今回もボブ-ディランの歌をフィーチャーして、パールワティーのブログ-シリーズを締め括ります。
ラストナンバーはお母さんを安心させるタイトルにし、パールのお母さんはロシアで亡命した娘の心配をしているとします。
この「大丈夫だよママ」はディランの歌の中でも一番難解なので、まずは訳を読みながら聴いて欲しいと思います。
この難解なプロテスト-ソングは中国でも人気が高く、日本の"Spotify"よりも多くのバージョンが向こうで聴けます。
その中で一番イカしているのはレディオ-エディションで、アメリカは非常にレディオ文化が発達した国です。
中国でこの歌がウケる理由は、歌詞をじっくりと味わえば解りますが、それについて八路和提のブログで深く解説してみます。
ーー 今回もボブ-ディランの歌をタイトルにしましたので、私が彼の大ファンであるコトは伝わったかと思います。
嬉しいコトに、中国にも同じファンの
方々が多く居られる様で、特にこのディランの中でも一番長くて難解な歌に、人気が集まっているコトを嬉しく思います。
そこで今回は、この歌を中国社会と重ね合わせて解釈してみたいと思います...
『昼間でも闇が覆う社会では、食事をするのにも影が纏い、人々の刃は荒々しくて子供は風船の様に軽い、日食と月食は常に訪れ、それを理解するコトは不可能でやろうとしてもムダだと分かっている』
『権力から威嚇され、それに対して虚勢を張ってみても、仲間内での意見は纏まらない、愚か者の絶対的な口から、虚ろなスローガンが奏でられ、それは必要すらない警告の文句、反抗する者は生きたいのではなく、ただ死にたいと願っているのだと』
『真実がネットのページから溢れ、それを追求して君は戦いの中に居るコトを知る、世界から寄せられる同情の声を聴いてみなよ、君は月が以前とは違っているコトに気付くだろう、そして気付く、君も涙を流す人々の仲間入りをしたコトに』
『海外からの声援に背を向けてはいけない、でもお母さん心配しないで、私はまだため息をついているだけだから、それでも誰かが勝利の鐘をならし、権力側が敗北の鐘をならすコトもある、その時人々の個人的な存在意義は大きくも小さくもなる、ある者は敗北者はみな這いつくばって殺されるべきだと主張し、またある者は憎しみ以外のモノを憎んではいけないと言う』
『幻滅した言葉が銃弾の様に飛び交い、人間の神が標的を定め、おもちゃの鉄砲を撃ちまくる、人肌のキリストが闇の中で光を放ち、それは身近に多く観られて、そんなに神聖なモノでもない』
『宗教指導者が破滅的な未来を予言する中で、教師たちは古い利権にしがみつくコトで金持ちになれると教える、良心は学校の門の裏側に隠れ、自由の国の大統領ですら裸の王様にならざるを得ない』
『国際的枠組みは出来ても意味を成さず、人々のゲームは続けられる、でもお母さん心配しないで、私もちゃんとゲームに乗っかるから』
『広告は君を騙せる、君が誰も成し得なかったコトを出来ると、君は誰も得られなかった勝利を得たと信じるけれど、その間も君の回りではいつもの生活が続けられる』
『君は自分を見失い、それが治って気付く、何も恐れるモノなど無いと、誰も側には居ないのに、1人で君は飛び上がる、それは遠くから聴こえて来る不明瞭な揺れる声が、寝ている君の耳に飛び込んで驚かせたから、その声は君を本当に見付けたと言う』
『疑問を抱き君はイライラする、でも満足できる答えが無いコトも知っている、君自身を放棄しないって誓うんだ、心に留めおいて忘れないで、君が頼るのは彼でも彼女でもなく、彼等でもそれらでもないコトを』
『しかし国の主は賢人と愚か者の為のルールを作る、でも私には関係ないよお母さん、誰も規範になれる人なんて居ないから』
この後もより生々しい苦闘が吟われていますが、長くなるので飛ばします。
最後の歌詞については訳し方が大きく分かれますが、私はより肯定的に捉えたいと思います。
『もしも私の夢が現実になったなら、私はもうこの世には居ないかも知れません、でも大丈夫だよママ、それも命で全ての命はつながっているから』 ーー