ゆきちゃん通信++tomiの日記++

自閉症の娘、由紀子の毎日と
母の生活を綴っています。

病院での大パニック!(過去の日記補足3)

2018年08月04日 | ゆきちゃんの日記
2005年の日記の補足です。
思い出しながら書くので
自分の思い込みや、記憶の曖昧さで
正確では無いかもしれませんが

あの頃は書けなかったつらい思いを
記録として残したいと思います。

2005年4月の日記

その頃、まだ、PMSという診断は受けていなかったのですが

なんとなくですが
生理の前には
由紀子が不安定になることは気がついていました。


この時期のPMSの症状は本当にひどくて・・・

5月24日の連絡帳の中には

『眠れない→眠い→イライラする→頭を叩いて興奮する→眠れない
この悪循環が続いています。

最近は自傷を止めると、
その相手に攻撃をしてくるようになりました。

イライラが高まると、
ギャー!と、奇声を発して頭をガンガン叩きます。

見ているのが本当に辛いです。』


と、書いていました。

そして、
「次の日に精神科の主治医のところへ行って
薬のことを相談してきます。」


と、書いた後、
連絡帳は止まっていました。


その次の日にあったことを
思い出しながら書きます。


その日は主治医の診察と性教育を受ける予定でした。

長崎までJRで行ったのですが
その頃までは大好きだった列車の中で
由紀子は耳を押さえて黙り込んでいました。

パニックになるのではないかと
ドキドキしましたが
なんとか長崎の主治医のいる病院まで
たどり着いたのですが・・・

待合室に入った途端に
ついにパニックが起きました。

床に寝転がって奇声を発して
頭をガンガン叩いて・・・

診察室から主治医と性教育のM原先生が飛び出してきて
由紀子はみんなに抱えられて
診察室へと運ばれました。

診察室のベットの上でも
パニックは続いていましたが
10分ほどして、
やっと少し落ち着いてきました。

「パニックがひどいと聞いていましたが
こんなにひどいとは思いませんでした。
でも、実際に様子を見られてよかった!
薬を増やしましょう!!」

主治医はそういって
その日から投薬の治療が始まりました。

そして、その日から
由紀子は学校へいけなくなりました。

感覚が過敏になって光を嫌がるので、
我が家の遮光カーテンは
締め切ったままになりました。

そして、音にも過敏になって
テレビもラジオもCDも全て消されて
無音状態になりました。

その中で、
由紀子は目に腕を乗せたまま
ずっと布団に寝ていました。


食事も取れなくなって
口にするのは、果物とゼリーとプリンだけ

お風呂に入れても
頭も体も洗えなくなって・・・

今までコツコツと積み上げてきた
由紀子の生活が全て壊れたような気がしました。


夜になると
パニックがひどくなって
奇声を上げては頭をたたき続けて

興奮が高まると
家の外に飛び出そうとします。


母は泣きながら
由紀子を止めるのですが
暴れる時の力は強くて
母の腕はアザだらけになりました。


由紀子と一緒に死んでしまいたい!!


そう本気で思い始めていました、


そんな時、主治医は薬の調整のために
毎晩、電話をかけてくれました。

「薬が効かない!」

と、泣きべそをかいていた母に
主治医は

「薬が効くまでには二週間ぐらいかかるから・・・
二週間、頑張って!!」
と、言い続けていました。



そして、気がつけば二週間が過ぎ
生理も始まってPMSが終わり
由紀子は少しずつ回復していきました。


今思い返せば
たった二週間の出来事ですが

本当に地獄のような時間でした。




その頃の様子は
以前に強度行動障害の勉強をした時に

9.医療とのつながりについての中にも書きました。


=END=
コメント (2)
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だめー!!

2018年08月04日 | ゆきちゃんの日記
今日は土曜日なので
いつもならプールの日なのですが

プールのお休みが
土曜日と重なる日が多かったので
8月は休会することにしました。

一番プールが気持ちいい時期なのに・・・

残念!!


でも、昨日が海水浴だったから・・・

いいよね?!(笑)


今日は一日中
パソコンの作業で忙しそうだった由紀子さん!!

何も面白いことをしてくれなかったので
ちょっと前にやったおもしろ行動を・・・


先日の母の誕生日会の日のことです。

長崎までケーキを買いに行ったりして
ちょっとお疲れだった母!

夕飯を何にしたらいいのか
全然思い浮かびませんでした。、

そろそろ買い物に行かないと間に合わないのに
動きたくない~~~!


あ”~~~なにもしたくな~い!!
(; ̄д ̄)ハァ↓↓

そうだ!
もう夕飯はケーキにしちゃおう!!(笑)
(@`▽´@)/ 


と、叫んだら!




今までパソコンに夢中になって
背を向けていた由紀子が
大きな声で!!

。゚゚(」。≧⊿≦)」 だめ~~~~~~!!


Σ( ;゜▽゜)ギクッ!

ジョ・ジョウダンだよ・・・(汗)



晩御飯を食べて・・・
オフロに入って・・・
ケーキを食べようねぇ~?!

( ^ _ ^ ; 汗汗汗汗



自閉症には冗談は通じない!の巻でした。(笑)



自閉症には冗談は通じない(自閉症の特性36)


=END=
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はじまり(過去の日記補足2)

2018年08月04日 | ゆきちゃんの日記
2005年の日記の補足です。
思い出しながら書くので
自分の思い込みや、記憶の曖昧さで
正確では無いかもしれませんが

あの頃は書けなかったつらい思いを
記録として残したいと思います。

2005年4月の日記

由紀子は昔から運動会の練習が嫌いでした。

2005年の春も
運動会の練習をきっかけに
パニックがひどくなりました。


原因は音楽だと思います。

運動会の練習が始まると
各学年のダンスの音楽がずっと流れるようになります。

聴覚が過敏な由紀子には
つらい時期なのかもしれません。


養護学校に入学してから
一生懸命優等生を演じてきて
疲れてきた頃に始まる運動会は
なおさら堪えたのだと思います。


運動会の練習を拒否し始めたのと同時に
学校へ行くことを嫌がるようになって

学校の駐車場に着いても
車から降りずに
ずっと車内に籠城するようになりました。


今の母なら
由紀子の気持ちが整うまで
じっと待とうと思えるのですが

その頃の母は
車から降ろすことに必死になって
なだめたり、怒ったり・・・

母の焦りは、全て由紀子に伝わって
由紀子の心を乱すばかりでした。


なんとか車から降ろすことに成功しても

教室の前で大パニックを起こして
奇声を上げながら廊下に寝転んでしまうという
手のつけられない状況になりました。


その頃の連絡帳には


由紀子に無理をさせないように
工夫をしながら
いろいろと手を尽くしてくださる
先生方の様子と

それでも、不眠と自傷行為で
どんどん自分を追い込んでいく
由紀子の様子

そして、どうすればいいのか分からずに
途方に暮れて自分がパニックになっていく
母の様子が残っていました。


結局、運動会の数日前に
大きなパニックを起こして

眠れない
食べれない
布団から起き上がれない・・・

そんな状態で
精神的にも、身体的に限界が来て

運動会に参加できないまま
二週間ほど学校を休むことになりました。


=END=
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お友達(過去の日記補足1)

2018年08月04日 | ゆきちゃんの日記
2005年の日記の補足です。
思い出しながら書くので
自分の思い込みや、記憶の曖昧さで
正確では無いかもしれませんが

あの頃は書けなかったつらい思いを
記録として残したいと思います。

2005年4月の日記


2005年の春に始まった由紀子の変化は
確実に強度行動障害の急性期と呼ばれる症状でした。

あの頃はそんな言葉も知らなくて
ただ一時期の不安定さだと思っていました。

今思えば、自閉症の由紀子に
なんて無謀なことをやったんだ!!
と、反省することばかりです。
(-________-;) ウッ・・・


もっときちんと説明をして
由紀子に納得させてやる努力をするべきでした。
\(_ _。)ハンセイ




転勤族だった我が家!

由紀子は引っ越しは4回
転校も1回経験していました。

だから、大丈夫だろうと
安易に考えてしまった気がします。


でも、この時は普通の小学校から養護学校へ・・・

転校とは全く違う環境の変化でした。


症状が強くなってきた頃
学校の玄関で同級生のお母さんに

「お友だちはできた?」

と、こえをかけられたことがあります。


その時に由紀子が

「ここにはお友達はいな~い!」
(*`皿´*)/

と、叫んだことがありました。

会話が苦手な由紀子が
こんな難しい言葉をいうなんて
びっくりでしたが

この言葉が由紀子の不安の全貌だったと思います。


小学校時代に転校を経験していましたが
どちらの学校でもお友達に恵まれて
いじめなどの経験は一度もありませんでした。



この頃の由紀子にとってのお友達は

ずっと自分を守ってくれていた
小学校の頃の交流学級の子どもたちのことでした。

わからないことがあったら説明をしてくれ
できないことは助けてくれる

そんなお友達が今はいないと言いたかったのでしょう。


日記のまとめ書きをした中に
由紀子に
「中学生になるという自覚ができてきた!」
と、言う記述がありますが

あれは・・・
同級生たちと同じように中学生になると
言うことで

転校をしても、また自分を守ってくれるお友達がいるはず
そう思っていたはずです。


その事に全く気がついていない
あの頃の自分に
喝を入れたい気分です。


そして、母自身も
養護学校がどういうところなのか
よく理解をしていなくて
戸惑うことがいっぱいありました。


由紀子を支えるべき母がそうなのですから

由紀子が不安定になるのは
当たり前だったのかもしれません。

以前、強度行動障害について勉強をしましたが
この章に全てが書かれてありました。

なぜ強度行動障害になるのか?

=END=
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