2005年の日記の補足です。
思い出しながら書くので
自分の思い込みや、記憶の曖昧さで
正確では無いかもしれませんが
あの頃は書けなかったつらい思いを
記録として残したいと思います。
2005年4月の日記
その頃、まだ、PMSという診断は受けていなかったのですが
なんとなくですが
生理の前には
由紀子が不安定になることは気がついていました。
この時期のPMSの症状は本当にひどくて・・・
5月24日の連絡帳の中には
『眠れない→眠い→イライラする→頭を叩いて興奮する→眠れない
この悪循環が続いています。
最近は自傷を止めると、
その相手に攻撃をしてくるようになりました。
イライラが高まると、
ギャー!と、奇声を発して頭をガンガン叩きます。
見ているのが本当に辛いです。』
と、書いていました。
そして、
「次の日に精神科の主治医のところへ行って
薬のことを相談してきます。」
と、書いた後、
連絡帳は止まっていました。
その次の日にあったことを
思い出しながら書きます。
その日は主治医の診察と性教育を受ける予定でした。
長崎までJRで行ったのですが
その頃までは大好きだった列車の中で
由紀子は耳を押さえて黙り込んでいました。
パニックになるのではないかと
ドキドキしましたが
なんとか長崎の主治医のいる病院まで
たどり着いたのですが・・・
待合室に入った途端に
ついにパニックが起きました。
床に寝転がって奇声を発して
頭をガンガン叩いて・・・
診察室から主治医と性教育のM原先生が飛び出してきて
由紀子はみんなに抱えられて
診察室へと運ばれました。
診察室のベットの上でも
パニックは続いていましたが
10分ほどして、
やっと少し落ち着いてきました。
「パニックがひどいと聞いていましたが
こんなにひどいとは思いませんでした。
でも、実際に様子を見られてよかった!
薬を増やしましょう!!」
主治医はそういって
その日から投薬の治療が始まりました。
そして、その日から
由紀子は学校へいけなくなりました。
感覚が過敏になって光を嫌がるので、
我が家の遮光カーテンは
締め切ったままになりました。
そして、音にも過敏になって
テレビもラジオもCDも全て消されて
無音状態になりました。
その中で、
由紀子は目に腕を乗せたまま
ずっと布団に寝ていました。
食事も取れなくなって
口にするのは、果物とゼリーとプリンだけ
お風呂に入れても
頭も体も洗えなくなって・・・
今までコツコツと積み上げてきた
由紀子の生活が全て壊れたような気がしました。
夜になると
パニックがひどくなって
奇声を上げては頭をたたき続けて
興奮が高まると
家の外に飛び出そうとします。
母は泣きながら
由紀子を止めるのですが
暴れる時の力は強くて
母の腕はアザだらけになりました。
由紀子と一緒に死んでしまいたい!!
そう本気で思い始めていました、
そんな時、主治医は薬の調整のために
毎晩、電話をかけてくれました。
「薬が効かない!」
と、泣きべそをかいていた母に
主治医は
「薬が効くまでには二週間ぐらいかかるから・・・
二週間、頑張って!!」
と、言い続けていました。
そして、気がつけば二週間が過ぎ
生理も始まってPMSが終わり
由紀子は少しずつ回復していきました。
今思い返せば
たった二週間の出来事ですが
本当に地獄のような時間でした。
その頃の様子は
以前に強度行動障害の勉強をした時に
9.医療とのつながりについての中にも書きました。
=END=
思い出しながら書くので
自分の思い込みや、記憶の曖昧さで
正確では無いかもしれませんが
あの頃は書けなかったつらい思いを
記録として残したいと思います。
2005年4月の日記
その頃、まだ、PMSという診断は受けていなかったのですが
なんとなくですが
生理の前には
由紀子が不安定になることは気がついていました。
この時期のPMSの症状は本当にひどくて・・・
5月24日の連絡帳の中には
『眠れない→眠い→イライラする→頭を叩いて興奮する→眠れない
この悪循環が続いています。
最近は自傷を止めると、
その相手に攻撃をしてくるようになりました。
イライラが高まると、
ギャー!と、奇声を発して頭をガンガン叩きます。
見ているのが本当に辛いです。』
と、書いていました。
そして、
「次の日に精神科の主治医のところへ行って
薬のことを相談してきます。」
と、書いた後、
連絡帳は止まっていました。
その次の日にあったことを
思い出しながら書きます。
その日は主治医の診察と性教育を受ける予定でした。
長崎までJRで行ったのですが
その頃までは大好きだった列車の中で
由紀子は耳を押さえて黙り込んでいました。
パニックになるのではないかと
ドキドキしましたが
なんとか長崎の主治医のいる病院まで
たどり着いたのですが・・・
待合室に入った途端に
ついにパニックが起きました。
床に寝転がって奇声を発して
頭をガンガン叩いて・・・
診察室から主治医と性教育のM原先生が飛び出してきて
由紀子はみんなに抱えられて
診察室へと運ばれました。
診察室のベットの上でも
パニックは続いていましたが
10分ほどして、
やっと少し落ち着いてきました。
「パニックがひどいと聞いていましたが
こんなにひどいとは思いませんでした。
でも、実際に様子を見られてよかった!
薬を増やしましょう!!」
主治医はそういって
その日から投薬の治療が始まりました。
そして、その日から
由紀子は学校へいけなくなりました。
感覚が過敏になって光を嫌がるので、
我が家の遮光カーテンは
締め切ったままになりました。
そして、音にも過敏になって
テレビもラジオもCDも全て消されて
無音状態になりました。
その中で、
由紀子は目に腕を乗せたまま
ずっと布団に寝ていました。
食事も取れなくなって
口にするのは、果物とゼリーとプリンだけ
お風呂に入れても
頭も体も洗えなくなって・・・
今までコツコツと積み上げてきた
由紀子の生活が全て壊れたような気がしました。
夜になると
パニックがひどくなって
奇声を上げては頭をたたき続けて
興奮が高まると
家の外に飛び出そうとします。
母は泣きながら
由紀子を止めるのですが
暴れる時の力は強くて
母の腕はアザだらけになりました。
由紀子と一緒に死んでしまいたい!!
そう本気で思い始めていました、
そんな時、主治医は薬の調整のために
毎晩、電話をかけてくれました。
「薬が効かない!」
と、泣きべそをかいていた母に
主治医は
「薬が効くまでには二週間ぐらいかかるから・・・
二週間、頑張って!!」
と、言い続けていました。
そして、気がつけば二週間が過ぎ
生理も始まってPMSが終わり
由紀子は少しずつ回復していきました。
今思い返せば
たった二週間の出来事ですが
本当に地獄のような時間でした。
その頃の様子は
以前に強度行動障害の勉強をした時に
9.医療とのつながりについての中にも書きました。
=END=