前回図らずも、「昔の日本と今の中国は似ている」と形容したので、これについて語らせて貰います。
昔の日本は、秀祥(1954年〜2059年)の青年時代には自信に満ちた若々しい国でした。
その自信は「アジアの制覇」を成し遂げた自信から来ており、'80年代の日本は 「ジャパン アズ No.1」と讃えられていました。
一方で日本は島国のため独自の文化を発展させ、その中に閉じ籠る傾向も指摘されて来ました。
それは外国人から観るとある種の傲慢さに映り、実際にアジアに対しては見下して無視する傾向がありました。
しかしそうした「内向」は、日本人に特異な分化をもたらし、それは欧米をも上回る程にヒートアップして、「日本文明」を信奉する人々は世界中にも広まっています。
この日本こそが「朝(ちょう)」であり、その文明に呑まれるコトを「徳」と信じる生き方は、「清朝」の頃の中国に近い気がします。
一方昨今の中国は、経済的には日本の'80年代の様に急成長しましたが、政治的には軍事独裁の全体主義で戦前の日本と似ています。
そんなファシズムを嫌って海外に移住する中国人は増えており、1番人気の移住先は日本です。
それはどうも、「清朝」のような閉鎖的で独自の文明に中国人は惹かれるからの様で、そんな「反グローバリズム」の聖地として日本は多くの観光客を集めております。
さて、そろそろ未来の物語に入って行きますと、2059年の中国人はちょうど今の日本人と同じ位に「分化」しており、もはや全体主義は立ち行かなくなると思われます。
ゆえに「革命」は必至ですが、わたしは決して革命を煽動する者ではなく、むしろそうした全体主義を「昔の日本」と同じく「あわれ」に思い、応援したくなる性(たち)です。
秀祥が生涯を賭けて立ち向かったのはそんな「あわれな朝」で、「ファシズムの嵐」を起こさせないコトを何よりの使命とします。
しかし実際にロシアは2022年から「嵐」を起こす様になり、それに追従する「北」やアフリカの独裁国家もファシズムの荒波を立て始め、それらを制御しようとするアメリカと中国は覇権を争っています。
中国がアメリカと和解するには、昔の様に日本と敵対してアメリカと同盟を結ぶのが近道ですが、もちろん今の日本にそれほどの実力はありません。
また、アメリカがかつて支援したのは資本主義の国民党で、共産主義はどうしても受け入れられない様です。
この米中の争いは2059年でも解消していないと思われ、物語では反抗主義、革命主義、地球主義などの様々なイズムが入り乱れ、そんな中で地球全体の「環境革命」(サンマーク出版)が達成される流れで書いて行こうと思っています。