わたしはカトマンドゥに10回以上訪れており、その度に人付き合いやカジノに疲れて(負けて)山へ行くのがパターンになっています。
今回は7年ぶりで交通渋滞の劇的な悪化にも疲れ、20年程前は歩いてすぐに郊外の田園地帯へ出られたのに、今ではカトマンドゥ盆地はみんな家々で埋め尽くされてしまい、昔の日本の山間地の様な情景は失われてしまいました。
しかし田舎の山間地へ行けばまだそんな明治時代の様な情景が味わえ、そこでは本当に電気も道路もない暮しが続けられており、わたしは道路の終点からトレッキングで山道を行く経験を2ヶ月以上つみました。
今回は現在進行中の「Sunの物語」で、若き日の秀祥(しゅうしゃん)が河口慧海の様にボランティア医として活躍したムスタング王国を目指すつもりで、本当は昨晩の夜行バスでこの町を立つハズでしたが、事情があって明日の早朝のバスで行くコトになりました。
ここで「発展途上の首都」としてインド人の憧れの都市になっているカトマンドゥを「この町」と呼ぶワケを話しますと、それはベトナムのサイゴンのように古都としての風格が経済発展によって損なわれてしまったからです。
これについては前回も「供給過多による過当競争」と表現しましたが、世界文化遺産のパタンやヒッピーの聖地タメルにまで車とバイクの渋滞が押し寄せてしまっており、お土産屋も余りに増え過ぎていて「虚しさと哀しさ」を感じずには居られず、文化的な創造性は都市と云うよりも町のレベルに思えたからです。
こうした辛口の批評をするのは、曾て世界中のバックパッカー達の町だったタメルが、今では金持ちインド人と中国人に乗っ取られてしまった感があり、もう日本人宿と呼べるようなドミトリーの安宿は無くなって、Sakura Hotel や Fuji Hotel は高級なダケで日本人旅行者が読み終えた本を置いておらず、唯一 Sekai Hotel に1冊だけ有った本と交換できました。
わたしが読み終えた本は、プーリーの日本人宿サンタナに在る膨大な本の中から選び出した「Dog never lies about love (犬の愛に嘘はない)」という翻訳本で、新たに手にした本はインド仏教再興の祖とされるアンベードカル博士の「ブッダとそのダンマ」です。
この本は今日ずっと、モンキー-テンプルとして有名なタメルの近くのスワヤンブナートやカジノで読み耽りましたが、今まで読んだ仏教本の中でも最高の精神性と文学性を持つと思われ(わたしは大学で仏教哲学を専攻しました)、今まで軽んじていたインドの新仏教徒に対する見方も大きく変わりました。
その話はまた後でするコトとし、夜行バスに乗りそびれたワケを話しますと、タメルのハズレに在る半地下の小さな食料品店で3時間余りも話し込んでしまったタメで、そこには前日ロキシー(リンゴの蒸留酒)を現地人価格(50ルピー、外国人価格は普通100ルピー)で売ってくれたのでまた足を運びました。
なんでそんなに長居したかと言うと、60歳くらいの店主から息子がもうすぐ北海道のルスツ-リゾートに出稼ぎに行くので、是非とも彼にアドバイスして欲しいと頼まれたからです。
ロキシーはとても美味しく、サービスしてくれた自家製アチャール(大根漬け)とのマッチングは抜群で、色んな国の人々が行き交うのを半地下からの眺めも味わい深くてつい2本目を開けてしまいました。
この食料品店にはネパールに6年間も居るというフランス人(鉱物資源調査の仕事をしている)も常連客として居り、一緒に飲んでヒマラヤの豊かな鉱物資源(ウランも多い)と鉱物薬(シラジット等)について語り合えました。
店主の長男が帰って来たのはもう最終夜行バスが出る直前(夜8時)で、バス停まで歩いて10分程ですが彼にアドバイスを求められたので延期しました。
彼には日本語のタイピングが出来るアプリ(simeji)を教えて、それで「動物福祉牧場」をサーチしてわたしのブログを見て貰えました。(言語は自動翻訳される)
あと日本語を学ぶには歌を聴くのが1番だと伝え、MDで五輪真弓と中島みゆきをカップリングしたカセット(320分)を貸してあげられました。
彼(ビプラ君)はまだ20歳くらいの若者で日本語も2ヶ月しか勉強してないとのコトでしたが、ルスツ-リゾートでは6人のネパール人と一緒に暮らすそうなのでなんとかやって行けるでしょう。
しかしそうした出稼ぎの若者が日本の文化を真に学ぶコトは稀なので、ビプラ君とは日本でもつながりを持ってアドバイスしてあげたいと思います。
昨晩はその後、またブッダナートのホテル-ハイアットへ行き、酔の勢いからつい金持ちインド人と一緒に朝まで打ってしまって、前日4000ルピー取り戻したのに8000ルピー負けて4日間トータルで12000ルピー(一万三千円程)の沈みとなり、心機一転するタメに山へと旅立つコトになりました。