詩では遊行期のサドゥーをフィーチャーしましたが、地元の駆け出しのヤンキー-サドゥーなんかもガンガー沿いのテントで寝ています。
もっと大まかに言えば、世界中から集まっている観光客、インド中から大量に押し寄せる人々、戦禍を逃れた難民、サービス業で生計を立てている地元の人々、そして夥しい数の物乞いをする人達… 基本的にわたしは乞われれば渡すスタイルですが、疲れてしまいみすみす「利施」のチャンスを逃してしまい勝ちになっています。
昔のガートには「玉両替屋」があり、そこで百ルピー(200円弱)を両替すればメインガートを一周りするくらいの1ルピーが配れて、それで彼等はチャイを一杯飲める時代でした。
彼等と一緒にチャイを飲んだ思い出もあり、20歳だったわたしは激安で美味いチャイをお替りしまくって変な目で観られました。
それは勿論キマっていたからではありますが、インドのチャイ文化とアサ文化は共に生長して来たと思えるほど、両者の相性は抜群です。
きっとカーシーでは近い将来、バングチャイのお店が出るかと思え、それがインド中のチャイ屋に広まるコトを期待します。
味は大麻オイルなどを用いればより深くなり、インドのチャイ文化に革新をもたらすかと思います。
しかしカーシーには、シバとの一体化を得ようと激しくチラムを吸う人達も多く居ます。
これは宗教的な献身とされますが、身体には明らかに悪く、「死を待つ人達」ならばともかく若者達が吸うなんて軽率かと思います。
とは言いながら、現地人や旅人との付き合いからボンの輪にほぼ毎日加わっていて、そのせいで肺が調子を落として唱題に響いてしまいました。
わたしはもう、ジェットコースターのような酔を求める年代ではなく、日常生活にハリを与えてくれる「限りなく透明に近いハイ」を求めていて、それにはバングチャイが特にお勧めです。
ガートに大型テントのホームレスシェルターを設置している、シバ系の宗教法人が振る舞う食事にはバングが入っていた気がし、チャイにも緑の粉が大量に入れられていました。
そうしたホームレスシェルターに居る「死を待つ人達」は、もうかなり弱っているのでチャイと果物くらいしか食べられません。
ヒンドゥー教は親の恩徳を重んじるので、異邦人で流れモノのサドゥーでも、死に場所を求めて来るお年寄り達をカーシーは受け入れて来ました。
カーシーはこの伝統はこれからもずっと保って行くかと思え、葬式産業が生んだ社会福祉活動も、国と宗教法人が手を結ぶ形で発展を見せており、それは貧しい人々の死ぬコトへの不安を和らげる成果を上げています。