今のところ、バング料理はラッシーやフローズン-ドリンクしか見掛けませんが、3食カレーの国なので普通にカレーに入れたら良く、オランダやフランスの様に麻料理コンテストが毎年開かれると良いかと思います。
麻文化の伝統が途絶えた日本では、草は吸うモノという認識がありますが、これはアルコールの一気飲みに等しく急性中毒の恐れがあるので、欧米やタイなどの成熟した麻文化の国々では食べるのが主流となっています。
しかし、ここバナーラスではガンガー沿いのガートで草を吸っている人々が目立ち、それはサドゥー(遊行僧)だけでなく一般人も一緒にプカプカやってます。
わたしも誘われれば吸いますが、煙は肺に悪いので一服だけにしており、その代わり誰よりも深く長い呼吸でシバ神への献身を示しています。
麻の酔いはそうした敬虔な感覚をもたらし、それはヒンドゥー教の曖昧模糊とした儀式と親和性があります。
普通の日本人ならば「よくもあんな退屈な儀式を長々とやってられるものだ」と呆れるところが、インド人はトランス状態に入って楽しんでるようです。
この麻によるトランスは、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚の五感に変化をもたらし、感受性を高めてくれます。
これはシェリル-クローの名曲「Light in your eyes」の歌い出しで「Some thing hapnning, everything’s different but everything fine」と謳っており、わたしも彼女の見解に同意する者です。
インドで麻は日本での酒の役割を果たしており、酒を買うお金の無い庶民は麻で日々の無聊を慰めていますが、それは食べる分には過剰摂取しても健康にさしつかえ無いので(毒性はコーヒー並みとされる)、酒よりもずっと優れたソサエティ-ドラッグと言えます。
しかしいくら聖地だからとは言え、四六時中トランス状態では様々な問題を生じさせました。
それらを一々挙げる気にはなりませんが、結局はお金目当てのタカリで、親和性が高まり人を信用し安くなったわたしの財布からはどんどんルピー札が飛んで行きました。
これは22年前バナーラスに2ヶ月も沈没した時と同じで、この時はカトマンドゥのカジノで10万円程勝ち、100ルピー札の100枚束をごろごろと久美子ハウスのドミトリーに置いていましたが、日本人はそんな札束に興味を示さず、そのお金はガートでバクシーシ(喜捨)を求める人々に配ったりしました。
このバクシーシする人々の群は20年前よりも増えており、インド経済が決して楽には行ってないコトが伺えます。
それは毎年2000万人以上の卒業生が仕事にあぶれる経済で、この失業問題を解決するにはどうしても経済発展が必要ですが、それはにはロシアから安い石油を買ってバンバン燃やさねばならず、温暖化は止めようなく酷暑の日は50℃にまで達して気候難民を生み出しています。
こうした経済発展に猛突進しているインドにあって、呑気にバングを食べて礼拝するだけの聖地があるコトは大きな意義を持つと思え、競争社会からドロップアウトした若者がサドゥー(ヒンドゥー僧)に成ろうと修行する姿なども観られて応援したくなりました。