日本でも、わたしの親の世代が学生だった頃(1960~70年代)には、社会改革を叫ぶ学生運動が盛んでした。
その中には、当時中国で絶対権力を振るっていた毛沢東(マオ‐ヅェドン)に心酔し、彼が行った様に山に立て籠って政府軍と戦おうとする組織(連合赤軍)まで現れました。
これについては同郷(斜里)の作家、立松和平が「光の雨」という小説(映画化されてる)で描いており、その悲惨な結末については他にも多くの総括が成されています。
その中で、わたしが最も説得力が有ると思えたのは、彼ら赤軍が山ではインスタントラーメンばかりを食べていた為に、カルシウム不足に陥って神経に異常を来したという説です。
インスタントラーメンでもワカメや玉子、トマトやエノキなどを入れれば立派な料理になるのですが、未熟な学生達には栄養の知識がまるで無く、その為に山中の革命拠点は数年で自壊してしまいました。
ここで物語に移って、中南海および紫禁城と天安門広場を革命拠点にした学生等の「食」について語りますと、これは東京で言えば皇居と霞が関一帯を占拠したようなモノで、広くてオープンなので物資は楽に運び込めますが、先々はおそらく人民解放軍に包囲されると思われるので、多くの食糧を備蓄しておく必要があります。
この占拠運動は、行く行くは十数万人にまで規模が膨れ上がるとするので、それだけの人に満足な食事を与え続けるのは容易なコトではありません。 なのでこの方面の仕事は組織化して行う必要があり、「生活班」として女生徒達が主体となって働くコトにします。
次に重要なのは「広報班」で、如何に広く世界にこの学生運動の意義を伝えられるかが、革命の成否を握ります。 これにはどうしてもインターネットを活用する必要があり、中国ではグレート-ファイヤーウォールによって自由世界とのアクセスが阻まれているので、またもCIAの軍事衛星に中継して貰う必要があります。
これは、アメリカのホワイトハウスと直通する電話回線を持つ泰正堂から要望を伝えるとし、ローラはCIAの工作員なのでそうした手筈はあらかじめ準備されていたとします。
衛星中継でインターネットに繋がれた学生達は、世界中の大学にメッセージを送り、この革命運動への支持と連帯を求めます。
国内の大学へは中国のイントラネットでもメッセージを送れ、それよりも実際に先陣を切った北京大学の学生が、電車で国内の大学を回って直接支持を求めた方が良いでしょう。 こうした外回りの「活動班」を含めて、大まかに3つの組織に人員を振り分けますが、この組織間は自由に移れるとして、ローラはこの3つ全てでリーダーシップを発揮します。