真の動物福祉牧場を目指して

78.「弁護士のくず」と現代

優れた文芸作品はよく「時代を映す鏡」と言われます。 「弁護士のくず」もそれに当たり、漫画では一番クールな作品だと思います。

上のコラムでは「大使閣下の料理人」や「フラジャイル」も紹介されており、これらも「現代を映す鏡」として優れていますが、些か専門性に重きを起き過ぎており普遍性を軽視している感があります。
その点で「弁護士のくず」はとてもオルタナティブ(幅広い発想)な作品で、人が「正義と悪」をジャッジするコトに「絶対」は無いと伝えてくれています。

作者の井浦(いうら)秀夫には他に「刑事ゆがみ」や「AV列伝」などの優れた作品が有りますが、第一審と第二審でそれぞれ10巻のシリーズと成っている「くず」がやはり代表作と言えます。
その中から特に優れた物語をフィーチャーすると、第一審の9巻でオープニングを飾る「Bの悲劇」が挙げられます。

これは血液型占いに「絶対の信仰」を持つO型ワンマン社長によって、B型の社員が差別され解雇されたコトから起こった裁判を描いています。
裁判所の仲裁により、九頭と会社の顧問弁護士の間での調停に持ち込まれますが、この顧問弁護士がまた大のアンチ血液型占いで、社長との対立が激しくなり九頭はそっちを調停をするハメになります。

結局B型の社員は解雇されるのですが、それに同情した同じくB型の女性社員も辞職し、2人は結ばれてハッピーエンドと成ります。
こんなに複雑な人間模様を描いた漫画は、世界でもまず他に例が無いかと思います。

「くず」ではこうした複雑な人間模様をとても諧謔的に描いており、私は諧謔文学では中島らも、いいだもも、内田春菊、田口ランディくらいしか知りませんが、漫画というジャンルは文学よりも諧謔精神を表すのに向いているかと思えます。

「現代」に対して諧謔精神を持つコトは重要に思え、それは中国の「和諧政策」を観て来たせいもあります。
権力や既得権益を批判するコトが許されない社会は停滞して腐敗し、冗談で揶揄するコトすら許されなければ文化は窒息してしまい、「文化砂漠」の国に成ってしまっております。

話を「現代」の日本に戻してもう一審、諧謔的な意見を紹介します。
それは終末医療における「尊厳死」を巡る裁判で、映画「終の信託」がそれを見事に描いております。
これは実話を元にした映画で、詳細な経過を物語として観ている視聴者には、間違いなく女性医師の「無罪」が認められるのですが、現実には有罪判決が下されてしまいます。

これは流石の「くず」でも諧謔的には語れず、「現代」は死から逃れるコトに重きが置かれて、延命措置に多大な医療費がつぎ込まれ続けています。
しかし「個人の尊厳」が重んじられる欧米では尊厳死が認められて来ており、日本でもそれに習おうという姿勢は見られます。

自殺は良くありませんが、死に方を選ぶ権利は認められるべき時代になって来ていると思い、私の理想はブッタの様に最期はインドを遊行して、菩提樹の下で野垂れ死にしたいと思います。








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