(ここまで)
主人公(松尾次郎)はある縁での国際結婚に中国上海へ来ています。
知り合い短期間とは言え、状況が外国という事も有り、細かい自分の都合で”のらりくらり”は難しいところです。
あたかもテレビの動物ドキュメンタリーで、大河に肉食ハンターの”ワニ”が水中に潜んでいても、河を渡ろうとする、上気したヌーの一群にも似た。
主人公の次郎も、ここまで来ると、どういう事になるのでしょうか?・・・・
>(その 7)
( そして河を渡る )
その後、次郎は再度、劉さんに会いに3ヶ月後に上海へ行っている。 その際に、劉さんの親にも兄弟にも会っている。
松尾の運命は、ほぼ決まったようなものだった。
肉体関係が有るや否やは、時には、男女にとって絶対的のものかもしれない。
なければ、その先は進まない。
そして上海に行くこと3度目にして、劉さんとの婚姻の届け出(中国では登記という)を出すことにしている。 人生の一大事に、こんな軽はずみ、つまり一度や二度有っただけで決めて良いか議論はともかく、多くの日本人が中国人との国際結婚の際にはこれと似た状況と相場が決まっている。
別に劉さんが嫁さんとして、最高というわけでもない。
しかし次郎は時間をムダにしたくなかった。
この状況を”ムダ“と呼ばしめるのは、常軌を逸しているが、人は時に普段やらない事を”流れに乗って“やらかしてしまう事も有る。
例えるなら、仲間内で数台の車に分乗ドライブし、他の車が黄色信号で交差点に進入し、少し遅れた自分の車は完全に赤信号に変わっているのに、仲間の車に追い付きたいばかりに、交差点に突っ込んで行く。
結婚相手を良く知ることの方が本筋なのに、国際結婚の手続きを含めた煩わしさを早く解決(完結)したいばかりに事を焦っているのだろうか?
次郎にとって、現状のままでサラリーマン生活をすることは、時間をその分だけムダにすることと位置づけているようだ。
そして、次郎がムダと感じ始め、もう久しい。
もう若くない次郎にとって、人生をやり直したくても、ゲームの“スゴロク”のようにスタートから、やり直す事はできない。
多分、職業も、結婚も何か中途ハンパな、継ぎ接ぎだらけなものしか、次郎はあてにできないと諦めていたのだろうか?
かといって、次郎は結婚至上主義でもない。
自分以外の人と何かの記憶を残しかった。
旅行へ二人で行くでも良い。
また、独り者というのは,拘束も無いかわり、結果的に生産的なことを何もしていないという、独り善がりに陥りやすい事も、彼は知っていた。
春を迎え、次郎は劉さんとの、結婚届のために上海入りした。
法制上、まず中国で結婚届をしなければ、日本で配偶者のビザ(通称、呼び寄せビザ)の申請ができない。
日本人どうしが結婚の際に俗に言う、“紙一枚”にサインと違い、中国での国際結婚には色々の書類を要求される。 当然だろう、この婚姻届が根拠となり、一人の外国人が日本人として扱われる。
外国人が外国に住むにあたって、居住権の有る無しが法的に守られるということは、とても大事なことだ。
日本人には、ピンと来ないかもしれないが、外国に住む外国人に居住権がなければ、“虫けら”も同然だ。 正式な職業にも就けないし、政府等からの行政上の援助、付与を受けられない。
外国人同士の間でも、この居住権の無い場合は二流扱いされる。
つまり日本にいる外国人どうしでも、永住権を持つ者は、不法入国は論外にしても、学生ビザや就労ビザの者より上と言う事になる。
初対面の外国人どうしが、自己紹介の場で、自慢気に永住権のホルダー(所持者)と語るのは、それを手に入れるまでの、下積み時代、長い月日その他の苦労の代償として、誇らしげにするのは当然である。その苦労は、日本人には解らない世界である。
次郎と劉さんは連れ立って、朝、結婚登記のためにホテルを出た。
登記所は上海市街の南西に位置し、目立たぬ小さなビルの中にある。
ただの小さい雑居ビルとしか言いようがない。
こんな所が、日本との国際結婚の橋渡しとなる“ホット(重要な場所)”な場所とは外観から想像もつかない。
おまけにその雑居ビルの2階は中華レストラン、登記所に至る階段、踊り場、廊下には、タライ、水槽その他に食材となる、訳の分からぬ魚、蛙などの生け簀の置場と化している。
おまけに日本人には慣れない臭い香辛料がたちこめ、“清水の舞台から飛び降り”国際結婚しようとする者達にとっては、手荒い出迎いである。
階段を上がりきると、そこには廊下に溢れるほど、人が詰めていた。 直ぐに、男性が日本人と分るカップルもいる。 台湾籍の人と結婚する上海人、そして香港籍も。
普通、結婚届の場所といえば、誰もがウキウキするような和やかな場所と言えるが、この場所は何か、それとは別のモノに映る。この場所は、中国の人が外国へ飛び出すための通過点に過ぎない。
結婚届けの重みより、もっと大事なものが先にあると言っているかのようである。
例えば、外地へおもむくための査証とか。
この登記所の壁側にガラスの敷居を隔てて,所員が控え、部屋中央に申請者が書き込むための大きな茶色いテーブルがある。
そのテーブルの上で、次郎は結婚申請書に記入し始める。 氏名、生年月日の他に、二人が知合った経過も書くようになっている。
そして、部屋には録音テープが繰返し、“申請書の記入には万年筆(鋼筆―ガンビイ)を使ってください”一昔前に、日本では使われなくなった液体インクの万年筆。
現在、中国ではせめて結婚届にサインする自筆の重みを万年筆を使うことを要求しているのだろう。
次郎の目の前では、人の良さそうな20代後半の日本人男性が、自分の申請書に何を記入して良いか、オロオロしている。
彼の嫁さんになる彼女に目をやると、中国人にしては、やや派手目の服を着ている。
彼女は、男の目を引く顔立ち。
そして、その二人の背後から、嫁さんになる彼女の母親とも思える、そして親にしては、これ又、派手なスーツの襟のまわりをトリミングしてある姿の中年女性。
そして、その母親らしき人物がヘタな日本語で彼に、何を記入すべきか説明している。
嫁さんになる彼女は日本語がダメらしい。
日本の街場の中国パブのママである母親と客の日本人男性が、そのまま上海にタイム・スリップしたかのように。 そして上海に残してきた娘を呼び寄せるための政略結婚であるかのように。
この結婚登記所にある、全ての光景が、考えようでは、“虚”であり、“異様”である。
結婚登記所と呼ぶには、カップルの”ウキウキ“、”チャラチャラ“と上気した興奮はどこにも見当たらない。 むしろ例えるなら不動産屋の事務所で、“背中を押されるように”契約書に署名し、“トドメ”に昨日まで自由でいた自分自身に決別を宣言するかのように、代わりに“責任”という書類に実印を押すにも似た。
何か物足り無い現状を変えるため(抜け出すため)、結婚と言う買い物(選択)は必要だったのか?・・・
人の行動は時に不可思議なもの。
この結婚登記所では、全て申請、手続きが金取主義(かねとりしゅぎ―徴収、徴税)となっている。
中国という国で申請なのに何故か?アメリカ・ドル20ドル(ドル紙幣が)必要である。 次郎は、成田の東京三菱でこの米ドルを用意してきている。
申請書に記入し、お互いの写真を貼り窓口に、日本の独身証明書と数多くの書類を提出すると、登記所が指定する病院へ行くように、書類を渡される。
申請者達は、あたかも運動会の二人三脚のように急ぎ指定された病院へ、その登記所を飛び出す、早ければ早いほど、良い事があるような錯覚で、あるいは早く全ての手続を終らせたいのか。
次郎たちが向かう病院はかなり遠い、タクシーで彼の心は焦る、昼までに全てを終らせる事ができるかと? 三十分程して、ようやく指定された上海船員病院なるところへ着く。
受付にて、手続またしても、約200元と、更に300元別の名目でお金を取られる。 受付前のホールには、先に着いている先ほどの結婚登記所からのカップルが4,5組が点在して椅子に座り、順番を待っている。
次郎の名が呼ばれ、採血、尿、レントゲン、最後に問診。
次郎は聴診器で胸でも調べるのと思いきや、ドクターの居る部屋に入るなり、彼は日本語で“オチンチン、見せて”。
それは、明らかに日本語であった。
確かに、結婚前の男の健康チェックでは一番重要そして、分りやすい検診かもしれない、日本語を使う所を見ると、今まで、相当な数の日本男性が彼の目の前にオチンチンを見せて通り過ぎていった事になる。
次郎は、自分の健康度は多分問題無いだろう感触で全ての検査が終了した。
この状況を知らぬ人は笑うだろう、今度は又、カップルは二人三脚の如く女性達のために、登記所が指定した別の女性専用病院へとタクシーを飛ばす。 少しでも、他のカップルより早く着くために。
そこでは、男性達はタダひたすらに待つのみとなる。
待合で、次郎はやはり自分のパートナーの診察の終了を待つ、アメリカ国籍のプエルトリコ人と親しくなり雑談に興じた。 彼は、後十日ほどこの手続のために、上海に滞在するという。
診察の終った、カップルは、今度は最終ゴールともいえ振り出しの、結婚登記所へまたタクシーを走らす。
男女双方の病院からの診断書をガラスの衝立を隔てた、係員に手渡し、全てが終った。
6月の上海は晴れると暑く、まさに夏日、長い1日だった。 もう時計は午後3時前後を指している。
昼食も摂らず、少しでも早く事を終らそうと、急ぎ、次郎は疲れた。
大変な事を終えたことによって、二人の関係は前とは別のものになった。 それは、ピンであるかキリであるかは、ともかく“夫婦”になったのだ。
思い起こせば、次郎もこのために、手間のかかる時間を使ったものだ。 このために日本で、書類集めに、区役所、法務局、外務省、中国領事館へ走りまわった。
今日、これで終ったのだ。
今まで、次郎は自由過ぎると思える自分の生活を変えたかった。
次郎は、何か自分の足に重し付きのクサリを着けるが如く、自分に何かを課したかった。
次郎の余り余るエネルギーを昇華させたかった。
それが、万一、百パーセント次郎の願い通りの解決法でなくても、仕方なかったかもしれない。
次郎は二十歳そこいらの子供でもない、中年のオヤジなのだから、欲張ったことは言えなかった。
この世に生を受け、次郎はこの社会のおおかたのサラリーマンと同じく、会社の矛盾に反旗も掲げず、個性を捨て、その他大勢の一人として生きてきた。
女王バチのように、目立つわけでも無し、自分の代替えはいくらでも控えているハタラキ蜂のように。
人が本来持つ闘争本能、向上心、冒険心、怒りを、これと言って、どこにもぶっけられず今までやって来た。タダ自分自身を押さえつけるだけで好いのだろうか?と時には、考え込む。
かといって次郎には、酒も、ギャンブルも憂さ晴らしにはならなかった。
結婚は何歳、何度目にかかわらず、人生の中の大イベントである。
しかし、花に例えれば、盛りを過ぎた次郎と劉さんの結婚。
何も無く、華やかなパーティその他、友人などの祝福が無くてもかまわない二人ともいえる。
しかし、それでは余りと思う次郎は、少しばかりの友人、親戚を集め宴を、その夜もつことになった。
なぜなら、次郎は明朝、とんぼ返りで日本へ戻る。
それは、外灘に近い、和平飯店(中国では飯店はホテルの意味)で二人のため、というかどちらかといえば、劉さんのために次郎が宴を一席になる。
出席者は、外国という場所がら、次郎のほうは上海にいる数人の友人を除き、あとは全て劉さんの友人、職場関係とそして家族親戚であった。
ホテル事体は上海では有名だが、やや歴史のあるところ。
建物事体は旧い。宴会室に通じる階段は大理石でできていて、それなりの風格があった。 壁の白と部屋の造りのこげ茶の色のコントラストも十分に時代の流れに耐えられるものだった。
宴は格式無しで、始められ、次郎も初めて劉さんの多くの友人と会う機会となった。
次郎は以前、同じく中国で”やり直し同士の結婚披露宴”に参加したことが有る。
演出のある披露宴と違い、単なる大食事会と言って良い。
恐ろしいほどの普段着で来る者あり、新郎新婦との関係が不明の者も。
そう言えば次郎は思い起こす、中国の建設現場で汚れた背広で平然として廃材や建築資材を担ぐ作業員。
また衿のついた背広で農作業する農夫。
その場の状況と、自分の”いでたち(服装)”のギャップに平然と耐えうる彼らの精神力は何処から来るのだろうか?font>
別に次郎にとって、この宴は特別の意味もなかった、ただこれで、劉さんに男として、お互い人生半ばからの、やり直し人生だが、何もなく二人の人生をスタートするわけもいかず義理を立てたことになる。
その夜11時ごろ、大半の劉さんの友人と二次会を経たあと、次郎と劉さんはホテルへ戻った。
ホテルの部屋で、次郎のベッドをコンソールボックスを隔てもう一つ別のベッドに横になる劉さん。
次郎が、今まで持て余し気味だった自由と引き換えた嫁さんである。
もう自分を追い詰めるために、上海をウロウロしなくてすむかもしれない。
しかし、どういう訳か次郎には、好く結婚したての男性が、ニヤケ他人からはスキだらけでしまりがない状態にはならなかった。
普通の男性なら、よくある自分の獲物(女性)をまんまと手に入れた満足感、あるいは自分より条件が上の女性を幸運にも仕留めたという、ある種のウキウキした興奮が次郎には起こらない。
どちらかと言うと、次郎は落ち過ぎている。
ベッドの上に横になっても、やけに寝にはいれない。
ブランケット(毛布)の代わりに平べったい石を体の上に置かれているように、何か重いものがのしかかっているように感じる。何か、拷問にも似た。
何か、とんでもない道に迷い込んだような?
訳のわからない会社に、虎の子を投資してしまったような?
その夜、次郎はなかなか眠りにつくことができなかった、“自分はこれで好かったのか?”と自分自身に問いかけ続ける・・・・。
(つづく)
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