷら屋、クラブ、カラオケなど値段の高そうな所へ車を1台、2台、3台とオーダーが入ります。
行き先は彼らの自宅です、フォトリー(片道20KM、料金$22)、ウエストチェスター(30KM、$35)、ワシントンハイツ(30KM、$35)などです。
常連駐在員の酒宴は時には毎日、週数回とか頻繁に“とてつもなく高い”レストランで食事、そして“ハシゴ”、あげくに安全な“リムジン”で郊外の自宅へ帰宅。
何と言うことか?
リムジンの空車の待機場所は日本で言えば、客のピックアップが銀座・新橋としたら交通に支障のない東銀座辺りみたいな(NYではヘリポート近く)にて待機、5分プラスアルファ―で現地着。
夜9時あたりになると今度は車が足りなくなります、顧客に“どれ位で来れる?”私はいつも嘘をついていました“5分くらいで”。
鳴り叫んでいた電話も夜1時半を過ぎると“ピタッ”鳴り止みます。
先ほどまでの車が“遅いぞ!”のクレーム電話、無線でドライバーに“パリガセヨ(急げ、急げ)”の応酬は“どうでも良くなります”。
先ほどまでの喧騒は嘘のようです。 私達はどんな仕事でも、こんな狂気と静寂のハザマに生きているんですね。ボリューム・ゾーンは僅か(わずか)夜8時から翌1時の短いレンジ。
どうみてもドライバーは物理的に見て一晩で3本しか客をとれません。
年老いた日本語を話せるドライバーは、他に何処も行けないので通しで働きますが、多分四十がらみの子供がいるドライバーは昼は多分、他のデリーとかの仕事と掛け持ちでしょう。
(ついに共同経営者が決別)
事務所(会社)はどう見ても儲かっていると見えません、事務所に時たまダウンタウンの韓国銀行から電話がかかってきます、口座の残高がショートしているから今日の4時半までに入金してくれと。
この会社のバックグランドは分かりませんが、どうやら別々の2家族が共同で立ち上げたようです。 その中にサン(SUNG)20代後半おもに日中は彼が事務所を仕切っていました。 自分ではバルーク・カレッジ(市立大学)卒業と言っていました。 もちろん英語はネイティブです(もちろん、韓国語がマザータングですが)。
自分は出直し留学生、しかしサンNY育ち、それでいて何故(なぜ)こんな中途半端なポジション(仕事)で甘んじているのか? これが彼の、彼の家族のアメリカン・ドリームか? いや違う、彼のセイでもない、それ程アメリカで根を張るのは容易く(たやすく)ありません。
アジア人の顔立ちは価値が無い、以前この近くでパン・ケーキのお店を見つけ買い物をしたことがあったが、店のロゴ、外観とも地元の老舗かと思いました、店頭には二人のスパニッシュの女性が働いている。 しかし、後でこの店はサンの親戚の韓国人の経営と分かりました、店からは見えないバックヤードでは彼らがパン作りをしていたことになります。
韓国人(東洋人全般)がファンシーなイメージのケーキ屋さんの店頭に立てば、店のランクは一段も二段も低くなってしまう、これでは顧客の中に隠れている無意識の差別に突然、火が放たれ見下されてしまう。 これは仕方のない事です
もう一組のオーナーは金さん一族、金さん自身は韓国ソウル大卒、日本留学の経験がないのに日本語ペラペラ、歳は50後半、良い人でした。
話によると以前、米国日通で働いていたそうです、彼も時折ドライバーをやります。
この会社には日本語を話すのが4人います、皆、日本統治時代に殴られて憶えた口かもしれません。 車に乗る日本の駐在員と言っても英語は下手くそ(当時)でしょうから、車にのったら彼らの日本語には“ホット“するでしょう。
私は時たまIF・・・・IF(もしも、もしも)このNYでドライバーが流れ流れついた日本人だったら?と自分の頭で想像します。 日本のエリート気分の駐在員が乗り合わせたリムジン(ブラックカーを総称してこう呼んでいます)の運転手が選り(より)によって訳ありそうな、何でもお見通し風情の日本人だったら。
これは、“白ける”でしょうね。 だからドライバーは外国人でバランスが取れているのでしょう。
さて共同経営者どうしの争いですが、それは有る土曜日日中に起こりました。
私は韓国語が分かりません。 口喧嘩が始まった訳ですが、多分当時者間(SUNGと母親 VS 金さん)では以前から争っていたと思います。
双方、口喧嘩、極め付けはSUNGのお母さんの韓国人特有の大声でかん高い声で終わりました。 悲しいかな、この韓国人の極限状態の口喧嘩も一つの文化なのでしょうか?
NYで以前にも、路上で人が遠巻きで見ているにも関わらず、中年の女性がSUNGのお母さんと似た調子で顔を真っ赤にして、相手の男性を“罵って(ののしって)”いました。
どちらが勝った、負けたにせよ、周りの人間には、興ざめで、ただただ“淋しい”感じがとり巻いていました。
その日を境にSUNG親子の姿を事務所で見ることは有りませんでした。
(金さんの二人の息子との出会い)
SUNG親子が去って、代わりに金さんの奥さんと息子、JEFFとDAVIDが事務所に顔を出すようになりました。 二人ともこのリムジン・ビジネスには精通していました、JEFFは30前半、DAVIDは20代後半アメリカ陸軍(ARMY)退役とか。 二人の英語は同じ兄弟でもやや隔たりがあった。 JEFFは中学生の時、DAVIDは小学4年生の時に韓国から来たらしい、自分は人にもよるが語学のFLUENCY(フル―エンシィー・流暢さ)を得るには、真に小学3,4年頃までに外国に住み移ることが大事と思っていますが、真にその方程式通りです。
当時、事務所で客からのオーダーは原始的にマニアルで紙にメモをとり、無線で業界用語で10-5(テン・ファイブ、客待ち状態)と“客待ち状態”と宣誓したドライバーの序列表に従って、無線で同じくディスパッチしていました。
全て無線で、一昔前の日本のタクシーでも事務所とドライバーの交信がランダムにも続くあの状態です。
ある日、数社リムジン会社を渡り歩いて来ているDAVIDが“大手では無線を使わず、装備されたモニターにオーダーがデジタル表示されドライバーの選択を約定させるシステムになっている。 ただこれには$100万(約1億円)の投資が必要”と話していました。
(ある夜のクイーンズ・ブルバード上の歩道橋からの眺め)
バイトを終え深夜に帰路、歩道橋から眼下を見下ろすと、今までは気付かなかったリムジン(ブラックカー)が目に留まるようになりました、あれも、これも、あっちも・・・QUEENS BRDの道路上、郊外へ向かう下り車線の大半がリムジンです。
相当の車、わき目も振らず、ナイアガラの滝の“水の分厚い板”にも似たリムジンが道路一杯に広がり隊をなし突き進んで行く、郊外へ郊外へと・・・。
きっと車に乗る駐在員達はほろ酔い加減にも拘わらず、NYの厳冬、深夜路上での強盗から安全に守られ、30キロの道のりを最速で帰宅、完璧(皮肉です)。
一方、ガソリン込みで車持ち込み、深夜に往復60キロをおまけに事務所にマージンを払い運転するドライバー、実質いくら手にするのか?
(2013年秋、強者(つわもの)どもが夢のあと、そして新星現る)
退職を契機に21年振りにJFKに降り立ちました。
今回サンフランシスコでも乗車したので、同じく“SUPPER SHUTTLE”(乗り合いVAN)
の車が目に入ったので、これに乗ることにしました。 ドライバーに値段を確認すると$40+TIPだそうだ。
周りを見回すとイエローキャブ(タクシー)もいます、ドア側面には何とNY市内$70(記憶が正しければ)FLAT-RATE(定額)書かれています。
もちろんVANサービスの方が安いが、TAXIの定額制の時代がやっと来たか!の思いです。
これで空港利用者は安心してTAXIを利用できますね。
そしてこの後、何回か“SUPPER SHUTTLE”に乗ることになるのですが、私が留学していた時代は韓国人や中国人のリムジン・サービスが席巻(せっけん)していました。
しかし今、NYのカービジネスは韓国人などからインド人にテイク・オーバー(主役交代)されたようです。
そう言えば、メトロポリタン美術館内のレストランで食事しましたが、多くのインド人ウエイターを見かけました、チャイナタウンの一角にあったベトナム料理店でもウエイターにインド人を、飛び込みで入ったピザ・ショップでさえインド人の店員を。
SUPPER SHUTTLEの運転台横には”スマホ“が置かれ、乗客の指名、乗車ポイントが表示され、ドライバーはそれに従って運行しています。 かつて太平洋自動車のDAVIDがブラッカー・ビジネスの大手が1億円の運行システムを自前で構築し端末を各リムジンに装備させた話を思い出しました。
“スマホ”という、極めて簡易な装備で顧客情報を入手できる、たった15キロ圏内程度内しか交信出来なかった金の掛かる無線など必要としない。
私が去ったあとの20数年の間に、タクシー運転者の間に常習化していた意図的な遠回りのよる不正運賃の温床、無線頼りだった旧式な車の配車システム、一方配車システムに自前による巨額の投資の全てが“藻屑(もくず)”と消えています。
本来、当たり前の“定額料金という顧客サービス”、安価、便利な“スマホ”によるビジネス・モデル革命、NYの厳しい労働環境にもに怯まず(ひるまず)押し寄せるインド人というニューカマー(新規参入者)の大波。
敗者は全て、“当たり前と言う普遍のルール”と”スマホ“と怖いもの知らずの人口大国インド人の勢いの濁流に押し流されています。
(また続きを書きます。)
“時の流れの諸行無常・・・ブラックカー・ビジネスとNYのある韓国社会”2016/9/19 再編集
時は1991年頃、アルバイトが見つからず困っているところ、元ハンターカレッジの英語学校で知り合ったクラスメイトの紹介でクイーンズの地下鉄エルムハースト駅近くの、日本で言えば車の”ハイヤー業“に近い韓国人オーナーの会社で働きました。
ただ日本のような豪華でシックな黒でワックスの効いている“レクサス”のような車を想像しないでください。 ただ車は当時、年落ちの”リンカーン“や”キャデラック“などで、見かたによれば最近の車は小振りになって、私的には当時の車の方が雰囲気があるように思いますが。
(当時のNY遠回りタクシー事情)
このバイトを始める前は、一般には人は多くタクシーを利用していると思いました。
でもタクシーに乗ると、英語も土地勘も“そこそこ”だと意図的な遠回りを3台に1台くらいの割合で運転手に“良いように”やられます。
私もJFKから市内に来るとき、えらい遠回りされました、道が怪しいと思ってドライバーに呼びかけても“分かってる、大丈夫、まかしとけ”、口だけで結局は不当な料金を取られます。
でもでも、学校級友のヒスパニックの彼女のご主人はタクシー・ドライバーをやっていて夜間は自身が“怖い”と話しているそうです。 そう言えば、映画“タクシー・ドライバー”の中で採用担当者がロバート・デニーロに”お前は、このNYの夜間の危険な場所でも運転は平気か?“の問いに答える“ANYTIME, ANYWHERE”つまり怖い所は無い、例えブロンクスのゲトー(売春婦、ドラック・ディラーの徘徊するNYの治安の悪い地域)でも問題なしと。
今、思えばドライバーが“カモれる客”から取れる時は取るは、命がけの大変な仕事をしている見返りとしての彼らへの”報酬“だったかもしれません。
(車持ち込みの寄せ集め、来る者があり、そして去る者が)
さてアメリカとは生きるのが大変な社会です。
ここのハイヤーもどきの会社(通称、ブラックカー・ビジネス)で働くドライバーは全員、車の持ち込みです、歩合制ですから仕事をしなければ一銭も入って来ません。 そして会社が少しでも固定給を払うリスクを取らない代わり、ドライバー達は身軽に同業他社へ移ります。 ドライバーは仲の良い、繋がりの強い者どうし、2,3,4人位にグループに分かれています、猿山の“サル”に似ています。 グループ同志で気に入らない、稼ぎに不満、こうなったら先ず先発の一人が辞め、時間を置いて他の仲間も当然移ります。
(バスに乗り遅れるなと、果ては日本の地方の小銀行まで大挙NYへ、そして夜はドンチャン騒ぎ)時は真に日本のバブル期、客の80%は日本の法人客です。
だから外線からの電話には日本語で“太平洋自動車です(仮称)”と出ます。
上記のようにタクシーは遠回りして料金の上乗せと言う問題がありますが、この業界ではVOUCHER(伝票)にサインで乗車、しかもFLAT-RATE(設定料金)で支持を受けていました。
日中はともかく夜の8時頃から電話はなり叫びます、日本で馴染み知った会社がほとんどKビール、F銀行、D銀行、C信用銀行・・・等々の顧客から彼らの事務所はもちろん、レストラン、寿司屋、天ぷら屋、クラブ、カラオケなど値段の高そうな所へ車を1台、2台、3台とオーダーが入ります。
行き先は彼らの自宅です、フォトリー(片道20KM、料金$22)、ウエストチェスター(30KM、$35)、ワシントンハイツ(30KM、$35)などです。
常連駐在員の酒宴は時には毎日、週数回とか頻繁に“とてつもなく高い”レストランで食事、そして“ハシゴ”、あげくに安全な“リムジン”で郊外の自宅へ帰宅。
何と言うことか?
リムジンの空車の待機場所は日本で言えば、客のピックアップが銀座・新橋としたら交通に支障のない東銀座辺りみたいな(NYではヘリポート近く)にて待機、5分プラスアルファ―で現地着。
夜9時あたりになると今度は車が足りなくなります、顧客に“どれ位で来れる?”私はいつも嘘をついていました“5分くらいで”。
鳴り叫んでいた電話も夜1時半を過ぎると“ピタッ”鳴り止みます。
先ほどまでの車が“遅いぞ!”のクレーム電話、無線でドライバーに“パリガセヨ(急げ、急げ)”の応酬は“どうでも良くなります”。
先ほどまでの喧騒は嘘のようです。 私達はどんな仕事でも、こんな狂気と静寂のハザマに生きているんですね。ボリューム・ゾーンは僅か(わずか)夜8時から翌1時の短いレンジ。
どうみてもドライバーは物理的に見て一晩で3本しか客をとれません。
年老いた日本語を話せるドライバーは、他に何処も行けないので通しで働きますが、多分四十がらみの子供がいるドライバーは昼は多分、他のデリーとかの仕事と掛け持ちでしょう。
(ついに共同経営者が決別)
事務所(会社)はどう見ても儲かっていると見えません、事務所に時たまダウンタウンの韓国銀行から電話がかかってきます、口座の残高がショートしているから今日の4時半までに入金してくれと。
この会社のバックグランドは分かりませんが、どうやら別々の2家族が共同で立ち上げたようです。 その中にサン(SUNG)20代後半おもに日中は彼が事務所を仕切っていました。 自分ではバルーク・カレッジ(市立大学)卒業と言っていました。 もちろん英語はネイティブです(もちろん、韓国語がマザータングですが)。
自分は出直し留学生、しかしサンNY育ち、それでいて何故(なぜ)こんな中途半端なポジション(仕事)で甘んじているのか? これが彼の、彼の家族のアメリカン・ドリームか? いや違う、彼のセイでもない、それ程アメリカで根を張るのは容易く(たやすく)ありません。
アジア人の顔立ちは価値が無い、以前この近くでパン・ケーキのお店を見つけ買い物をしたことがあったが、店のロゴ、外観とも地元の老舗かと思いました、店頭には二人のスパニッシュの女性が働いている。 しかし、後でこの店はサンの親戚の韓国人の経営と分かりました、店からは見えないバックヤードでは彼らがパン作りをしていたことになります。
韓国人(東洋人全般)がファンシーなイメージのケーキ屋さんの店頭に立てば、店のランクは一段も二段も低くなってしまう、これでは顧客の中に隠れている無意識の差別に突然、火が放たれ見下されてしまう。 これは仕方のない事です
もう一組のオーナーは金さん一族、金さん自身は韓国ソウル大卒、日本留学の経験がないのに日本語ペラペラ、歳は50後半、良い人でした。
話によると以前、米国日通で働いていたそうです、彼も時折ドライバーをやります。
この会社には日本語を話すのが4人います、皆、日本統治時代に殴られて憶えた口かもしれません。 車に乗る日本の駐在員と言っても英語は下手くそ(当時)でしょうから、車にのったら彼らの日本語には“ホット“するでしょう。
私は時たまIF・・・・IF(もしも、もしも)このNYでドライバーが流れ流れついた日本人だったら?と自分の頭で想像します。 日本のエリート気分の駐在員が乗り合わせたリムジン(ブラックカーを総称してこう呼んでいます)の運転手が選り(より)によって訳ありそうな、何でもお見通し風情の日本人だったら。
これは、“白ける”でしょうね。 だからドライバーは外国人でバランスが取れているのでしょう。
さて共同経営者どうしの争いですが、それは有る土曜日日中に起こりました。
私は韓国語が分かりません。 口喧嘩が始まった訳ですが、多分当時者間(SUNGと母親 VS 金さん)では以前から争っていたと思います。
双方、口喧嘩、極め付けはSUNGのお母さんの韓国人特有の大声でかん高い声で終わりました。 悲しいかな、この韓国人の極限状態の口喧嘩も一つの文化なのでしょうか?
NYで以前にも、路上で人が遠巻きで見ているにも関わらず、中年の女性がSUNGのお母さんと似た調子で顔を真っ赤にして、相手の男性を“罵って(ののしって)”いました。
どちらが勝った、負けたにせよ、周りの人間には、興ざめで、ただただ“淋しい”感じがとり巻いていました。
その日を境にSUNG親子の姿を事務所で見ることは有りませんでした。
(金さんの二人の息子との出会い)
SUNG親子が去って、代わりに金さんの奥さんと息子、JEFFとDAVIDが事務所に顔を出すようになりました。 二人ともこのリムジン・ビジネスには精通していました、JEFFは30前半、DAVIDは20代後半アメリカ陸軍(ARMY)退役とか。 二人の英語は同じ兄弟でもやや隔たりがあった。 JEFFは中学生の時、DAVIDは小学4年生の時に韓国から来たらしい、自分は人にもよるが語学のFLUENCY(フル―エンシィー・流暢さ)を得るには、真に小学3,4年頃までに外国に住み移ることが大事と思っていますが、真にその方程式通りです。
当時、事務所で客からのオーダーは原始的にマニアルで紙にメモをとり、無線で業界用語で10-5(テン・ファイブ、客待ち状態)と“客待ち状態”と宣誓したドライバーの序列表に従って、無線で同じくディスパッチしていました。
全て無線で、一昔前の日本のタクシーでも事務所とドライバーの交信がランダムにも続くあの状態です。
ある日、数社リムジン会社を渡り歩いて来ているDAVIDが“大手では無線を使わず、装備されたモニターにオーダーがデジタル表示されドライバーの選択を約定させるシステムになっている。 ただこれには$100万(約1億円)の投資が必要”と話していました。
(ある夜のクイーンズ・ブルバード上の歩道橋からの眺め)
バイトを終え深夜に帰路、歩道橋から眼下を見下ろすと、今までは気付かなかったリムジン(ブラックカー)が目に留まるようになりました、あれも、これも、あっちも・・・QUEENS BRDの道路上、郊外へ向かう下り車線の大半がリムジンです。
相当の車、わき目も振らず、ナイアガラの滝の“水の分厚い板”にも似たリムジンが道路一杯に広がり隊をなし突き進んで行く、郊外へ郊外へと・・・。
きっと車に乗る駐在員達はほろ酔い加減にも拘わらず、NYの厳冬、深夜路上での強盗から安全に守られ、30キロの道のりを最速で帰宅、完璧(皮肉です)。
一方、ガソリン込みで車持ち込み、深夜に往復60キロをおまけに事務所にマージンを払い運転するドライバー、実質いくら手にするのか?
(2013年秋、強者(つわもの)どもが夢のあと、そして新星現る)
退職を契機に21年振りにJFKに降り立ちました。
今回サンフランシスコでも乗車したので、同じく“SUPPER SHUTTLE”(乗り合いVAN)
の車が目に入ったので、これに乗ることにしました。 ドライバーに値段を確認すると$40+TIPだそうだ。
周りを見回すとイエローキャブ(タクシー)もいます、ドア側面には何とNY市内$70(記憶が正しければ)FLAT-RATE(定額)書かれています。
もちろんVANサービスの方が安いが、TAXIの定額制の時代がやっと来たか!の思いです。
これで空港利用者は安心してTAXIを利用できますね。
そしてこの後、何回か“SUPPER SHUTTLE”に乗ることになるのですが、私が留学していた時代は韓国人や中国人のリムジン・サービスが席巻(せっけん)していました。
しかし今、NYのカービジネスは韓国人などからインド人にテイク・オーバー(主役交代)されたようです。
そう言えば、メトロポリタン美術館内のレストランで食事しましたが、多くのインド人ウエイターを見かけました、チャイナタウンの一角にあったベトナム料理店でもウエイターにインド人を、飛び込みで入ったピザ・ショップでさえインド人の店員を。
SUPPER SHUTTLEの運転台横には”スマホ“が置かれ、乗客の指名、乗車ポイントが表示され、ドライバーはそれに従って運行しています。 かつて太平洋自動車のDAVIDがブラッカー・ビジネスの大手が1億円の運行システムを自前で構築し端末を各リムジンに装備させた話を思い出しました。
“スマホ”という、極めて簡易な装備で顧客情報を入手できる、たった15キロ圏内程度内しか交信出来なかった金の掛かる無線など必要としない。
私が去ったあとの20数年の間に、タクシー運転者の間に常習化していた意図的な遠回りのよる不正運賃の温床、無線頼りだった旧式な車の配車システム、一方配車システムに自前による巨額の投資の全てが“藻屑(もくず)”と消えています。
本来、当たり前の“定額料金という顧客サービス”、安価、便利な“スマホ”によるビジネス・モデル革命、NYの厳しい労働環境にもに怯まず(ひるまず)押し寄せるインド人というニューカマー(新規参入者)の大波。
敗者は全て、“当たり前と言う普遍のルール”と”スマホ“と怖いもの知らずの人口大国インド人の勢いの濁流に押し流されています。
(また続きを書きます。)