家や食べ物と同じくらい、衣服はヒトにとって重要なモノでしょう。
特に平均標高が3000mを超えるチベットで服は大きな意味を持ち、昔は一年中ずっと同じ服で通していたので、その拘りと愛着は私達のそれとは別次元だったと思われます。
因みに標高は100m上がる毎に0.7c'低くなるので、3000mでは平地より21c'も寒くなります。
夏でも夜は氷点下になり、雨も殆ど降らない乾燥地帯なので、汗はかかず着替える必要もありませんでした。
これはチベット人がバター茶を常飲するコトとも関係し、その強いバターの香りが服に染み込んで体臭をかき消していました。
私も旅している時は出来るだけ服を持たない主義で(身軽が一番です)、なるべく現地の服を着る様にし着古したモノは捨てていました。
チベットの非解放地区を旅した時に人民解放軍の服を着たコトは前に話しましたが、他に変わり処ではフンザ(パキスタン北部の山岳地帯)で3ヶ月過ごした時にクルタという民族衣裳を着て、これにはかなり愛着を持ちました。 Google 画像検索結果
チベット人の民族衣裳を着たコトもあり、それはダラムサラー(チベット亡命政府がある)に於いてで、僧侶カラーの黄色い下着と海老茶色の外套に衣替えし、頭も丸めました。
こうした服は、かつては全て紡ぎ人の手によって織られていました。
原料はチベットでは麻と羊毛が主流で、女性達が長い冬の間に丹精を込めて織り上げました。
物語でもそうした愛着の籠った服を取り上げたいと思い、それは絶滅収容所で死に行く男達の元に届けられます。
ドンの規則では実際、囚人との面会はおろか差し入れすら許されませんでしたが、王全国の優樹(ユーシュー)収容所では特別に両方とも許されます。
妻や親、恋人や姉妹達は優樹の勇敢に戦った男達に最期の別れをし、ハンガーストライキ中なので食べ物ではなく衣服を差し入れします。
これは死に行く男達の心と体を暖め、中国人によって虐げられた女達も誇りと気概を失ってはいないと伝わって、男達は心安らかに逝けます…
今回は物語はここまでにしまして、前回に続いてウィーバーと言えば Weavers が外せないコトを紹介いたします。
これはレコード時代に活躍したグループで、アメリカなどでは最も「時代遅れでシブい」とされるグループです。
これについて解説すると長くなるのでウィキペディアに譲りますが、これほど詳しい解説を書く人が日本に居るコトを誇りに思います。
この優れた解説に付け足しさせて貰いますと、シーガ-はソロでも「紡ぎ人」を歌っており、それは日本ではオリジナルを聞くのが困難な「Oh! had I a golden thread」(ああ、私は金の糸を手にした)で、この素晴らしい歌は以前紹介したトリビュートアルバム「花はどこへ行った」に入っていますので、ぜひとも聴いてみて下さい。