真の動物福祉牧場を目指して

113. Carpenter (大工)

 私の父は建築士で、35歳で脱サラして北海道に民宿を開きました(労働運動に深入りし過ぎて解雇された)。 
 その後も嘱託で設計の仕事を続け、斜里の畑作地帯にある民宿も半分は父が自分で建てました。

 私もそれをソコソコ手伝って、基礎掘りと基石の埋め込みから、木材のカットや断熱材の工夫まで、一通り寒冷地での家作りを実習できました。

 こんな素人建築と比べ、チベット建築にはずっと洗練された知恵の蓄積があり、それは地上で最も厳しい気候にも対応できる機能性と供に、芸術性や宗教性まで創り出しています。

 それはラサの布達拉宮に代表される寺院建築で特に発揮され、こうした寺院は村や街の人々が総出で建てました。
 この村人総出のカーペンタリーを描いた映画は限られますが、ハリソン-フォードの「Witness」(目撃者、邦題は「刑事ジョン-ブック」)が挙げられ、アーミッシュ(アメリカの反文明主義者)村での新婚夫婦の家作りが描かれています。
 チベットの村でもかつては、こうしたカーペンターの腕を競う情景があったと思われます。

 寺院建築はコミュニティーの絆を強める祭りで、経済性を超えた神聖な創造でした。
 しかしそうしたチベット人の宝を、中共(ドン)は進歩の名の元に殆ど破壊し尽くしてしまいました。
 これには温厚なチベット人も大いに怒り、さすがにドンも悪いコトをしたと思ったのか、寺院の再建を行っています。

 しかしそれは寒々しい急造のコンクリート建築で、人々の手によって創られた木材と煉瓦と漆喰による伝統的な寺院とは、魂の籠り方が全く違います。
 ドンは全国でこうした伝統建築物の再建を行っていますが、それらは専ら観光商業目的で、真の伝統や宗教の復興には結びついていない観があります。

 伝統と宗教を破壊し尽くした革命の傷痕はまだ癒えておらず、ドンの支配する地域では浅はかな進歩主義による魂の籠らない創造物ばかりが目に付きます。
 真の職人としてのカーペンターは育たず、原始資本主義を象徴する殺伐とした「鬼城」ばかりが増え続けております…

 暗い話題で終わるのはイヤなので、明るい音楽の話で締めます。
 カーペンターと言えばやはり Carpenters で、これまで触れて来ませんでしたが大学時代はよく聴いてました。
 アメリカなどでは Carpenters が好きだと言うと、「時代遅れのダサいヤツ」といった印象を与えかねないので、私もなかなか口に出せませんでしたが、カレンの歌ほど英語ビギナーにとって解りやすいモノはなく、その内容も Abba などよりはずっとクールだと思います。

 私が特に好きなのは、キャロル-キングの名曲「One fine day」の賑やかなカバーと、「Harting each other」や「Calling occupants」などのユニバーサルな平和ソングです。
 カレンは殺伐としたアメリカ社会に馴染めずに、若くして拒食症で亡くなってしまいましたが、暖かい伝統的な日本の田舎で暮らせたならば、健康を回復して今でも元気に歌っていたかと思います。

 

 
 

 

 
 
 

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