シーク教徒のシンボルはターバンですが、男性の平均身長は180cmに達するかと思え、恰幅も良くとても逞しそうで、男はみんな獅子という意味の「シン」というミドルネームを持つコトも有名です。
彼等は昔から儀仗兵や要人の護衛などを担って来ましたが、インド独立後にパンジャブ独立運動を起こしてアムリトサルのゴールデン-テンプルに立て籠った際、当時の首相だったインディラ・ガンディー(ネルーの娘)の指令で一掃されてしまい、その復讐としてシークの護衛が首相を暗殺してしまう事件も起こりました。
シーク教徒は血統的にはアレクサンダー軍の末裔であるカシミール人に近いので肌色は明るく、適度にインド人の血とヒンドゥー教も混ざっているのでイスラム教徒よりも大らかな感じがします。
その為シーク寺院は如何なる宗派の人でも受け入れてくれ、食事をタダで振る舞い泊まらせてもくれます。
わたしはデリーでは2箇所のシーク寺院にお世話になり、ニジャムディン駅の近くのシーク寺院はマイナーですがちゃんと毎日炊き出しを行っており、外の庭で和気あいあいと料理していました。
本命のシーク寺院はオールド-デリー駅から歩いて10分足らずの所に在り、デリー1(インド1と言っても良い)の目抜き通りの真ん中に位置しています。
この通りにはマクドナルドなどもあって夜遅くまで賑わっており、深夜には野宿する人々で歩道が埋まります。
ここのシーク寺院はゴールデン-テンプルのミニチュア版と言って良い程の豪華さで、無料の食堂に群がる人々の数もゴールデン-テンプルに引けを取りません。
わたしは昨晩もここに泊まりましたが、今日の昼にカトマンドゥへ飛ぶのでインドルピーは使い切る積りで殆ど持っていなかったので、無料の食事がとても有り難かったです。
昨日は朝食をプラスタ公園のお寺で頂いてから、ヤムナー川沿いのワイルドな道(車両は通れない)を歩き、ガンディー-メモリアルパークのミュージアムをじっくり見学してから広大な公園を突っ切り、お腹を空かせてシーク寺院に辿り着きました。
そこではわたしと同じくお金を持たずに空腹を抱えたヒンドゥーの若者と会い、彼は遠慮なくチャパティーとダル(豆カレー)をオカワリしていました。
他にもチャパティーを懐に入れてオカワリを繰り返すオバさんを見掛け、わたしはそこまで貧してはいませんでしたが、夜中のアイスと早朝のチャイはとても美味しかったのでオカワリしてしまいました。
昨晩はオールドデリー駅の周辺を歩き回り、その広大な駅の隅っこで寝泊まりする人々を眺めました。
そこにはかなりの数のサドゥー(遊行僧)も含まれ、彼等はやはりプカプカとガンジャを吸っていて誘いの声も掛けられましたが、わたしはもう若くないのでそんな体に悪いコトは敬遠しました。
駅前のヒンドゥー寺院も7年前ほどミステリアスな魅力を湛えてはおらず、そこのサドゥーのボスはまだ居ましたがだいぶ年取って衰えた感があり、以前の様に多くの人々を集めて夜中のボンパーティーを開いたりはしていませんでした。
そんなワケでまたシーク寺院に泊まり、今回はソファが満員で地べたで寝るコトとなりましたが、暑い夜だったのでかえって地面の冷たさが心地よく、護衛のお爺さんが見張る中で貧しいインド人と一緒に雑魚寝でよく眠れました。