中年オヤジNY留学!

NYでの就職、永住権取得いずれも不成功、しかし、しかし意味ある自分探しに。

“運”が舞う内は留まり、留学は敗残兵になってからで遅くない、それでも保証無し

2017-04-08 14:06:15 | 海外留学
中年オヤジ留学


運”が舞う内は留まり、留学は敗残兵になってからで遅くない、それでも保証無し2017/4/8 記



 私は約8年前に、公正証書にて遺言を作成しました。
身内の経験から、遺言には証拠書類の取り寄せ等、健康なうち体力がないと無理と分かったからです。
今回これには費用がかかるが作り直そうと思います。 
その際に序文に、自分はここに至るまで 運”に助けられ生きて来れたと付け加えようと思います。 

留学、あこがれや夢では空腹は癒されない
ニューヨーク・エルムハースト、3月27日路肩に雪が残るアパートを引き払い帰国。
理由はともあれ去るには後ろ髪を引かれる刺激的な街(NYC)、当時治安も悪かったが、それでも一口では言い表せない何か不思議な、魅力的な場所。

しかし機会あるごとに私は、これから留学へ旅立つ若者に熱く語ります。
ニューヨークの歴史的建造物、個性的な人々、日本と違い淋しがり屋のニューヨーカーが向こうから友を求めて来る、ゴミが散らかっても時には絵になる。
だがそれら魅力的なものを全てひっくるめても(集めても)、最後は毎日“ご飯”が食べられるには敵わない(かなわない)
こんな私もニューヨークで4年間住み、やっと出した答えでした。


留学や進学で道を切り開く?)
 新卒、そこそこ若い時ならチャンスが向こう(採用側)からやって来る、それは時には有るでしょう。
小説“HOTEL NEW HAMPHIRE”の中で登場人物が主人公の若者に言う”(若いうちは)あまり余るチャンスが向こうからやって来る、そしてそれらを好きなように手にすることが出来る、ところがある日、パタッと来なくなる“それを知るべきだと。





日本人に限らず転職者ないし青春期を逃した留学生や上級大学進学者のその後は厳しく、時には悲しい
1) STEVE―アイオワ在住、アメリカ大企業アルコア退職後、NYUにて不動産関係のビジネス・スクールに在籍。 私と彼は寮の仲間、彼はNYUのクラスは専門家が講師で授業内容は素晴らしいと称賛していました。
ただ私は彼が卒業後、早い時期に就職が見つかればと思っていました。 彼はアイオワで彼女と10年以上事実婚。 STEVEは冗談で早く職が見つからないと追い出されそうと笑いを交えジョーキングしていました。
私が帰国後、久しくして連絡が無いのでアイオワに電話すると彼女がSTEVEはフラデルフィアの弟の所にいるとのこと。 心配していたことが起こったようです

2) RICHARD―NY在住、韓国生まれ幼少期ブラジル、成人後NYに母親とともに移住。
 クイーンズ、NYの短大での同級生、彼はコンピューターにたけ私は教わることが多かったです。 NY時代、彼とアルバイト探しを二人で飛び込みでやったことがある、歩けども声をかけてども、ろくに話すら聞いてもらえずその日の天気は曇天、心も暗かった思い出があります。

私が帰国後数年して彼がコンピューター関係で働いていたがソフトを無断でコピーしたとかで“クビ”に、久しくして宝石商で働いている話は聞いたが、その後仕事の話は彼から出てこない。 3年前NYに行った際に会ったが、彼の方から仕事の話は聞けなかった。
私がNYを去ってからの20数年、どうやって食べて来たのだろうか?
そんな事は聞けません、母親の再婚相手の義理のお父さんの少ない遺産?分かりません。

ただ言えることは、人が一旦道を踏み外すとは大変、多分こんな表現ではダメ“恐ろしいとか残酷”と言いかえるべきかも。
不遇時代を1~2年で脱出したならともかく、30代から50代後半まで、察したところ“をもつかんでいない”、ただただ悲しい!

私の“いちご白書”)
 私はNYに留学前は約15年自営業を経営していました、商売に浮き沈みはつきもの、支店を持ち従業員も増えると、毎日が”戦場“でした。 スタッフの突然の欠勤、従業員間のトラブル、従業員の大きなストライキが2回。
そんな訳で日本に帰ったら就職を希望していました、私を本気に迎い入れてくれるなら何処(地方)でも行こうと思っていました就職のためアメリカで日本人らしく見せないため(安全対策)髪はパーマをかけていましたが、バッサリ切りました
飯田橋のハローワークで就職相談で私が英文タイプ(当時はPC普及前夜)ができるという事で女性担当者から“これどうですか?”と結局定年まで勤める会社の紹介を受けました
当時は真か定年までと思いましたが、これは真に自分にとって“縁とか運”とかの話になると思います。

本文書きだしの“運に助けられ”の意味は、もし自分の子供(35年会っていない)へ届くなら、また彼らも人並みに“ご飯”を食べながらえたとしても自分の実力や努力だけと思わないでほしい。

最近見た、BS6チャンネル“歴史鑑定”で中国地方の覇者、毛利元就が小国から大大名になれたのも“・・・天運味方して・・”と言っているそうです。

また続きます・・・・