しかし、DNAが作るのは酵素であって、それは確かに驚異的な触媒反応(化学反応の数万倍の効率)を起こしますが、そこから一気に「超能力」へと結びつけるのは飛躍し過ぎでしょう。
前回ではもう一つ、「量子脳力学」についてのページにも触れ、そこでは死後も精神は量子波として世界に残り続ける可能性が示唆されていました...
生体が発する波動は音波の他にもあり、電磁波を自在に操る虫や動物は沢山いて、ヒトにもそうした能力があっても不思議ではありません。
実際に、手から発する電磁波で目玉焼きを作る気功師などはテレビで紹介されており、「熱い手」を持つヒトは周りにもたくさん居ます。
外気功やヒーリングは、その「熱=電磁波」の波長を様々な育成波動の周波数に調整し(69種有るとされる)、患者ごとに上手くミックスして照射する能力かと推察されます。
こうした調整は当然「脳」によって成されると思え、そこでは患者と「気」の波動を「共鳴」させるコトがカギになるかと推察します。
物語の流れから語りますと、慎語と行善にはこうした「共感の技法」が備わっているとし、それは類い希な苦難を生き抜いて来た経験から備わったとしています。
慎語は、広島と長崎の原爆投下から生き残ったコトで。 行善は、近代中国の動乱を少林寺のヒーラー部隊として生き抜いて来たコトなどから、こうした「共感の技法」を身に付けたとしています。
こうした物語として「ヒーラー」を描くコンセプトは、どうしても「キリスト」を避けて通れず、勿論そちらとの共鳴を望んでいます。
このコラムのタイトルは和訳すると「心配はそのままに」となり、つまり心配するコトから改善と癒しは生まれると捉えられます。
身近な例を挙げますと、電車に乗ったらみんながスマホを操作しており、その高速移動中の4G電磁波は金属製の車内に反響して電子レンジの様に成り、そうした波動もキチンと「心配する」コトで有益な波動に変換する道が開け、それこそが外気功の極意かと私には思えます。
これについては繰り返しになりますが、「健康になる家、癒や家」が一番実践的に道を述べておりますので、ぜひ参考にしてみて下さい。