慧海はチベットに漢方医として潜入し、その道でダライ・ラマから表彰されているので、かなりの名医だった様です。
ムスタンにも彼の住んだ家が記念館として遺っており、その徳が偲ばれます。
秀祥がムスタンへ旅したのは1972年で、慧海と同じく居を構えて一年間暮らしました。
そこで彼女は、放線菌(かび)を培養して抗生物質を作る技を伝え、盲腸炎で苦しむ人々の手術を感染症の心配なしに行います。
結核の治療はこれよりも難しく、複数の抗生物質を継続的に服用する必要があります。
完全に治ったのを見届けるには半年程を要し、治ったと早合点して服薬を辞めがちなのが問題の様です。
こうした医師としての経験は、父-孫文徳の背中を観て育った秀祥には備わっており、彼女はムスタンで名医として名を馳せます。
ここはチベット文化圏なのでトゥルクへの信仰心もあり、秀祥の医療ボランティアの旅には多くの若者が付き従う様になります。