わたしは今そのバスに乗ったところですが、6回目の訪問になるポカラでも1日半を過ごしたので、このツーリズム-キャピトルと呼ばれる町について語っておきます。
この町を最初に訪れた22年前は、まだ右も左も分からない20歳の旅行初心者で、ポカラ名物のマジックマッシュルームを食べて方向感覚を失いグルグルと彷徨っただけでした。
2回目に訪れた17年前は、3ヶ月近くも付き合った家族の兄妹と一緒にルンビニへ行く途中に立ち寄り、妹はまだ15才くらいで旅のお荷物でしたが、兄は20歳くらいのエネルギッシュな青年でガイドの役割を担ってくれました。
その後にルンビニの日本山妙法寺と御縁が出来、3回目はお上人さんと一緒で山の上の仏舎利塔に泊まれて、ポカラから山道を20日間かけて平和行進しました。
当時このエリアは反政府闘争を行うマオイスト(共産革命派)が支配しており、宿などは在りませんでしたが民家やお寺や学校などに泊めて貰えて貴重な経験を積めました。
4回目は15年前に1年半かけて世界一周した時で、東回りでネパールまで着いた頃にはもう帰郷した気持ちになれ、たまたまルンビニのお寺で講習会を開いていた「快医学」のメンバー5人(医師は2人)と一緒に大名旅行をしました。
この頃はまだネパールの物価は日本の1/10くらいで、ポカラのツーリスト-エリア(レイクサイド)の外れには素朴な民家の安宿もあり、そこは150円ほど(ドミトリー)で泊まれて沈没している日本人旅行者が多く居りました。
しかし今では物価は3倍ほどになり、宿も小綺麗で立派なホテルばかりで味気無くなってしまいました。
そうしたホテルは金持ち中国人やインド人には歓迎される様ですが、やはり過当競争で儲かっているのは建設業者だけのような気がし、それは同じくレストランやお土産屋の供給過多にも言えます。
特にお酒を売る店が激増して、前回来た7年前はまだチャンやロキシーしか飲めなかったのが、かえって今はチャンを出す店を見付けるのに一苦労しました。
チャンはマッコリとほぼ同じで市販されておらず、田舎の家々では自家製の味が引き継がれています。
わたしは昨晩これを30分くらい探し回ってようやく見付け、1リットル(100ルピー)を1時間ほどかけて飲み干してスッカリ酔い痴れました。
ちょっと先走りましたが7年前に話を戻しますと、当時の仏舎利塔には森下行哲上人という伝説的な方が居られ、彼はアフリカ開教に半生を賭けその夢は敗れましたが、彼は日本人では出会ったコトのないほどの迫力の持ち主で、老後は幾分か丸くなりましたがアメリカのNPT(反核)ウォークを一緒に歩きました。
行哲上人はもちろん英語が話せますが、当時すでに耳が遠かったのでわたしが日本語の大声で通訳を担い、ニューヨークの国連総会前で4年に1回の核軍縮会議に合わせて多くのお上人が結集し断食祈祷した時には、戦災孤児としてお寺で育ち法歴の1番永い行哲上人が導師を担いました。
そんな偉大なお上人はポカラで3年前に亡くなっておられ、わたしが産まれる前からポカラで御修行されて仏舎利塔を建てた森岡上人と共に、スリランカから贈られた本物の仏舎利と一緒に眠っております。
長くなったのでわたしの今回の滞在については手短に語りますと、湖一周の平和行進をしてとても良い修行になりました。
特に良かったのは、レイクサイドからずっと北に湖を巡って行ったツーリストが滅多に訪れない場所のチャイ屋で、そこはサドゥーや地元のコアな人々の溜り場になっていて、太鼓を撃って通りかかったらチャイに誘われました。
ポカラの人々はだいたい観光客相手の仕事をしているので、外国人にとても友好的でサドゥーもインド人とは比べモノにならないほど広い知見を持っていました。
ボンを回す役割も見事に担ってくれ、地元の山岳ガイドの若者やパラグライダー-インストラクターの人、そしてタトゥーを入れまくってるクロアチア人女性なんかとも一緒にボンしました。
彼女は見事なジャンベ(アフリカ太鼓)プレーヤーで、わたしのお太鼓に合わせて伴奏してくれて、そのリズムは深く心に残り平和行進を大いに力づけてくれました。
湖一周には9時間を要して、仏舎利塔に戻って余計な荷物を預けてお太鼓を借りてから出発しました。
お寺には子供の頃から仏舎利塔に親しんで育ったドルガさんが出家して居られ、彼は「勝利の女神ドゥルーガ」にあやかった名前は上人向きではないとして改名していましたが、わたしはドルガ上人は良い法名だと思います。
彼とは日蓮仏教が掲げる「立正安国」や「国主勧業」について語り合いましたが、ネパール人らしい柔らかい思想の持ち主でチベット人との付き合いも良くされており、仏舎利塔に多く訪れる中国人観光客にも御題目を善く伝えておられました。
ポカラは東西の旅行者が沢山集まるツーリズム-キャピトルなので、そこでの御修行には大きな意義があると思え、小乗と大乗を1つにするコトを目指した一乗の御題目は、東西の宗教をも1つにする使命を担っていると思いました。
最後に旅の話で締めますと、夕方バス-ターミナルに行ったらもうジョムソン行きのバスはなかったので、前述したようにチャンで酔っ払って夜の町を歩き回り、宿は新しくオープンしたレイクサイドのカジノとし、若いイギリス人グループと一緒に100ルピー賭けのルーレット(マシーン)なんかで時間を潰し、800ルピー勝ち逃げしてから空き部屋でぐっすりと眠れました。