樹木希林さんの残した画像や言葉が、ネットやTVであふれています。
多くのダイバダッタに出会い、成長できたと言われています。
内田裕也さんは、希林さんにとって最たるダイバダッタのようです。
イエスにユダ、釈迦にダイバ、という要するに裏切り者ということのようです。
仏教界の事で、詳細な理解は出来ませんが、必要悪のようなモノでしょうか?
他人は自分を映す鏡のようで、嫌な部分に反応しながら、
自分の中の嫌のモノに蓋をしたり、戦ったり、付き合ったり、、、
自分を知る、有難い存在と受けとめれば、自身の成長に繋がります。
私も多くのダイバダッタに出会いました。
ツレと別れない理由も、希林さんが裕也さんに感じているモノと近いと思う。
お互い譲らず、邪気を出し合い、阿修羅のような日々がありました。
醜いモノに異常に反応する私は、自分の中の醜さに蓋をしていましたが、
ツレとの生活で、向き合うことを覚え、気を鎮めることを学びました。
PTAで出会った人達もそうでした。
180度、思考の異なる人達を理解したとは言えないけど、
日本の現状、地域の環境を考えれば、人はまだまだ発展途上だと思う。
ツレがダイバダッタの役割を終えたと思いましたら、息子がダイバダッタに。
東京で暮らして10年が過ぎれば、環境で人は育って行きます。
質は変わらないけど、自立した自信のようなモノもあり、強力なダイバダッタ。
親子は死ぬまで今生の縁はきれないけど、役者への道が叶うか分からないけど、
生活も月10万円の貧困生活だけど、追求心の強さと可能性を、初めて感じました。
見守る為にも、私も奮起しなければと、働く意味を持てたのも、ダイバダッタのお陰です。
落合陽一は、仏教を学ぶことを勧めていますが、
こうやって自然に学んで行くのかなと思います。
どこから学んで良いかと思っていましたが、またひとつ学習できました。
11月22・23日は群馬県のみどり市、西福寺での展示があります。
22日は元ガロの大野真澄さんのコンサート、23日は住職さんの説法です。
編むことは、祈りであり、心を鎮める時間です。
内閣も官僚も、日本国にとってのダイバダッタなのでしょう。