中年オヤジNY留学!

NYでの就職、永住権取得いずれも不成功、しかし、しかし意味ある自分探しに。

平成くたびれサラリーマン上海へ行く (最終回・あとがき)

2018-09-24 11:34:31 | 小説

今回でこのシリーズは最終回を迎えます。
全編を通して読んでいただける方に、一行でも、ワンフレーズでも心に残ることができたら光栄です。






その12 最終回)+(後書き)
( 又、いつしかの船出 

 裁判は、この事件の担当書記官の援護にも支えられ翌年の5月に結審し、一月後に次郎は勝訴を得た。
あとは、次郎に出来る事は、早くこの件を忘れる事しかなかった。
劉さんと不幸な出会いをした事、結婚に至る前に既に、何か彼女の不可思議な行動があったにも拘わらず、次郎が踏みとどまれなかったことにも非がある。
劉さんに騙されたにしろ、結局は全て自分が悪いのだと、理解している。

サラリーマン勤めは毎日がストレス・・・
この背景には、次郎の歪な(いびつな)誰にも有りがちなサラリーマン生活にあるのかもしれない。
自分の余りあまるエネルギーを押し殺し、あたかもハタラキ蜂のように自分の役割を限定し、埋没しなければ生きられない会社人生。
会社では目立たぬよう、自分の輝かしい過去は間違っても社内では言わぬよう。
去勢された牛のように体の中にみなぎる、時には“良い意味での闘争心”時には“正義感”をも全て封じ込めなければいけない、サラリーマン生活。

しかもこうした社内での抑圧で、自分が意思に反し、捻じ曲げられているにもかかわらず立場上は“平静”すら装う生き方。
例えて言うなら、次郎に落ち度が無いにもかかわらず、とりあえず上司としておこう、その彼に怒鳴られ、それに怒りも反抗もできず、むしろ笑って自分から取り繕うバカ人間を演じる奇妙な大人になっているのかもしれない。

これは次郎だけに限らず、多くのサラリーマンが日常経験していることである。
この欲求不満状態を解消するために、一部の人達は時には酒で紛らわし、そして賭け事に、日頃の抑圧のはけ口として、肉体と金銭と時間を昇華している多くの人達がいることは確か。

しかし自分ではどうにもならない会社はともかく、次郎個人としては、もっと自分の体の中にある人間のダイナミズム(人間本来ある内に秘めた力や才能)を揺り起こす生き方を願っている。
時に人は一瞬の出会いや経験で、人生は舵を大きく取る・・・

ふと面識の無い人と偶然に会ったり、経験したことのない事から得られる、“利智”。
もしかして、未知や異質なものを引きつけられるのは、本来は少数派だけでも生き延びるための、生命の防御本能だったかも知れないと次郎は時には思う。
本流から離脱するのは劣性な行動にも見えるが、意外と劣性は一種の防衛あるいは進化の一形態なのかもしれない。
なぜなら、本流に留まれば、万一全滅の際にはその種が全てが全滅する、そして何も残らない。
ある高校の国語の教科書に渡り鳥なのに、時折群れと行動をともにせず何故かその地に残る鳥もいると書かれていた。

もしも、神が次郎にその未知や異質なものとの遭遇の役割を課したのなら、そのために、自分の余りあまるエネルギーをミッション(使者)というには大げさかもしれないが、そのために使いたいと願う。
だから、劉さんの件は失敗である事は確かだが、しかし次郎はどこまでも人の意外な生き方を望んで止まない。




(とりあえず日常へ・・・)
裁判が決着して、この頃では、次郎の心にも静けさが戻った。
そして今朝も駅のホームの同じ場所で、同じ時刻の電車のドアの前で、決まったように電車を待つ出勤途上の次郎を見ることができる。
そして、ひとたび、いつもの時刻の電車に乗り込むと、やや混んだ電車の中で、見慣れた髪の毛の薄い紳士が彼の指定席ともいえるいつもの場所の座席を陣取りスヤスヤと眠り、また別の長髪の中年男性がこれまた、いつもと同じ姿勢で反対側のドアに寄りかかっている。

“皆、変わらないな!真面目だな!いつもの時刻の電車、同じ車両、そして毎日ほとんど定位置、何時ものスタイルで乗車”と次郎。
そう言う次郎自身も、そんな一人なのだが。

しかし、いつも通りの生活をしている平凡な誰もが、何かの折りに触れ、そのいつもの生活から外れ、突然に人生の大航海を始めることもあるのである。
(終り)





( あとがき - 時には異端児を貫く )

まずは、この作品のご拝読に、感謝したい。
この作品は、読者の皆さんはお気づきと思うが、国際結婚を否定するものでもなく、又そのトラブル解説書でもありません。
あくまで、そうしたテーマを引用しつつ、変わりつつある日本と益々身近になってきた異文化との出会いをこの作品の舞台としました。

又、この作品から離れて、私達の現実の生活に目を向けても、折からの日本を含めた世界経済の大変革、一般の市民が今まで以上に変わらざるを得なくなってきています。

コンピューター・携帯端末を中心とした飛躍的発展、英語を中心とした言語の世界標準化の大波、結果として中高年のみならず若年層を巻き込む労働市場にも変化の波が押し寄せて、今までに無かった状況に突入しています。

ただ、この作品のなかの主人公、松尾次郎のように、従来通りの社会が崩壊しつつあるといえども、多くの会社人間は以前と従来型の社会に属し、自己の個性を殺し、ある程度の服従を余儀なくされています。
そこへ、春先の湖上の氷のように、サラリーマン社会の足元もぐらつき始める。
次郎のようなサラリーマンにも、異文化や英語、コンピューターに代表される世界共通化文化への脅威へ、同時にそれらのトレンドに興味を注がれるのも当然の成り行きのように思えます。

たまたま、この作品の主人公、次郎は上海にて何らかの一歩を踏み出したが、運悪く頓挫してしまった。
しかし、次郎の行為を、単に愚かとか、軽率とか評価は出来ないでしょう。
次郎のような平凡なサラリーマン生活を送る人も、体の中に眠る冒険心を揺すり起こす機会が突然現れるかも知れません。
結果の成否よりも、今こそ、私達に問われているのは、太古の昔、私達の祖先が危険をおかし遠い海の彼方からやって来たかもしれないことを、そして彼らの勇気を思い起こす時ではないでしょうか。
2000年 9月(作者)


平成くたびれサラリーマン上海へ行く (その11)無秩序からの解放

2018-09-13 13:18:02 | 小説

(ここまで) その10から投稿に間がありました、すみません。
原稿を読み直し、書きたいことは沢山有るものの、過ぎると力み過ぎで有ったりと修正。
かと言って、自分からの心の叫びを記せずして、読んでいただく方に申し訳ないしと時間がかかりました。



その 11)
( 無秩序からの解放へ 

それからというもの、次郎の試行錯誤での訴状の作成が始まった。
新たに、六法全書を買い、訴状となる粗書きは、黄色や赤のマーカーや、重要な所を示すインデックスで、さながら大學の卒業論文作成にも似たものとなった。

そんな中、劉さんが次郎の家から姿を消してから初めて次郎に電話をかけてよこした。
意外だが、次郎にすればまた当然でもあった。
直感で次郎は、彼女の日本での逃避行は思うようにいっていないと想像。
大卒の日本人すら“就職氷河期”と呼ばれる2000年前後、まして彼女は日本語を全くしゃべれずサバイバルすることは困難だろう。
この世の何処に楽に暮らせる楽園がある?

(彼女は戻りたいと・・・)本人は上海からの国際電話だという。
彼女は、家を急に出たことに申し訳なかったと詫びたあと、実は彼女の例の副業でもある服が中国で任せてきた友人とトラブルが発生して、急きょ中国へ帰らなければならなかったという。
そして、今は一応解決したので、次郎さえ良かったら日本に帰ろうと思っているという。
最後に、次郎に今でも自分のことを好きか(戻ってきてほしいか)?と締めっくった。

全てが、次郎には遅く、心の整理は終わりかかっている。
次郎が一人で悩んでいる時は、彼女は無しのツブテ、次郎には今更という感がする。

それどころか何か恐ろしい事を企んでいる人は、もう必要ない、次郎の家に帰る必要もなかった。
今となっては、彼女が突然家を飛び出してくれ、彼女の目的をはっきり分るように次郎に示してくれて、むしろ良かったと受けとめている
家に彼女が居て、次郎の留守にコソコソやられた方が地獄かもしれない。
次郎は、彼女に帰ってくる必要はないし、もう電話をしないよう伝え電話を切った。

国際電話と彼女は言ったが、それは“ウソ”で、彼女が日本の何処かにいることは間違いなかった。
命からがら、大金を中国現地のマフィアに支払い(当時、偽装結婚の相場は日本円で200万円)日本に密航してくる人がたくさんいる。
劉さんにしても、やっと手に入れたビザで、わずか数日で日本を離れるわけはないと。
そして、今になって電話して来たのは、彼女は当初に自分が思った通りに稼げず、計画の愚かさを知り、やはり次郎のもとで雨風をしのいだ方が得策と判断したのだろう。
しかし、次郎はもう彼女にはゴメンである。
それにしても、今回の件に関し、次郎のツケだけが重く残ってしまった。




(未確認情報でも翻弄しあう中国人達)
彼女が服の副業に手を出し、失敗したので金をくれ、ダメなら貸して欲しい、その後そのトラブルで上海に戻り、そして解決したので戻りたい。
仮にもファッションに精通し売買を生業と志すなら、時代遅れの皺だらけのコートを誰がこの冬の準備に次郎の部屋に持ち込むか?
騙すにしても、何と幼稚な筋書き

思えば中国人は“ガセ”も含め、不確定情報でも“金づるにしようと”いとも簡単に飛びつく。 かつて次郎の連れの女性達とタクシーに乗り合わせた際も、初対面同志の運転手も彼女達もおとなしく乗車してない、どちらかとも無く話しかけ話が盛り上がり、最後には電話番号の交換をする。
日本人にしたら恐ろしい話である、まして女性でもいきなり見知らぬ運転手と電話交換

そして個人レベルでも必然的に“蜘蛛の巣”のように張り巡らされる人間のネットワーク

何せ中国に行くと、来客中でもお構えなしに男女を問わず知り合いの電話への着信の多い事、おかげで当事者の会話は度々中断する。 何と落ち着きの無い文化だ

中国13億人、男女、学生、正規非正規、公務員、未婚既婚を問わず会社等に所属の有無にかかわらず、一方で個人自営業を兼ね、他人の軒を借りつつ、次なる”ホット・スポット(熱烈市場)“にキョロキョロしていると言っても過言ではない。
次郎と劉さんの国際結婚もイタコ商会の山下を端に中国人ネットワークに繋がる産物であり、また次郎のように変に持て余したエネルギーの余っている中年の所業である。

(裁判所の扉開く)
そして、事件は未だに解決されていない。
訴状の下書きは、何度も何度も書き直された、少しでも裁判所での印象を良くしようと。
証拠の書類を訴状に添付し、正月を直に控えた十二月の暮に、次郎は東京地方裁判所に訴状を提出した。
次郎にとって、訴状が受けつけられるか否か?心は薄氷を踏むが如くハラハラしていた。
ズブの素人が書いた訴状を地方裁判所が受けつけるか?
もしも、拒否されたら、その先どうして良いか全くわからない。

しかし、意外にも裁判所の受付の担当官は次郎の訴状に最初から最後まで目を通し、割り印の足らない所だけを指摘し、その場で次郎に修正させ、訴状は受理された。
ついに素人の次郎の訴状が受理されたのである。
これにより、裁判が開始されるのだ。

次郎は人間には不思議な力が有るものだと思う。
今まで弁護士にしか裁判をすることは出来ないと信じ込んでいたが。
確かに劉さんとの婚姻解消のために数冊の裁判関係の専門書の購入、弁護士のカウンセリングを数度受けた。
しかし大事なことは“貫徹しようとする情熱と勢い”なのかもしれない。

きっと難関大学に合格したり、難しい国家試験に合格した人達は困難を>“情熱と勢い”で一日一日少しずつ制覇し続けた人達なのだろう

今回、何故かわからないが、次郎は何時か分らないが、この裁判に勝つ予感がする。
裁判所を出る次郎は久々に、心が晴れ晴れしていた
次郎は、冬の外気に触れ吐く息を白くさせ、思わず“勝つかもしれない”と叫んだ。


(つづく)